[エジプト] エジプト中部の旅 エジプト人のおもてなしと、ケナでデンデラ神殿の美しさに感動

エジプト

西部砂漠のオアシスを巡る旅を終え、ナイル川流域へと戻ってきた。

黄色く、砂にまみれたオアシスの街からナイル川へ辿り着くと、その優雅さに一瞬で魅了された。

ここアシュートから、エジプト・ナイル川流域の旅が始まる。

エジプト人のおもてなしに感動し、デンデラ神殿の美しさに言葉も出なかったエジプト中部の旅。

友人を訪ねてエジプト中部最大の都市アシュートへ

ハルガ・オアシスからツーリストポリスに強制的に乗せられたミニバス。

公共交通機関で、A地点からB地点へ移動するだけ。何の冒険もなく、面白みもない時間を、音楽を聴いてごまかしながらアシュートへ到着。

アシュートを訪れたのは、カイロで知り合った友人アムルに再会するため。アシュートに来るチャンスがあれば是非立ち寄ってくれと誘われていて、数日間彼のお宅にお世話になった。

アシュートはエジプト中部最大の都市で、特にエジプト南部地域から仕事のために滞在している人も多い商業都市。

そのため都市自体はカイロを小さくしたように騒音やたくさんの車で溢れかえっている。

そしてエジプト中の都市で見られるような退屈な茶色の建物が建ち並ぶ。

観光目的で来る人は皆無で、アムルがいなければここに立ち寄るチャンスもなかった。

騒音とカオスである街の中心部を離れて、ナイル川沿いに来ると少し気持ちもリラックス。

カイロ以来、久しぶりに再会したナイル川の姿。ナイル川を見ると不思議と心も落ち着き、神秘的な心地がするのはなぜだろう。

私の遺伝子に組み込まれているであろう、遠い遠い古代の記憶が、ナイル川の偉大さを伝えているのかもしれない。

そんなアシュートでの滞在でしたが、楽しかったのはアムル、彼の親戚や友人達と過ごした時間。

アムルの弟がプレーするバスケットバールの試合を見に行ったり、大学の体育館で卓球をしに行ったり。

「あなたはゲストだから」と、夕食代などまで親切に支払ってくれた。

決して経済的に余裕のあるわけではないけれど、こんな風に外国人をもてなす文化がエジプトにはある。

ある時は、ナイル川に浮かぶ船上カフェでお茶を楽しむ。

観光客として来たら絶対に経験できないようなことが、友人のおかげで体験できた。

一人で旅していると、こんな風に家族の一員として受け入れてもらえる事は本当に嬉しい。

彼らとは色んなトピックについて話したけれど、ここでも感じるのが伝統的な考え方を重んじる親世代と、西洋の文化に憧れ、影響を受ける若者世代とのギャップ。

仕事、交際、結婚、様々な所で考え方の違いが生じている。

個々の文化が独立していた古代から、どんどんとグローバル化が進んできて、紆余曲折しながらも世界は単一化する方向に向かっている。

例えば50年後、国、地域によって私たちが育んできた異なる文化や慣習は、どのように変化しているだろう。

伝統や個々の文化は守ろうとしなければ、残していけないものになってしまった(または、なりつつある)。

クルーズ船でおしゃれにお茶を楽しんだ後は、ママのドライブでナイル川支流沿いの路上カフェへ。

ここでムスリム女性のおしとやかなイメージが崩れ去る出来事。

それはママの運転の粗さ。ノリのいいエジプト音楽をオーディオから流したかと思えば、クラクションを鳴らしながら目の前の車を猛スピードで追い抜かしていく。

ヒジャブやニカブを着用している女性を見ると、保守的で物静かなイメージを持ちがちだけれど大間違い。

中身は同じ人間で、個々それぞれ色んな人がいる。

こうやって自分の勝手な思い込みのフィルターに気づいて、どんどんアップデートしていけるのも旅の醍醐味で面白いところ。

アシュート滞在中、ある日の夕方はアムル御用達のナイル川沿いのカフェへ。もちろん外国人は私一人だけ。

エジプトの子供たちは好奇心むき出しで、私を発見するやいなや「どこから来たの?」と話しかけてくる。

「日本から来たんだよー」と、答えると「アッラー!!!」と目を大きくして驚きと興奮を隠しきれない子供達。

次々と投げかける質問。唯一英語が話せる男の子が一生懸命質問をアラビア語から英語に通訳。

こんなかわいい子供達ばかりやったら、先生という仕事も楽しいのだろうけど(笑)

