誰もまだ行ったことのない場所に行ってみたい。長期旅をしている人なら、一度はそんな考えが頭に浮かんだことがあるのではないでしょうか?ヤズドに滞在している時でした。そんな悪魔・天使のささやきが私に聞こえてきたのは。
ヒッチハイクでイスファハーンに行く道を頭に入れるために、ただ地図を見ていたのです。そこで一般的にイスファハーンに向かう道路ではなく、砂漠の中をまっすぐに結ぶ、怪しげな、小さな道を発見してしまいました。
こうなれば好奇心が抑えられないのが悪い癖。道があるなら、誰かが通っている。テントもあることだし、思い切って突入することにしました。
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辿り着いたのはヌドシャン イランのちょうど真ん中にある美しい砂漠の町
ヤズドを離れ、普通にイスファハーンへ行くことをやめて、半無謀な道を歩み始めた旅人。ちなみに私の通った道はこれです。
もちろんこの道の情報はゼロ。ヤズドに住む人々に聞いても「通ったことないから、よく知らないけど、大丈夫じゃない?」という、他人事のような答えしか返ってきません。
地図で見ると小さな町もあるし、何とかなるだろうと、とりあえず前に進むことにしました。まずは地図上で偶然発見した、Nodoushan(ヌドシャン?)という町を目指すことに。
ヤズドから郊外に歩き出し、西方向にヒッチハイクしながら歩き出します。しばらく歩いていると、「ヌドシャンまで行くのか?そこまでは行かないけれど、途中まで行くから乗せて行ってあげよう。」と幸先よく一台の車が止まってくれました。
簡単にヒッチハイクできるから、リスクもとりやすいのがイランの旅の好きなところ。困れば誰かが助けてくれるという安心感。
1台目の車に別れを告げ、2台目の車が止まる。ヌドシャンに行きたい事を告げると、「ここからそっちの方向には誰も行かないぞ。俺と一緒に北にある大きな道路まで行こう。そこからならイスファハーンに簡単に行けるぞ。」という、親切なんですが聞きたくない「誰もそっち方向には行かない」という言葉。
でもこの田舎道を通って、イスファハーンに行くと決めたから、あきらめるにはまだ早すぎる。どうやら自分には人の言う事を簡単には聞かない、こんな頑固な一面もあるよう。「こんな場所で降りるな。」と言われつつも、「ここで大丈夫です」と断固下車。
そして不安な気持ち半分に、いや半分以上にしばらく待っているとまた奇跡が。英語はあまり通じないのですが、「ヌドシャンという町に行きたいんです」というと、「うん。うん。」と頷いてくれるおじさん。
「何とかヌドシャンまで行けそう?」よくよく話を聞いていると、彼はどうやらヌドシャンの市長さんでした。ラッキー!「ちょっとオフィスによってから、自宅に案内するよ」と、まずは市役所に向かうことに。
ヌドシャンに到着して、その町の姿を見た時でした。感じたのは「これぞ、観光化など全く気にせずに、そのままの姿で残っている。リアルな砂漠の町だ」ということ。そして、美しい。
ホテルなんか一つもありません。お土産屋さんなんかも一つもない。観光客なんか関係なく、ただ昔から同じように人々が暮らしている砂漠の町。
市役所でお茶を頂いている間に、市長が「君は日本から来たのだろう?見せたいものがあるんだ。」といって見せてくれたのは、この書面。
これは平和首長会議(Mayors for Peace)に加盟していることを示す書面です。この団体は、1982年に当時の広島市長の荒木武さんにより設立された、反核運動を促進する国際機構。世界各国に加盟自治体があり、市長が参加を表明すれば、その地方自治体は核兵器廃絶を目指すていく事となります。
世界163ヵ国、7650都市の加盟国のなかに、まさかこんな砂漠の真ん中の小さな町ヌドシャンがあるとは。市長!感動しました。
しばらくして、彼の弟さんが家にやってきました。「せっかくヌドシャンに来たのだから、今夜は泊まっていってください。昔おじいさんが住んでいた家があるんです。」と言って案内してくれたのは、町の中心部の狭い通りを入った場所にある、日干し煉瓦でできた土色をした家でした。
「数年前におじいさんが死んで、今は誰も使っていないのです。ぜひここに今日は泊まってください。夕食は私の家族と一緒に食べましょう。夕食の時間に迎えに来ますね。そうだ少し時間があるので、町を案内しますよ」と言ってまず案内してくれたのは、町の中心にあるモスクでした。
「屋根の上に行きましょう。町が良く見えますよ。」と、モスクのある建物の屋上に出てきました。
砂漠の中にある町。見渡す限りの土色、ヤズドで見たバードギルもあります。一体何人もの旅行者がこの地を訪れた事があるのだろう。決してその数は多くないはずです。
静かな町。まるで他世界から忘れられたような雰囲気さえ感じられます。遠い昔から、まるで時間が止まったような。町中にはカナートから流れてくる水が、水路に沿って流れ込んできています。砂漠の町での典型的な水路システム。
町にはアゼルバイジャンのバクーで見た、「乙女の塔」に似た建物が。詳しくは知りませんが、この地もかつてはゾロアスター教を崇拝する地域だったはず。その名残が今でも見られます。
夕暮れ、砂漠の町に日が落ちる。オレンジに染まった空が、次第に薄暗くなってくる。そして、もっと静かに感じる夜になりました。祈りの時間になり、モスクには人が集まり始めます。
祈りが終わり、今夜の市長家族との夕食のためにパンを買いに行くと、かわいらしい女の子がお使いに来ていました。日常の人々の暮らしに、ほっと心も安らぎます。
夕食は市長の家族と一緒に。親戚一同も集まり、質問攻めにあいます。「結婚しているのか、家族構成は、イランの事が好きかどうか、原爆の影響は」などなど。
思いつきが生んだ、素敵で偶然な出会い。そして見知らぬ旅人に、こんなに良くしてくれてありがとう。
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ここは昔キャラバンが通った道だったのか 古のキャラバンサライを発見
もう少しヌドシャンに滞在していたかったけれど、ビザの有効期限が近づいてきていたので、イスファハーンへ先を急ぎます。
ヒッチハイクを開始しますが、まぁ見てください。こんな場所でヒッチハイクしていたんですよ。まさに砂漠のど真ん中。車なんてくるのかどうか?
