ナミブ砂漠から同じ地球とは思えないような景色を抜けて、ケトマンスホープという街へ。
ナミビアの首都ウィンドフックと南アフリカのケープタウンを結ぶ主要道路上にあるこの街の周辺には、有名なフィッシュリバーキャニオンなどの観光地がある。
ケトマンスホープを訪れた後は、ナミビア南西部に孤立したルドリッツという街へ。ドイツ植民地時代からの建物が残る小さな港町を訪れるのだった。
ケトマンスホープ クイバツリーとフィッシュリバーキャニオン
アウスというB4道路上にある小さな街で、ナミブ砂漠を抜けるルートをヒッチハイクで乗せてくれたスイス人の旅行者たちと別れた後、
路上でケートマンズホープ方向に向かってヒッチハイクをしながら待っていると、荷台に鉱石を運ぶ用の分厚いコンテナを搭載したトラックが通り過ぎていく。
西海岸沿いにはルドリッツという港町があり、そこで積荷を降ろした後に戻ってきているのだろう。
ルドリッツにはまた戻ってくることになるのだが、とりあえず今はそのトラックに同乗させてもらい、ケトマンスホープという街へ。
この街でもカウチサーフィンを利用して、この地で長年ホテルを経営するインゴにお世話になっていた。
インゴは70歳を越えているにも関わらずパワー全開。
彼の経営するホテルにはバーもあって、毎晩のように訪れる彼の友人達とダイスゲーム(Knobel)をしながら毎晩飲んで、飲んで、飲んで…。
それでも早朝にはオフィスにいて働いているのだからすごい…。
忙しい時間の合間にケトマンスホープの歴史を説明してくれてつつ、色んな場所に連れて行ってくれた。
下の写真は1895年に建てられたカトリック教会。
現在では教会の内部は博物館になっていて、色々なものが展示されている。
例えばドイツの植民地になる以前から居住していたナマ族やブッシュマンのサン族に関する展示。
ドイツ植民地時代後に使用されていた骨董品の数々。
当時はイヌを飼っている人に課される犬税なるものがあったようで、下はその当時のモノ。
下の写真は、教会内部。
インゴが車を運転しながら。街を周ってくれるのだが、
「ここは街で初めての薬局だったんだとか、これは昔病院だった古い建物でな」とか、小さな街にも、その歴史があり、それを知る事ができるのは面白い。
街の周辺にも面白い見所がある。そのうちの一つがクイバツリーフォレスト。
その名前は、この木が昔のサン(ブッシュマン)の間で矢筒(クイバ)の材料として使用されたことに由来するそう。
先ほどの博物館にはクイバツリーの幹を切断した状態のモノの展示があり、幹の中央部は空洞になっている。なるほどこれを矢筒にするわけか。
それにしても面白い形をした木だ。
忙しいのにわざわざ時間を作って、ここまで連れてきてくれたインゴに心から感謝。
クイバツリーフォレストを訪れた翌日は、フィッシュリバーキャニオンへもドライブに連れて行ってくれたインゴさん。
しかし道中で知り合いの経営するレストランに立ち寄って、一杯どころか三杯。
じじいなのに凄い。全く酔っ払っている様子はない。
国立公園内の入り口に到着すると、「お前は毛布に隠れとけ。外国人価格だと高いから、ナミビア人価格で行くぞ。」と。おじいさんでお金もあるはずだがそこで節約するの面白い(笑)
彼は何度もフィッシュリバーキャニオンに来たことがあるのに、私の為にわざわざ来てくれたことに本当に感謝だ。
さらにホテルのキッチンに頼んで、事前にランチを用意してくれていたインゴ。展望台でフィッシュリバーキャニオンの絶景を眺めながらランチ。
最終日にはお礼を兼ねて寿司を10人分調理。彼も彼の友人達も喜んでくれてよかった。
海外に旅行した人や住んでる人なら感じている事だと思うけれど、何だか最近海外の寿司のデザインが凄い事になってきてて、その進化にまだついて行けていない。
