ラダックに着いた瞬間その風景に驚かされました。
ヒマラヤ山脈とカラコルム山脈に囲まれたラダックには、日本で見たこともない壮大な山々と青く広い空、その青色とは対照的に極度に乾燥した茶色の土地が広がっていました。
ラダックの年間降水量はたったの80ミリ程度でほとんど雨は降りません。
ちなみに日本の年間平均降水量は1800ミリなので、その差は歴然です。
写真のように乾燥した岩山が延々と連なる光景はまるで山砂漠です。
しかしその中にも流れる川はあり、その流域のみ緑が広がり人々の暮らしがあります。
標高が高く日差しが強いこともあり夏は気温が30度くらいまで上がりますが、逆に冬はマイナス30度まで下がることもあります。
さらに冬の間(11月から4月)は積雪でカシミールとマナリ方向からの峠道が閉ざされ、陸の孤島のようになります。
こんな美しくも厳しい環境で人々はどんな暮らしをしているのか気になってしょうがなく、2016年5月から7月の3ヵ月間ホームステイで働きながら滞在することにしました。
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ラダックってどこにあるの?
ラダックはインドの最北部にある乾燥した山岳地帯で、平均標高は標高3500メートルもあります。
3500メートルというと、富士山の8合目ぐらいの標高。そんな場所にいくつもの集落があり人々の生活がある。
標高があまりにも高いので、到着したばかりの頃は少し急な坂を上がっただけで息が上がってしまう。
また、パキスタンと中国に挟まれ未だにはっきりとした国境線が決まっていない地域もあり、外国人が立ち入ることはできないエリアが今も存在します。
そんな状況なので、インド軍の基地が至る所にあり重要な軍事拠点にもなっています。
そんなラダックで私がお世話になっていたリッキル村(Likir)は、上記の地図上の赤い点の場所にあります。
リッキル村の人々の暮らし
リッキル村は、ラダックで一番大きな都市レーから西に50kmほど西に離れた場所に位置し、村のある標高は3650m。
小さな村の自慢は立派な僧院がある事。上の写真の左に見える黄金の仏像(高さ20m)がある一帯がリッキル僧院です。
この僧院は歴史ある僧院で最初に建設されたのは11世紀。18世紀の半ばに火事があり大部分が焼失したのですが、後に再建されました。
ちなみに僧院内の黄金の仏像は、1999年に完成したのでまだ比較的新しく、まぶしく輝いています。
現在この僧院には100人ぐらいのお坊さんと30人程の小坊主さんが滞在しているのだとか。
ラダックの他の地域と同様に、リッキル村の人々の生活はチベット仏教と共にあります。
村の至る所に仏塔があり、五色の祈祷旗がたなびいており、日々修行に励むお坊さん達は人々から尊敬される存在です。
私が滞在させてもらっていた家庭にも2階に仏間があって、毎朝水を取り替え祈っていました。
ちなみに上の写真の右側にある建物が私がお世話になっていた家です。
リッキル村は車も数台しかないような田舎村なので空気がおいしい。
とても静かで羊、山羊、牛が鳴く声が「モー、メェー」と聞こえて、とてものどかな雰囲気。
一番うるさいなと思うことが、村人Aが離れた場所で農作業している村人Bに叫ぶように話している話し声であるという田舎ぶり。
ラダックに滞在して素晴らしいと思ったのは、そんなのんびりとした雰囲気に加えて、人々が自然と共生し環境に良い昔ながらの暮らし方をしていることでした。
極度に高い標高と乾燥した大地であるラダックでは利用可能な資源が限られています。そこで人々はどんな資源も有効活用します。
例えば、ここでは牛の糞でさえも無駄にしません。
乾燥し木材が極端に少ないラダックでは、日本の昔の暮らしのように薪を燃やして料理したり部屋を暖めるということはあまりしません。
ラダックでは薪の代わりに牛の糞を乾燥させて溜めて置き、それに火をつけて料理に使ったりします。
また人糞を肥料として再利用したり、日干し煉瓦を自分たちで作って家を建てたり、自分たちの周りにあるもので自給自足に近い生活をしています。
