[エジプト] 西部砂漠のオアシスを巡る旅

エジプト

しばらく滞在したバハレイヤ・オアシスも去ることになり、西部砂漠のオアシスを巡る旅へ。

西部砂漠を周遊し、その後ナイル川流域へと旅をする計画。ヒッチハイクで巡る砂漠の旅。はたしてどうなる。

ファラフラ・オアシス

3週間ほど滞在したバハレイヤ・オアシス。しばらく滞在した街を離れるのは、いつでも寂しいもの。

何十回も通ったいつもの通りを、街の郊外へと歩き、そこからヒッチハイクを開始する。

バハレイヤ・オアシスからファラフラ・オアシスまでは、植え付け用のじゃがいもを運ぶ大型トラックに乗せてもらった。

キャンプして絶景を謳歌した黒砂漠と白砂漠を通過し、小さなオアシス街ファラフラ・オアシスへ。

この小さな街でも驚いたことにカウチサーフィンでホストしてくれる方を発見。

ホストしてくれたのはオサマ。彼はナイル川デルタ地域の出身だけれど、仕事のためにファラフラに2年ほど住んでいる。

ナイル川流域地域での人口密集と増加から、エジプト政府も他地域への移住を促進している最中。

西部砂漠地域でも、砂漠地域での農業を中心にスピードを上げて開発が進んでいるそう。

彼の家に3日ほど泊めてもらいながら、仕事が終わった後に一緒にご飯を食べに行ったり、ローカルカフェでお茶を飲みに行ったり、シーシャを吸ったり。

ファラフラ・オアシスでのローカル・ライフを堪能させてもらっていました。

ここファラフラ・オアシスは地元の人々(主にベドウィン族)に加え、近年の農業開発で移住してきた人々が混ざって暮らしているそう。主にデルタ地域からの移住者が多いよう。

街の雰囲気は、かなり保守的に感じたバハレイヤ・オアシスよりも、ファラフラ・オアシスの方が何倍も開放的なような気がした。例えば女性で目だけ残して、顔がすっぽり隠れるブルカやニカブを着用していない女性も多く見かけたり。

地元の人々に聞いてみると、実際にバハレイヤ・オアシスはかなり保守的な街らしい。どおりで友人があまりできなかったわけだ。

ファラフラ・オアシスでは子供達も明るく、元気よく声をかけてくれる。

そのおかげか、小さな街で見所は多くないファラフラ・オアシスの街だけれど、友好的な人々の姿が強く印象に残っている。

街を魅力的にするのは人だ。小さなコミュニティだと一層それが強く出る。

ホストのオサマが働いている間は、ブラブラとファラフラ・オアシスの街を歩いてみる。

オアシスの街らしく、砂漠の黄色に時折見かける緑の大きな木が映える。

バイクやトゥクトゥクが走りさる度に砂ぼこりが舞い上がる。殺風景でシンプルな街。

そんな特に目立った見所はない街で、異彩を放っていたのがこちらの建物。バドル博物館と呼ばれ、地元のアーティストによって建てられたそう。

残念ながら私が訪れた時は閉まっていて、中には入る事はできませんでしたが、外観を眺めるだけでも素晴らしかった。

街の郊外にでるとオアシスの街らしく、農場が広がる。ナツメヤシの葉がユラユラと揺れる。

灌漑システムが整備されていて、地下から豊富に湧き出る水が農場中にいきわたるようになっている。

しかも灌漑されているのは温かい水。温泉が灌漑に使用されていました。

砂漠の真ん中で湧水が豊富にあるのも面白いのに、温泉が湧き出ているなんてオアシスを訪れるまでは想像もできませんでした。

オサマの家のシャワーからは常に温かい水が出てきた。シャワーの温水も、温泉の水を使っているのかもしれない。

こんなファラフラ・オアシスですが、白砂漠へはここから30kmほどしか離れていないので、ここを拠点に訪れるのもいいかも。

ダグラ・オアシス 中世の街並みの面影が残るアル・カスル

ファラフラ・オアシスで3日過ごした後は、南東部にあるダグラ・オアシスへ。

ファラフラ・オアシスを出て目立つのは、砂漠を農場化しようとする取り組み。灌漑用の黒く細いチューブが砂漠の上に何本も横たわり、ナツメヤシがその周辺に植えられている。

