アルメニアを北へ北へ 歴史ある修道院を巡りながら首都イエレバンまで

イランからアルメニアに国境を越えたので、アルメニアの旅は最南部から始まりました。徐々に北へ北へと北上していきます。北上する道上でも親切なアルメニアの方々に助けてもらいながら。

「石の町」ゴリスまで辿り着き、タテブ修道院でアルメニアの教会の美しさにすっかり魅了された私は、北上しながらも、各地の有名な修道院を訪れていくこととしました。

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ヴォロトナ修道院があるシシアンへ

真冬の2月のアルメニア極寒の中をヒッチハイクで行きます。手袋してても寒い。アルメニアの人は優しくてすぐに乗せてくれる車が見つかるから良いけれど、長時間待っていれば本当に病気になっちゃいそうです。

そんな寒い中ヒッチハイク中に発見した、かわいらしい野良犬2匹。どうやら親子みたいで小さい方はまだ1歳にもなっていない様子。どうやらエサを探しているみたいで、かわいそうになったので持っていたパンをあげることに。

「こっちにおいで」とパンをあげようとしていたら、手ごとガブッといかれた。こらっこっちはエサをあげてるのに。流血こそしなかったけど、結構痛かった。

そんなこともありながら無事にシシアンに到着。いつものように「ホームステイできる場所はありませんか?」と尋ねていると、親切なおばさんが心当たりのある家まで連れて行ってくれることに。

「アメリカ人も泊まっているから、きっと大丈夫よ」とのこと。アルメニアに来てからというもの、日本語はおろか長く英語も話していなかったので、久々に英語が話せるかも。

家まで辿り着くと、ロサおばさんが温かく迎えてくれた。彼女は英語が話せないのだが、「少し待っててね。英語がわかる子に来てもらうから」と。

そこで家に駆けつけてくれたのが、ピースコープの一員として活動しているケイト。アルメニア語も操る彼女が、通訳してくれて無事にホームステイさせてもらえることに。彼女もすぐ隣に部屋を借りているよう。

「アルメニアに来てからシャワー浴びた?なかなかシャワー浴びれる場所ないよね?よければ家でシャワー浴びていく?」と言われたので、お言葉に甘えて久々のシャワーを使わせてもらうことに。

ケイトは「初対面の男を部屋に入れてシャワーを浴びさせるなんて、ロサは絶対に私の事をビッチだと思ってるわ」と笑いながら話していました。アルメニアではキリスト教を深く信じる人が多く、もちろん婚前交渉などは未だにもってのほかなのだから。

久しぶりのシャワーを浴びてすっきりした後は、ロサおばさんの息子さんに出会いました。彼は英語を流暢に操り優秀なのに、そんな彼でも中々仕事が見つからないアルメニアの経済事情。

「最近日本の中古車を買ったのだが、日本語表記で分からない所があるので教えてほしい」との事だったので、各スイッチを日本語から英語に通訳。

彼によると、ドバイ経由で日本の中古車が格安で手に入るようです。値段を聞いてみると5万円とかでした。どうやったらそんない安く手に入るのだろう。本当に不思議。

ロサの家でゆっくりさせてもらった翌日、町から12Kmほど離れたヴォロトナ修道院まで行ってみることに。公共の交通機関もないので、タクシーかヒッチハイクで行きましょう。

山道を通った奥まった場所に修道院は静かに佇んでいました。要塞化されている修道院の敷地内には墓地があります。このヴォロトナ修道院は9世紀から10世紀に建設されたとの事。

アルメニアの教会はカトリック教会のような華やかさはないのですが、何というか日本の仏教寺のような渋さがあります。個人的にはすごく好きです。

帰り道でヒッチハイクで乗せてくれた家族が「少し家に寄っていきませんか」と招待してくれました。アルメニアの人はフレンドリーな人が多くて、旅していて楽しかったです。

「家に泊まっていきませんか」とありがたい言葉をいただきましたが、ロサ家族が心配するといけないので、彼らに感謝を告げてシシアンの町まで戻ることに。ひいおばあちゃんも一緒に住んでいる素敵な家族でした。

ストーンヘンジと言えばイギリスが有名ですが、何とアルメニアにもありました。「ゾォラツ・カレール」またの名を「カラフンジ」と呼ばれる場所です。シシアンの北3キロの道路脇から少しだけそれた場所にあり、220個ほどの2m~3mの大きな石が残されています。

紀元前5世紀頃にはすでにあり、まだ何のために作られたのかはっきりとはしていないのですが、天文観測所であったのではないかと議論されています。

世の中にはまだまだ分かっていない事、不思議な事だらけです。

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ノラヴァンク修道院のアレニ

さてシシアンを離れ、さらに北へ向かっていきます。次の目的地はアレニ。

何とこのアレニ村近郊にある洞窟では5500年前の世界最古の皮靴が発見されているのです。さらに別の洞窟では、6000年前の足で踏んで使用するブドウ圧搾の機械や、ワイン用の槽、干からびたブドウの枝や種などが発掘されております。

これらの発見から、この洞窟は当時のワイン醸造所であったのではないかと推測されており、もしそれが事実なら世界最古のワイン醸造所跡になります。世界最古の皮靴にワイン造り。アルメニア小さい国ですがすごい。

