ついにジブラルタル海峡を越えて、モロッコへと上陸。
再びアフリカ大陸へ戻ってきた。
またヨーロッパとは雰囲気が変わるので、どんな経験や出会いが待っているのか楽しみです。
モロッコから西アフリカへの旅の第一章が幕を開ける。
モロッコの旅で最初の都市「タンジェ」
スペインのアルヘシラスから、フェリーでジブラルタル海峡を渡ってやってきたのはタンジェ。
モロッコの地中海に面する港湾都市。国際貿易都市として主にスペインやフランスの影響を受けながら繁栄してきた都市。
ヨーロッパからアフリカ大陸に陸路で上陸する旅人にとっては、ここタンジェがアフリカへの玄関口となる。
タンジェでもカウチサーフィンを利用して、モハメドの家に泊めてもらっていた。
彼は他の4人の友人とタンジェ郊外の小さな部屋を借りていて、そこで一緒に暮らしている。
カサブランカ付近の同じ街の出身の幼馴染同士で共同生活。
タンジェで、仕事を見つけるのも簡単ではないようで、友人同士で互いに助け合いながら暮らしているようだ。
部屋にシャワーやキッチンはついていない。キャンプで使うようなガスボトルを使ってお湯を沸かしてバケツシャワー。同じガスボトルで調理も兼用。
彼らの暮らしは決して余裕のある生活とはいえないけれど、できる限りゲストである私をもてなそうとしてくれるのが嬉しい。めちゃくちゃ楽しくいい人達だった。
毎晩一緒にタジンを作って食べたり、タンジェの旧市街を歩きにいったり。
地中海沿いの街らしく、イワシと野菜のタジンは絶品だった。
一つのタジン鍋を囲んで、みんなで一緒に食べる。
モロッコではパンが主食で、植民地時代の名残からフランスパンもよく食べる。
通常はフランスパンはバゲットと呼ばれるのだけれど、モロッコではパリジャン(パリに住んでいる人)と呼んでも通じるというのが面白すぎる。
タンジェの街で感じるのは、スペインのアンダルシア地方と街が似ていること。
旧市街は街の小高い丘にあり、建物の壁は白で統一されており、街は城壁で囲まれている。
旧市街の通りは迷路のように入り組んでおり、探索するのが楽しい。
街はヨーロッパとイスラム世界が混ざったような雰囲気で、この都市の辿ってきた歴史を感じさせる。
白い壁に植物が飾ってあるのはスペインの街っぽいし、至る所に猫がいてアラブ風の扉に出くわすとアラブ文化を感じさせる。
下記の写真はタンジェでのお気に入りの通りたち。
青で装飾され、たくさんの植物やアートで飾られている。
旧市街の外れにはローマ時代のお墓だった場所があり、柱が残されていたり、お墓だった場所は人気の絶景ポイントとなっているよう。
タンジェは地中海に面しており開放的な雰囲気。
海辺で散歩を楽しんでいる人々も多い。
滞在中によく行ったのが地中海沿いにあるカフェ「カフェ・ハファ」。
20世紀初旬には、タンジェの国際的な雰囲気に魅了された多くの芸術家たちも、このカフェに集っていたのだとか。
またこのカフェはヒッピーの聖地としても有名であったようで、ここでは大麻を吸っても暗黙の了解で何も注意されないのだとか。
何より地中海を眺めながら飲むモロッコのミントティーは最高に美味。
モロッコのミントティーは、緑茶に大量のミントが入っている。
その昔イギリス商人がタンジェにもたらした中国緑茶と、地元でとれるミントが出会って生まれたこのミントティーは、やがてタンジェからモロッコ全土に広まっていったのだとか。
モロッコで初めての街タンジェ。
街を歩くたびに目に飛び込んでくる新しい物の数々や、何だかアラブ文化に戻ってきたように感じさせる懐かしい物の数々。
モロッコの旅は始まったばかりで、これからどんな出会いが待っているのか楽しみでもある。
地中海沿いの小さな漁村 「ステハ」
タンジェを離れ地中海沿いに東へ進み、やってきたのは小さな村ステハ。
本当はカウチサーフィンでシェフシャウエンに滞在する予定が、招待してくれたホストがこの村に住んでいるということでやってきた。
タンジェからの移動方法はヒッチハイク。何となくモロッコでのヒッチハイクは簡単だろうと思っていたけれど、実際に箱を開けてみると大違い。
タンジェを朝に出て、真っ暗になる前にギリギリでトラックが拾ってくれた。ステハに到着したのは午後8:30。
それでも地中海沿いをうねうねと続く峠道の連続は、絶景続きだった。
