[ガーナ] ガーナ入国!かつての奴隷貿易の中心地ケープコースト滞在

ガーナ

大都会のアビジャンを去り、ガーナに向けて出発。今日は土曜日なので人も少なく、渋滞もないようだ。

公共バスを使って街の郊外まで行き、そこからヒッチハイク。

こんなに簡単に止まるのかというほどスムーズに、ビザを持たないままガーナ国境へ到着するのであった。

ガーナ入国!かつての奴隷貿易の中心地ケープコースト滞在

さて乗ってきた大型トラックを下車し、辿り着いたのはガーナ国境。

到着したのはよいのだけれど、アビジャンのガーナ大使館でビザ申請に失敗し、まだガーナビザを持っていない。

情報によるとここで150USD支払って、一ヶ月のアライバルビザを取得できるとのことだがどうだろう。

最後にコートジボワール名物のアチェケを食べて、いざ国境へ。まずはイエローカードを提示。

もう必要なくなっているはずのコロナのワクチンパスポートも見せろと言われたが、「持ってるけど(実際は持ってない)パソコンの中にデータがあって、バックから出すのが大変だ」というと、あっさりとあきらめて通してくれた。

おそらくは賄賂をねだっていたのだろうと思うけど、やり方が下手すぎる。

ビザを持っていない事を伝えると、いかにも偉い人がいる別室へと案内される。

当初は「ここでビザは発行できない。アビジャンのガーナ大使館へ戻れ」と言われるも、他の旅仲間はここでアライバルビザを発行してもらえた事を伝えると、「ここでのビザは高いけどいいのか?」と言われ値段を聞くと200USD。

実際は150USDの事は頭に入っているのだけれど、「金がないから50USDでお願いします」と冗談を交えながら話していると、実際の料金の150USDになり、発行のレシートまでくれたので、おそらくこれが定価なのでしょう…高い買い物だ。

そこからヒッチハイクでケープコーストへの到着を狙うも、途中で日が暮れてきたのでこの日は断念。

国境から移民局で働く人が車で乗せてくれ、40kmほど離れた税関や移民局のチェックポイントがある小さな村で野宿することに。

ここで働く皆さんがいい人で、野宿の場所を提供してくれただけでなく、翌日早朝にケープコーストまで行く車まで見つけてくれた。

ドライバーの美人女性入国管理官に「私はアクラに行くので一緒に行きましょう」と甘い誘惑を受けるも、目的地はケープコースト。正直ちょっと迷ったけれど…別れを告げてケープコーストへ到着。

さてここで流行りのチャットGPTの助けを借りて、ケープコーストの歴史を簡単に教えてもらいます。

ケープコーストは、アフリカの西海岸に位置するガーナ共和国にある都市であり、アフリカ大陸の中でも重要な歴史的な地域の一つです。以下に、ケープコーストの歴史について簡単に説明します。

ケープコーストは、15世紀から19世紀にかけて、ヨーロッパ諸国によるアフリカの植民地化において重要な拠点となりました。特に、ポルトガル、オランダ、イギリスなどのヨーロッパの列強国が、ここを拠点にアフリカの内陸部への貿易を行いました。ケープコーストは、奴隷貿易の中心地としても知られ、アフリカの奴隷が船でアメリカやカリブ海などへと輸出されました。

19世紀後半には、イギリスがケープコーストを支配下に置き、イギリス領ゴールド・コースト植民地の一部となりました。この頃、現在のガーナの独立運動も始まり、ケープコーストはガーナの歴史的な発展に大きく貢献しました。

現在、ケープコーストは、ガーナの観光地としても知られ、奴隷貿易の歴史的な遺産や、19世紀に建造された要塞などの史跡が多数あります。また、ケープコースト大学や教育研究所などもあり、アフリカ大陸の教育の発展にも貢献しています。

チャットGPTより

なるほど。ちなみにこちらが奴隷貿易の歴史的な遺産の一つであるケープコースト城。

ケープコースト城は、ガーナのケープコーストにある要塞で、15世紀から19世紀にかけて、ポルトガル、オランダ、イギリスなどのヨーロッパ諸国によって建造されました。この要塞は、ヨーロッパ諸国がアフリカの奴隷貿易や交易を行う拠点として利用され、数多くの奴隷がここから船でアメリカやカリブ海などへと輸出されました。

現在では、ケープコースト城はユネスコ世界遺産に登録されており、アフリカの奴隷貿易の歴史を伝える重要な観光地として知られています。城内には、奴隷を閉じ込めた場所や、奴隷売買に使われた部屋、交易品を保管した倉庫などが残っており、当時の様子を想像することができます。