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日干しレンガを積み上げたラダック伝統的な家
人々はその土地にある材料でそれぞれ異なる家を建てる。
木材の乏しいラダックでは簡単に手に入る石や土を利用する。
まず伝統的な家を建てるための材料であるレンガを、土と水と混ぜて成型し天日干しで乾かして作る。
そして、石や日乾しレンガを積んで1階部分の外壁を作り、積み上げてできた隙間を泥で埋めて固定していきます。
1階部分ができるとその上に木材で梁と桁、根太を架けていきます。それらを支えるための柱も立ち上げます。
そして2階部分の外壁を1階部分と同じように積み上げていき、最後に木材で屋根部分を作ります。
木材は主にポプラの木であったと思います。
乏しい木材を確保するために村で木を植林している一帯があり、村人が協力して管理していました。
しかし最近では木材の豊富なカシミール地方から運んできていることもあるようです。
屋根の形は真っすぐ平たい形をしている。雨がほとんど降らないので防水の必要はあまりありません。
床や天井、屋根部分には細かい木材を敷き詰めて、その上を土で固めているような感じでした。
そのため2階で子供たちが走り回ったり、跳びまわったりすると土ぼこりが天井から降ってきたりするのは欠点ですが。
よくお赤さんの料理中に子供たちが2階部分で走り回って、「ほこりがパラパラ落ちてくるから走るのやめなさい!」とお母さんに怒られていました(笑)
しかし分厚い土の層で固められているおかげで、暑い夏の日でも建物の中はひんやりとしていました。
きっと冬の保温にも良いでしょう。
ここでは誰もが大工であり農家であり配管工です。
少しぐらいの問題なら誰にも頼らず自分たちで解決してしまいます。
配管に問題があっても、車に問題があっても、家を修理する場合も自分でやっちゃいます。
日本みたいに電話一本ですぐにきてくれませんから、日常生活に必要なことは全て自分たちでやるのがラダック流。
昔ながらのラダック式農業
厳しい冬が終わり5月初旬の頃でした。
村ではヤクと牛の混血種であるゾーと共に畑を耕し、種まきが始まります。
ここでは一緒に大麦とマスタードの種をまきました。
ゾーが耕した後にできた溝に種をまいて、T字型の棒で土をならしながら埋めていきます。
これめっちゃ体力いります。ですがみなさん歌いながら楽しそうに作業してます。
家の目の前にある畑でも準備が始まりました。
ラダックの農作業は山岳地帯の氷河が溶け出してできた水を利用して行います。
山から川となり流れてきた水は、村中に張り巡らされた灌漑ルートを通って各家庭の畑に供給されます。
一度に全村人が水を使用することはできず、畑の位置によって順番とグループがあります。
上流に川の流れを変える場所があり、その水門を開いたり閉じたりすることで水の供給ルートを変えることができます。
村人同士で順番をめぐって喧嘩があったり、夜中にこっそり水路のルートを変えちゃったりなんて事もあります(笑)
ラダックの人とはいえ、人間だもの。しょうがない。
畑に水が必要な時はこの供給ルートから水を畑に流れ入れ、写真のように細かく分けた部屋に流し込み洪水させるように水をやります。
1部屋を洪水させると土でその入り口をブロックし、次の部屋に水を流し入れるという作業を繰り返していきます。
きっと極度に乾燥した土地ならではのやり方で、水をしっかり土地にしみ込ませるためだと思います。
家族で農作業するときは、チャイ(ミルクティー)や食べ物を準備してきて、みんなでピクニックです。
こうやって一緒に過ごしていると家族っていいなーと思います。
こうやって昔々から先祖代々同じ土地で農業をしてきたんだろうなー。
ここで植えた作物はキャベツ、カリフラワー、ジャガイモ、タマネギ、カブ、ニンジン、豆、ホウレンソウなどの野菜でした。
思ったより様々な種類を栽培することができるようでびっくりしました。
私が去って数か月後、写真を送ってくれたんですが、こんなに採れたようです。
私も手伝ったので、こんなにたくさん採れて嬉しいです!
