[メキシコ] 年末年始の家族旅行 メキシコシティ→カンクン→グアナファト→ケレタロへ

メキシコ

クエルナバカでクリスマスを祝った後、2023年12月26日から翌年の1月5日まで両親がメキシコにやってきて一緒に家族旅行。

本当は2020年の4月に予定していて、航空券もホテルも手配済みだったにも関わらず、コロナの世界的大流行により全てキャンセル。

そのリベンジとしてようやく実現した年末年始の旅なのでした。

10日間で、メキシコシティ→カンクン→グアナファト→ケレタロを周遊

この旅の計画は、私が西アフリカを旅していた昨年の8月頃から始まった。

アンゴラの首都ルアンダで、アフリカからメキシコへ辿り着く最安のチケットを探し、そこからホテルも航空券も全て事前に手配した。

直前に手配すると、年末年始の混雑で航空券やホテルが確保できない、または値段の高騰が考えられたからだ。

10日間という短期間でカンクンにもグアナファトにも訪れる計画だったので、メキシコシティ→カンクン→グアナファト間は航空券を手配。

こうして12月26日からの家族旅行が始まった。

メキシコシティ

私にとっては2020年4月ぶりの久しぶりのメキシコシティ訪問。

年末年始だからだろうか?当時がコロナで外出している人が少なかったかったからだろうか?ものすごく人が多く感じる。

まずは両親をメキシコ国際空港まで迎えに行く。一人で移動する場合はメトロで空港までつながっているのでありがたい。

両親と空港で合流した後は、タクシーで市内まで。料金は歴史地区までで300ペソだったと記憶している。

後にDiDiというUberのような配車アプリを使用すると、150ペソと半額ほどで行けたのでオススメ。

ちなみにメキシコシティではこちらのホテルHotel Kali Centroに宿泊。

設備も新しく、日本のビジネスホテルのような感じ。ソカロまで徒歩で15分-20分ほどと少し離れているのが難点か。

両親には日本から様々な物を持ってきてもらった。壊れたテントを新品と交換し、古くなった衣類や靴なども交換。

西アフリカも中古衣料品市場で調達した衣類とも、ここでお別れの時がきた。ギニアビサウで盗まれて買ったRam1GBのポンコツスマホも、新品の最新スマホに交換できた。

ここにきてカメラの画面の調子がおかしくなっているのが心配だが、何とか持ちこたえてほしいところ。

両親との旅という事で、今までのヒッチハイクで移動したり、屋台でタコスを食べたり、カウチサーフィンなども利用しない。

快適なホテルに泊まり、タクシーで移動し(地下鉄やバスも多用したけれど)、清潔なレストランで食事する天国のような旅(おそらく大多数の人々にとってそれが普通か 笑 )。

メキシコシティでは歴史地区を歩き回ったり、少し高級なポランコ地区やショッピングモールに行ったり、後日テオティワカン遺跡へも足を伸ばしました。

両親にメキシコ料理を紹介したくて、様々なレストランに立ち寄り、モレやポッソーレ、ケサディージャなどを食べましたが、基本メキシコ料理は油っぽくて、辛くて、濃厚な料理が多いので、あまり口に合わなかったよう。

結局一番気に入ったのはイタリア料理の店だったという結果に(笑)

まぁでもメキシコシティの雰囲気は味わえたのではないかと思います。

メキシコシティにある国立人類学博物館を一緒に訪れたのですが、ここがめちゃくちゃよかった。

メキシコ全土から集められた大量の考古学および人類学的収集品がズラリ。

全て見ようと思うとめちゃくちゃ歩くし時間がかかるのだけれど、見応え抜群の博物館。

メキシコ全土の各文明により展示室が分かれている。

下の真ん中に穴が空いた石の彫刻は、各文明で球技に使用されたもの。古代アステカでは「ウラマ」と呼ばれ、スポーツと祭礼、儀式が融合した競技だった。

使用されたのは重さ4キログラムほどのゴムボール。高さ6メートルのところに設置された石の輪を通すように狙って、腰とお尻だけを使って(足や手を使うことは禁止されていた)ボールを操る。