地下水が豊富にあるようなのですが、湧水に行き当たるまで地下数十メートルとかなり深く掘る必要があるそう。

ファラフラ・オアシスからダグラ・オアシスへもヒッチハイクで260kmの距離を、車を数台乗り継ぎながら向かう。

アブ・ミンガルという街に近づいてくる頃には、これまでの岩が目立ったゴツゴツとした砂漠の風景から黄色い砂ばかりの絵に描いたような砂漠の風景に。

まさに砂漠という感じの風景。黄色一色。

その景色の中を時速30kmの大型トラックで走る。運転手には申し訳ないけれど、ダグラ・オアシスに到着するまで半分以上爆睡してました。

ダグラ・オアシスの中でも、運転手に頼んで降ろしてもらったのが、アル・カスル(El Qasr)という街。

なぜアル・カスルの街で途中下車するかというと、旧市街と呼ばれる地域に中世の街並みの面影が残る場所があるようだったから。

アル・カスルに到着後、レストランに荷物を預けて旧市街を目指す。

旧市街に近づいていくと目に飛び込んでくるのは、不思議な形をしたミナレット。

旧市街内の通路は複雑に入り組んで迷路のよう。

昔ながらの干し煉瓦と泥でできた壁、通路。土臭いオアシスの旧市街。

旧市街内部の建物は下の写真のような感じです。

当時のダグラ・オアシスの中心地はここアル・カスルであったようです。

当時の学校、モスク、裁判所などが、廃墟のようになった今も、当時の面影を残しています。

おそらく当時から変わっていないであろう扉も。

7世紀以降にダグラ・オアシスにイスラムの教えが広まり始め、その影響の下でアル・カスルに新しい街が建設されたのだとか。

旧市街を歩きながら、当時の暮らしに想像が膨らみます。

さて夕方になって考えないといけないのはアル・カスルでの寝床。

ここではカウチサーフィンを使用している人もいない。こんな時に頼れるのはテント。

旧市街の北側に丁度良さそうな丘があったので、テントが張れて目立たないような場所を探してみる。

ちょうど見つけたのは丘の間に挟まれた、小さなスペースとそこに広がる絶景。さっそく細かい石をどけて、テントを設置。今夜の寝床は確保。

絶景。

「さぁーこれで安心して眠れるぞー!」と思ったら、丘の上から3匹の野良犬が現れる…。どうやら彼らのテリトリーに侵入してしまったらしい。

威嚇するように吠えながら徐々に近づいてくる犬達。どうしたものビビりながらも冷静に対処法を考える。

よく尻尾を観察すると左右に振っているし、何となく凶暴な犬達ではなさそうだったので、動かずに敵意がない事を見せていると、そのうちの一匹が近づいてきてペロッと手をなめた。

よかったー!ガブッと噛みつく凶暴な犬じゃなくて…。

その後、レストランで食べた鶏肉の余った骨を友情の証として献上。

翌朝テントから起きると、彼らもやってきて別れを告げるようにしばらく後ろをついてきた。

今も3匹で元気にやってることを祈る。

ハルガ・オアシス経由でアシュートへ

さてアル・カスルでテント泊した後は、またヒッチハイクでハルガオアシスへ。ここからのヒッチハイクがなかなか大変だった。

ダグラ・オアシスの中心地ムットの街までは順調。そこからハルガ・オアシスまでのヒッチハイクが大変でめったに車が止まってくれない。もちろん車の数自体が少ないのもあるけれど。

あまりにも車が止まらないので、「おーいこっちに来いよ」というおっちゃん達の声に誘われて、途中のカフェで休憩したり。

エジプトでは街を歩いていると、すぐに誰かに声をかけられる(笑)

その後バラトという街で2時間ほど待ち、やっとのことでツナイダという村へ。しかし!そこで待っていたのはツーリストポリスの検問所!