この小さな村ステハで、家に泊めてくれたのはチャウィック。
彼は英語の先生で、海もあって山もあるこの村が気に入って、ステハに赴任することを決めたそうだ。
チャウィックが気に入ったのも不思議に思わないほど、ステハは素敵な村だ。
観光客がおらず静かなのもいい。
海辺を歩けばほぼ誰もいないビーチが広がる。
そして漁村らしく、沖合には小さな漁船が静かに漁にいそしんでいる。
海辺にはカフェがあり、夕方になると海を眺めながらコーヒーでのんびりと過ごしていた。
夕食はチャウィックの作ってくれたタジン鍋。
海辺を歩いた翌日は山側も探検してみることにした。
目指したのはOued El Kennarという渓谷。
舗装されていない道路を、ヒッチハイクしながら歩いたけれど、ほぼこの道を走る車無し。
行きはトラックに、帰りはバイクに乗っけてもらえたけれど、合計20kmは徒歩で歩いたと思う。
川の流れる風光明媚な谷。
途中小さな小さな村々を経由していき、村人たちの暮らしを垣間見るのが面白い。
道路を歩いていると、後ろからトラックが走ってきたのでヒッチハイクで乗せてもらう。
ドライバーが「ここがどんな場所だか知ってるか?山の斜面を見てみな。」というのでよく見てみると。
斜面一面に大麻が栽培されている。ここはモロッコでも有名な大麻の生産地だった。
時折大麻畑のど真ん中を突っ切っていくこともあり、そこら中からお馴染みの匂いが漂ってくる。
モロッコの北部でヒッチハイクが難しいのは、この一帯が大麻栽培で有名な事が関係しているのかもしれないと思った。
目的地の渓谷に辿り着くと、切り立った崖の間に清流が流れる場所に。
キャンプ場が川の両岸にたくさんあり、夏のシーズンは多くの観光客が訪れるそう。
オフシーズンの10月末にはもう誰もいなかったけれど。
帰り道、車通りのほぼない道路を歩いていると一人の男が近づいてきて、自家製のパンを手渡してくれた。
この付近の村では各家庭に自家製のピザ窯があって、家庭ごとにパンを焼いているようだった。
焼き立てのまだ温かいパンを頬張ると、モロッコの人々の温かさを感じるようだった。
ここから少しずつと南下していきながらモロッコの旅は続く。
青の街?大麻の街?シャフシャウエン
スハトを離れ、南に移動。
地中海からリーフ山地の中腹にあるシェフシャウエンへと向かう。
ここはモロッコでは有名な観光地で、旧市街の建物の壁が青く塗られている「青の街」として知られている。
青に塗られているのは諸説あるようですが、現在となっては現地の人でさえ本当の理由は分からない。
街の起源は15世紀、ポルトガルに対抗するために築かれた小さな要塞がもとになり、その半世紀後にスペインのレコンキスタで追われたイスラム教徒やユダヤ教徒が移り住んだことで発展したのだという。
シェフシャウエンの街でも、地元の方の家に居候。この街で泊めてくれたのはアディ。
街に着いた翌日は久しぶりに風邪をひいてしまい一日中寝たきり。
次の日にようやく元気を取り戻し街を散策。
街を歩くと有名な観光地だけあって国際色豊か。
インスタ映えするフォトスポットとして有名な街なので、至る所で観光客が写真撮影や自撮り。
終いには飾り付けをしたインスタスポットを通りに用意して、ビジネスを始めている人々まで(笑)
確かにこの青色と美しい旧市街が魅力的なのはわかるけど。
ここシェフシャウエンは青の街としても有名だけれど、大麻栽培の街としても有名。
ハシシが街の至る所で販売されており、「私の大麻畑を訪れて、どんな風に私たちが生産しているか見学しに来ないか?」と、それをビジネスにしている人々まで。
もちろん観光客もそれを知っていて、街中から大麻の匂いがする。
本当はリーフ山地へトレッキングをしに行く予定をしていたのだけれど、体調が良くなかったのと、何だか気分が乗らなかったので、今回はパス。
またいつか訪れる機会はあるだろうか。
夕暮れ時、青を基調とした美しい旧市街を眺めていると、1週間たってようやくモロッコの空気に馴染んできているような気がしてきた。
これから2ケ月ほどお世話になるであろうモロッコの旅の序章。
おわりに
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