この試合の結果の勝者(敗者という説もあり)は、斬首によって生贄となる可能性があった。生贄になる事は、名誉とみなされたという。

下の展示物はチャックモールと呼ばれる。

チャクモールは死んだ戦士を象徴し、神へ生贄などの供物を運ぶ存在と考えられていて、チャクモール像の上で人身御供の儀式がおこなわれたり、チャクモールのもつ皿の上に取り出された心臓が太陽への捧げ物として置かれたとされる。

下記の戦闘の様子が描かれた立派な円形の台座。

これは捕虜を置いた台座で、上部に溝があるのはそこから血を流すためだとか。

下の写真は、アステカカレンダー、また太陽の石とも呼ばれます。

中央は擬人化された太陽。口から出ているのは人身供養用のナイフ。

太陽の周りにある4つの絵文字は既に滅んでいる4つの太陽を表している。

アステカでは過去に4つの太陽の時代があったと考えられており、第1の時代はジャガーによって、第2の時代は大風によって、第3の時代は火の雨によって、第4の時代は洪水によって滅んだと考えられていました。絵文字はジャガー、風、火の雨、水を表しています。

その次の2番目の輪にはナワトル語の20の暦名。3番目の輪には装飾模様、4番目の輪にはトルコ石と翡翠のシンボル、春分・夏至・秋分・冬至のシンボル。

そして、最も外側には2匹のシウコアトル(トルコ石ないし火のヘビ)。2匹のヘビは下で向かい合い、大きく口を開けています。

現地で見た時は全然知らなかったけれど、そういう事のようです。

下の写真は「ヘビの婦人」を意味するアステカのコアトリクエと呼ばれる大地母神だそう。

首から流れ出すヘビは豊穣祈願を、手・心臓・頭蓋骨でできたペンダントは太陽を養うために人の血と生贄が必要なことを表し、この像は人の誕生と死を象徴してているのだとか。

他にも数え切れないほどの展示物があるメキシコ国立人類学博物館。

1階だけの見学だったけれど、もう歩き疲れ、見学するのにも疲れ(笑)知らなかったが2階にも展示物があったようだ。

こうして26日から28日までのメキシコシティ滞を終えて、カンクンへと向かう。

滞在していたホテルに少し荷物を預けさせてもらい、身軽になって飛行機でカンクンへ。

メキシコシティには、また後に戻ってくることになる。

カンクンへ バジャドリッドからチチェンイツァ遺跡へも訪問

メキシコシティからカンクンへと到着。メキシコシティの高原の気候から、一気に蒸し暑い熱帯の気候へ。

カンクンの空港からはA.D.Oのバスで、市内のバスターミナルへ。初日はカンクンへ滞在せずに、バジャドリッドの街へ直行することに。

バジャドリッドを選んだのは、理由がいくつかあって、一つはプエブロ・マヒコにも登録されている美しい街だから。

また素晴らしいセノーテも周辺にあり、チチェンイツァ遺跡へも近いからだ。

この街で泊まっていたのはReal Hispanoというコロニアル風の建築物を改装したホテル。

さすが5つ星だけあって、中庭にはプールなどもあって雰囲気はいいのだが、初日に泊まった部屋はお湯が出ず…。

2日目には部屋を変えてもらえてよかったけれど、5つ星でお湯が出ませんって(笑)

下の写真はバジャドリッドの街の様子。

カラフルな色で彩られたコロニアル風の建物が並ぶ。

思ったよりも外国人旅行者が多いのには驚いたけれど。

みんなカンクンに飽きて、他の場所を探しているのろうと思われる。

街の中心にはセノーテ・ザキと呼ばれる、美しいセノーテがある。

翌日はチチェン・イツァ遺跡へ向かう。

本当は乗り合いバスで向かうつもりだったが、体調や疲れを考慮してタクシーに急遽変更。

到着したのは午前10時ごろだったと思うけれど、すでに駐車場は満員。駐車場に入るまでもめっちゃ時間かかったし、チケットを買うまでも長者の列が。

もし年末年始に訪れる人がいれば、できるだけ早い時間に訪れることをオススメする。

チチェンイツァ遺跡は、ユカタン半島にある最も有名なマヤ文明の遺跡。

マヤの最高神ククルカンを祀るピラミッド、かつての球戯場や天文台など見所はたくさん。

まずは、ククルカンを祀るピラミッドから。

マヤの最高神ククルカン(羽毛のあるヘビの姿の神。ケツァルコアトルのマヤ語名)を祀るピラミッド。基底55.3メートル四方、高さ24メートル(頂上の神殿部分は6メートル)。

