ガボンを名残惜しく感じながら、コンゴ共和国との国境へ向かう。
ここでもガボンと同じ通貨である中央アフリカCFAが使用されているので、両替の心配はなし。
ブラザビルまでカウチサーフィンのホストはいないので、テントで寝泊まりしながら首都ブラザビルを目指す。
レシオ・ルナ自然保護区でゴリラに出会う
コンゴ共和国のビザはガボンで事前に取得済みだったので、賄賂を請求されることもなくスムーズに入国。
そこからトラックをヒッチハイクし、首都のブラザビル方向へ進んでいく。
ガボンから続く高原地帯。電気も通っていない村々を通過していくのだが、いくつもの警察や軍によるチェックポイントがある。
そのたびにトラックの運転手は10,000CFA(2500円ほど)を支払っている。5回ぐらいあったので12,500円も払ってるやん…。賄賂、賄賂、賄賂。
私も警察に「パスポート情報の登録に手数料がかかる」と言われたが、1000CFAしか入れていない財布を見せて「お金ないねん」と言って、いつも通りやり過ごしていく(笑)
初日はブンジ(Boundji)という街で1泊。警察署でテント泊させてもらった。こういう時は親切やのに、賄賂を取る時になると牙をむくのどういうことですか?
翌日はトラックの後ろに現地の人々と一緒に乗っけてもらう。途中による村々で様々な商品を買いながら。ブラザビルで少し高く売って、良い商売になるのだろう。
首都のブラザビルへ向かう前に、立ち寄りたかったのがレシオ・ルナ自然保護区。
1999年に制定された自然保護区にとって最も重要なのは、絶滅の危機に瀕しているウェストローランドゴリラを野生に戻し繁殖させる事。
孤児となったゴリラを育て、適切な年齢になったら野生で暮らすように自然に戻すプロジェクトが行われてきた。
その結果、現在ではゴリラの群れが形成され、最大の群れは30頭以上ものゴリラで構成されているのだとか。
自然保護区までは国道から12kmほど距離があり、車無しで訪れるのは難しい。しかもガタガタのオフロードなので四輪駆動の車が必要になる。
どうやってそこまで辿り着こうか村人に相談すると、自然保護区内の知り合いに連絡してくれることに。
そして幸運な事に当日(土曜日)は、車でゴリラの餌を買いに行く日なので、夜になれば自然保護区へ向かう車が戻ってくるという。何という幸運だろう…。
夜中の21:30まで外の暗闇の中で待った後、ついに車がやってきて、ガタガタの道をめちゃくちゃ揺られながら自然保護区へ到着。
その日はそのままテントを張って、自然保護区内で寝させてもらう。
そして翌日、ゴリラを訪ねる旅。現在(2023年7月)は、3頭のゴリラが分かれて保護されながら暮らしているとか。
彼らに会いに行くためにはボートで川を渡り、その中州にできた島に行く。
自然保護区内をボートで旅するのも面白い経験だった。
川の周辺は熱帯雨林に囲まれており、鳥のさえずりも聞こえてくる。
そしてゴリラの住む島に近づいてくると、すでに1頭のゴリラが我々を待ちわびていたようだ。
顔をじっくり見れば見るほど、我々ホモ・サピエンスにそっくりだ。我々の親戚であるゴリラ。
続いて訪れた別の島には、子供のゴリラと大人のゴリラ。
自然に近い環境で保護されているゴリラを、初めて近くで観察する事ができたのは素晴らしい体験だった。
ただやっぱり思うのは、次は自然の環境で野生の彼らに出会いたいという事。
ゴリラを見せてもらった後は、キャンプ地を去り国道まで戻らなければならない。
この日は車が街に行く予定もないので、12kmの距離を全ての荷物を背負って歩くことに…。
自然保護区なので1人で歩くわけにもいかず、キャンプ地から護衛の人を付けてくれた。
途中で私の重い荷物まで運ぶのを手伝ってもらって、国道まで3時間かけて歩いた後はビールを奢らせていただきました。
そして同じ日にブラザビルまでヒッチハイクで行こうと思ったのですが、この日はさすがに疲れたので乗り合いタクシーを利用することに。
140kmの距離で料金は3000CFA(650円)ほど。10人がぎゅうぎゅうになって首都ブラザビルを目指す。
乗ってから、「あぁ…やっぱりヒッチハイクの方が快適やな…」と思っても、もう遅い。
そして道中にコンゴ共和国の定番料理「マニヨック」を大量に詰め込むために停止。
そしてこれでもかというほど詰め込んでいく。
最終的にはタクシーがこんな姿になり、首都ブラザビルへ向かって走っていくのだった。
コンゴ共和国の首都ブラザビルへやってきた
大量のマニヨックと我々を乗せたタクシーは夜の21:00ごろにブラザビルへ到着。
もうバスも動いていないかと心配していたが、この時間でもたくさんのバスがあるようだった。
周辺の人々に聞いて、目的地の「天理教」の教会を目指す。