アレニに到着し、早速宿を探します。「ホームステイありますか?」と聞いたら、おじさんが「俺の家に泊まったらいいじゃないか。さあついて来なさい。」と、無料で家に泊めてくれました。ホテルなどがないような村でも、地元の人に頼めば止めてくれたので、その点ではアルメニアはすごく旅がしやすかった。

さてこのアレニ村の近くにも歴史ある修道院があります。その名はノラヴァンク修道院。12世紀から14世紀ごろに建設された修道院です。この修道院に続く渓谷も絶景。歩きながらヒッチハイクしていると、修道院にあるお土産屋さんのおじさんが、修道院まで車に乗せてくれてました。

このノラヴァンク修道院は、アルメニアで最も偉大な建築家とされるシラネス氏、そして最も優れた建築彫刻家とされるモミク氏によって建造されたことで有名です。なるほど確かに修道院の入り口の上部には美しい彫刻がありました。これがモミク氏によって彫刻されたものかな?

アララト山が見えるホル・ヴィラップ修道院

さてまだまだ北上します。アレニ村からヒッチハイクしていると、「俺は今からモスクワに行くところだけど、途中まで乗せていくよ」とおじさんが拾ってくれました。途中親戚の家により、自家製ワインも味見させてもらっちゃいました。

このおじさんだけでなく、たくさんのアルメニア人がロシアでも働いているそう。今いるアルゼンチンにもアルメニアからの移民がたくさんいるという話も聞きました。

アルメニア本国に暮らすアルメニア人は全体の4割程度で、他の6割は国外で暮らしています。アルメニア人たちはその昔からシルクロード上で商売をする商人として、世界各地に散らばっていったのですが、有名な旧オスマン帝国によるジェノサイドで、さらに国外に逃亡したアルメニア人が増えたそう。

丘の上を車は走り抜けていき、アルメニアのシンボルともなっているアララト山が見えてきました。旧約聖書によると「ノアの箱舟」が最後に流れ着いた山とされています。アルメニアにとってシンボルのような存在のアララト山ですが、現在はトルコ領になっています。

このアララト山を背景に美しく佇んでいる修道院がホル・ヴィラップ修道院。アルメニアが誇る聖者グレゴリウスが、アルメニア国内にてキリスト教を布教した罪で13年間も幽閉されていた地下室上に、この修道院はあります。

地下室に13年間幽閉された後、グレゴリウスは解放され、アルメニアは世界で初めてキリスト教を国教とすることになります。

そんな歴史もありアルメニア人にとって大切な場所、地元の人にも大人気なのでしょう。新郎新婦風のカップルがいて、記念撮影などを行っていました。結婚式だったのかな。強面のおじさんたちも嬉しそう。

教会内には真剣な表情でキャンドルに灯をともす人々が。アゼルバイジャンとトルコとの間に政治問題を抱えるアルメニア。再び過去の惨劇を繰り返さないように願う平和の祈り。

イエレバンから日帰り可能なゲガルド修道院

ついにアルメニアの首都、イエレバンに到着です。ヨーロッパ風の建築が建ち並ぶおしゃれな都会。にも関わらず田舎臭いところがあって、イエレバンはすごく居心地の良い都会でした。例えば場所を聞くと「そこまで連れて行ってあげるわ」と、わざわざ目的地まで連れて行ってくれるという人々の親切さ。

宿泊先での出会いにも恵まれました。例えば、ドバイで家政婦として働くフィリピン人の女の子。ドバイで働くフィリンピン人の女の子にとってアルメニアは人気の土地。どうやらビザの有効期限が来るとアルメニアまで来て、またドバイに戻るのだそう。

またイエメン出身のおじさんにも出会いました。何と空爆で働いていたホテルが破壊されてしまったそう。その悲劇から立ち上がり、新しい生活を始めるためにアルメニアで仕事を探しているそう。

そしてエジプトからの旅行者など、これまで行ったことのない国の人々と会えたのが楽しかった。彼らとは食事をシェアしたりワインを一緒に飲んだり。寒さを言い訳に行く泊先で入り浸っていました。

また久しぶりに嬉しかったのが、本格的な日本食が食べられたこと。何とイエレバンには、日本人がやっている「櫻田」という日本食屋さんが町の中心にあります。そこでアルメニアやジョージアで道路建設関係の仕事をしている、出張中の日本人に出会い、おいしい日本食をご馳走になったり。

イエレバンの町からは、最後の修道院観光という事で、ゲガルド修道院を訪れてきました。

写真のような山奥にあるゲガルド修道院は、13世紀に建造されました。岩壁を削って建設した「洞窟の修道院」が最初にできたのは、何と4世紀とも言われています。

ゲガルドは「槍」の意味があり、イエスの脇腹を刺したという「ロンギヌスの槍」の一部が、この修道院内で見つかったのだとか。

ゲガルド修道院の建物自体も巨大な石造りで素晴らしいのですが、修道院内部の神聖な雰囲気と彫刻は一見の価値があります。見学は無料で、イエレバンからも遠くないので、ぜひ訪れてみたください。

おわりに

イエレバンを離れた後はギョムリという町を訪れて、ジョージアへ国境を越えました。その時の事はまた次回の記事で。ギョムリでは素敵な手作りアクセサリーを作る芸術家一家の家に泊めてもらっていました。ホームページのリンクを貼っておくので、興味のある人はぜひチェックしてみてくださいね。

https://art-hayar.wixsite.com/hayar/about

ジョージアの旅 スバネティ地方を目指して

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コメント

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