[ウクライナ] カルパティア山脈の麓チェルニウツィーと、田舎の秋を満喫する

ウクライナ南西部カルパティア山脈の東端、ハプスブルク帝国時代はブゴビナ州と呼ばれた地域にやってきました。

まず最初に訪れたのはリヴィウと並んで、西ウクライナの文化の中心と呼ばれたチェルニウツィー。緑が多い、美しい街並みを待つ街。

そして、チェルニウツィーから1時間ほど離れたカルパティア山脈の麓で田舎生活を堪能。時は秋の10月。ウクライナの紅葉もきれいだった。

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チェルニウツィー 小さなウィーンとも称される美しい街

ウクライナ南西部の街チェルニウツィー。古代から様々な文化が交差してきた歴史と、美しい街並みを持つこの街は、西ウクライナの文化の中心。

オーストリア=ハンガリー帝国時代の建築物が多く保存されている事から、小さなウィーンとも呼ばれるのだとか。公園や庭園、緑が多くて、歩いていて楽しい街でした。

1359年から400年間はモルダヴィア公国の支配下であったチェルニウツィーは、1775年以降ハプスブルク帝国(後のオーストリア=ハンガリー帝国)の領有地に。

第二次世界大戦まではユダヤ人の人口が多く、1908年にイディッシュ語世界会議が開かれたこともあったようです。

1918年、オーストリア=ハンガリー帝国の解体と共に、ルーマニア王国の一部に。その後1940年にソビエト連邦によって占領されますが、翌年1941年にはナチスドイツとルーマニア王国が侵攻し占領。

この時期にこれまで住んでいたユダヤ人は追放・虐殺されるなど減少し、第二次世界大戦前は50,000人以上いたユダヤ人は戦後、3分の1も生き残らなかったと言われます。

その後1944年にソビエト連邦が奪還に成功し、1991年のソビエト連邦解体に伴い独立したウクライナの一部となりました。

ウクライナの各都市、怒涛の歴史です。学校で習わなかった分、調べてみるとおもしろいですね。

チェルニウツィーの建物や街並みは、19世紀初旬までこの地を支配した、オーストリア=ハンガリー帝国の影響を強く受けているとの事。

こちらはオペラハウス周辺。整備された庭園、そして1908年にユダヤ人コミュニティによって建設された、美しい建物も。

こちらは中央広場。電柱と電線が多いのは、街中を走るトロリーバスのため。

街のメインストリートは、歩行者天国になっています。石畳の通りの真ん中には、ベンチが置かれ休憩できる。オシャレな通りですよね!カフェやレストランも並び、買い物客で賑わっています。

またチェルニウツィーで見逃せないのは、この素晴らしい建築。現在はチェルニウツィー大学として利用されていますが、元々は何のために建てられたのでしょう?

その答えは「ブコビナ・ダルマチア府主教の邸宅」としてです。

1775年にチェルニウツィーを含めたブコビナ地方は、ハプスブルク帝国領となります。それに伴いキリスト教東方正教会のブゴビナ・ダルマチア主教区が創設されました。

そこで当初の大司教にふさわしい建物を作るようにとの依頼から、チェコ人建設家ヨセフ・フラヴカにより建設計画が立てられたのです。

1883年に完成した素晴らしく壮麗な建物は、2011年にユネスコ文化遺産に登録されています。大学として使用されていますが、観光客でもチケットを購入することで内部を見てまわることができます。

こんな魅力あふれるチェルニウツィーで、カウチサーフィンのホストとして家に泊まらせてくれたアレクサンデル。

ありがとー!また会う日まで!

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カルパチア山脈の麓で秋を探しに

チェルニウツィーの街を離れやってきたのは、よりカルパチア山脈の近く。チェルニウツィーから西に1時間ほどの場所にある、すっごい田舎。

ここでマクシム、マリナ、ミーシャの三人家族のために、オーガニックファームでの仕事を手伝いながら、お世話になっていました。

山と森に囲まれ、最も近い家からは300mほど離れている。都会の喧騒から離れて、のんびりとした静かな暮らし。

自分の畑から採れたものを調理し食べる。庭のリンゴやクルミの木には果実が。リンゴは薄くスライスして乾燥させて保存食に。

家の前には井戸があり、ここから飲み水を確保する。

季節は秋。木の葉は色づき、風に吹かれて空を舞う。寒くなってきた森の中には、オレンジや黄色の絨毯。

そのなかにニョキっと顔を出すキノコを求めてキノコ狩りに。

こうやって採れたキノコをガーデンで採れた野菜と煮込んで調理する。その美味しさに加え、なんだか心も豊かになった気分。こういった日常にこそ、人生の幸せの秘密が詰まっていると思う。

彼らと一緒に2週間ほど過ごした後、マクシムのお父さんに会いにテルノービリという街へ。

テルノーピリで「ダーチャ」を知る

三人家族と一緒にバスに乗ってやってきたテルノーピリは、ウクライナ西部にある都市。

この街もオーストリア=ハンガリー帝国時代の街並みを、街の中心部から感じることができます。ここは歩行者天国になっていて、レストランやカフェが。

中央広場には、素晴らしいオペラハウス「シェフチェンコ劇場」があります。広々として気持ちのいい広場。

テルノーピリに滞在していた数日の間に、マクシムのお父さんが自慢の「ダーチャ」に招待してくれました。ダーチャって何?

ダーチャとは、「畑つきの小さな別荘」みたいな感じ。ウクライナで、街なかのアパートとの他に、郊外にダーチャをもっていて、週末ごとに通ったり、バケーションをそこで過ごしたりする習慣があります。

現在のようなダーチャは第二次世界大戦中からの食糧不足の対策として、1960年代にフルシチョフ政権が一家族に最低600平方メートルの土地を与えるよう法制化したものが始まり。ダーチャはもともと、ソ連時代に政府から市民に無償で支給されたものでした。

今ではそこで畑をやったり、家を建てたり、人によって使い方は様々。

テルノーピリからはダーチャ行きの鉄道まで整備されており、家族と一緒にダーチャを訪問。お父さん自慢のコーヒーを頂く。

彼らのダーチャには二階建ての小さな家があり、花や野菜が育つ畑、大きなクルミの木が。

家族で代々過ごしてきた色んな思い出があるのだそう。また経済危機が進むウクライナでは、第二次世界大戦後と同じように、食料を確保する重要な役割もあるとか。

日本にもダーチャみたいな仕組みがあったらいいのにな―。会員制のコミュニティガーデンみたいにして。これいいアイデアかも。

こうやって、色んな国でオーガニックファームに滞在させてもらうたびに、将来はこんな暮らしがしてみたいと思う。

おわりに

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コメント

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