[モロッコ] アイト・ベンハドゥ集落近郊の小さな村で、ベルベル人家族経営のゲストハウスを手伝いながら

モロッコ

モロッコをゆっくりと南下する旅の途中。訪れていたティンジルを離れて、辿り着いたのはアイト・ベンハドゥ集落の北部にある小さな村。

荒涼とした砂漠のような大地の中、渓谷から流れる川の水で農業が行われている谷間だけは、緑がまぶしい。

この小さな村にある家族経営のゲストハウスにて、ワークアウェイでボランティアとして滞在しながら過ごす日々。

ベルベル人家族経営のゲストハウスを手伝いながら

ティンジルから西へ200km。ワルザザートを経由して、やってきたのはアイト・ベンハドゥの集落から10kmほど北に離れた小さな村。

ティゲルトという、この小さな村で迎えてくれたのは、モハメド、トダ、サルワ、アヤの四人家族。

彼らはここでゲストハウスを経営しており、2週間彼らを手伝いながら居候させてもらう事となった。

ゲストハウス周辺は、見渡す限り続く荒涼とした起伏の激しい乾燥した大地にも関わらず、上流から流れ来る川の水のおかげで谷間には緑が広がる。

このコントラストが何とも美しく感じる。

ゲストハウスは谷の高台に位置し、テラスからは素晴らしい景色を眺めることができる。

観光地であるアイト・ベンハドゥの集落から少し離れているにも関わらず、毎日のように新しいゲストが到着するのには驚いた。

谷間に向かう斜面は階段状になり、日本の棚田のようにも見える。

この地域はマラケシュとサハラ砂漠入口の町ワルザザートを結ぶ交通の要衝にあり、隊商ルートとして栄えたオアシスの村々。

ベルベル人達は部族間の争いや盗賊から自らを守るため、カスバと呼ばれる城塞都市を建設したそうで、現在でも谷の至る所に彼らの城塞跡が残されている。

赤土色で統一された建物は何とも言えず周辺の景色に馴染み、旅人たちにロマンを感じさせる。

これらの伝統的な建物は、もちろん全て周辺から採れる素材のみで建設されている。

赤茶色の日干し煉瓦を積み重ねた壁に、泥と干し草を混ぜたものを塗った土壁。

建物の中は一定に温度が保たれ、夏の暑い日差しでも中は涼しい。

しかし、かつてはカスバに住んでいた住民も、現在はカスバ外の新しい家に住んでいる家族が多い。

そのため多くの建物は朽ち果て廃墟のような状態になっているのが残念だ。

砂漠のような大地に囲まれた谷間では、上流から流れてくる川の水で農業が行われている。

限られた水を効率よく使えるように、昔ながらの灌漑路が整備されており、細かくパッチワークのように区分けされた畑。

各種野菜はもちろん、オリーブ、フィグ、アーモンド、ナツメヤシの木が植えられている。

谷間に入り、この緑あふれる場所を歩くと、まるで砂漠の中のオアシスにいるように感じる。

鳥やロバの鳴き声、川の流れる音、人々が鋤で地を耕す音などが重なって、まるで音楽を奏でているよう。

こんな風光明媚な場所で、ベルベル人の一家と暮らす毎日。

ゲストハウスに宿泊に来る旅行者の世話はもちろん、オリーブの収穫を手伝ったり、

ゲストハウスの壁をポップにデザインしてみたり、

家族の一員のように迎えてくれて、毎日飲食を共にして、素晴らしい文化交流ができた。

毎日何杯も飲む砂糖たっぷりのモロカンティー。最高に美味しいタジンにクスクス。

2週間という決して長くはない時間だけれど、とても濃密な時間を彼らと過ごせた気がする。

また何度もこの地での生活を懐かしく何度も思い返す事だろう。

アンダルシア風の装飾が素晴らしいトゥルエ城塞跡を訪れる

アイト・ベンハドゥの集落から北西へ45kmほどの距離にトゥルエ(Telouet)という村がある。