大きな9段の階層からなり、4面に各91段の急な階段が配されていて、最上段には真四角な神殿がある。

ピラミッドの階段は、4面の91段を合計すると364段で、最上段の神殿の1段を足すと、ちょうど365段である。

また1面の階層9段は階段で分断されているので合計18段となり、これらはマヤ暦の1年(18か月5日)を表す。

これらのことから「暦のピラミッド」とも呼ばれる。

北面の階段の最下段にククルカンの頭部の彫刻があり、春分の日・秋分の日に太陽が沈む時、ピラミッドは真西から照らされ階段の西側にククルカンの胴体(蛇が身をくねらせた姿)が現れ、ククルカンの降臨と呼ばれている。

ピラミッド内部には初期のトルテカ=マヤ方式のピラミッドが内蔵されており、この神殿にはジャガーを象った玉座や生贄の心臓を太陽へ捧げたチャクモール像が置かれているという。

Wikipediaより

続いては球戯場。球戯場は、ほとんどのマヤ遺跡に存在するが、チチェン・イッツァのものは特に大きいという。

マヤの球戯は2つのチームに分かれ、ゴムで作られた非常に重いボールを腰で打って相手側のコートに入れる。チチェン・イッツァの球戯場には両側の高さ6メートルの所に石の輪があり、これは後古典期の特徴である。輪の中にボールを通すと即座に勝ちになったらしいが、現実に行うことは困難と思われる。

試合が白熱するほど雨が降り豊作になると信じられていた。勝敗で生贄になる者が決まったとされるが、勝った側が生贄になったとも負けた側が生贄になったともいわれており、ここは現在でもはっきりしていない。

Wikipediaより

こちらは天文台。マヤ文明では数学などの他に、天文学が非常に発達していた事で知られる。

エル・カラコルというあだ名のつけられた「天文台」は906年に建設された。約9メートルの岩の上に建てられ、高さは約13メートル。中心部に螺旋階段が作られており、ドーム部には縦に細長い窓の作られた厚い壁で構築されている。なお、この窓は天体観測における重要な照準線になっており、西側は春分と秋分の日没、月が最北端に沈むときの方向2つを確認することができる。その他、基壇となっている岩の北東隅は夏至の日の出、南西隅は冬至の日の出の方角をそれぞれ差している。

