イスラム教の国イランからキリスト教の国アルメニアへ 極寒の中ヒッチハイクで行く

アルメニア

イランのタブリズを越え、北へ北へ。時期は2月の終わり。山間部に入っていくにつれて、雪も深くなってくる。ヒッチハイクを繰り返し、イラン-アルメニア間の国境に辿り着いた。

次はいったい何時イランに戻って来られるでしょうか。名残惜しいけれど、また新しい国「アルメニア」に到着です。

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アルメニア最初の町メグリに到着

さあアルメニア国境にやってきました。川の向こうはアルメニア。イスラム教の国から、キリスト教の国へ。アルメニアは何と4世紀初頭に世界で初めてキリスト教を国教にしたという、敬遠なクリスチャンの国。

一つ不安だったことは、アルメニアにスムーズに入国できるかどうか。なぜならアゼルバイジャンに以前に入国したことがあると、入国に手間取る可能性があると聞いていたからです。

アルメニアとアゼルバイジャンは、領土問題を抱えています。それは「ナゴルノ・カラバフ共和国」を巡って。1988年から94年にかけては「ナゴルノ・カラバフ戦争」という紛争まで起きてしまいました。ここでは詳細を記載するのは避けますが、そのこともありアルメニアとアゼルバイジャンは関係が悪いのです。

アゼルバイジャンからアルメニア、または逆のルートでのアゼルバイジャンへの入国は不可能です。ちなみにアルメニアとトルコも関係が悪く、同国間の入出国も不可能です。イランとジョージアからのみ陸路での入国が可能です。

そんな事もあり、最悪は賄賂を払わされるというような情報もあったので、少し心配なのでした。担当の女性がパスポートをパラパラとめくり、「アゼルバイジャンに入国したことがあるのですね?」「はい。ただ数日の間だけですよ。しょうがなくなんですけどね。」

ただ実際のところは全く問題ありませんでした。ビザ代の支払いに、アルメニアのお金でなければならなかったのですが、入国審査を越えた向こう側にあるATMでお金を引き出して、ビザ代を支払って完了。

無事にアルメニア入国です。

入国審査を済まして外に出ると、待っていましたとばかりにタクシードライバーが。でももともとヒッチハイクを続けるつもりだったので、「ごめんねー。無料だったら乗せて行ってー。」と言ってお別れ。

国境を越えてヒッチハイクしながら歩き始めると、オンボロの旧ソビエト製の車「ジグリ」が止まって、メグリという町まで乗せてくれました。車窓から見えるのは完全な冬景色です。完全に観光する季節を間違っています。すごく寒い。

雪の中、谷を越え山を越え、メグリに到着。モスクが至る所にあった、イランの景色とは激変。旧ソビエト連邦風のコミュニズム風建物が復活。ガスの配管が道路上に復活。

なぜかこの光景を懐かしくも感じます。そして少し覚えたロシア語が通じる。「パロスキ・パニマユ?(ロシア語わかる?)」「パロスキ・パニマユ・チュチュッ(ええ、少しだけね)」

アルメニアはキリスト教の国。町にはモスクではなく教会があります。大きな石を積み上げてできた建物は、シンプルで無駄なものがなく美しい。カトリックの教会のようにピカピカ金ぴかしていません。メグリの町の教会は、内部にあるフレスコ画が美しかったです。

アルメニアではカウチサーフィンがあまり知られていなかったので、宿に泊まりながら旅をしていました。アルメニアでの安宿の探し方は少し特殊。

町にあるショップや町の人々に「安く泊まれる場所ありませんか?」と尋ねていきます。そのうち自宅に空き部屋を持った人がみつかるので、そこにお金を少し払ってホームステイさせてもらうのです。たまに無料で泊めてもらっていましたが。

ただ泊めてもらっていたアルメニアのお宅には、シャワーが無いことが多かったのが印象に残っています。まあ冬なので汗もそんなにかきませんしね。問題なしです。

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タテブ修道院への道

さてアルメニア最南端から徐々に北上していきます。最初の目的地としていたのがタテブ修道院です。この修道院は、9世紀に建造された修道院であり、中世アルメニアにおいて重要な教育施設としても知られていたそう。

そんな歴史のある修道院。山間の崖の上にあり、景色もすごく良いらしい。さてここに向かうのですが、やっぱりヒッチハイクで。前回の記事で書きましたが、砂漠の真ん中のヒッチハイクにも成功した直後なので、自信満々です。

カパンという町から、タテブ村までの小さな道を地図上に発見。アルメニアの小さな村々も見れるぞーということで突入することに決定。

さて自信満々に歩き出したのですが、予想していた通り車が全くやってこない。そして標高を上げていくにつれて、積雪量が増えてきて、嫌な予感。その不安に追い打ちをかけるように、空まで暗くなってきた。