現在では閑散とした農村であるトゥルエですが、かつてはアトラス山脈からサハラ砂漠まで旅するキャラバンの経由地として、また周辺にある塩田のおかげで富を築いていた。

それを象徴するのがトゥルエに残されたカスバ。

1860年に建設され始め、モロッコ中から300人の職人を集め5年間かけて完成した。

現在では、ほとんど廃墟のようになってしまったトゥルエのカスバですが、当時の職人たちが装飾した素晴らしい部屋が観光客にも公開されている。

写真のような装飾は、アンダルシアやモロッコ、アマジヤ(ベルベル)文化のデザインだそう。

綿密で繊細なデザインと装飾で、ずっと眺めていられるほどの美しさ。

もし時間に余裕があるのなら、素晴らしい城塞なので、ぜひともトゥルエを訪れてみてはいかがでしょう。

トゥルエからアイト・ベンハドゥの集落までの道も絶景の連続なので。

アンミテルから谷沿いに南へ 小さな村々を訪ねながらトレッキング

トゥルエで素晴らしいカスバを訪ねた後は、アンミテルという村で降ろしてもらう。

そこから南に谷沿いをトレッキング。Tizugui B’bardaという村まで17kmほどの距離を歩く。

周辺の荒涼とした砂漠のような風景と裏腹に、緑がまばゆい谷間の集落。

朽ち果てたかつての城塞跡やそんな小さな村々を歩いて巡る旅。

トゥルエは標高1800mのアトラス山脈の中部に位置する。

そこから一本道の道路がアンミテルやアイト・ベンハドゥの集落がある谷まで続く。

アンミテルから南を道路沿いに3kmほど歩くと、車道から離れ、近郊の村へと続く昔ながらの歩道へ。

高台にある山道から小さな村を見下ろすと、屋根にはデーツやトウモロコシが干してあり、彼らの素朴な生活を垣間見ることができる。

そして谷のさらにさらに奥まで、川に沿って緑のラインが続く。

そこにポツンポツンと点在する小さな集落。

谷の反対側に車道ができる前は、この歩道を人々はロバと共に歩んでいいたのだろう。

とはいえ車道ができた今でも、人々が頻繁に山道を使用しているようで、轍がくっきり地面に刻み込まれている。

きっと谷間にある自分の畑に向かう時に、この山道が使用されているのだと思う。

山道は、この谷に住む人々が日常生活を送る村々を経由していく。

この土地が与えてくれる恵みと共に、人々は生きている。

そこには日干しレンガでできた家屋があり、ロバがいて、そんな風景が何とも完全に周囲の風景と一致する。

さらに山道は続き、忘れ去られたようなカスバの跡が時代に取り残されるように佇む。

現在でも輝き続けているのは、昔から変わらない思われる灌漑設備を使用した農業か。

こちらはよく整備され手入れが行き届いているように見える。

アッサカ(Assaka)と呼ばれる村を越える所で、崖沿いに位置する風光明媚な村が。

かつては洞窟に住んでいたた人々もいるのだろうか。崖の一部には洞窟のような穴が空き、崖にできた窪みの間に建てられた建物が見える。

ここから先は山道から谷間に降り、オアシスの中を歩いていくことになる。

先ほどまで強く照らされていた太陽から、木陰と川により少し涼しく感じる。

17kmに及んだ谷沿いのトレッキングも終わりにさしかかる頃、涼しくなってきたからか、女性と子供が一緒に畑仕事をする光景が目に入ってくる。

この土地で生まれ、この土地で生きるという事はどんな感じなのだろうと想像してみるが、私には全く想像もつかない。

ただ他所からやってきた旅人にとっては、この土地の素朴な暮らしが、この荒涼とした大地に輝く緑のように、厳しくも美しく思えた。

おわりに

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