パレスチナとイスラエルの旅を終えて、やってきたのはヨルダン。
ヨルダンについて知っていた事としては、新・世界七不思議のペトラ遺跡があることくらい。
一か月半のヨルダンの旅を終えて、ペトラだけでないヨルダンの魅力とこの国の持つ包容力に触れた気がした。
まずはこの国の北部から巡ることにする。
イルビド -日本好き学生グループ「日本アニメ倶楽部」を訪れる-
イスラエルからヨルダンへ国境を抜ける。
国境を越えると、そこは再びパレスチナと同じようなアラブの大地。イスラム文化圏。
ヒッチハイクをしていると止まってくれた家族に「アッサラーム・アライコン(あなたに平安がありますように)」と挨拶をして、ありがたく車に同乗させてもらう。
車窓から見える風景はパレスチナで見た景色とそっくり。ラクダのコブが連続するような丘がちな地形。そこに段々畑が作られオリーブの木々が育つ。
唯一異なる点はユダヤ人の入植地がない事。現在のパレスチナとヨルダンがある地域は、歴史上で長期間同じ国であったことを思い出させる。
ヨルダンで最初に訪れたのは、北部に位置しヨルダン第二の都市であるイルビドという街。
パレスチナ滞在中に、イルビドに住むマアンがカウチサーフィンで「ぜひ遊びに来てください」と招待してくれたのだった。
マアンは「日本アニメ倶楽部」の代表をしていて、彼の紹介を通してヨルダンの日本好きの若者達と出会うことができた。
「日本アニメ倶楽部」なんてものがヨルダンに存在していること自体が驚きだけれど!
アニメに詳しいのはもちろんの事、めちゃくちゃ高度な折り紙を折れる人や、漫画を自分で書いている人、独学で日本語を学んでいる人々まで。
こんなに遠く離れた場所にまで、日本という国が積み上げてきた文化が広まっているなんて。
彼らにも、ぜひともいつか日本を訪れに来てほしい。
日本はもっとこういった日本に興味がある優秀な海外の若者に、門戸を大きく広げるべきではないだろうか。
イルビドに滞在中は、彼らに付き添ってもらいながら街中を案内してもらった。
イルビド自体にはこれといった見所があるわけではないのだけれど、博物館を案内してもらったり、市場を訪れたり。
博物館で最も印象的だったのが、古代ローマ時代から残るモザイク画。
ヨルダンにまで、その強大な勢力は広がっていた。
また、イルビド出身のヨルダンで最も有名な、ムスタファワフビタルという詩人が暮らしていた家を訪れた。
彼の詩を読む時間はまだないのだけれど、また時間を作って読んでみて紹介できれば。
またある日には、アラブ諸国の伝統的な弦楽器ウードの音色を楽しむこともできた。
ここは古民家に住むオーナーが収集した骨董品を展示し、公共にオープンしている個人美術館。
たまに仲の良い友人達で集まり、ウードの音色に合わせて歌を歌って楽しんでいるそう。
こういったコミュニティがあるのは羨ましいし、生きていて楽しいだろうなーと思う。
翌日、日本語倶楽部のメンバーに連れられて訪れた大学では、卒業シーズンの真っただ中。
卒業を祝って、大学構内の各地では大音量で音楽がかかり皆で踊る。
お酒なんか飲まなくても陽気になって楽しめるのがアラブ流(笑)
卒業アルバムのような本に、仲の良い友人からメッセージを書いてもらうのが慣習のようで、私も日本語でたくさんのメッセージを書きまくる。
後に読み返すと、あぁ…あの時変な日本人がいたなぁーとなるのだろうか。
また日本語倶楽部のメンバーでも多かったのが、シリアやパレスチナ出身の学生達。
それもそのはずで、2020年時点でヨルダンの人口の15人に1人(702,461人)は、国外から避難してきた難民なのです。
パレスチナ、シリア、スーダン、イラク、イエメンにソマリア。多種多様な難民を受け入れているヨルダンの懐の深さ。
そんな寛容な国は、旅をしていても安心して地元民に助けをお願いできる国。
例えばインターネットが必要であれば、通りにいる人にWi-Fiのホットスポットをお願いすれば、誰でも嫌な顔をせずに使わせてくれたりする。
ヨルダンでは、何だか裏の無い人の優しさにふれているような気がするのです。
ジェラシュ -古代ローマ帝国の遺跡を訪ねて-
イルビドの後に訪れたのはジェラシュという街。
この街で有名なのは古代ローマ帝国の遺跡。
ここはローマ帝国の十都市同盟であるデカポリスのひとつであった「ゲラサ」の遺跡。
遺跡の入口にそびえる凱旋門をくぐって中に進むと、2000年の歴史を超えた古代ローマの姿が。
まず圧倒されるのが、1世紀に建造されたオーバル・プラザ。列柱に囲まれた広場の中央部には2つの祭壇が。
写真でもわかる通り、この遺跡は市街地の真ん中に位置する。
かつて、この広場は市場や宗教儀式などに使用されていたと伝えられています。
広場から北の方向に続くのが「列柱通り」。
道の両側には側溝が設けられ、雨水などを効率よく処理するための下水道も完備されていたそう。
こちらは、列柱通り沿いにある大聖堂の入り口の横に建つ、「ニンファエウム」。
紀元前191年に建造された古代ローマや、古代ギリシャの泉の神であるニンフを祀った神殿跡。
小高い丘の上から遺跡全体を眺めると、その大きさがわかる。
全盛期には、2万5000もの人が暮らしていたのだとか。