Wikipediaより

チチェンイツァ遺跡に入る前は、遺跡の内部も大勢の人でどれだけ混雑しているのだろうかと思ったけれど、中には行ってしまうと敷地が広いのでそれほど混雑を感じなかった。

チチェンイツァ遺跡を訪れた後は、タクシードライバーのおすすめでツァカン・セノーテへ。

内部はリゾートのようになっていて、レストランやホテルなどもあるようだった。

セノーテ自体も洞窟の中にあり、鍾乳洞と素晴らしい青色をしたプールが生み出す景観が美しい。

そして翌日にはカンクンへ。

宿泊したのはEco Hotel El Rey Del Caribeというホテル。

A.D.Oのバス停からも、カンクンの中心部からも近くてオススメ。

そしてついにカリブ海の海へ。下の写真はプラヤ・デル・フィンという展望台から。

カンクンの海の素晴らしい色彩が目の前に。

海沿いの海が眺められるレストランで食事をとり、夕方には空港へ。

カンクンから直行の便があったのは驚きだが、次はグアナファトへ向かう。

コロニアル建築が美しい街 グアナファト

グアナファトは、かつて銀の採掘で繁栄し、スペイン植民地時代の美しいコロニアル建築が建ち並ぶことで有名な街。

噂には聞いていたけれど、その素晴らしい街並みは、今までにメキシコで訪れた街でも一番に美しいのではないかと思うくらい。

今更おすすめする必要もないくらい有名だが、やっぱりオススメな街だ。

そんなグアナファトで滞在していたのはこちら。街の中心部にあって、コロニアル建築を改装した素晴らしいホテル。

屋上からの景色も良くて、新年を祝う花火もここから見ることができた。

カンクンからグアナファトへは夜の8時ぐらいに到着。グアナファト国際空港から市内中心の歴史地区までは、Didiを使ってタクシーで500ペソほどだった。

年末の12月31日に到着したのだけれど、街の中心の広場では新年を祝うイベントで大勢の人が集まっていた。

あまりに人混みで何が行われているのか見るのは不可能だったけれど(笑)

開いているレストランもなく、夕食は屋台のタコス。そして両親が日本から持ってきてくれた年越しそば。

翌日はグアナファトの街を歩き回る事に。

あまりにも素晴らしい通りや広場、建築物。山の谷間にある街なので、カラフルな建物が段々になってグラデーションがめっちゃきれい。

そんなグアナファトの絶景の街を見下ろすことのできる展望台へゴンドラで。

ここより景観の美しい街が、他にメキシコ内にあるなら教えておくれ。

ケレタロ 街を貫く水道橋がシンボル

グアナファトからメキシコシティへの帰路で立ち寄ったのは、世界遺産の街ケレタロ。

街を貫く水道橋や、コロニアル風の街並みが残る中心部を歩くのも楽しい。

ここで宿泊したのは、Hotel Markeeという、こちらもコロニアル建築を近代風にリノベーションしたホテル。

立地が素晴らしく、設備も新しくて快適に滞在できたので、オススメできる宿。

ケレタロに到着したのは夕方だったので、夕食を食べてから夜の街を少し散歩してみる。

クリスマスのデコレーションがまだ残っており、大勢の人で賑わっていた。

翌日は街を散策。

街中でなぜだか他の街と比べて銅像を見ることが多かった。

そして街のシンボルとなっている水道橋は下記の写真にて。

水道橋の全長が1,280m、最も高いところは23mとのこと。

18世紀前半に建設されたようですが、まだ状態良く残されている。

1泊2日と短期間でしたが、ケレタロを離れメキシコシティへと戻る。

再びメキシコシティ テオティワカン遺跡へ

テオティワカン遺跡は、メキシコシティ北東約50キロの地点にあり、紀元前2世紀から6世紀まで繁栄した、テオティワカン文明の中心となった巨大な宗教都市遺跡。

当時のアメリカ大陸では最大規模を誇り、メソアメリカの中心的都市として機能していたという。

太陽・月のピラミッド。小さなピラミッドや神殿が建ち並ぶ死者の道。

素晴らしい彫刻が残るククルカンの神殿や色鮮やかな壁画も残る。

メキシコシティから簡単に公共の交通機関で日帰り旅行もできる。

まずこちらは、ケツァルコアトルの神殿。このピラミッドでは、そこに施された彫刻が遺跡の中で一番状態良く残されている。

太陽のピラミッドは、高さが65m、ピラミッドの1辺の長さが225mある、テオティワカン遺跡で最も大きなピラミッド。

2024年現在太陽・月のピラミッドに登ることは禁止されている。

太陽のピラミッドから月のピラミッドまでの道中にはジャガーの壁画が。

そしてこちらが月のピラミッド。

こちらのピラミッドでは儀式などが行われていたと考えられている。

そして月のピラミッドから、最後に訪れたのがケツァルパパロトルの宮殿とジャガーの宮殿。

前者は当時のテオティワカンの住居であった場所だと考えられており、それが修復され再現されている。

後者では状態良く残されている壁画に注目。

テオティワカン遺跡は思っていたよりも大きく、たくさん歩かなければならないので、その準備と水をお忘れなく。

これにて今回のメキシコ家族旅行は終了。さて来年は、一体どこになるのでしょうか?

南米縦断もその時までにはブラジルまでに到着していることが予想されるので、多分ヨーロッパか北アフリカ、中東のどこかかな?また楽しみにしながら旅を続けよう。

おわりに

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