[ウズベキスタン] 気がつけばついつい長居。新年を一緒に祝うまで滞在してしまった田舎町ボイスン

憧れだったオアシス都市サマルカンドに滞在した後、「はてウズベキスタンの田舎の暮らしはどのようなものだろう?」と訪ねてみたくなりました。

どうしても田舎に行きたくなるのが私の旅の癖。さーてどこに滞在しよう。大きすぎず小さすぎず、風景がきれいな場所がいい。

向かったのはタジキスタンとアフガニスタンの国境からも遠くない位置にあるボイスンという町。何気なく決めた目的地ボイスンですが、この地域に住む人々が好きになり、ついつい長居。一緒に新年までお祝いすることになりました。

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移動手段はいつものヒッチハイク 大型トラックと観光バスでボイスンへ

サマルカンドからボイスンへの移動手段は、いつも通りヒッチハイキング。ウズベキスタンではいとも簡単に車が止まってくれます。数台車を乗り継ぎ、今日最後に拾ってくれたのは、笑顔が素敵な大型トラックドライバーの彼。

ウズベキスタン南部のカルシ(Qarsi)という街まで行くという事なので、ありがたく乗車。轟音を立てながら、順調に進んでいきましたが急停車。「どうした?」不運にもトラックが途中で故障。

「やばい修理にどれくらい時間かかるんだろう」と心配しましたが、友人のトラックが救援に止まってくれ無事に修理できた。でもカルシに到着した頃にはもう真っ暗に。今日どこに泊まろう?

トラックドライバーの彼は友人の家に泊まるらしい。ならばと何気なく「俺も泊まる場所探してるんだけどね?」と話してみると、「泊まる場所がないなら一緒に来れば?」と誘ってくれたので、お言葉に甘えてお世話になることに。

友人の家に到着すると「ちょっと待ってて」と彼は出ていき、しばらくするとヴォッカやパン、ローストチキンを抱えて帰ってきました。そして「ダバイ(乾杯)」との合図で酒盛りがスタート。

べろべろに酔っぱらうまで一緒に楽しみました。やっぱりウズベキスタンの人々のホスピタリティすごい。

翌日はカルシからボイスンに向かって再びヒッチハイク開始。数台車を乗り継いだ後、ふざけて笑顔で大型観光バスに向かって親指を上げていると、あれ?止まった?

車掌さんが「早く来い」というように手招きをしているので、小走りで走ってバスの中に入ってみると。乗客でいっぱい。どうやらタシュケントからアフガニスタンとの国境沿いの町テルメズまで行く観光バスだそう。

近所の人たちでタシュケントまでバスを借りきって旅行していたよう。「よし、よく来たな、ここに座れ」とわざわざ席を譲ってくれ、「どこから来たんだ?結婚はしてるのか?ここで何してるんだ?」などの質問攻撃。

「日本人かー。テルメズにある古代仏教寺院の発掘をたくさんの日本人研究者が手伝ってくれたことがある。どうだ?テルメズまで来て、俺の家に寄って行かないか?」と。

ずいぶんずいぶん悩みましたが今回は予定通り、ボイスンへ向かう事へ。彼と一緒にテルメズに向かっても面白かっただろうなー。異なる選択で全く違う人と出会い異なった経験が待っているのが旅。運命かただの偶然か。出会いの不思議。だから旅は面白い。

「テルメズに来ることあれば、絶対に連絡しろよー!」と惜しみつつも別れる。こうやってまだ出会えてない人、再会を果たせていない友人が何人いるだろう。可能ならば全員に今すぐ会いたい。

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めっちゃいいホームステイ先を発見 地元民のようにボイスンで生活

ボイスンに到着。この辺りまで来ると山岳地帯です。ウズベキスタンというとずっと広がる平地、砂漠というイメージがあるかもしれませんが、雪を抱いた山も見えます。さて、まずは泊まる場所を探さないと。

宿の情報なども全くないのでとりあえず町の人に聞きまわってみます。この辺で「激安で泊まれる場所ないですかね?」「安いところなら一軒知ってるよ。ホームステイのような感じの場所だよ」と車でわざわざ宿の前まで連れてきてくれました。

やったーホームステイ!これぞ待ち望んでいたもの。後は価格がどれくらいになるか。宿に到着すると優しそうなおばちゃんが出迎えてくれました。

「朝食付き一泊800円ぐらいになるけど良いかな?」と言われましたが、宿をみると冬なので一人もお客さんがいません。そこで500円ぐらいになればいいかなと思いながら、「朝食抜きで、オフシーズンだし一週間以上泊まるので350円にしてください」