遺跡内には、もちろん古代ローマの劇場も残されています。ジェラシュ遺跡には南と北で二つのローマ劇場が。
中は自由に出入り可能で、観客席の一番上まで登ることだってできる。
ジェラシュ遺跡の広大な敷地内には、まだまだ地下に埋まっている遺跡が多く残されているようで、現在でも発掘作業は続いているのだとか。
今後さらにどんな発見があるのか楽しみです。
このジェラシュの街でお世話になっていたのが、ホステルを経営するモハメド。
カウチサーフィンで知り合ったのだけれど、彼の経営するホステルの一室に泊めてくれて、滞在期間中には景色の良い丘の上でのバーベキューにも連れて行ってくれた。
この一帯はヨルダンの中でも緑が多い事で知られており、丘には松や樫の木が育っている。
素晴らしいホステルとオーナーなので、下にリンク張っときます。
またジェラシュを訪れたら、ついでに立ち寄ってほしいのがアジュルン城。
12世紀の後半に建設され、ダマスカスとエジプトを結ぶ交通の要衝を守るための要塞として建てられた。
元々は修道院として使われていた建物の上に要塞が築かれたらしく、ローマ時代のモザイク画も発掘されています。
要塞の内部と、
要塞上部からの景色。
頂上からの景色を眺めながら、この地が辿ってきた歴史の変遷を感じる。
そして私たちもそんな歴史の変遷の中に生きている事を思い出させてくれる。
首都アンマン -懐かしい友人との再会-
首都のアンマンは日帰りで何度か訪れたのだけれど、印象に残っているのはそのアップダウンの多さ。
首都の割には交通渋滞もさほど酷くなく、住みやすそうな街だなという印象。
街ではストリートアートを見かけることも多かった。
街の中心には、2世紀にローマ皇帝アントニウス・ピウスによって建設された円形ローマ劇場。
ヨルダンの歴史は古代ローマを抜きには語れない。
観光地を離れて市場へと足を伸ばせば、色とりどりの野菜とフルーツに囲まれ、ローカル感が漂う。
たまたまエジプトからアンマンに帰ってきていた友人のワリードとも再会。
彼とはエジプトのアスワンで出会って二か月間一緒に過ごした仲。
アンマンの自宅に招待してくれて、ヨルダン名物のマンサフをご馳走してくれた。
マンサフとはヨルダンの名物料理で、もともとは遊牧民族ベドウィンの料理。
大皿に盛られたご飯の上に、ヨーグルトで煮た羊肉を豪快に載せる。
そこに羊肉の煮汁をかけて混ぜ合わせ、パンと米と肉とを一緒に食べる。
マンサフは手で食べるのが伝統で、羊肉を豪快にちぎりながら手で食べると美味しさも一層引き立つような気がした。
マンサフを食べる時はお腹いっぱいまで食べる。そしてマンサフのカロリーはとてつもなく高い。
食べた後はソファーから動く事もできずに、彼の姪と遊びながらぐったりと過ごすのだった。
サルト -エコビレッジ建設を手伝いながら、のんびり田舎暮らし-
ヨルダン南北の旅を含めて、一番長く滞在していたのがサルト近郊のザーイという村。
ここではエコビレッジ建設を手伝いながら3週間ほど滞在していた。
ザーイは小高い丘の上にある小さな村。
ヨルダンの中では緑も多く、美しい景色の中でのんびり過ごすには最適な場所だった。
敷地内にはすでに何軒もの建物が。
建物は全て自然素材とリサイクル品で建設されているというので驚き。
私がボランティアとして滞在させてもらっていた部屋は、下の写真のような感じでした。
色とりどりに光っているのは、壁に使われているワインやビール瓶が日光に照らされて。
敷地内は大きな松の木や樫の木に囲まれており、エコビレッジとしては理想の環境。
この地の在来種である彼らは、ヨルダンの夏場に雨がほとんど降らない環境にも対応できる。
ここで主に手伝っていたのは、何と…洞窟住居の建設!
すでに掘り進めた洞窟に、砂と干し草を混ぜた泥を塗りつけて土壁を作るアマチュア左官のような仕事。
これが洞窟の入り口で、
砂、干し草、水を混ぜて泥を作り、
こんな風に手で壁に塗っていく。
結局滞在中に洞窟の壁も床も塗り終え、仕事完了。シンプルな土壁を作り、塗る技術を習得。
ボランティアとして様々なプロジェクトを手伝いながら旅をしていると、少しずつ新しいスキルや知識が身について楽しい。
そして仕事終わりには、お気に入りの場所で絶景を眺めながら日が暮れていくのを眺める日々。
休みの日には、一番近くにある大きな街サルトへ。
大きな街といってもアンマンやイルビドに比べれば小さく、程よい大きさの街。
そして長いアーチ窓が特徴的なオスマン帝国末期からの石造建築が並ぶ古い街が広がる。
サルトは、19世紀終わりから20世紀初めに通商の要路として栄えた古都。
パレスチナのナブルスの貿易商人たちが、交易路をヨルダン川の東へ延長してサルトに至った時期であった。
この時期にサルトには新しい住民が流入して急速に拡大し、近郊で切り出された黄色っぽい色の石灰岩を使って建てられた、ナブルス風の立派な家々が並ぶようになったのだとか。
アンマンやイルビドの喧噪とは対照的に、古き良きヨルダンの風情を楽しめるような街。
ヨルダン南北を旅した後でも、サルトが私の一番のお気に入りの街なので、ぜひとも立ち寄ってみてほしい。
おわりに
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