[ウクライナ] 気がつけばヘブライ文字 ユダヤ人巡礼の街ウマーニ

ウクライナ

「黒海の真珠」オデッサを離れ、北に280km離れたウマーニという街を目指す。街にはソビエト製の車が走る典型的なウクライナの地方都市。

特に目的もなく滞在した街でしたが、街のある地域で突然キリル文字が消え、ヘブライ文字へ。後にウマーニは過去にユダヤ人共同体があったことを知った。

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ウクライナにあるユダヤ人の巡礼地ウマーニ

オデッサを離れ、ヒッチハイクで北上。オデッサ郊外まで行き、誰かが乗せてくれるのを待つ。気づくと一人の女性も道路脇で何やら待っているよう。彼女もヒッチハイカー?

彼女の事はあまり気にせずにヒッチハイク。しばらくすると、大型トラックが私の前でなく、彼女の目の前で止まる。彼女はドライバーと何やら話し合ったあと、トラックに乗った。

「まぁ女性だし、ヒッチハイクは男より簡単だよな―。次は俺の番だ」としばらくヒッチハイクしていると、何と先ほどの彼女が戻ってきて、また何やら待っている。何で?

そしてまた大型トラックが止まり、彼女はそのトラックの中へ。そしてまた戻ってきた。何してんだ?と思っていましたが、おそらく彼女は娼婦でトラックの運転手相手に仕事をしていたのだと思う。

東ヨーロッパでは娼婦の女性が都市郊外の道路脇で、お客さんを待っているのはよく見かける光景だし。俺も男のプロスティテュートとして見られていたりして。

女性が三度目に去った後、ノリのいい兄ちゃんが車に乗せてくれた。酒の匂いがしたのが気になったけど、無事にウマーニに到着。

ヨーロッパの穀倉地帯として知られ、肥沃な平原が広がるウクライナ。ウマーニまでの道も平原の単調な景色でした。そしてキエフからオデッサに続く重要な道のはずなのに、道は穴ぼこだらけ。

ウマーニの街では、カウチサーフィンでマックスのお宅に泊めてもらっていました。彼も彼の友人も、家族も、いい人達だったな―!

彼がまず連れていってくれたのがソフィーウカ公園。全く知らなかったのですが、この公園はウクライナの七不思議にも選ばれている、有名な公園でした。

19世紀の初めに造園が始まり、公園内には2000種類もの木々が。年間50万人の来訪者があるようです。

ポーランド人貴族の方が、奥さんの誕生日プレゼントとして造園したのだとか。奥さんの名前がソフィーだったので、その名にちなんでソフィーウカ公園と名付けられました。

こんな大きな公園を誕生日プレゼントで奥さんに送るなんて。この時代の貴族って、そんなに権力とお金を持ってたんだ。

マックスが夜に見せたいものがあるといって連れていってくれたのが、街の中心部にある噴水のある公園。何やら人が集まってきている。ここでは週に数回噴水ショーが行われるよう。

これが想像以上にすごかった。噴水が出てきて、それに光を当てて映像が浮かびあがる。映像は物語になっていて、それはウクライナ・コサックに関するストーリーだったそう。

ウクライナ・コサックについては、ウクライナ人は彼らの誇りのように思っており、多くの文学作品や詩などでもウクライナ・コサックが題材にされるようです。

地方都市でもこんなショーを週に数回やってるなんて、ちょっと驚きでした。

翌日は一人で街を歩き回ってみました。ウマーニの街並みはこんな感じ。

やっぱり旧ソビエト連邦。街にはソビエト製?ロシア製の車が走る。作りがシンプルで、故障するけど修理が簡単なんだそう。

かわいらしい正教会も発見。こういう風景がウクライナの典型的な地方都市なんだろうなーと思う。

こんな風にブラブラ、ふらふら街をうろついていると、ある場所から何やら雰囲気が一気に変わる。んん?キリル文字じゃなく、ヘブライ文字?イディッシュ語?

街はヘブライ文字(イディッシュ語?)だらけになり、違う国にきたよう。ユダヤ人の方々も伝統的ないでたちで通りを歩いている。ここってユダヤ人コミュニティなの?

1900年当時、ウーマニには3万の人口が住んでおり、その内21500人はユダヤ人だったそう。典型的なユダヤ人の街シュテットルであった。

ウマーニの街には、ユダヤ人に人気の宗教的指導者ラビ・ナフマン・ブラツラフのお墓があり、ナフマン廟への巡礼はソ連崩壊後に解禁されたそうです。毎年数万人のユダヤ人が世界各国から彼の墓を訪れる。

ドイツでのユダヤ人迫害の歴史が印象に強いですが、調べてみると東欧での迫害も激しかった。シナゴーグの中も見学させてもらいました。

世界にはまだまだ知らない事ばかりだ。

おわりに

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コメント

  1. […] […]

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