絶対無理だろうと思いましたが、まさかのオッケー。え?いいの?この一家は本当に良い人達で、結婚式に連れて行ってくれたり、息子さんと学校に遊びに行ったり、新年を一緒に祝ったり、まるで家族の一員のように仲良くさせてもらいました。

翌日から早速ボイスンを散策。まず向かったのはボイスンのバザールです。旅人が珍しいのでしょうか、たくさんのお店からひっきりなしに声がかかります。

「おーいこっちに来てくれ!少し話をしよう!ここで何をしてるんだ?働いているの?」

最終的に二週間も滞在し、毎日のようにご飯を買いにバザールに行っていたので、たくさんの顔見知りができました。いつも買っていたのはカイマック、ハルヴァ、はちみつ、各種ナッツ、ドライフルーツ、サモサとナンやキムチです。

キムチ?ウズベキスタンにキムチがあるのって意外ですよね?しかしウズベキスタン中で手に入れることができます。韓国のキムチと違って、全く辛くはありませんでした。塩と酢で漬けた漬物といったような感じです。いったいなぜキムチがウズベキスタンに?

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それはソビエト時代にスターリンにより、ウラジヴォストーク近辺に住んでいた朝鮮系の人々が、中央アジア各国に強制移住させられた歴史のためです。朝鮮の文化と言えば、タシュケントでは犬を食べられるレストランもありました。

この地域の文化で素敵だなと思ったのが、スザニ(美しい刺繍が施された布地)を花嫁道具として、母から結婚の決まった娘へと贈る文化です。

母は娘の幸せな結婚生活を願い、ひと針ひと針願いを込めながら刺繍を施します。スザニは主に家の壁にかけて飾ってあります。

伝統ではスザニをあえて未完成のままに娘に渡し、娘が最終的な仕上げをするようです。そうすることで先祖代々、親から子へ、更には孫へ、スザニとその技術が継承されていきます。スザニを眺めるたびに、娘は遠く離れた家族の事を思うのだとか。

ボイスンの子供達は元気いっぱい。珍しい外国人に興味津々で「ハロー!ハロー!ホワット・ユア・ネーム?」と声をかけてきます。ホームステイ先の息子さんに連れられて、学校にも挨拶し授業に参加しに行くことになったことも。

ボイスンのインターネットカフェは大人気。夜遊びに行ってみると、少年たちがコンピューターやゲーム機の前に群がっています。どこの国の男の子も夢中になるのは同じですね。TVゲーム。日本代表としてウズベキスタンのゲーマーたちをコテンパンにしておきました。

サマルカンドでも結婚式に招待されましたが、もちろんここボイスンでも結婚式に参加してきました。しかも2回もです。両方ともホームステイ先の家族が連れて行ってくれました。ウズベキスタンの結婚式は見ず知らずの旅人でも参加できるみたいです。

目の前に並べられたご馳走の数々。しかも全て無料で結婚式にきた誰もに提供される。ご飯を食べ終わった後は、会場に軽快な音楽が鳴り、みんな踊り始める。手をくねくねさせて老若男女みんな踊る。子供もノリノリ!

より伝統的な生活が残る郊外の村へ

ボイスンの気に入ったところは、少し郊外に出ると街中とはまた違った生活風景が垣間見られるところです。バスに乗っていったり、歩いていったり。郊外ではまだ昔ながらの生活が強く残っているように感じました。

ホームステイ先の家族は、「あまり人里から離れないように。野犬やオオカミがいるからね」と恐ろしい注意を受けました。

郊外の村に行くと、人々もよりフレンドリーに。「外国人がいるぞ。日本人がいるぞ。」となり、「ちょっとここで待っててくれ、知り合いを呼んでくる」となり、囲まれ一緒に写真を撮りまくるハメになることも。

人々はロバを使ってモノを運んだり、交通手段に多用しているようです。子供でさえもロバを乗りこなす姿は一人前です。農地ではリンゴの果樹園で土地を耕している人々の姿も。

孫たちに囲まれて幸せそうなおばあちゃん。かわいい子供達にも出会いました。両親のお手伝いかな?暖炉用の薪を集めているようです。牛乳をどこかに届けに行く坊やも。

歩いていると、ひっきりなしに家に上がっていきなさいと招待されます。もうね、お腹が空いたら郊外に行って招待してもらってご飯食べさせてもらってましたよ。みなさん本当にゲストを迎えるのが好きで、楽しんでいるようでした。

「さあ、こっちに来て。ここが私の家よ」と言って、お茶を用意して、パンやお菓子などを準備してくれる、世話焼きのお母さん。かわいい赤ずきんちゃんもいました。

色んな家に招待されて生活の一部をのぞかせていただきましたが、この地域ではほとんどの家にタンドーリーと昔ながらのかまどがありました。ここでサモサを調理したり、パンを焼いたりします。