子供たちが成長して大人になるころ、この世界やエジプトはどんなふうになっているだろう。

ミニヤにてエジプト田舎の生活を垣間見る

アシュート滞在中のある日、アムルが通う大学を訪れる機会があった。

というわけで、アシュートから北に140km離れたミニヤという都市へ。

彼の通う大学は都市の中心部から15kmほど離れた小さな村の間にあって、美しい農村風景が広がっていた。

大学構内に入ろうと試みるも、警備員に大学関係者以外は入れないと断られ、アムルの授業が終わるまでポカンと時間が空いた。

これはラッキーとばかりに、アムルとは「周辺の農村を散策してくるから、ミンヤの街で集合しよう」という事にし、早速村を徘徊開始。

エジプトはナイル川流域だけ緑が広がり、後はほとんど砂漠。

限られた地域で農業が行われ、人口もナイル川流域に集中している。

外国人がこんな田舎の道を歩いているのはめちゃくちゃ珍しいので、ある村人からすぐに声がかかる。

「何してんの?家でお茶でもどう?」

直感でものすごく良さそうな人なので、もちろん彼の家でお茶をいただくことにする。

こんな偶然の出会いをどう決断するかによって、全然ちがう経験が待ち受けているから旅は面白い。

彼らはどうやら大家族のようで、大きな家に三兄弟とその家族で総勢17人が一緒に暮らしている。

家の周りにはトウモロコシやサトウキビ畑などの農場が広がり、牛や山羊も家畜として所有している。

屋上の部屋には鴨や鶏もいた。

屋上から周囲を眺めると、のどかな田園風景が広がっている。

こんな場所でしばらく暮らしてエジプトの田舎暮らしを体験してみる機会があればやってみたい。

お茶に招待されたので、お茶だけ飲んで帰ろうと思っていたけれど、「もう少しゆっくりしていきなさい」と言われるままにダラダラ。

「今昼食を準備してるから、食べていきなさい」と言ってくれる。どおりでキッチンからいい匂いと刻みの良い音が聞こえてきたわけだ。

エジプト田舎の昼食。どんな感じなのだろうか?

パンに鶏肉にご飯に、ジャガイモのトマト煮込み、モロヘイヤスープと超豪華な食事。たぶん私のために豪華な食事を作ってくれたのだろう。

エジプト人の方のおもてなしに感動しっぱなしの今回の旅。

本当にありがとうと、感謝の気持ちを伝えて、またトボトボと農村の徘徊を続ける。

歩いていると、1Kmほど先に気になる丘を発見。あそこからなら村全体を見渡せて、ナイル川を含んだ良い景色が見えそうだ。登ってみよう。

この決断が後に、とんでもない事態を引き起こすとは、この時は思いもしなかった…(笑)

何事もなく丘の斜面を登っていき、頂上へ。そして絶景に感動しながらパシャパシャと写真を撮る。

反対方向には無数のミニモスクのような建物がぎっしり。

これらは実は昔のイスラム教徒のお墓。それにしてもすごい数だ。

丘の頂上でしばらくのんびりしていると、下から何か叫び声が聞こえてくる。崖の下におじさんが一人。何やらめっちゃくちゃ怒ってる…なぜ?

アラビア語でよくわからないけれど、どうやら下に降りてこい!と言われているよう。

そして、逆方向からはターバンを巻いたおじさんが走って近寄ってくる。しかも銃を持ってる。えー!何事ですか?

崖の下に連行されて降りると、警察の人が。どうやら知らないうちに、古代エジプトの重要な遺跡の敷地内に侵入してしまっていたよう。

フェンスも何もなかったので、そこが重要な場所なんて知る由もない。遺跡から何かを盗みに来た泥棒だと思われたらしい(笑)

そこから1時間ほど身の潔白を証明するのに時間がかかる…。

そんなに重要な場所なら、フェンスするとか、もっと警備を厳重にせえよ!簡単に侵入できてるやん…。迂闊に散歩もできない(笑)

ミニヤの田舎で家族に優しく招待された後、警察に拘束されるという狂気の一日。

一時間遅れでホストのアムルと合流し、アシュートへと電車で帰る。

アムルのおじさんはエジプトの鉄道関連の仕事をしているため、無料でファーストクラスに乗せてもらえるという幸運。

しかも電車が遅れたので、駅員さんたちが夕食やチャイを奢ってくれた。

狂気の一日も、終わりよければすべてよし。

エジプトで一番美しい?デンデラ神殿に感動のケナ滞在

アシュートでホストのアムル家族に別れを告げ、次なる目的地ケナへ。

アシュートからはツーリストポリスの監視のもとヒッチハイクは禁止。鉄道を使うことに。退屈だけれど仕方がない。

ナは、ルクソールの北40kmほどに位置する街。ケナでもカウチサーフィンのホストを探すと驚くことにホストが見つかった。こんな小さな街でもカウチサーフィンで受け入れてくれる人がいるなんて。