天理教?と思われるだろうが、ここコンゴ共和国では天理教が良く知られており、信者の方もたくさんいるのだ。
そしてブラザビルの天理教の教会では、教会内にある部屋に泊めてもらう事ができる。
といってもテント無しでは泊まれないような部屋だったが。
朝・夕の6:00には祈りが行われ、人々が教会に集まる。
天理教を通して日本に留学していた方々もおり、コンゴ共和国にいて日本語で会話できるのは衝撃だった。本当に滞在中お世話になりました。
さて街へ出る前に簡単にコンゴ共和国の歴史についてChat Gptに聞いてみる。
Chat Gptより
- 植民地時代: コンゴ地域は19世紀にヨーロッパの列強によって植民地化されました。フランスとベルギーがコンゴ地域を支配し、経済的な搾取が行われました。ベルギー支配地域は特に過酷な植民地支配が行われ、その影響が後の時代にも残りました。
- 独立と政治的不安定: 1960年にコンゴがフランスから独立し、パトリス・ルムンバが初代首相になりました。しかし、政治的な対立や外国の干渉により国内は混乱と不安定が続きました。軍事クーデターが頻繁に起こり、政権が繰り返し入れ替わるなど、国内情勢は不安定でした。
- 民主化と内戦: 1990年代初頭に民主的な改革が進み、マルク・ササ・ンゼサ大統領の下で民主的な体制が導入されました。しかし、国内の民族対立や経済的な問題が引き金となり、1997年に内戦が勃発しました。この内戦は国際的な介入を伴い、長期間にわたって続きました。
- 現代のコンゴ共和国: 内戦後、国際的な仲介によって一時的な安定が戻りました。その後も政治的な不安定や経済的な課題が続いており、国内の問題に対処するための努力が続けられています。コンゴ共和国は豊富な天然資源を持つ一方で、政治的・経済的な安定を確保することが課題となっています。
コンゴと聞くと危険なイメージを持つ人が多いと思うが、近年の内戦の影響が大きいのだろう。
ただ私が実際に訪れた感覚だと、全くといっていいほど危険な感じはしなかった。
反対にコンゴ共和国の人々は、ガボンよりも人々が陽気でよく声をかけてくれて親切な人が多い印象。
困ったら助けてくれる人も多く、安心して旅をすることができた。
男女問わずエロ話が多い(これは現地人も認めている)のも面白かったなー(笑)。
後に訪れたカカモエカという小さな村では、女の子がパンツをずらしてお尻を見せながら、股間を触ってきて誘惑してくるのにはさすがにビックリしたけれど。
まぁ、そんな話は置いておいて、ブラザビルでは天理教教会を拠点にして、街を巡った。
まずはコンゴ共和国のご飯。これが美味しかった。
ブラザビルでは朝から晩まで路上に屋台がたくさん出ていて、食べる場所には困らない。
サンドイッチから、マニヨックに魚のピーナッツソース。ご飯の上に煮込んだ豚足をのせてもらったり。路上で食べるとお値段は600-1000セーファ(140-240円)ほど。
下の写真ではマニヨックに鶏肉のピーナッツソース。
2枚目の幼虫は、さすがに挑戦できずじまい。
下の写真は、コンゴ共和国首都ブラザビル市内中心部の様子。思ったより都会?
街の一角には現地のアーティストが絵画を売るエリアも。
街の中心部には植民地時代の建築物も残る。
その中でも目立つのがBasilique Sainte-Anne-du-Congo(聖アンナ聖堂?)。
ロジャー・エレルという方の設計で、1942年に完成したという独特の美しい建築。外観も素晴らしいが、内部も面白い。
こちたは、ピエール・ブラザの霊廟。
イタリアの生まれの彼は、1880年にオゴウェ川流域からコンゴ川流域を探検し、諸首長と保護条約を結んで一帯をフランスの勢力下におき、中部アフリカのフランスによる植民地化に重要な役割を担ったという。
ブラザビルの名は、彼の名に由来する。
この霊廟の裏側には、コンゴ川が流れる。
対岸にはコンゴ民主共和国に首都キンシャサが見える。
そして見逃せないのが人々がごった返す市場。
見ているだけで楽しくなる。
市場で最も興味深かったのは、伝統的な薬を販売するお店。
患者の症状に合わせて薬草や根っこを配合する。アフリカ版の漢方薬。
イボガやアロエベラをはじめ、様々な植物が販売されていて、直接買うこともできるし、その場で薬を調合もしてくれる。おもしろい。
こうやって現在でも途絶えずに伝統的な薬が利用されているのは素晴らしい。
研究がもっと進んで、科学的にも効果が解明されることを望む。こういった知識は途絶えさせてはいけないかけがえのないものだ。
まだまだ知らない事ばかりで、旅は少しずつ新しい事、それを学ぶきっかけを与えてくれる。
おわりに
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