シウダッド・デル・カルメンを離れ、ビジャヘルモサへ。
順調に首都のメキシコシティに向かって、ヒッチハイクとカウチサーフィンで北上中。
道中様々な人に助けてもらいながら、ベラクルスまで到着。
ビジャヘルモサからトラコタルパンまで
シウダッド・デル・カルメンを離れ、平野に熱帯雨林が広がる土地を進んでいく。
道中大きな川や湖の畔を通り過ぎていき、思わず寄り道してしまいそうな気分。
そんなヒッチハイク旅の道中で立ち寄ったのは、タバスコ州の州都であるビジャ・ヘルモサ(Villa Hermosa)。
ここではメキシコのオタク(メキシコでは日本文化が好きな人々の意味)の夫婦に、カウチサーフィンでお世話になっていました。
ここビジャヘルモサで、日本文化を紹介する大きなイベントを開催するほどの、熱狂的な日本好きの彼ら。
家では毎日日本のアニソンを聞いているそう。当然アニメに関しては私よりもめちゃくちゃ詳しい。
泊めてもらっているお礼に焼き餃子を調理したお返しに、メキシコの伝統料理タマレスもいただきました。
タマレスは、下の写真のような料理。
タマレスは、トウモロコシの粉を水や豚脂、鶏ガラスープなどでよく練り、中にお好みの具材を入れ、それをバナナの葉で包んで蒸した料理。
中身は豚肉だったり、鶏肉だったり、モレソースであったり様々で、それぞれに美味しい。
ビジャヘルモサを離れた後は、ミナティトゥランという街でカウチサーフィンを利用してエリックの家に一泊。
ミナティトランからは、ヒッチハイクで出会ったクスターの車に乗せてもらって、カテマコという美しいラグーンがある村を経由しながら北上。
本来ならば高速道路を使用してベラクルスまで行く予定が、何と交通事故により高速道路は閉鎖。
結果として通常の道路を走ることになり、遠回りだがカテマコや、次に訪れるトラコタルパンも訪れることができた。
ちなみにカテマコは黒魔術で有名な場所らしい。シャーマンが集まり儀式を行うお祭りなどがあるのだという。
またこの日は丁度12月12日だったので、道中には聖母グアダルーペを祝う人々も見かけた。
ちなみに聖母グアダルーペとは、
メキシコの聖母、グアダルーペ聖母(Our Lady of Guadalupe)は、メキシコの守護聖母であり、キリスト教の信仰において非常に重要な存在です。以下に、グアダルーペ聖母に関する基本的な情報を提供します。
起源: グアダルーペ聖母の起源は、1531年にさかのぼります。伝説によれば、メキシコの先住民であるフアン・ディエゴ・クアウテマク(Juan Diego Cuauhtlatoatzin)が、テペヤックの丘で聖母の出現を目撃したとされています。
出現: 伝説によれば、1531年12月9日から12月12日までの期間に、聖母マリアがインディオ(先住民)の男性、フアン・ディエゴに何度も現れました。彼女はインディオたちに、彼らを守る守護者としての役割を果たすように頼みました。
ミラクル: 聖母は、フアン・ディエゴにバラの花を収めたてるように指示しました。フアン・ディエゴは冬の季節であり、通常この地域ではそんな花は咲かないはずでした。しかし、彼が指示通りにバラの花を見つけると、彼はそれを聖母に持参しました。聖母はこれを彼が持っていた布の中に収め、その後、彼に出現した姿が布に写し出されていました。これが有名なグアダルーペの聖母の像となりました。
聖地: グアダルーペ聖母の出現地であるバシリカ・デ・グアダルーペ(Basilica de Guadalupe)は、メキシコシティにあり、毎年多くの巡礼者や信者が訪れる聖地となっています。
シンクレティズム: グアダルーペ聖母の崇拝は、メキシコの先住民の信仰とキリスト教が融合したシンクレティズムの一例です。聖母は、先住民の文化と信仰に受け入れられ、キリスト教の布教において非常に効果的な手段となりました。
グアダルーペ聖母はメキシコの守護聖母としてだけでなく、カトリック教会全体で広く崇敬されています。
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まぁメキシコにキリスト教を広めるために、作り出された宗教上の聖母がグアダルーペなのですが、信仰心の篤さから、自転車や走りで聖地を訪れる人々がめちゃくちゃ多い。
そんな様子を横目に見ながら辿り着いたのが、ユネスコの世界遺産であるトラコタルパンという街。
トラコタルパンは、
1: 歴史的な重要性: トラコタルパンはその保存状態の良い植民地時代の建築物で知られ、ユネスコの世界遺産に指定されています。この町の歴史的な中心部は、スペインとカリブの影響を融合させた建築や文化的な要素が特徴的であり、その点で独特です。
2: 位置: トラコタルパンはパパロアパン川沿いに位置しており、町の発展と文化的アイデンティティに重要な役割を果たしています。町はパパロアパン地域の一部であり、ベラクルス州の東部に位置しています。
