[セルビア] バルカン半島最後の国セルビアへ ニーシュとベオグラードを訪れる

コソボを出国し、セルビアへと国境を越える。セルビアはかつてのユーゴスラビアに属し、政治的にもその中心的な国でした。

第一次世界大戦の引き金となるサラエボ事件を起こした国。ユーゴスラビア内戦、コソボ紛争。何となく危ないイメージがあるセルビアへいざ。

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セルビア第三の都市ニーシュ にて

コソボの国境を越え、セルビアに入国。国境からのヒッチハイクは少し時間がかかった。この地域はアルバニア人とセルビア人の対立もあり、お世辞にも治安が良い地域とはいえない。

それでも親切な人々はいる。1時間ぐらい待つと車が止まってくれた。ここからセルビア第三の都市のニーシュへと向かう。

ニーシュでは特に目的はありませんでしたが、カウチサーフィンで日本好きのミロシュさんが家に招待してくれたので、立ち寄ることに。

ニーシュは中央ヨーロッパとバルカン半島、そしてトルコへとつながる交通の要所。街の中心にはニシャバ川が流れ、街の名前はこの川にちなんでニーシュと名付けられた。

バルカン半島やヨーロッパでもニーシュはもっとも古い都市のうちの一つで、古代からオリエントと西側の世界を結ぶ玄関口であったそう。

ニーシュの歴史は古く、4000年以上前から人々がこの地域に居住していた証拠が見つかっています。

ローマ帝国に支配されていた時には、皇帝の邸宅がニーシュ郊外のメディアナになり現在でも遺跡となって残っています。

あまりセルビアとローマ帝国というと、つながりが感じられなかったのですが、ローマ帝国初のキリスト教の皇帝でコンスタンティンノープルを創建したコンスタンティン1世は、ここニーシュで生誕したのだとか。

ニーシュではナチスの強制収容所、オスマン帝国によって見せしめのために建設された骸骨の塔、ニーシュ要塞など観光地を訪れながらも、ほとんどの時間をカウチサーフィンのホストであるミロシュと過ごしていました。

彼の友人を招いて、寿司パーティーを開いたり、

彼の知り合いの散髪屋で伸びてきた髪を切りに行ったり、

ブログにわざわざ書いて、公開するほどの事じゃないけれど、自分の旅の記録のために書いているのであしからず。

もう何年も前の事だから、ほとんど覚えてない事もたくさんある。写真を見て「あーこんな事あったなー」と思い出しながら書いてます。

ホストのミロシュは日本のアニメグッズをネット販売する仕事をして生計を立てていて、ボランティアで青少年グループの世話もしている、10代の若者たちの兄貴分。

彼の青少年グループと一緒に、スバ・プラニナ(Suva Planina)という山に登りに行ったのもいい思い出だ。

毎年ニーシュで行われる日本祭りを主催しているのも、彼と友人達の日本好きメンバー。いつかまた彼らを訪れられたらいい。

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セルビアの首都ベオグラードにて

ニーシュでミロシュと別れた後は、セルビアの首都ベオグラードへ。ここではマケドニアで出会った懐かしい友人のアルスランの家に泊めてもらう事に。

彼はトルコの出身で、職業は学校の先生。世界中のトルコ人学校で働きながら転々としている変わり者。最初にあったのはマケドニアで、確か今はドイツにいるはず。色んな生き方がある。

セルビアの首都であるベオグラードは国土の中央に位置し、ドナウ川とサヴァ川が交わるバルカン半島の交通の要衝。

そんな地理的な好条件もあり、紀元前4500年ほど前からケルト人、ローマ人、スラヴ人などの様々な民族がこの地に住み、文明を築いてきた歴史のある都市ベオグラード。

セルビア自体が交通の要衝であるゆえに、第一次、第ニ次世界大戦、セルビアとのコソボの自治権をめぐるコソボ紛争など、数多くの悲劇の舞台となってきた。

ベオグラードの街の中心部を歩いていると、ヨーロッパの都会らしい雰囲気が広がっている。

歩行者天国になっている中心部にはレストランやカフェ、衣料品店、ブランド品店などが賑やかに並びます。

と同時に、社会主義時代を思わせる、コンクリートむき出しの重厚な建物が混じっている。

そんなベオグラード市を気持ちよく散歩していると、目に入ってきたのが今にも崩壊しそうなビル。

コソボ紛争中、NATOによる空爆をうけたベオグラード。その傷跡が今も残されていました。

その後、市民の憩いの場であるカレメグダン公園を訪れ、ベオグラード要塞へ。ここからドナウ川とサバ川の合流地点が見えます。

敷地内には戦車も展示してあり、軍事博物館なんてのもあります。

セルビア正教の中心的教会である聖サバ教会にも行ってみました。

中に入ると金ピカで壮麗な雰囲気。観光客と信者の方々が混じって、たくさんの人が教会を訪れていました。

このような歴史的な建物が空爆の被害にならなくてよかった。

翌日はドナウ川の対岸にあるゼムン地区という場所を訪れてみた。

この地域は、18世紀から第一次世界大戦までオーストリア・ハンガリー帝国の支配下にあったため、中央ヨーロッパ風の街並みが残っています。

こちらはゼムン地区の広場。ベオグラードの旧市街とは全然違う雰囲気でした。

ゼナン地区にある小高い丘の上にある塔からは、ドナウ川とこの地域の景色が一望できます。

夜になるとサバ川沿いの遊歩道へ。散歩をしたり、ランニングを楽しむ人々の姿が。

ここで、ヒッチハイクで出会った友人と再会。彼はモンテネグロからセルビアの国境まで乗せてくれた。待ち合わせしていた、サバ川に浮かぶ船上レストランで再会を祝う。

やっぱりこういった人との出会いが、どんな観光よりも一番思い出に心に刻み込まれている。

おわりに

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コメント

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