モルドバから国境を越え、ウクライナへ入国。モルドバからですけれど、1年前の中央アジアぶりに旧ソビエト連邦の国へ帰って来ました。
まず訪れるのはオデッサの街。歴史ある、緑が多い街並み。エカテリーナ2世の時代にリシュリュー侯爵が都市計画を行って建設されたオデッサ。その美しさに感動と驚きでした。
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「黒海の真珠」オデッサ 歴史ある美しき港湾都市
ウクライナと聞けば何を連想しますか?コサック?美女が多い国?それともチェルノブイリ?
日本ではそれほどウクライナや、この地域の歴史は学びませんが、色々な民族が入り乱れ、争い合ってきた歴史のあるウクライナ。
紀元前10世紀ごろより現在のウクライナの地にはさまざまな遊牧民族が到来しました。その後は各国(ギリシャ、キエフ大公国(ルーシ)、モンゴル、モルダヴィア、リトアニア、ポーランド、コサック、ロシア、ソビエト連邦)による支配。
黒海を挟んだトルコと同じように、ヨーロッパとアジアを結ぶ交通の要衝だったことも理由の一つでしょう。ウクライナが独立したのはソビエト連邦が崩壊した1991年の事。
そんなウクライナの街オデッサは、ウクライナで3番目に大きな都市。ウクライナ最大の港湾を備え、工業都市、リゾート地としても知られているオデッサ。
現在に残るオデッサの基礎がつくられたのはロシア帝国エカテリーナ2世の時代。1803年に長官としてオデッサに赴任したリシュリューを中心に都市計画が作られました。
黒海に面する港湾都市であるオデッサは、その時代ロシア帝国にとってヨーロッパへと続く経済・文化の交流の拠点ともなっていました。商業的にも戦略的に重要な位置にあるオデッサは、瞬く間に発展していきました。
リシュリュ―の都市計画により、オデッサの街には左右対称の街並み、並木道の整備、街灯の設置が進められるなど、近代的な街として発展したオデッサ。街へ庭園を造ることや植林も推奨されたそう。
これが理由だったんだ。オデッサの街を歩いていても並木通りが多く、ゆっくり休める庭園があって、緑が多いなぁーと感じたのは。
オデッサの初代知事としてオデッサの街を劇的に発展させたリシュリューは、今でも銅像となり、オデッサの街を見守っています。
リシュリュ―の銅像があるのはポチョムキン階段と呼ばれる、港と高台にある市街地をつなぐために建設された階段です。
この階段は有名な無声映画「戦艦ポチョムキン」の有名なシーンに登場し、現在ではオデッサの象徴と呼ばれています。
ポチョムキン階段を上り、リシュシュ―銅像を越えてまっすぐ歩くと、そこにはエカテリーナ二世の銅像が。彼女はロシア帝国史上最も領土を広げ成功した皇帝。
こんな風にオデッサには街中に銅像があり、美しい建築物が並び、緑も多いという散歩が楽しい街だった。
オデッサの街の建築物といえば有名なオペラ劇場。「世界一美しい劇場」とも呼ばれています。当時ウィーンの著名な建築家であったフェルナーとヘルマーによって設計されました。
ここでオペラを見て見たかったけれど、タイミングが合わず断念。
こちらは緑に囲まれたオデッサ市庁舎。
デリバスィフスカ通り、オデッサ都市公園の近くにあるパッサージュというショッピングモールの内部が素晴らしい。天井がガラス張りのアーケードが広がり、内部には美しい彫刻が。
街の中心部を離れ、黒海沿いには遊歩道があり、いくつもビーチがあります。美しく緑が多い街並み。そしてビーチまである。オデッサもし住んでみるとしたら、すごく住み心地が良さそうな街だな。
最後に家に泊めてくれていたアナトリー(Anatoliy) とスフェトラナ(Svetlana) にお土産を買っていこうと、市場に寄る。
市街地の洗練された感じはなく、庶民の匂いがただよう市場。さすがに港湾都市だけあって、新鮮な食材や、中央アジアの国々ウズベキスタンやカザフスタンでよく見かけた食材も揃う。
あーそうか。ここも以前は一つの国ソビエト連邦だったことを思い出した。ソビエト連邦が崩壊した今も、この地に住み続けている中央アジアの人々がいるんだ。
そんな事を感じながらオデッサの街を後にし、次の街を目指す。
おわりに
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