[ベナン] 南部の街を巡る ブードゥー教の中心地ウィダとアボメーへ

ベナン

グラン・ポポを離れ、海岸線沿いに東へウィダという街を経由し、コトヌーへ。

そこからベナンを北上していくのだが、途中にかつてのダホメ王国の中心地アボメーへ立ち寄る。

雨期のベナンだが、今のところ上手く雨を避けながら旅ができている。

ウィダ かつての奴隷貿易の玄関口 ブードゥー教の中心地

ベナンのウィダという街にやってきた。ベナンの南西部にある中サイズの街。

なぜウィダを訪れることになったかというと、ウィダはベナンの中心的なブードゥー教の信仰地の一つであり、その起源として言及されることもあるから。

ブードゥー教についてもっと知れるかも?

またウィダ周辺地域は、奴隷制度の時代に奴隷として連行された人々の出身地としても知られているから。

ウィダはかつて、ヨーロッパの交易拠点として17世紀から19世紀にかけて栄えたダホメ王国の一部であった。

そしてダホメ王国は、奴隷貿易で栄えた王国であり、ウィダは奴隷船の出発地点として、ここから数多くの奴隷が連行されていったという。

ウィダの海岸沿いには、「ゲート・オブ・ノンリターン」という、奴隷船がオイダから出航する際に通過したとされる場所があり、このゲートは奴隷が一度通過すると二度と帰ってくることができないと信じられていた。

現在、この場所は奴隷貿易の歴史と追悼のためのモニュメントとして設置されている。

さてそんなウィダーの街をブラブラと歩き回って見る。

まず目に入ってくるのは、ブードゥー教の神々の像や祭壇、神社。

神々や祖先の霊が崇拝の対象となるブードゥー教。

キリスト教徒やイスラム教徒も多いベナンだけれど、ブードゥー教はより根強く現地に浸透している彼らのルーツだ。

ここウィダーでは多くの人々によって支持されているのがわかる。

ちなみにブードゥー教についてChat Gptに聞いてみると、

ベナンにおけるブードゥー教は、国の伝統的な宗教であり、人々の信仰と文化の一部として存在しています。ブードゥー教は、ベナンを含む一部の西アフリカ諸国で信仰されています。

ブードゥー教は、神々や祖先の崇拝に焦点を当てるポリティーシュンな信仰体系です。信仰者は、神々や祖先が人々の生活に与える影響を信じており、彼らとコミュニケーションを取ろうとします。

ブードゥー教の実践は、儀式や祭りを通じて行われます。信仰者は、神聖な場所である寺院や聖地を訪れ、祈りや奉納を行います。また、特定の神々や祖先に対して供物を捧げることもあります。

また、ブードゥー教では「ヴードゥン」と呼ばれる司祭が重要な役割を果たします。ヴードゥンは、神聖な力や知識を持つとされ、信仰者の助けや神聖な儀式の指導を行います。

ベナンのブードゥー教は、奴隷制度の歴史とも関連しています。奴隷制度の時代に、アフリカの様々な地域から連れてこられた人々が自分たちの宗教や文化を持ち込み、ブードゥー教が形成されました。そのため、ベナンのブードゥー教は、アフリカの多様な要素を含んでいます。

なお、ブードゥー教は宗教としての信仰だけでなく、文化や芸術とも密接に結び付いています。ベナンの伝統的な音楽や踊り、彫刻などは、ブードゥー教の影響を受けています。

ただし、ベナンの宗教状況は多様であり、キリスト教やイスラム教など他の宗教も広く信仰されています。ブードゥー教は、特定の地域や共同体でより強く存在していると言えます。

どんな神々が存在するのかも質問してみる。

メト(Mawu-Lisa): ブードゥー教の最高神であり、創造神として崇拝されています。メトは男性的な側面であるマウ(Mawu)と女性的な側面であるリサ(Lisa)からなる二重神です。彼らは天地の創造者として知られています。

ギェレ(Guézo): 戦争と死を司る神であり、勇気や戦略の象徴とされています。戦争や闘争に関わる人々は、ギェレに祈りを捧げます。

サキパ(Sakpata): 疫病や病気の神として崇拝されています。彼は病気をもたらすだけでなく、治癒の力も持っていると信じられています。

ダン(Dan): 雨と農業の神であり、豊穣や農作物の実りをもたらすとされています。農業に従事する人々は、ダンに感謝の意を示します。

エレグバ(Elegba): 道を開く神であり、人々の人生の道案内や障害の除去を助けるとされています。彼はまた、神聖な儀式の守護神でもあります。

多神教で祖先崇拝の宗教。何となく神道をルーツに持つ日本人には理解しやすいコンセプトだと思う。

ちなみに興味深かったのが、中南米のハイチでもブードゥー教が広く国民に信仰されているという事。

これが何故かというと、

ハイチにおけるブードゥー教は、オイダ(Ouidah)などの西アフリカの地域から連れてこられた奴隷がもたらした影響があるとされています。17世紀から19世紀にかけて、フランス領サン=ドマング(現在のハイチ)はフランスの植民地であり、多くの奴隷が連行されました。

