[ヨルダン] ヨルダン南部の旅 -ペトラ遺跡とワディラム砂漠-

ヨルダン

ヨルダンの北部を旅した後に、足を伸ばしたのは北部とはまた違った自然環境が広がる南部。

新・世界七不思議のペトラ遺跡。月のような景観が楽しめるワディラム砂漠など、ヨルダンの主要な観光名所も南部にある。

アンマン、ペトラ、アカバを結ぶキングス・ハイウェイを経由しながら、ワディラム砂漠を訪れる旅。

ヒッチハイクでヨルダン唯一の港町アカバまで -優しすぎるヨルダンの人たち-

ヨルダンの北部と南部を結ぶ道路は3つある。

一つは西端のヨルダンバレーと死海を経由する道。標高が低いので夏は暑い…。

二つ目は東端の砂漠を経由する高速道路。最速で移動できるが、砂漠ばかりの景色でつまらない。

三つ目は真ん中の丘陵地帯をうねうねと伸びるキングス・ハイウェイ。時間がかかるけれど、小さな村々や観光スポットを経由していくので面白い。

私がヒッチハイクに選んだのは三つ目のキングスハイウェイを通るルートで、この国の人々の寛容さやおもてなしには驚かされるばかりだった。

ヒッチハイクが簡単な事はもちろんな事、食事に誘っていただくことも珍しくなかった。

例えば、タフィラという街までヒッチハイクしていた時。

家族連れの車が止まってくれて、「タフィラ近くの天然温泉に行く途中なんだけれど一緒に来ないか?」と。

特に予定もなかったので、彼らと一緒に温泉へ。

渓谷の谷間に湧き出る熱々の温泉は素晴らしかった事は言うまでもなく、

家族の皆さんに夕食までお世話になり、

ダナという自然保護区で有名な街では、「お前は友人だから無料でいい」と、渓谷の上にある素晴らしいキャンプ地に泊めてもらったり。

立ち寄ったベドウィンの村では、イード・アル=アドハー(犠牲祭)のお祝いに誘ってもらったり。

アカバではカウチサーフィンで家に泊めてもらっていて、ここでもこれでもかというくらいの想像以上に寛大なおもてなしを受けた。

とにかく色んな料理を食べさせてくれて、お金を支払いたくても、一斉受けとってくれないのです。

ペトラでも一週間ほどカウチサーフィンでお世話になった友人の家に泊めてもらって、観光地ペトラでの地元の人たちの暮らしを垣間見ることができる素晴らしい経験であった。

想像の何倍以上もヨルダンの方々の寛大さとおもてなしを感じたヒッチハイクでの旅であった。

ペトラ -広大な遺跡を歩き回り感じる古代文明-

現在考えられている説によると、ペトラの周辺には紀元前1200年頃にすでにエドム人達が居住していた。

紀元前1世紀ごろから、エドム人達を南へ追いやったナバテア人達が居住しはじめ、周辺の交易を独占し始めるようになる。

ペトラのある地は、自然の要塞。

メソポタミア、エジプト、ギリシャ、インダスの古代文明を結ぶ要衝の地となり、東のシルクロードと西のローマをも結び、様々な交易品が行き交うようになったのだとか。

最盛期の人口は3万人を超えていたそう。

この交易で得た富で、ナバテア人は切り立つ岩壁を削り、灌漑・貯水システムを作り上げ、現在にも残る様々な建物が建設していった。

106年にローマ帝国トライヤヌス帝によって、ペトラはローマのアラビア属州として完全に取り込まれます。

そのローマ帝国時代には円形劇場、宮殿、官庁、ローマ帝国には不可欠な公共浴場まで建設されました。

その後二度の大きな地震や交易ルートの変更などにより、ペトラの重要性が低くなるに連れ、徐々に衰退していったペトラ。

ナバテア人がこの地を放棄し、廃墟当然になったペトラには、砂漠の民ベドウィン族がひっそりと暮らすようになったのでした。

そんなペトラ遺跡ですが、その敷地は思っている何倍も広大だった。

早朝から歩き回って、ようやくペトラの主要な見所を全て見て周れたという感じ。

丘の上に上がったり、渓谷に下ったりと、まるで遺跡内をトレッキングしているようで楽しかった。

余裕をもってペトラを楽しむなら二日は必要だろうという印象でした。

ペトラ遺跡中を歩き回っていて一番驚いたのは、ナバテア人が築いたペトラの灌漑設備。

ペトラの東にあるアイン・ムーサの泉を主な水源として、ここから水路を建設しペトラの中心部に水を供給していたのです。

そしてその痕跡は現在でも残されている。

通常ペトラを訪れるときには、ビジターセンターからシークと呼ばれる、狭く切り立った崖に囲まれた渓谷を歩いていきます。

その狭い峡谷の終わる先には、砂岩の断崖に刻まれたペトラの最も有名な遺跡であるエル・ハズネ(宝物殿とも呼ばれる)。

エル・ハズネは、1 世紀初頭に偉大なナバテア人の王の墳墓として造られたものとされ、切り立った岩の壁を削って造られた正面は彫刻が施され、その大きさは幅30メートル、高さ43メートルにもなります。

