[コートジボワール] 美しいギニア湾沿いの街サン・ペドロとササンドラ、そしてアビジャンへ

さて山岳地帯の広がるマンの街を離れ、続いてはギニア湾がある海岸沿いへ向かう。

ギニアビサウ以来の久しぶりの海。コートジボワールの海辺では一体どんな風景があり、どんな暮らしがあるのか。

サンペドロ -美しい海辺でイースターのお祝い-

マンからダロアという街を経由して目指すのは、海岸沿いの街サン・ペドロ。

もちろんヒッチハイクで向かうのですが、ダロアからサン・ペドロに向かう道でなかなか車が見つからず。

野宿しなければならない状況に追い込まれたりしながらも、翌日に大型トラックにピックアップしてもらって、無事にサン・ペドロに到着。

運が良い時には5分で目的地までの車が見つかるけれど、運が悪い時には一日やり続けても見つからない事があるのがヒッチハイク。

道中は田舎の村を経由していくので、アジア人に興味津々の地元の人々。どこに行っても話しかけられる。

サン・ペドロに無事に到着したのは良いけれど、カウチサーフィンのホストもいないので、どこかテントを張らせてもらえる安全な場所を探さねば。

何軒か断られながら、最後に辿り着いたのが教会(Celestial Church)。

ちょうどイースターの期間中だったので、大勢の信者の人々が教会に集まっていて、祈りの後に食事をとっている最中であった。

彼らの目の前に突然現れた謎の旅人ですが、「ようこそ」と歓迎され、お水やジュースや果物、食事まで頂きまして、「好きな所にテント張ってもいいよ」と。

ただ教会(Celestial Church)のルールで、敷地内では靴を脱いで歩く。思ってたより気持ちよいし、裸足で歩くのはツボが刺激されて健康にも良いと聞いたことがある。

トイレもシャワーも使わせてくれて、電気もあれば、まさかの教会のWifiまで使わせてもらえることに。

もうここにずっといれるやん(笑)

サン・ペドロと聞いて気になったのが、この地の地名。

コートジボワールというとフランスの植民地であったイメージだが、この地は最初スペインの植民地であったことから、サン・ペドロとスペイン語の地名で呼ばれているのだとか。