奴隷制度の時代に、西アフリカの多様な地域から連れてこられた奴隷たちは、自分たちの宗教や文化を持ち込みました。彼らの信仰は、ブードゥー教の形成に寄与しました。オイダ周辺地域の奴隷たちがハイチに到着した後、彼らはブードゥー教の信仰と儀式を持ち込み、ハイチの独自の形態のブードゥー教が発展しました。

ハイチのブードゥー教は、奴隷たちが奴隷制度の苦しみや抑圧から自己表現や抵抗を求める手段として活用したものであり、彼らの精神的な解放や団結を支える重要な役割を果たしました。ブードゥー教は奴隷の文化的アイデンティティの一部として、彼らの闘争と抵抗の象徴となりました。

現在のハイチでは、ブードゥー教は国民的な宗教として広く信仰されており、その影響は社会、文化、芸術の各面に広がっています。ブードゥー教の信仰と儀式は、ハイチの人々の生活や祝祭、困難な状況への対処に深く組み込まれています。

chat gpt より

ハイチをまだ訪れたことがないのでわからないけれど、実際のところはどうなんだろう?同じような祭壇や神社があるのか?

また、ウィダでは毎年1月10日から3日間にわたって、盛大なブードゥー教の祭りが行われる。

ブードゥー教の神々や祖先に捧げ物をし、彼らとの交流や祝福を求める儀式が行われる。

祭りの期間中、ウィダ―の街は音楽、ダンス、ドラム、カラフルな衣装、マスク、装飾品で賑わうという。

またブードゥー教関連だと、ウィダーには「聖なる森」と呼ばれる場所がある。

この森には、さまざまな神々や祖先の霊が宿っていると信じられており、儀式や祭り、供物が行われまるのだとか。

さっそく中へ入ってみる。

森の中に入ると、ブードゥー教の神様であろう様々な象が点在している。

まずは入り口で森を守るかのように出迎えてくれるのがこの像。名前は不明。

他にも様々な像があり、彼らはブードゥー教の神様だそう。

この聖なる森は、ウィダの王族のクパッセ王を祀る森でもあるよう。

彼が人間から大木に姿を変えたのは、この木だろうか?祭壇もあり祀られているが、私のフランス語能力では、事実は不明。

下の写真も聖なる木を祀っている場所。

ストーリとーしては、ある時ヘビの神様が祭られている大木が強風で倒れてしまった。

倒れた大木を片付けようとのこぎりで切ろうとしていたところ、いつの間にか倒れていたその大木が 元のところで立ち上がっていたらしい。

フランス語の能力が乏しいので、ブードゥー教の詳細は謎だが、何となく雰囲気はつかめた気がする?気がする(笑)