友人から聞いていたツーリストポリスの悪い噂。ホテル前まで着いてきて、翌朝までホテルの前で待ってるとか、カウチサーフィンのホストの家まで着いてきて、家の前で朝まで待ってるとか。

自転車で旅していると、護衛目的で後ろからずっとついてくるとか。旅行者を守るのが目的なのだけど、旅人からすると「やりすぎやろ!囚人じゃないんやから自由にさせてくれ。」と苦情がたくさん。

しかも彼らは英語が話せないからコミュニケーションもとれないという手強さ(笑)

だからできるだけ避けてきたのだけれど、ここで初めて捕まる(笑)

だけれど、ここの検問所はそれほど悪くなかった。

パスポートを見せて、ヒッチハイクしている事を説明すると、何と予想外にわざわざハルガまで行く車を見つけてくれた。

「なんや。ツーリストポリス思っていたほど悪くないやん。絶対にヒッチハイク止められると思った…」と思いながらハルガオアシスへ。

到着し、まだ暗くなるまで時間があったので、ハルガオアシス近くにあるヒビス神殿を訪れることに。

このヒビス神殿ですが、オアシスにある神殿では最も規模の大きいものなのだとか。

彩色されたレリーフや柱なども保存状態よく残っていました。

このヒビス神殿が建設されたのは、第18王朝の時。しかし第27王朝のエジプトがペルシャに征服されたときに再建。

そのためペルシャ文化の影響が見られるのが特徴なのだとか。といってもどれがペルシャ風の装飾なのかは知識のない私には全然わかりませんでしたが。

こうしてチンプンカンプンながらヒビス神殿を歩き回っていると、声をかけてきた一人の男性。

「ツーリストポリスなんですが、オフィスまで同行お願いできますか?私は英語があまり話せないので、今から電話する人と話してください」

めんどくさいなぁーと思いながらも、電話を受け取って話すと、「ツーリストインフォメーションのオフィスのものですが、今すぐにオフィスまで来てください」とのこと。

オフィスまで行かなければならない理由を聞くと、「ハルガ地域の観光に関する情報を教えたいから」とのこと。

「あーもう絶対これ怪しいヤツや。この人は偽ツーリストポリスで、どうせ何かツアーとかを売りたいんやろ。絶対オフィスには行かへんわ」と思って、「あなたの警察のIDを見せてくれ。それまではあなたがツーリストポリスだとは信じません。さよなら」

と言って歩きだすと、めちゃくちゃ焦った様子で、「IDはバイクに置いてあるからすぐに持ってくる。ここで待ってろ」と。

待つ理由もないと思って無視して歩き出すと、追ってくる様子もないので、「あきらめたか」と思っていると、休憩していたコーヒーショップの前に現れたのはさっきの男性マハムード。

IDを持ってきてて、それを確認したら予想外に本物の警察だった…。一応彼に謝って、意気投合して、テント泊の許可ももらう。

「お腹が空いてレストランを探してるから」と相談すると、「この近くにはないから連れて行ってやる」と。

そして、マハムードのバイクの後ろに乗って到着したのは、ツーリストインフォメーションオフィス!おいっっ!やられました(笑)

結局その後ツーリストインフォメーションセンターの所長さんと出会って、所長のモハメドさんは英語ができないツーリストポリスの通訳を手伝っているだけのいい人で。

彼の車でハルガオアシスの街をドライブしてくれて、彼の家族にも会って、楽しい経験はさせてもらったのだけれど。

強制的にテント泊は禁止。翌日のヒッチハイクも禁止。ホテルは無料で準備してくれてありがたいのだけれど、旅の自由を奪われたようでちょっと複雑な気分。

翌朝起きたらツーリストポリスがホテルの受付で待ち構えていて、24時間の監視体制…。

いやいや私は囚人ですか?自由を奪われたような複雑な気分で、強制的にミニバスを利用させられ、費用もこちら負担でナイル川流域のアシュートへ。

旅行者を守るという彼らの仕事も理解するけれど、こちらも自由に旅をしたい。これからもツーリストポリスを避けながらヒッチハイクの旅を続けることを決め、今回だけミニバスで移動し友人の待つアシュートへ。

おわりに

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