彼らが求めている寿司と、私が作っている寿司に大きなギャップがあるのではと感じること多々。
それでも喜んでくれているので、まぁよしとしよう。
ルドリッツ ドイツ植民地時代の建物が残る小さな港町
お世話になっていたインゴの経営するホテルのバーで出会ったヤンに、ヒッチハイクで乗せてもらって、目指すのはナミビア南西部の港町ルドリッツ。
ケトマンスホープの平原が続く風景から、アウスまで戻ってきて、その先は再び砂漠へと変わってくる。
車窓からはこの辺りに生息するオリックスや、野生の馬でさえも見かけることがあった。
ルドリッツ(Lüderitz)は、ナミビア南部の海岸に位置する町で、ナミビアの主要な港の一つ。
巨大なコンテナを積んだトラックが行き来するのを何度も見かけた。隣国の南アフリカやボツワナからもトラックがここに到着する。
そんなルドリッツは、ドイツの植民地時代1883年、ドイツ商人のアドルフ・ルドリッツによって築かれ、街の名前は彼の名に由来する。
1890年代にはドイツ帝国がこの地域を植民地化し、ドイツ領南西アフリカに。ルドリッツは、この地域で最初のドイツの入植地の一つとして重要な役割を果たすことになる。
また、周辺の地域は豊富なダイヤモンド鉱床で知られており、ダイヤモンド採掘が盛んに行われた。
近年では、観光業が成長し、ルドリッツ周辺には美しい海岸線やダイヤモンド鉱床が観光地として人気だという。最近では近郊の海で原油も発見されたのだとか…。
そんなルドリッツの街を歩いてみると、小さな港町の中にドイツ植民地時代の建物が残されてリおり、小規模なスワコプムンドといったような感じ。
個人的にはルドリッツの方が街のサイズも小さく歩きやすくお気に入り。
この街ではカウチサーフィンのホストを発見する事はできなかったけれど、幸運な事にインゴの友人のウィルヘルムにお世話になっていた。
ウィルヘルムは海辺のレストランの経営者で、食事は彼のレストランで無料で食べる事ができ、何と高台にある景色がきれいな民泊の部屋に泊めてもらっていた。
彼の紹介で同じ町に住むポルトガル人やスペイン人の方々とも出会うことができ、ただ一人の強いコネクションを持つ人と出会うことで、一気に人脈が広がる事を実感…。
スペイン資本の大きな漁業関係の会社がルドリッツにはあり、この地の大きな産業になっているようだった。
街の人のほとんどが漁業関係で働いているのかと思ったくらい。
海辺の街という事で近郊のビーチへも散策してみた。
岩と砂漠とブッシュ(低木)が広がる、味気の無い殺風景なビーチ。南国のヤシの木が生えた絵になるようなビーチもいいけど、こんな風に孤独を楽しめるようなビーチもいい。
海流により南極からの海水が流れ込んできているので、海水温度はめちゃくちゃ低く、誰も泳いでいない(笑)
ルドリッツを離れた後は、ヒッチハイクでオレンジリバー経由で南アフリカを目指す。
ロシュピナ(Rosh Pinah)を経由し、ブドウの生産が盛んなAussenkehr(オーセンケーア)という街で、警察に頼んで一泊。
この辺りではオレンジリバーからの水を灌漑できるので果樹園が広がっていて、これまでのナミビアの街とは違い、緑に溢れている。
小さな街の割の人口の多さに驚いたが、彼らは季節労働者たちでブドウの収穫シーズンが終わると、元の街に戻っていくという。
そんな田舎町オーセンケアーへ一泊した翌日、何と警察のボスがパトカーで南アフリカとの国境まで運んでくれるという、最後までナミビアらしい緩さとホスピタリティ。
これがナミビアの最終日。いざ南アフリカへ。
おわりに
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