ブルノを離れ、次にやってきたのはチェコの首都プラハ。「黄金のプラハ」や「百塔のプラハ」など、昔からプラハは世界でも有数の美しい街として知られてきた。
プラハの他にも、テルチやスラボニツェなどのカラフルで個性的な家が建ち並ぶ、小さくも美しい街を訪ねてみた。
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世界一美しい街「黄金のプラハ」
世界で最も美しい都市の1つとしても知られるプラハは、さまざまな歴史的建築物が残されており、街自体が世界遺産に登録されています。
まるで街全体が中世時代の雰囲気を現代に語る博物館のよう。14世紀に神聖ローマ帝国の首都でもあったプラハの発展ぶりは、ローマやコンスタンティノープルとも肩を並べ、「黄金のプラハ」と形容されるほどだった。
プラハの街の中央にはモルダウ川が南北に流れ、そこに架かる石造りの重厚な橋が「カレル橋」です。60年近くの歳月をかけて1402年に建設されたこの橋は、現在でも歩道橋として利用されています。
かつてプラハ旧市街と王宮をつなぐ交通の要となってきたカレル橋。その両側には、30体の聖人像が並び、橋上は旅行者や楽器演奏者、お土産屋、似顔絵かきなどのパフォーマーで賑わう。
この橋の上からかつての王宮プラハ城が見えます。モルダウ川にかかるカレル橋を境に、東が旧市街、西が城下町です。かつて旧市街からとカレル橋を抜けて、プラハ城までつづく道を「王の道」と呼んだそう。
プラハの旧市街の中心は旧市街広場。広場周辺にはゴシック、バロック、ロココなど様式の異なる歴史的な建物が並ぶ美しい風景。まるで中世の時代に迷い込んだかのような通りの数々。
プラハは美しい街であるだけではなく、数々の著名な芸術家も生んだ土地。作家のフランツ・カフカもこの街で生まれたそう。
カレル橋の西側は城下町。かつてはボヘミア国王や神聖ローマ皇帝の居城であった「プラハ城」が高台の上にそびえ立ちます。
プラハ城の築城が始まったのは9世紀とされ、世界で最も大きく古い城の1つです。14世紀にはほぼ現在のような姿になったとか。城内はとても広く城全体がまるで1つの街のよう。
かつての国王や皇帝の居城は、現在ではチェコ共和国の大統領府に。
夜。日が暮れて闇に包まれるプラハ。街灯に照らし出されたプラハは、昼間とは違った雰囲気に。
さすが世界一美しい街と呼ばれる「黄金のプラハ」。
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パステルカラーで彩られた個性的な街 テルチとスラボニツェ
チェコ滞在中カウチサーフィンでフルディムという街に住むイボさん、バラさんカップルに数日お世話になっていた。
日本も旅したことがある彼らがおススメして連れて行ってくらたのが、テルチとスラボニツェという街。
まず向かったのはテルチという街。この街はプラハとウィーンとのほぼ中間に位置し、さらにチェコを東西に結ぶ交通の要衝であったことから中世から栄えてきた街。
街の礎が築かれた12世紀以降、順調に発展を遂げてきたテルチでしたが、1530年の大火で建物のほとんどが焼失してしまった。しかしこの後の街の再建でテルチは生まれ変わります。
当時の領主ザハリアーシュはイタリア芸術に傾倒していたそう。そこで彼は街の再建にあたり、広場周辺の建物をすべてルネサンス様式と初期バロック様式を基準に設計するよう定めたのだとか。
建物の正面のデザインは家主の自由であったので、市民たちは競うように趣向を凝らし、櫓や張り出し窓などが付いた家を建て、個性的な町並みが生まれたといいます。
現在ではその美しい街並みから「モラヴィアの真珠」とも称されているそうです。
テルチの街をウリツキー池から眺めると、また違った美しさが。
もう1つの美しい街は、オーストリアとの国境付近にある街スラボニツェ。
スラヴォニツェの町の景観の美しさは、16世紀にプラハとウィーンの間に郵便が整備されたことが大きく影響しているのだとか。
当時のテルチと同じように、交通の要衝としての恩恵を受けたスラヴォニツェの町人たち。彼らは互いの富を競い合うように外壁に装飾を施し、住宅を美しく改築していきました。
その当時の建物が現在でも残されており、市街を散策すると、ルネサンス時代の建築家が手がけた、見事に装飾された建物を楽しむことができるのです。
こんなに美しく装飾された建物は初めて見ました。
なかなか訪れる機会はないかもしれませんが、もし時間があればテルチとスラボニツェを合わせて訪れてみてください。
おわりに
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