私はとあるトレッキングルートを辿って、渓谷の崖の上へ。

そこからエル・ハズネを見下ろす風景を探しに行きました。

夏の炎天下の中の急登は大変でしたが、その価値がある絶景。

エル・ハズネから遺跡の奥へと進むと、およそ5000人が収容可能だったという「ローマ円形劇場」が姿を現します。

これは紀元前1世紀ごろに建設されたもので、背後の岩壁には多くの洞窟があり、この中に遺体を安置していたとされています。

ローマ円形劇場前の大きな水路跡に沿って進むと、右手に見える岩壁に多様なファサードを持つ岩窟建築が並ぶ「王家の墓」が見えてきます。

ペトラ有数の規模を誇る巨大な墓群で、こちらも墓だけでなく神殿、宮殿など諸説が飛び交っています。

さらに道なりに進むと、広大な市場跡や大神殿跡、ローマ皇帝トラヤヌスの凱旋門が。

ここは古代ペトラの中心地だった場所なのだとか。

凱旋門を過ぎると、右手にペトラで最も重要な神殿とされるカスル・アル・ビントが遺されています。

紀元前30年ごろに建設された、ナバテア人の神・ドゥシャラを祭った神殿だと伝えられています。

神殿のある反対側の丘にはかつてのローマ時代の教会跡が。

ペトラが辿ってきた歴史の変遷を感じます。

また時間があればローマの円形劇場の手前から崖を登っていき、別の渓谷へと辿り着き、そこからカスル・アル・ビントへと歩く、ワディ・アル・ファラサ・トレイルと呼ばれるルートもオススメ。

観光客も少なく、静寂の中ペトラ遺跡を楽しむことができます。

さてメンイのルートに戻ると、カスル・アル・ビントから急登を登っていく山道へ。

ここを登るとエド・ディル(修道院)と呼ばれる神殿に到着します。

標高1,000mに位置し、ペトラ遺跡で最大の建築物。

少し離れた丘の上を登った場所には、絶景のビューポイント。

エド・ディルはもちろんの事、ワディムサ、そして崖の下に広がる砂漠の景色までもが見渡せます。

ペトラを観光し終わって、まだ時間があるという人は、ペトラから北西に10kmほど離れた場所にあるリトル・ペトラを訪れるのもおすすめです。

リトルペトラは、その名の通りペトラ遺跡を小規模にしたような風景で、かつてはナバテア人の居住区、そしてキャラバンの宿として使用されていたのだとか。

ある洞窟の天井には、かつてのモザイク画が残されていました。

このリトルペトラの魅力はトレッキング。

最後の階段を上って、カフェのあるビューポイントで終わりかと思いきや、そこから左手にある階段を下ってさらに渓谷の奥へと歩いていけるのです。

そして1時間ほど歩いた先には、切り立った崖の先に砂漠が広がる風景。

ペトラ。遺跡だけでなく、絶景のトレッキングも楽しめるのが最高でした。

ワディラム -砂漠の絶景と静寂、夜空に輝く満天の星-

サウジアラビアとの国境近く、ここには月の谷とも称されるワディラム砂漠があります。

広大な砂漠と、風によって浸食された断崖絶壁の巨岩がそびえ立つ荒野。

夜になると満点の星空が、砂漠の静寂と共に光り輝く。

ヨルダンを訪れたら絶対に外せないのが、ここワディラム砂漠を訪れること。

日本中を周っても見つからない絶壁、巨岩、砂漠、奇岩の景色を、ここでは堪能することができます。

ワディラム砂漠を訪れる拠点となるのは、ワディラム村。

自然保護区の中にあり、ベドウィン族が暮らす小さな村。

私はこの地で、砂漠の中にあるキャンプのプロモーションを手伝いながら、ベドウィン族宅に滞在していました。

その間に村の周辺に広がる砂漠を歩き回って探検。その自然の美しさに魅了されたのでした。

まずは砂漠でありながら、ごつごつとそびえ立つ断崖絶壁の巨岩の数々。

その表面は風の浸食などにより、自然と不思議な形をしている。

その奇岩の数々は、自然が作り出した芸術。

切り立った崖の間を通り抜ける、幅の狭い渓谷。

夕暮れ時、砂漠は徐々にオレンジ色に染まっていく。

そして夜。

満点の星が夜空に輝きだす。

ワディラム砂漠の楽しみ方は人それぞれ。

テントがあれば、食料と水をもって適当に砂漠を歩き回って好きなところで寝ることもできる。

また砂漠の中にはベドウィン族が経営する無数のキャンプが存在し、そこに滞在しながら砂漠をラクダや四駆の車で巡るツアーに参加することだってできる。

ワディラム砂漠の赤みを帯びた砂を歩く時、その細かな砂に包まれた足の感覚を思い出せるほどに、ここで過ごした時間を懐かしく思う。

おわりに

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