チャットGPTより

元々は黄金や木材などの貿易目的で建設されたが、後に奴隷貿易の拠点となり、多くの奴隷達がここから送られ、二度と故郷の地に戻ることはなかった。

現在では米国に住む人々が、自分達のルーツを辿るためにガーナを訪れることもあるのだとか。

そんな植民地時代の歴史から、ケープコーストの中心部にはコロニアル風の建物が多く残されている。

パッと写真だけ見れば、まるでどこかヨーロッパの街のようにも見える。それほど大きな街でもなく、ゴミゴミしていないので、個人的にお気に入りの街。

ケープコーストは、丘が多い街。街と海を見下ろせる、美しいビューポイントも多いのもいい。

そしてさらに最高なのが街の至る所でココナッツが販売されている点。一つ45円。

ココナッツを割ってもらうと、まずは中のジュースを飲み干す。そしてゼラチン状の白い部分を食すと、気分は一気に南国気分でエネルギーも充電できる。

新しい国に到着すれば試したいのが各国の郷土料理。ここガーナでもさっそくガーナ料理を堪能しております。

こちらは、キャッサバとトウモロコシの粉を発酵させて、団子のように練ったバンクーに羊肉入りのパーム油ソース。

煮豆にキャッサバの粉(ガリ)を混ぜたゴベに、揚げたプランテーンをトッピング。

こちらは、ガーナでお気に入りの朝ごはん「ワチ」。赤飯のような感じの豆ごはん。そこにサラダやゆで卵、ソースをトッピングできる。

期待してなかったけど、ガーナ料理美味しい。

ケープコーストを歩き回った後は、中心部から5kmほど離れたアンコンという郊外の街なども、滞在先から近かったので少し散歩してみる。

日本の真夏のようなうだるような湿った暑さ。そこにガーナの陽気な音楽がどこからか聞こえてくる。

地元の人々が私の知らない言語で楽しそうにお喋りしたり、そこから笑い声が聞こえてくる。

波が激しく打ち寄せる浜辺では子供達がボールを追いかけたり、自由に駆け回っている。近くには漁に使う網の手入れをしている男達。

遠くにはケープコースとの街まで見渡せる。

そしてこのアンコンの街から、さらに遠くのモリへと海沿いに歩いていく。

泳ぐのは気持ちよさそうだけれど、私はガーナでは集落の近くのビーチでは泳がない事に決めてある。

それは地元の人々にとってビーチはトイレでもある事を知ったから…。浜辺でかがんでいる人を何人も見かけたので…絶対に泳ぎたくはない。

アンコンの住宅街には、丘と海に挟まれた狭い土地に密集するように家が建ち、複雑な小道が迷路のよう。

洗濯物が干してあったり、地元の人々の生活感が溢れる場所。やっぱり珍しいのか、「チャイナ!こっちに来い!」と色んな人に声をかけられながら歩く。

ガーナでは、小さな街なら至る所に屋台が並ぶ。

下の写真の場所でガーナ名物のゴベを食べていると、数え切れないほどの子供達が集まってきて囲まれた。

それを店のおばちゃんが追い払うと、一度は後ろに下がるのだけれど、また子供達はじりじりと近寄ってくる。好奇心に満ちた目と表情でジロジロと見てくるのが可愛すぎてたまらない。

モリの街を離れ、さらに海沿い歩いていると、チェーンソーの豪快な音や、コンコンと釘を打ちつける音が聞こえてきた。漁師の村らしく新しく漁船を作っている。

巨木の丸太をくり抜いた部分が船底になり、それをベースに木材を打ちつけて組み立てていく。

そして同じ場所で、炎天下の中浜辺の砂を集める人々。

なぜ集めているのか聞くと、どうやら家の建設に使用するためだという。

老若男女の家族総出での労働だ。お母さんも小さな赤ちゃんを背中に背負ったまま、砂を頭にのせて運んでいる。ガーナの女性、逞しすぎる。

モリの街に戻ると、この日は祝日という事もあり、多くの人々が浜辺に集まっていた。

そこで行われているのは、もちろんガーナで一番人気のサッカー。

正確なラインなんてないし、ゴールも手作りで適当、グラウンドが斜面でも、ボールが海に入ってもお構いなし。たた全員が真剣で本気のゲーム。

海辺にはスピーカーまであって、生の実況入り。楽しみ方も真剣。

こんな幸先の良いガーナ旅の序章。ケープコーストでは、クレメントにカウチサーフィンでお世話になっていた。

彼は金がないにも関わらず、子供達のためにラグビーチームを作ったり、介護が必要な人々を助けたり、信じられないくらい他人のためにエネルギーを注いでいる。

他の人々が笑顔になるのが嬉しいという。

こんな風に本当に他人のために動けて、それが原動力になって生きている人もいるのだなぁーと心から尊敬。

将来彼のような人と一緒に何かできたらなぁーと、ぼんやり思いながらケープコーストから次の街への準備を進めるのであった。

おわりに

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