何とか車を見つけ、人が住んでいる村までは辿り着いたのですが、ここで日が暮れてきて、雪も降ってきた。村人に聞いても今日はもう誰もこの先には行かないだろうとの事で、宿泊先を探す事に。

もちろんホテルなんかもあるはずなく、どっか泊まらせてくれる家はありませんか?と村人に尋ねていきます。外で遊んでいた子供に聞くと、「それでは家に来たら?」と言うので、着いていくと、素敵な家族が迎えてくれた。

どんな場所にも温かい心を持った人々はいるものです。彼らが泊めてくれて助かりました。温かいお茶、スープに食事。あー人情の旅だ。本当にありがとう。

こんな風に、困れば誰か助けてくれるだろうと信じて多少のリスクを背負って旅しているけれど、今まで何とかなってきている。世界は悪いニュースで溢れているけれど、こんなに良い人達で溢れているのだと、今は自分の経験から信じることができる。

翌日は天気が少し回復してきていたので、家族に別れを告げて先に進むことに。しかし、この日は自分の行きたい方向に行く車が来ることはなく、ずっと歩いて20km先の村に到着することに。トレッキング用の荷物だけでなく、すべての荷物を背負いながら歩いているので、すごく重くて大変。

村に到着したところで、疲れてきたので宿でも探そうかとキョロキョロしていると。家の外に出てきていたおばあちゃんを発見。手を振ってみると、こちらに振り返してくれた。

なんかすごく良い人そうだ。という事で、家の前まで行って、話してみることに。「泊まる場所を探してるのですが」言うと、「家に泊まっていきなさい」と優しく家に案内してくれました。

どうやら一人で暮らしているそうです。寝室に飾ってあったおじいさんの写真を指差しながら、「最近夫が死んだところで寂しいの」と語る目には少し涙が浮かんでいました。おばあちゃんも少し人恋しかったのかもしれません。

そう語りながらも「お腹が空いてるでしょう?」と、ジャガイモを炒めた料理を作ってくれました。言葉もろくに通じませんが、なぜか意気投合したような気がしたので、ありがたくおばあちゃんの家に一泊させてもらいました。翌日またタテブ村を目指します。

やっぱり積雪が凄いけれど、車が通った跡があるという事は、誰かが車でこの道路を走っているという事。しかし今日も車は全く来ない。少しずつ休憩しながらもタテブ村に近づいてきます。

10kmほど歩いたところで、ようやく車が後ろから来ました。道の雪を解かすために石炭を撒いている車でした。荷台の後ろに乗っけてもらって、タテブ村に到着です。3日がかりでようやく。

タテブ村へ到着

タテブ村に到着。天気も悪く吹雪いていたので、早速数日間の宿を探す。小さなお店の人に「宿泊できるところを探しているのですが(ホームステイを探していると言えばわかりやすい)」と聞くと、村の駐車場近くの家に案内してくれました。

家に到着すると優しそうなおばちゃんが登場し、旅行者を泊めなれているようで、「外は寒いでしょう。さあどうぞ」と空き部屋に案内してくれました。外が激寒だったぶんだけ、部屋の暖かさがありがたい。

ただ水道が寒さで凍っていて、水はでない。どこからかバケツに水を汲んできてくれて、「冬は毎回こうなのよ。この水をトイレや洗顔などに使ってね」と渡してくれた。

さて今日は天気が悪いので翌日まで待って、念願のタテブ教会を訪ねることにしました。

翌日散歩がてらに村を歩き回りながら、タテブ教会を目指します。途中で出会ったのが、寒いなか羊の放牧をしている彼ら。雪の中でキャンプファイヤーをして休憩中でした。「寒いだろ?しばらく暖まっていけば?」

そして見えてきたのがタテブ教会。なんとこの教会、断崖絶壁に建設されているのです。霧につつまれているので、すごく幻想的に見えます。

暗い色をした自然で地味な外観が、風景とマッチしているように感じます。9世紀に建設されたようですよ。こんなに古い教会を今まで見たことがありませんでした。

教会の敷地内に入って、建物を近くから見てみます。教会の古い鐘らしきものやハチュカルと呼ばれる、美しい彫刻が施された十字架石もあります。

しばらくしていると、教会敷地内に何人かの人々を見かけました。どうやら巡礼者とこの教会に仕えている人々のようでした。アルメニア中の教会には巡礼者用の宿泊施設もあり、熱心な信者で教会を巡礼してまわっている人も少なくないようです。

食堂のような場所で食事をとっているようなので、「こんにちは」と挨拶に行ってみることに。すると、「おー旅の人かい?どうぞこちらへ」という感じで中に案内され、同席させてもらえました。

奥の真ん中の席に座っている、ひげもじゃのおじさんがどうやら偉い大神父さんみたいでミカエルさんと呼ばれていました。偉い人のようなのですが、すごく気さく風な人で、食事も少し頂いてしまいました。