3: 建築と都市計画: 町の建築は鮮やかな色の家、鍛鉄のバルコニー、赤い瓦の屋根が特徴で、都市計画は伝統的なスペイン植民地の格子状の配置を採用しています。注目すべき建物には、サン・クリストバル教会や市庁舎があります。
4: 文化遺産: トラコタルパンは音楽、ダンス、祭りなどの文化的伝統で知られています。2月初旬に行われる「カンデラリア」祭では、伝統的なダンス、行列、音楽が披露されます。町の豊かな文化遺産は、そのアイデンティティの一部です。
5: ソン・ハローチョ: トラコタルパンは特に「ソン・ハローチョ」音楽の中心地として有名で、この音楽はアフロカリブ、スペイン、メキシコ先住民の要素を取り入れた伝統的なスタイルです。町はこの音楽ジャンルの保存と普及に大きく貢献しています。
6: パパロアパン川: パパロアパン川はトラコタルパンに絵画のような背景を提供するだけでなく、町のアイデンティティの不可欠な部分ともなっています。川は地元の生活様式や経済、そして町の建築に影響を与えています。
7: ユネスコの世界遺産: トラコタルパンは1998年にユネスコの世界遺産に指定され、その文化的、歴史的な重要性が評価されました。町の保存の取り組みは、その独自の植民地時代の特徴を維持する一因となっています。
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小さな街なのですが、中心部の両脇には植民地時代の美しい建物が並びます。
またトラコタルパンは、メキシコの有名な作曲家・歌手であるアウグスティン・ララが住んだ街としても有名です。
街には彼の銅像が建ち、彼の生家は博物館となっている。
銅像になるほどまでのアグスティン・ララが作った音楽はどのような作品なのだろう?
次の街で彼の音楽をYoutubeで探さなければと考えながら、暗くなったころに目的地ベラクルスに到着したのだった。
ベラクルス メキシコ最大の港がある街へ
トラコタルパンを出発するのが遅くなり、ベラクルスへヒッチハイクが成功したのは夜の7時。
夕方の4時頃から始めたが中々拾ってもらえず、真っ暗になった頃にようやくガソリンスタンドで運転手に話しかけてベラクルスまで。
「もう時間が遅いから」と、運転手はカウチサーフィンでお世話になるマンディンガという村まで親切にも送ってくれた。
そこで待ってくれていたのは、ホルヘと彼の家族。
めちゃくちゃ親切にしてくれて、ベラクルスを去る際には「またいつでも戻っておいで」と言ってもらえたのはめちゃくちゃ嬉しいのだけれど、その分だけ別れがさみしくなる。
滞在していたマンディンガという村は、ベラクルスの中心から30分ほど離れた場所にある。
ラグーンの畔にある村でマングローブ林が美しかった。
ある日には乗り合いタクシーでホルヘと一緒にベラクルスを観光しに行く。
ベラクルスは、1519年にスペインの征服者ヘルナン・コルテスらが、アステカ帝国との最初の接触を果たした場所。
ここを拠点に現在のメキシコシティへと進軍していった彼らは、その後の数年間でメキシコを征服することになる。
スペインによる征服後、ベラクルスは新スペイン副王領の一部となり、植民地時代が始まる。ベラクルスは港が発展し、スペインとの交易が盛んに行われることになる。
そして現在でもベラクルスはメキシコ最大の商業港を有し、国際的な貿易において重要な拠点となっている。
港には大きな船が出入りし、波止場では釣りを楽しむ人々も。
ベラクルスは商業的な拠点としての役割があったと同時に、要塞として軍事的にも重要な役割を果たしてきた。
スペインからの独立戦争、アメリカやフランスとの戦争でもベラクルスは戦場となり、当時の多くの建物は破壊されたが、現在でもそのいくつかは再建されるなどして残っている。
この街にコルテスが到着しアステカ帝国と接触、ここからメキシコ全土を征服していった。
そんな事を考えながら街を歩くと感慨深い。
ベラクルス滞在最終日。ホルヘ家族と一緒に尋ねたのは、彼らの友人宅。
そこでベラクルス名物の手作りエンパナーダを頂く。
エンパナーダの生地を広げ、手の親指の付け根で器用に記事を薄く伸ばしていくテクニック。
そして軒先に吊るしてあるのはピニャタ。
誕生日などのお祝い事があると、ピニャタにキャンディーなどをたくさん詰めて、それを目隠しされた人が棒で叩いて割るという、スイカ叩きのようなゲームがメキシコでは行われる。
もうすぐクリスマスの時期だったので、街中や一般のお宅でピニャタを見る機会も多くなってきた。
メキシコを旅する間に一度はピニャタを割るゲームに参加できるだろうか?
ベラクルスを離れた後は、カリブ海から離れ内陸の山間部へと移動していく。
おわりに
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