受け入れてくれたのはカリム君。彼もエジプトの伝統的な考え方が合わない若者の一人。早くエジプトから脱出して、国外に住みたいらしい。

ケナの街自体はどこにでもありそうな、ナイル川流域のエジプトの街。

ナイル川が街の郊外を流れ、

街の中心部はこんな感じ。

ザ・エジプトの日常風景をどうぞ。

こんなありふれた街のケナですが、この地に立ち寄ったのはエジプトで最も保存状態が良いとされる神殿「デンデラ神殿」を訪れたかったから。

ウィキペディアによると、

デンデラ神殿は古代エジプトにおいて重要な礼拝堂、祠堂としての役割を担ってきた。
最初にこの領域を築いたのは第6王朝(紀元前2345-2181年頃)のファラオ、ペピ1世(紀元前2321-2287年頃)
そして第18王朝(紀元前1550-1295年頃)には神殿の存在した証拠がみられ、紀元前1450年頃には再建されていたと考えられている。

ウィキペディアより
*以下ウィキペディア情報続きます

気の遠くなるような時間を越えて、当時からこの地にありつづけてきた神殿が目の前に。

ただ現在のデンデラ神殿複合遺跡に現存する最古の建物は、ネクタネボ1世(紀元前380-362年)によって造られた誕生殿だそう。

早速この神聖な領域へと足を踏み入れる。

首のないスフィンクスが守る神殿。

外側の壁にも内側にも、美しく刻まれたレリーフがぎっしりと描かれている。

そして一際目立ってそびえ立つのがデンデラ神殿複合体のハイライト「ハトホル神殿」。

この神殿は、古代エジプト中王国時代(紀元前2055-1650年頃)より始まり、同じ場所で改修されて、まさにローマ皇帝トラヤヌス(紀元後98-117年)の時代まで存続。

現存する構造は遅くともプトレマイオス朝時代(紀元前332-32年)の後期までには建造されたということ。

まずは、彫刻で覆われた神殿の外壁をぐるっと周ってみる。

神殿外側の後部の彫刻では、クレオパトラ7世と、彼女の息子で、父親がガイウス・ユリウス・カエサルであるプトレマイオス15世(カエサリオン)も描写されている。

外壁をぐるっと見て周った後は、いざ神殿内へ。

まず驚かせれるのは、神殿内部にずらっと並ぶ18本のハトホル柱。

こちらは1世紀、ティベリウス(14-37年)により増築されたものであるとか。

柱にも美しい彫刻が刻まれています。

円柱の上部四面にはハトホル神の顔が。

そして神殿内部の壁全体に、彫刻、彫刻、彫刻。神秘的な雰囲気が漂います。

そして何より圧巻なのが、ハトホル神殿の天井画。

鮮やかな色彩の青に、古代エジプトの壮大な物語と世界観が描かれている。

このハトホル神殿が発見された当時は、こちらの天井も数百年間の黒いすすがたまって真っ黒の状態だったよう。

現在の壮大な天井画は、真っ黒の天井の裏側にあった古代の塗装を痛めることなく、黒いすすを丁寧に慎重に取り除いた清掃の結果なのだそう。

どのエジプトの遺跡を訪れても思うけれど、現在の姿にまで遺跡を清掃・修復してくださった人々には頭が下がる。

さらに神殿の内部に進んでいくと、別の柱が並んだ部屋が出現し、さらに奥には小さな部屋がたくさん。

まるで迷宮のよう。

各部屋にもびっしりと壁画が。

異次元の世界。

そして守衛が「こっち、こっち」と手招きするのに誘われて向かった先は、地下室。

伝承によればこれらの地下聖堂は、器や神聖な像の保管のために使用されたのだとか。

その中でも有名なのが下の写真の壁画。

何に見えますか?

こちらの壁画は、デンデラの電球として知られる。壁画が電球のように見えることから、これは古代エジプトの電気技術を現したものだと主張する学者もおり、この時代にあるはずのないものが描かれているとして、学者の間でも論争の的になっているそう。

地下室を堪能した後は、何と四角く螺旋状に神殿の上部に続いていく狭い通路を発見。

ドキドキしながら登っていく。

そして神殿の頂上部へ。

残念ながら最上部への通路は閉じられているのですが、神殿の屋上まで上がれる遺跡は初めて。

最上部への通路が閉じられているのは、その昔観光客が転落して死亡した事件があったためだとか。

この屋上で見逃してはいけないのが、屋上の小部屋の天井にある「デンデラの黄道帯(十二宮)」の彫刻 。

こちらの彫刻には、北極を中心とした星座の絵などが直径2mほどの円の中に刻まれている。

肉眼で見える5つの惑星(水星・金星・火星・木星・土星)も配置されていて、その位置から、この天井図は紀元前初世紀プトレマイオス朝時代の星空を描いたものだと推測さています。

しかしここにある彫刻は実はレプリカで、オリジナルはナポレオンが持ち去り、現在はルーブル美術館で見ることができます。

屋上からは別の通路を通って地上階へ。

ここにも無数の壁画が描かれている。

壁画や彫刻、天井画の美しさ、そして古代の遺跡に迷い込んだかのように遺跡内を歩き回れる楽しさ。

間違いなくこのデンデラ神殿がエジプトの中で私のナンバーワンのお気に入りの遺跡です。

エジプトを訪れた際は、この遺跡を訪れることをお忘れなく。

おわりに

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