1ヵ月以上も滞在したウルバンバ。もっと長く滞在できるほど心地よい場所だったけれど、旅に別れはつきものです。次の目的地はカラス。南北7500kmの長さがあるアンデス山脈のさらに北へ。
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ウルバンバ→リマ→カラスをヒッチハイクで
ウルバンバでお世話になったペペに別れを告げて、次の目的地カラスへとヒッチハイクで向かう。1600kmの距離を1日で進むのは不可能なので、リマで数日休んでからカラスに向かうという計画。
時間を節約するために、ウルバンバからカチマヨという村の近くまではミニバスで。リマまで続く道の道路脇で降ろしてもらう。そこからアンタまで1台、アンタからアンカウアシは親切なミニバスがタダで乗車させてくれました。
同乗しているおばさんが「私が若い頃は、家族にお金がなくてたくさん苦労したのよ。お金がないのかい?これでもとっときな」と言って1ソルをくれようとする始末。なんて良い人なんだろう。お金は受け取りませんが、気持ちが嬉しい。
アンカウアシで30分ほど待っていると、旅行者用の大きめのバンが停車。「どこまで行くんですか?」「ピスコまで行くよ」。えーーー!!ここからピスコまでって900kmもあるよ!何と900kmをダイレクトで行く車に乗せてもらえることに。ドライバーの名前はマルコ。ありがとーマルコ!
さすがに1日でピスコまではドライブできないので、途中の町で1泊してから翌日ピスコまで行くことに。このアンデス山脈のクスコから太平洋まで抜ける道、すっごい絶景でした。4000mを越える峠道をうねうねと、山や谷を何回も越えながらゆっくり海まで下って行くんです。
翌日ピスコからリマまでは2台のトラックドライバーに乗車させてもらい、大量のオレンジを積んだトラックでリマに到着。
リマではカウチサーフィンでイェルソンの家に泊めてもらっていました。そして彼に案内してもらって数日間リマを観光。イェルソンはリマから40分ほど車で離れた場所にある郊外に住んでいたので、リマまでは公共の交通機関で。
と思っていたけれど、来るバスはどれも満員で立ち乗りしないと乗れない。イェルソンは40分も立ち乗りしたくないらしく、完全違法営業の闇タクシーでリマの中心まで行くことに。ペルーでは許可なしに個人所有の車がタクシー営業をしているのが一般的。
予想はしていたけれど、リマの交通量、そして彼らの運転の仕方はひどい。何のために指示器あるの?というぐらい指示器なしで曲がるのが普通。でもクラクションはこれでもかというぐらいに、鳴らしまくる。まさに混沌。
それでもリマの中心部に着くと、比較的落ち着いている雰囲気。
都会でウルバンバとは別世界の都会。
そんなリマなので、東京のように田舎から修学旅行でたくさんの子供たちが訪れる。
こんな風にリマの中央広場で集合写真を撮る。そんな中、何人かの子供がオレに気づき「チノ!チノ!」とペルー定番の中国人呼ばわりをしてくる。「いや日本人だから」と教えてあげると、何十人にも囲まれ「ご飯はパリート・チノ(お箸)使って食べるの?ナルト知ってる?格闘技できるんでしょ?」など、引率の先生もコントロールできずに質問の嵐。
別に時間はあるので一つずつ答えてあげていると、最後別れる時に「グラシアス(ありがとう)。セニョール・ハポネス(ミスター日本人)」と挨拶して去っていった。ペルーの子供達めっちゃ元気。
その後は中華街にいったり、市場にセビーチェを食べに行ったり。
海岸沿いにあるバランコというオシャレでアートな地区を歩きに行ったり。
Alameda Chabuca Grandaというエリアに行ったり。ここは夜に行ったのですが、すごく楽しめました。
コメディアンやパフォーマーが敷地内に数ヶ所ある円形状の劇場でパフォーマンスをしているのです。音楽をかけて歌って、みんなで自由に踊っている場所も。何か南米の都市の姿を垣間見たような気がします。
カウチサーフィンで出会ったイェルソンが案内してくれたおかげで、つかの間の都会生活を満喫できました。こちらはお返しにお寿司を作ってご馳走。
そんな3日間のリマ滞在を経て、カラスまでヒッチハイク続行。イェルソンが親切にもリマ郊外の町までのバスチケットをプレゼントしてくれました。
ヒッチハイク途中にも交通整理の仕事をしていたおばちゃんに「これでも食べな!」とお昼ご飯を頂いたりしながら、1泊テントでガソリンスタンドに泊めてもらいながら、2日目にカラスに到着。
おわりに
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