巡礼に来ていた女性の方も一緒で、いかにミカエルさんと一緒にいることが光栄な事か教えてくれました。巡礼する人は食事を教会に仕える人々に提供するのも習慣のようで、そのおいしいケーキまでいただいてしまいました。

その後、「もうすぐ祈りの時間ですが、一緒に来ますか?」と言われたので、ぜひご一緒させていただくことに。今まで知っていた、讃美歌を歌ったりする、カトリックの祈りの時間と全然違いました。

まずミカエルさんが黒装束の衣装で現れ、呪文のような歌で祈りだすと、雰囲気はまるでブラックマジックの儀式のような感じに。巡礼者の方も手を胸の前で合わせ、時折地面にひれ伏し、頭を下げ。

すごく神聖で、重たい、荘厳な感じです。まるでチベット仏教寺院で見た祈りのような重たい雰囲気。怒られるかもしれませんが、これまでの軽いイメージだったキリスト教がガラッと変わりました。これが1時間ほど?続くようです。

これをこんな辺境の地に滞在しながら、毎日数回行うようです。頭が下がります。人々から尊敬される理由もわかりますね。申し訳ありませんが、私は数時間も待てないので、しばらくして退散。

アルメニアには他にもかなり古い時期に建てられた教会がたくさんあるようなので、もっと訪ねてみたいなーとタテブ修道院を見て思いました。

石の町ゴリス

タテブ村を後にして向かったのは、「岩場」という意味のゴリスという町。ここゴリスの南部にあるクンゾレスクという場所には、古代から人々が住んでいた洞窟住居や洞窟都市が残されているみたいなので、少しのぞいてみようと思ったのでした。

ただゴリスに辿り着くまでの道もすごい。もう真っ白の白銀世界です。気温は-10度とかでした。もうこんな場所でヒッチハイクを重ねることなんて、自分の人生であるのだろうか。

アルメニアでのヒッチハイクはすごく簡単でした。ゴリスに到着し、ここでも町の人々に尋ね歩くと、簡単に食事付きのホームステイが見つかりました。こんな時期に旅をする人は少ないのでしょう。ドミトリーの部屋を一人で占領。

ゴリスの町のコミュニズム風建築ではなく、昔ながらの石造りので建設された建物はきれいでした。ワニの鱗のようにも見えます。こんなに寒いのに、窓のサイズが大きいのは意外でした。

洞窟都市の跡地が残るKhndzoresk(クンゾレスク)ですが、ゴリスから13km離れています。クンゾレスクまでヒッチハイクで辿り着いてからは、クンゾレスク渓谷まで徒歩で。こんな時期なので訪れるのも私一人だけ。雪が深かったので、靴の中に入った雪をかき出しながら。

到着すると駐車場などもありました。トルコのカッパドキアを思い出させるような、奇岩地帯が広がっています。どんどんと谷の底に下っていけるようなルートがあり、長ーい吊り橋も発見。

渓谷の谷のような場所に、たくさんの大きな穴が空いており、ここに人々が住んでいたのだろうと思われます。中には石で建てられた、住居などもありました。

学校や図書館、多くのお店などがあった巨大な村だったようです。1950年までは実際に住居として、誰かが住まれていたのだとか。

また夏だと違った雰囲気を楽しめるのでしょうね。興味のある方は、ぜひ訪れてみてください。

おわりに

ここからも少しずつ北にアルメニアを北上していきます。シシアン、アレニ、イエレバン、ギョムリと行って、ジョージアへ。

アルメニアを北へ北へ 歴史ある修道院を巡りながら首都イエレバンまで
イランからアルメニアに国境を越えたので、アルメニアの旅は最南部から始まりました。徐々に北へ北へと北上していきます。北上する道上でも親切なアルメニアの方々に助けてもらいながら。 「石の町」ゴリスまで辿り着き、タテブ修道院でアルメニアの教会の美...

コメント

  1. […] イスラム教の国イランからキリスト教の国アルメニアへ 極寒の中ヒッチハイクで行く […]

  2. らいら より:

    冬は観光シーズンではないのでしょうが、とても静謐でかえって良かったかもしれませんね。教会も、あまり観光化されていなくて、生きている感じがしました。

    ところで、お風呂はどうされていましたか?鍋でお湯を沸かし、水で埋めるのでしょうか?

    • Tomoya より:

      山間の教会にも神父さんが滞在していて、毎日祈りを捧げています。おっしゃる通り、観光のための教会でなく、人々の信仰のための教会だと感じました。アルメニアで現地の人々がお風呂をどうしているのかは聞きそびれてしまいました。ただ私はたまにシャワーがある宿に泊まった時にしか、体を洗えていませんでした。冬だったので汗もあまりかかなかたのでラッキーだったかもしれません。私はホームステイで安く泊まろうとばかりしていたので、シャワーがありませんでしたが、通常のホテルやホステルなどであればシャワーはあると思います。

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