でも道があるということは、誰かこの道路を使ってるのです。こんな場所にも誰か住んでるみたいだし。そしてイランの人々は世界で一番と言っても良いぐらい優しいから、車が来れば絶対止まってくれるはず。
そうしていると、トラックが来たー!そしてやっぱり乗せてくれた。残念ながらイスファハーンまでは行きませんでしたが、大分前に進むことができました。
トラックを降りて、しばらく車が来る気配もないので、前に歩き続けていると、何やら巨大な建物が見えてきました。
わお。こんな場所で、朽ち果てたキャラバンサライを見つけるとは夢にも思いませんでした。全く情報がないので、何百年前の建物かはわかりませんが、こんな砂漠の真ん中に、突如キャラバンサライがあるとは。
ここにもシルクロード上で交易していたキャラバン隊が、かつて宿泊していったのでしょう。ヤズドからイスファハーンに向かうのに重要な拠点だったに違いないなど、妄想をふくらませます。
こんな場所にあるので、とっくに忘れさられたような場所なのでしょうね。もちろんいるのは私たった一人だけ。と思ったら羊の放牧をしているおっちゃんがやってきました。昔はキャラバンサライだったけれど、現在は羊の放牧のおっちゃんの、ちょうどよい休憩場所になっているようです。
この後このキャラバンサライ前で大分待って、持っていた食料も終了。後は水があるだけ。しかし幸運なことに、この辺りで測量の仕事をしているというドライバーに乗せてもらえました。
その後また大分歩きながら待って、トラックドライバーにイスファハーンまで運んでもらう。
無謀な挑戦にも思えましたが、何とかイスファハーンに無事到着。
冒険とイランの旅の終わり イスファハーンに到着
イスファハーンに到着。砂漠の中を歩き回っていたので、久しぶりに文明社会に戻ってきたようで、変な感じがします。ここで疲れ果てた私を迎えてくれたのは、マサウドファミリー。彼らのホスピタリティーに疲れた体も、どんどん癒されていきます。
翌日からはイスファハーンの観光です。イスファハーンという名前の由来は、7世紀にアラブ軍がイランに侵攻した際、現在のイスファハーンが軍隊の野営のために使われたことからのよう。
そんなイスファハーンは、16世紀末にサファヴィー朝の為政者アッバース1世によって、イランの首都に定められました。古くからの政治・文化・交通の拠点でありましたが、それ以来さらに急激な発展を遂げることになります。
首都として政治の中心地としての役割だけでなく、シルクロードの要衝に位置することからも世界中から物が集まる交易の中心地に、さらに文化、芸術の都としても発展しました。
当時、世界各地からイスファハーンを訪れた商人や人々からは、「イスファハーンには世界の半分がある」と評されるほど、都市は潤っていたそうです。
そのかつての繁栄の面影を強く残すのが、16世紀末から17世紀にかけてつくられた「イマーム広場」です。かつて(イラン革命前)はシャー(王)の広場と呼ばれていましたが、革命後の現在は「イマーム広場」と呼ばれています。
イマーム広場には、美しい庭園を中心にして、周囲には細かい青色のタイル装飾が美しいモスクやバザール、さらには手工芸品などを制作している工房が。地元の人と観光客とで毎日賑わっています。
広場のイスラム建築が建ち並ぶ壮大な光景は、息を呑むほど美しいのですが、ゆっくりできるようにベンチなども設けられていて、地元民の憩いの場としても使用されているようでした。
個人的に好きだったのが、全長300mあるスィーオセ・ポルでした。この橋は全部で33のアーチがあり、この橋の名前はペルシャ語で33のアーチを意味します。
この橋は歩行者専用となっているので、橋上から川を眺めたり、のんびりとした時間を過ごすことができます。ちなみに33個もあるアーチのすぐ下は、気持ちの良い休憩場所であるよう。
今回のイランの旅はこのイスファハーンで最後に。イランでは本当に数え切れないほどの人々にお世話になって、すごく旅しやすい国でした。またあなたたちに出会いに戻ってきます。ありがとうイラン。
おわりに
イスファハーンを離れた後、タブリズから北に進み、アルメニアに入国しました。ここでイスラムの国から、キリスト教の国へ変わります。いざ、アルメニア。
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