さて、教会で寝泊まりさせてもらっている間に、街を散策。やっぱりせっかくなので海へ行きたい。

広い砂浜が続くビーチ。観光地化はされているのですが、人はまばらで、ポツポツとバーやレストランが並んでいる程度。

海が見える、波の音が聞こえる、座席に座ってビールをグビッっと飲む。お値段は140円なり。

そこからさらに海辺沿いに西へ歩いていくと、

コロナの影響か、廃墟となり果てたホテルもある。

プールの跡地もあり、見事なリゾートホテルだったのだろう。敷地内にはヤシの木がたくさん生えており、いくつかそこからココナッツを頂戴させてもらう。

さらに西へ歩いていくと、小さな漁村バルメルへと到着。

村の目の前には砂浜と海。

ただ子供達は砂浜でうんこしたり小便したり。よし、ここでは泳がないでおこう。

村を歩くと予想していた通り、フレンドリーな村人達が声をかけて迎えてくれる。

「チヌワ(中国人)こっちに来てくれ」と手を振ったり、手招きしながら呼んでいる。

良くも悪くも一人になれないのが西アフリカの旅。

この村で初めて見たのがこちら。

ここは魚を燻製するための場所で、村中に、魚の干物のような匂いが漂っていた。

このようにして作られる魚の燻製や干物が市場で売られているのだけれど、良い出汁がとれるので、日本食を作る時に重宝している。

さらに西へ歩き、村を越えてもずぅーっと砂浜が続いてく。一体どこまで行けるのか。

結局途中まで行って、誰もいないビーチにて裸で泳いで村へ帰って来た。

バルメル村の外れにはラグーンもあり、波の激しい海とは対象的に、時が止まったかのように水面はなめらか。

水鳥たちも羽を休める中、村人たちは、こちらでも漁を行っていた。

地引網漁のように魚を浅瀬に追い込むように網を引く。すると小さな魚が4-5匹網にかかってパチャパチャと音を立てている。

彼らの今夜の夕食になるのだろうか。

疲れたので滞在中の教会に戻ると、そこでは今日も集会が行われご馳走が調理されている。

断るわけにもいかないので(実際はめっちゃ嬉しい)、Vip待遇のように用意してくれた席に座らせてもらい、白ご飯と調理された鶏肉にかぶりつく。美味い。

食事をしながら話していると、彼らはどうやら日曜日にイースターのお祈りのために、ガリラヤと彼らが呼ぶ場所に行くらしい。

ガリラヤという名前とキリスト教を結び付けて思い浮かぶのは、イスラエルにあるガリラヤ湖。

あのイエス・キリストが数々の奇跡を起こし布教活動を行った聖地ガリラヤ?

だが実際にそんな地名の場所はサン・ペドロの近くには存在せず、どうやらメノールという海沿いの村へ行くよう。

毎年イースターの最終日にそこに行き、祈りを捧げるのが習わしになっているようだ。それにしても彼らがそこをガリラヤと呼ぶのは興味深い。

「あなたも一緒にガリラヤに行きましょう!ビーチがきれいな場所なの」と誘われるままにレッツゴー。

翌日ぎゅうぎゅうのバスに乗せてもらい、ガリラヤへ(実際はメノールという村)。

到着したのはもう日が暮れてから。すでに到着している人も多く、会場にはおおがかりなスピーカーとステージまで準備されている。

彼らに混じってテントを張らせてもらい、準備完了。

そして、しばらくするとゴスペルの音楽に乗せて、陽気なお祝いが始まった。

夜の11:00ぐらいから、朝の5:30まで歌って、踊って!

朝の6:00頃にはキャンドルに火を灯してお祈りが始まる。そして「ハレルヤ!ハレルヤ!ハレルヤ!」の掛け声。

お祈りが終わる頃には、周囲は次第に明るくなってくる。

前日到着した頃は分からなったけれど、ココナッツの木がいたるところに生えた、美しい場所だ。

偶然の出会いから、こんな素敵な場所に来られて、めちゃくちゃラッキー。

お祈りも終わって、この日は誰もがリラックスムード。

各々が各自の時間を楽しんでいる。

いくつか準備されてきたゲームもあるようで、その一つが輪投げ。

大人も子供も一緒になって真剣に遊んでいるのが面白い。

女の子には女の子の遊びがあって、紐を使ったり、布に布を詰めてドッジボールのようなゲームをしたり。

男はサッカーしたり、ドラムのリズムで歌って踊ってる。

大変な事もあるけど、楽しいな―!西アフリカ!