今度は収穫の時期にも滞在してみたいなー。
また私たちにはもう2匹大切な家族がいました。
牛や家畜は昔ながらのラダックでの生活にとって必要不可欠な存在。
毎日早朝と夕方に乳しぼりしてミルクをいただきます。
そのまま飲むだけじゃなくバターを作ったりヨーグルトやチーズを作ったり。
それだけでなく牛の糞は乾燥させて料理するときのかまどの燃料にして使います。
カッチカチになるまで乾燥させた牛の糞がどこの屋根にも積んであります。
もし残飯が出ても牛が残さず食べてくれるので無駄になりません。
牛の糞は燃料として使用し肥料として使わないので、その代わりに人糞が畑のために主な肥料となります。
トイレは大きな穴が開いたぼっとん便所式コンポストトイレで毎回糞尿をした後に上から砂をかけます。
乾燥しているので匂いはあまり気になりませんし、簡単に肥料になります。
こんな風に昔ながらの生活はゴミが出ない生活で、循環型のすごく環境に優しいライフスタイルです。
リッキル村での食事
ラダックの主は主に小麦と大麦です。
朝は上記の写真のようなラダックパンやインドから伝わってきたチャパティーを自家製バターや自家製ヨーグルトにつけて一緒に食べていました。
また私が滞在していた家庭ではあまり食しませんでしたが、他の家庭ではツァンパ(大麦を粉にして炒ったもの)をバター茶で練って団子にして食べたりしました。
小麦粉を水と混ぜて練って成型したものを野菜と一緒に煮込むスキューと呼ばれる料理もよく食べました。
他にはトゥクパ(ラダック風うどん)、モモ(ラダック風蒸し餃子)、ティモック(ラダック風蒸しパン)、米と野菜・豆カレーを食べていました。
飲み物はバター茶や、チャイ(ミルクティー)でどちらも常に常備されていました。
お母さんのツォモは毎日大忙し。
朝6:00に起きて食事の準備をして牛の乳しぼりをして、近くの軍事施設でのアルバイトに出発。
夕方4:00に帰ってきてまた牛の乳しぼりをしたり、少し農作業した後、夕食の準備をしなければなりません。
村での食事はほとんどベジタリアン料理でした。
仏教の教えが大切にされているので、肉や魚はめったに食べません。
しかしある日オオカミが村にやってきて家畜の牛を殺してしまったことがありました。
まさに村人が「オオカミが出たぞー!」という感じで叫んで、村の若い人たちが追い払おうとしたのですが、時すでに遅く1頭の牛が殺されてしまいました。
普段は肉をめったに食べない彼らですが、この時ばかりは牛の̪死を無駄にしたくはないので10日間連続で肉料理を食べました。
最後の方は、「まだ肉があるから食べないと」と少し肉にも飽き飽きしている様子でした。
懐かしく思い出すラダックとリッキル村
インターネットも携帯電話の電波もないけれど、リッキル村で過ごした日々は毎日すっきりと充実していました。
家族や村人と毎日一緒に働いて、外には美しいヒマラヤ山脈があって、青い空がどこまでも広がっている。
時々ゲストハウスに旅人が訪れ、温かく迎えて滞在を楽しんでもらう。
こんな生活をしていると、人生を幸せに過ごすのに必要なものは思っているよりも少なく、もっとシンプルで良い人間関係と豊かな自然があればそれで充分かもしれないなーと思ったりします。
ラダックを離れてからしばらく経った今も時々思い出します。
リッキル村とラダックはまた会いたい人々が住む、絶対に戻りたい大切な場所です。
ちなみに私がホームステイしながら働いていたゲストハウスはこちら!
ラダックを訪れた際はぜひともお立ち寄りください。
ホームステイ中にホストのスタンジンとゲストと一緒にストックカングリ(6153m)に挑戦してきました。旅の続きはこちら
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