[ポーランド] 美しい旧市街が残る街クラクフを歩く

ポーランド

スロバキアを離れ、次にやってきたのはポーランド。11月のこの時期のヨーロッパは常に曇天。そして寒い。夏のヨーロッパが嘘のようだ。

ポーランドでは第三の都市クラクフを訪れてきました。中世の街並みが残る美しい街だった。

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美しい旧市街が残る街クラクフを歩く

クラクフはポーランドでも長い歴史がある街。11世紀半ばから500年以上にわたってポーランド王国の首都であったと同時に、工業・文化の中心地でもあった。

北欧、東西ヨーロッパを結ぶ交通の要衝でもあることから、東西の物資の行き交う交易地として、中世から栄えてきました。

その繁栄は、世界遺産に登録されている現在の旧市街の街並みからも感じることができます。美しい歴史的な建造物が旧市街にはたくさん。

絵になる風景が多くて、歩くのが楽しくなる街。冬なので寒かったけれど。

ここクラクフでカウチサーフィンでホストしてくれたのはシリア出身のセミルさん。

クラクフの街の中心にはヨーロッパでも最大級のリヌク・グウヴヌィ広場があります。広場の長さは200メートルで面積は4ヘクタール。甲子園球場よりも少し大きいくらいの大きさ。

その広場中にオシャレなカフェやレストラン、花やお菓子、お土産を販売する屋台が建ち並ぶ。観光客用に用意された馬車まであって、賑やかな雰囲気。

クラクフには大学も多く、若い人達が多いのも特徴。

広場の中心にあるのは長方形をした織物会館。元々は東西から届く織物や衣服の交易所として、14世紀に建てられたルネサンス様式の建物。

現在では1階部分がアーケードで自由に通り抜けできるようになっており、そこには民芸品などを販売するお土産屋さんが。2階部分は美術館として使用されており、旅行者で賑わっています。

中央広場にはまた、ひときわ高い2つの塔が目立つ「聖マリア教会」があります。1222年に建てられたゴシック様式のこの建物。塔の上に登り、クラクフの街を見渡すこともできます。

かつて旧市街をぐるりと囲んでいた城壁の一部を歩いてみるのも面白い。かつて市街地を囲む防壁だったところは、現在では緑が広がる市民の憩いの場となっている。

こちらは「フロリアンスカ門」です。1300年に建設された、かつてのクラクフへの玄関口。

クラクフの象徴といえば、歴代ポーランド王の居住地であった「ヴァヴェル城」です。この城は、標高228メートルのヴィスワ川の左岸にある丘に建てられた要塞化された城。

970年に建設が開始され、現在のような形の基礎ができたのは14世紀の頃。そこから数百年かけて少しずつ増築されてきたのだとか。

クラクフの歴史上忘れてはならないのが、ポーランド国内でも多くのユダヤ人が在住した街であったこと。第二次世界大戦中は占領者のナチス・ドイツによりクラクフ・ゲットーが創設された。

有名な映画「シンドラーのリスト」によって一躍有名になったオスカー・シンドラーのエナメル工場もクラクフ・ゲットーのユダヤ人を労働者で雇っていたそう。

オスカー・シンドラーが経営していた工場は、クラクフ・ゲットーのユダヤ人を労働者として雇っていたのだとか。彼がホロコーストから多数のユダヤ人を助け出し、逃がしたのは本当の話。

全体主義が生み出した悲劇。現在華やかに賑わうクラクフの街で起きた悲劇を忘れてはいけない。

おわりに

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