さてウィダの他の場所も歩いてみる。

気楽に写真でも撮りながら歩きたいのだけれど、人が映ってしまう場所はめっちゃ写真撮りづらい。

少しでもカメラを向けると「写真撮るなら金払え」と声がかかる。ちょっと面倒くさい…。

街の中心部には、見事な彫刻が施された大木がある。

フランス植民地時代の建物も点在している。

リノベーションを経て、観光案内所になっていたり、美術館になっていたりと、2023年現在も存在感を放つ。

ウィダ―の街と海辺との間にはラグーンがある。

マングローブ林もあって、牡蠣の捨て殻がたくさんあった。

セネガルのカサマンス地方でも見かけたけど、牡蠣とマングローブは良いようだ。

そしてラグーン内には浮島のように集落が。

ここでも人々はボートを利用して行き来していた。


ただ海岸沿いでは中国資本の巨大リゾート開発があり、周辺の住民は立ち退きさせられたそう。

観光業を発展させたい政府の考えは理解できるけれど、発展の裏でいつも犠牲になる人々が生まれてしまうのは複雑な気分だ。

アボメー かつてのダホメ王国の中心地

さてアボメーを訪れる前に、経由地だったので少しだけ立ち寄ったコトヌー。

次の行先のガボンのビザを確認したり、もしガボンまで出ている船に乗船できるかどうか探してみたけれど、結局見つからなくて、飛行機のチケットを予約。

コトヌーは少し街の中心部を歩いただけだけれど、よく整備された大きな庭があったり、巨大なストリートアートがあったりと、再訪が楽しみな街だった。

こちらは巨大な女性戦士の銅像。ダホメ王国は、有名な女性戦士たちの存在で知られていた。

アマゾンズとして知られるこれらの女性戦士は、ダホメ王国の軍隊の一部を構成し、王国の防衛と戦争において重要な役割を果たしたという。

そしてコトヌーからアボメーへ。

アボメーは17世紀末から19世紀初頭に栄えたダホメ王国の首都であり、かつての王宮や遺跡が残るという。

下の写真はアボメーでお世話になったイタリア人のフランシスコと子供のハヌマン。

一緒に朝食のドロッとした大豆スープのブイ、揚げパンのパテ、魚のすり身ペーストが挟まったサンドイッチのサンクシュを食べているところ。

アボメーの街の中心部を歩いていると目立つのは、かつての王宮と思われる場所。

現在でも同じ場所に住んでいる王族の方々もいるという。

ダホメ王国はブードゥー教と関りが深かったことから、建物には神々のシンボルが描かれている。

アボメーにはダホメ王国の宮殿がいくつかあり、その一部は博物館として一般にも公開されている。

残念ながら博物館の中は撮影禁止。その理由はブードゥー教の大切な祭壇や儀式を行う場所があり、それらは訪れたものにしか知ることのできない秘密であるべきだからという。

博物館の中にはダホメ王国に由来する品々や、海外からの贈答品が。ブードゥー教に関連する建物には神々の彫刻が施されていたり、当時の彫刻が施された古い木製の扉が残されていたりと中々面白かった。

ユネスコの世界遺産にも登録されているアボメーのダホメ王国の遺跡。

ダホメ王国についてChat Gptに聞いてみたので簡単な概要は下記に。

ダホメ王国(Dahomey Kingdom)は、現在のベナン共和国の一部に位置していた、西アフリカの王国です。以下にダホメ王国の簡単な概要をまとめます。

成立と拡大: ダホメ王国は、17世紀初頭にフオ(Houégbadja)によって創建されました。最初は小規模な王国でしたが、領土を拡大し、征服や同盟を通じて勢力を拡大しました。19世紀にはダホメ王国は最盛期を迎え、周辺地域を支配する大きな王国となりました。

奴隷貿易と戦争: ダホメ王国は奴隷貿易に関与し、奴隷をヨーロッパの植民地やアメリカに輸出していました。奴隷貿易はダホメ王国の主要な経済活動であり、彼らは戦争を通じて捕らえた人々を奴隷として販売しました。

女性戦士たち: ダホメ王国は、有名な女性戦士たちの存在で知られています。アマゾンズとして知られるこれらの女性戦士は、ダホメ王国の軍隊の一部を構成し、王国の防衛と戦争において重要な役割を果たしました。

ダホメ文化: ダホメ王国は独自の文化を持っていました。彼らは芸術、音楽、踊り、祭りなどの文化的な表現を重視し、ブードゥー教や祖先崇拝を信仰していました。ダホメの王権は神聖視され、王は宗教的な権威も持っていました。

ヨーロッパとの接触: ダホメ王国はヨーロッパの列強との接触を経験しました。特にフランスとの関係が複雑であり、19世紀にフランスとの戦争が起こりました。最終的にフランスによってダホメ王国は制圧され、フランス領サン=ドマング(現在のハイチ)と合併されました。

ダホメ王国は、ベナンの歴史や文化において重要な役割を果たしました。その文化や伝統は、現代のベナンの一部として残っています。

ダホメ王国はブードゥー教との関わりも深かったことから、アボメーの街にも多くの神社や祭壇が。

踊りや歌を含んだ儀式も行われて(写真は撮れずですが)、私が見た時は何だか和気あいあいとした雰囲気で、特に恐ろしい雰囲気ではなかった。

ちなみにアボメーの街中のブードゥー教の神社はこんな感じ。

生贄が捧げられる祭壇は、下の写真のような感じ。

この突起物は、一般の家庭の庭などでも普通にある。おそらく家庭で儀式を行うのに使用するのだと思われる。

街の中心部では様々な物が販売されている。

今はパイナップルの時期のようで、一つ20円ほど。買うとそこで切ってもらえて、丸ごとかじりつく。

主工芸品の需要もあるようで、自然素材の素晴らしい日用品が販売されている。

希少価値を持ったり、誰が作ったかで評価される芸術品もあるけれど、こういった長年使われるうちにデザインが研ぎ澄まされてきた日用品も芸術だと思う。

また気に入ったのが、アボメーの街で見つけたベナンの自然の清涼飲料水「シトロンジュース」。

まぁキンキンに冷えたレモンジュースです。それにオレンジの果汁を混ぜる。

これを暑い日にゴクッと飲むと。もう気分は天国にいったかのよう。

大げさだけど、ここに来て飲めばわかってもらえるはず。

また飛行機に乗るために南部には戻ってくるけれど、とりあえずアボメーからは北に向かうことにする。

再びサバンナへと向かう。

おわりに

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