ホームステイ先にもやっぱりタンドーリーはあります。パンの生地をタンドーリーの内壁にぺちゃっとはりつけて焼きます。そのパンを取り出す専用の分厚い手袋もあります。

ある家庭ではウズベキスタンの伝統衣装を着させていただきました。その名は「ジャポン」です。んん?ジャパン?ジャポン?親近感がわく名前です。ジャポンは丈が長いので足まで覆うことができ、とても暖かいです。中の生地にはウールが入っています。内側の柄も素敵じゃないですか。

ある近郊の村には万病を治すと信じられている聖水が湧いている場所があるというので、それを探しに行ったりもしました。その村に到着すると、サナトリウムがあります。聖水と新鮮な空気を求めてたくさんの患者さんがこのサナトリウムに入院しているそうです。

さて聖水を探しに行きますが、危険だったのが犬。家畜をオオカミから守るために飼育されているため、部外者にはかなり厳しい。恐い顔つきでワンワン吠えたてられ、気がつけば囲まれたことも。

そんなこともあろうかと持ち歩いていたのが、パン。エサを与えて手なづけて包囲網を突破。そしてついに聖水を発見。私の他にも聖水を汲みに来ている方々もいました。

この聖水の効果か今でもめったに病気にはかかりません。この聖水は有名なようで、国道沿いでも聖水が入ったペットボトルを販売していました。

新年にサンタクロース?クリスマスツリー?ボイスンでハッピーニューイヤー!

そんなこんなで楽しくボイスンでの滞在が過ぎていき、気がつけば新年も近づいてきました。バザールも街の通りも普段からは考えられないほどの人でごった返しています。

新年を祝うためのデコレーションやご馳走づくりのために、みんな忙しく買い物をしています。街の広場にはクリスマスツリーが準備され、態度が悪いサンタクロースも登場。

んん?クリスマスツリー?サンタクロース?ちょっと待って。クリスマスじゃないよね?新年のお祝いだよね?というかウズベキスタンってイスラム教の国なのに、なぜクリスマスツリーやサンタが?

実はウズベキスタンの新年に登場するサンタクロースのような人は、サンタではなくコルボボさん(雪のおじいさん)です。コルボボは新年を運び、クリスマスツリーは新年を祝う飾りと考えられているよう。おもしろい!

街も新年を祝うためにお祭りモード。新年用の色んなグッズも販売されています。コルボボのお面もあるよ!華やかでいいなー!

知り合いもたくさんでき、色んな人に新年を一緒に祝おうと誘われましたが、やっぱりお世話になっているホームステイ先の家族と一緒に新年を祝うことにしました。普段はタシュケントで勉強しているお兄ちゃんも帰省しています。

まずは帰省しているお兄ちゃんの友人たちと前夜祭。飲んで、食べて、踊って。

翌日は遂に来た今年最後の日。この日は夕方から「新年おめでとうございます」と、近所の人々の家を訪ね歩きます。近所の人たちも次々と家に遊びに来ます。これがこの地域の新年の習慣だそう。

だから各家にはゲストをもてなす用のご馳走が準備されている。もちろん男は各家庭で「ダバイ(乾杯)」の掛け声とともに、ヴォッカを飲みまくることになります

ホームステイ先の家族と共に何軒の家を訪ねただろうか?もうとっくに深夜13:00を超えている。ついに最後の家に到着。そしてやっぱり最後は踊って祝う。

おわりに

こんなに素敵な人々が暮らす国のこと。我々は一体どのくらい知っているでしょうか?もっと多くの人に訪れてもらいたい魅力的な国ウズベキスタン。もし時間があればボイスンにも足を伸ばしてみてください。

ボイスンの後はかつてのシルクロード上のオアシス都市ブハラとヒヴァを訪れました。

ウズベキスタン かつてのシルクロードを行く ブハラとヒヴァへ 


コメント

“[ウズベキスタン] 気がつけばついつい長居。新年を一緒に祝うまで滞在してしまった田舎町ボイスン” への4件のフィードバック

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  3. サイトウのアバター
    サイトウ

    9月にウズベキスタン旅行します。
    主な観光地も巡りますが、田舎の暮らしを1泊だけでも味わってみたいと。
    「サマルカンド 田舎 ホームステイ」で検索していたら、このブログに辿りつきました。
    ホームステイ先は、どのように見つけるのですか?
    検索しているウチに、ドライバーにアレンジをしてもらって、田舎へ。みたいな流れを見つけたことはありますが、よく分からないままです。

    1. コメントありがとうございます。私の場合は運でした。安いゲストハウスを探していると、地元の人が紹介してくれた場所がたまたまこの時のホームステイ先だったのです。
      簡単な方法だと、カウチサーフィンや、Airbnbを使う方法がある思います。

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