偶然の出会いから、イースターのお祝いにご一緒させてもらえるなんて、何とも幸運で不思議なサン・ペドロでの日々でした。

ササンドラ -美しいビーチにある小さな街-

サンペドロに続いてやってきたのは、東に70kmほど離れた場所にあるササンドラという街。

この街でもお世話になっていたのはカトリック教会。

敷地内にある屋根のあるスペースにテントを張らせてもらい5日間ほど過ごさせてもらった。

急な坂道を下ればそこには、素晴らしいビーチがあるという絶好のロケーション。

ヤシの木に囲まれ、さぞかし楽園ムードと思いきや、波が高いし激しい。

それが岩にぶち当たって、水しぶきをあげている。

波が激しいので、快適に泳ぐことはできないけれど、ヤシの木の日陰でビールを飲んで、のんびりするのが最高の過ごし方。

街に近いビーチにも関わらず、ほぼ他に人はおらず一人。時折村人が通り過ぎる程度。

ササンドラの街を歩き回ってみると、なんとも丘が多い街だこと。

ただその頂上から街を見下ろすように、街の絶景を楽しむこともできる。

街の中心部には、少しだが今や朽ち果てた植民地時代の建物が残されている。

個人的には、これまでの歴史を感じるし、雰囲気があって好き。

その跡地にバスケットボール場があって現在の若い人達が楽しんでいるのも良き。

漁港では一日中漁師や、魚を売り買いする人で賑わう。

大きな木をくり抜いて作ったような、小型のボートもある。

船を修理する人、網の手入れをする人、魚の処理をする女性たち。

子供達もここで海水浴を楽しんでいるようだった。

しかも木の板の端くれを拾ってきて、それをサーフボード代わりにして、波に乗っている。

小さなサーファー達よ。君たちは何てクリエイティブなんだ。

ある日にはササンドラの西にある、小さな村のビーチを訪れてみることにした。

ヤシの木が規則的に植えられたプランテーションの間に切り開かれた、赤土の道をヒッチハイクでバイクや小型のトラックに乗せてもらっていく。

まず訪れたのはゴヴィアビーチ。

長ーい砂浜が続くビーチを独り占め。

ここでは海辺に生えてるココナッツのジュースを飲みながら、ひたすらのんびり。

ビーチを歩いていると、時折放棄された建物を見かけることがある。

昔は村があったそうだが、海が村まで浸水し、そのまま放棄されたという事だった。

ゴディバビーチがある村では、村人たちが浜辺でハンモックに寝そべりながら談笑している。

話していると、旅人もたまにここを訪れることがあるのだそうだ。

こんなに素晴らしい場所なのだから、もっと有名になっても良いのだけれど、まぁ5-10年後には確実にそうなっているだろう。

去り際に「持っていけ!」とくれたココナッツを食べながら、さらに奥地へと進んでみる。

そして辿り着いたのはラグーンと海に挟まれた、それはそれは美しいニェガという村。

写真の右側が海。左側がラグーン。

海で泳ぐのには波が激しすぎるけれど、ラグーンは波がないので地元の子供達も泳いではしゃいでいた。

到着したのが午後4:00頃で、ほとんど過ごす時間がなかったのが悔やまれる。

幸運な事にニェガからササンドラに戻るトラックも見つかり、それに乗っけてもらい街へ戻る。

トラックの荷台には大量のビールが積載されており、それを各村々に販売している。

コートジボワールではバーがかなり繁盛している印象で、小さな村でも村人たちの楽しみの場となっているのだろう。

運転手も、小さなパックに入ったジンをグビっとやってハンドルを握っている。

こちらも街に戻って、豚肉のバーベキューとビールでちょっと贅沢に一杯。といっても300円だが。

のんびりとしたペースだが、コートジボワールの旅はもう少しだけ続く。

アビジャン -他の地方都市とは異なる別世界-

ササンドラを離れてやってきたのはアビジャン。

特にプラトーエリアは高層ビルが立ち並び、アフリカのマンハッタンと呼ばれているのだとか。

ここではガーナを訪れるためのビザを申請したかったのだけれど、コートジボワール市民権を持つ人のみが申請できるということで失敗。

頼み込めばいけそうで、もう少しでビザを取得できるところだったけれど、最後の最後でやっぱり無理だと…。

国境でのアライバルビザを取得することになりました。まぁたまにはうまくいかない事もあるさ。

ちなみにアビジャンではプラトー地区のめちゃくちゃきれいなお家にカウチサーフィンで泊めてもらっていました。

大都会を感じさせる窓からの景色がすごくいい場所。

泊めてくれていたのは台湾出身のジャッキーさん。彼の友人達とも出会えて、自国のガーナを旅するためのエネルギーも充電完了。

日本食を振る舞いながら、結局ほとんどの時間はジャッキーさんの家でくつろいでいた(笑)

アビジャンを周るにはダカールを思い出させる交通渋滞が問題で…。

少し外出しいのはビザの取得のためと、6ヵ月ぶりに髪の毛を切りに行ったマルコリ―地区。

マルコリ―地区は、レバノン人の方が多く住む地区で、まるでアラブ文化に戻って来たような感覚だった。

それでもぎゅうぎゅう詰めのバスと暑さと、交通渋滞で外出する気も失せるアビジャン。

家があるプラトー地区は、バスに乗る必要もないので少し歩き回る。

こちらはピラミデという建物で、ストリートアートが素晴らしい。

のんびりしているように感じるけれど、実際は予定していたよりも旅のペースが早い西アフリカの旅。

きっとワークアウェイで見つけられるボランティアの場所も少ないし、見所の情報自体が少ないのが影響しているのだと思う。

これからガーナに行って、トーゴ、ベナン。そこから船か飛行機でガボン、コンゴ、アンゴラまで行くというアイデアも浮かんできたけれど、どうなることやら。

まぁその時の感情にまかせて行きたいところに行こう。

おわりに

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