[アンゴラ] クネネ地方への旅 少数民族が集まる街オンコクア

暑い…暑い…乾燥した大地だ。

高原地帯に位置するルバンゴから、南方に向かうにつれて、さらに体感温度が増してくる。

周囲の風景は砂地で、地図に川の表記があっても水の流れはなく、乾ききっている。そんなクネネ地方の旅。

クネネ地方南西部 少数民族が住む町オンコクアへ

慣れ親しんだルバンゴの街を離れ、アンゴラ旅の最後の目的地になるであろうクネネ地方へ向かう。

この地を旅した後は、次の国ナミビアへ。アンゴラ滞在の最後の日々。

この日のヒッチハイキングは特別だった。ある街でヒッチハイクの車を探していると、1台の車が止まる。

早速駆け寄って、車の中を覗いていると、金髪白人の女の子が「あなたが日本人でアンゴラをヒッチハイクで旅してる人!?」と、自分の事を知っている様子。

だが、必死に思い出してみるも私の記憶には彼女の姿は見当たらない。

「私もルアンダで、モハメドの所にカウチサーフィンで泊まっていたの。そこであなたの事を聞いたのよ!私の名前はマルティナよ」と。

あー!なるほど!そういうことか!アンゴラの首都であるルアンダで、私もカウチサーフィンでモハメドの家に一週間ほど泊めてもらっていた。共通の友人がいたのだ。

そして日本人でヒッチハイクでアンゴラを旅している人なんて、私一人だけだろうし…。

それにしても…女性一人でアンゴラをヒッチハイクしているなんて驚いた。彼女もクネネ地方に旅をするというので、一緒にクネネ地方目指してヒッチハイクすることに。

ほとんど一人で旅しているので、時には例え短期間でも誰かと旅を共にするのはいい。

女性と一緒にヒッチハイクすると、何だか車も簡単に止まってくれる気がする。

午後の16:00ぐらいまでヒッチハイクして、到着したのはカハマ。ルバンゴのあるウイラ地方から、クネネ地方に入ってすぐにある街だ。

お腹も空いたし、とりあえず遅い昼食でも食べようという話になり、地元住民に聞き込み開始。

小さいが病院や警察署もある街なので、街の中心部に食堂くらいあると思ったら、どうやら5kmほど離れた場所にしかないらしい。

そこまで歩きたくもないが、どこかで昼食をとらなければならない。

少し途方に暮れていると、通り過ぎたオバちゃんが「一体どうしたんだい?」と声をかけてくれた。

ブラジルに滞在していた事もあり、ポルトガル語堪能なマルティナ。事情をオバちゃんに説明すると、「そんなら家に泊まっていきな。食材を買って家で調理したらいいわ」と。

突然の招待にちょっと疑いの目を向けているマルティナ。まぁついていってみようと説得し、彼女の家へ。

家に招待してくれた女性の名前はフロレンシア。家族は別の土地に住んでいるらしく、彼女は自宅に一人で住んでいる。

民泊を経営していて、「今日はお客さんもいないから」と、ベッドが4つ並んだ部屋に案内してくれる。

シャワールームもあるしトイレもある。今日は野宿になる事を予想していたので、これは予想外に嬉しい!

その後一緒に夕食の食材を買いに行って、さて調理しなければと準備していると、フロレンシアが「私は昔コックとして働いていたのよ。あなた達は疲れているだろうから、そこに座ってなさい」と、一人で手際よく夕食の準備を進めていく。

ビールを片手に飲みながら、そしてトマトベースのソースにもビールを注ぐ。ソースにコクが出て美味しくなるという。

彼女は今年で63歳になるというが、めちゃくちゃエネルギーがあって元気だ。「あなた達は私の息子で娘よ」とまで言ってくれる。

ここまで親切にしてもらえるのはめちゃくちゃありがたいし、頂く親切は気持ちよく受け取らせてもらう。我々もビールを買ってきて、その日は3人で楽しく過ごした。

フロレンシアのお宅にお世話になった翌日。

私はカハマからオンコクアという150kmほど南西部にある辺境の土地を目指す。

アンゴラのビザがあと3日で切れてしまうというマルティナは一足先にナミビアへ。多分彼女にはナミビアでまた再会できるだろう。

私がオンコクアに向かう理由は、その地に住むという少数民族達に会いに行きたかったから。

ベンゲラでボランティアとして働いていた時に、ホストのクラウディアとルベンからオンコクアについて聞いたのだった。

彼らはカハマからオンコクアへ自家用車無しで行くのは難しいだろうと予想していたが、実際には乗合タクシーがあった。

片道2500クワンザ(450円ほど)で所有時間は3-4時間。悪くない。

その日中に到着したかったので、ヒッチハイクはせずに乗り合いバスに往路は乗せてもらう事にする。

70kmほど離れたオチンジャウという街までは、何と舗装されている道路。残りは舗装されていないが、道路の状態は悪くはない。

道中の景色は葉を落とした木々と砂地。かつては川であっただろう場所も乾ききって、丸みを帯びた石が虚しく転がっている。

まるで大地が雨期の訪れを待つように冬眠してしまったようだ。

きっと雨期には川も水で満たされ、緑豊かな大地に変貌するのだろう。

その証拠に井戸が設けられた場所では井戸の水位はかなり高く、豊富な地下水があるようだ。

牛や山羊を放牧している人々も見かけた。小さな集落も点在していて、ここで家畜を放牧しながら暮らしているのだと思う。

オンコクアに到着すると、辺境の地にある事を考えれば予想外に街だった。

市役所もあれば、立派と呼べる病院もあるし、警察署だって、ちいさな雑貨・食品店だってある。

電柱も道路沿いに並んでいて、夜の18:00以降は電力があるようだった。思ったよりも辺境の地じゃなかった。

ここでは事情を説明すると、警察署の空いた部屋にテントを張らせてもらえることができた。

食事も食材さえ買えば料理担当の女性が私の分も調理してくれると。オンコクアにはレストランも無いので、これは助かる。

早速食材を買いに市場へ行くと、今までに見た事のない恰好をした人々がたくさん歩いている。

男性は皆それぞれが棒やナイフを腰にさし、女性は民族ごとに異なったスタイル。

こちらはムトゥア族の女性達。

ナミビアでヒンバ族として知られる女性たちと似たような格好をしている。

「オーカ」と呼ばれる赤鉄鉱を粉状にしたものとバターなどを混ぜたクリームを体に塗るため肌の色は赤茶色。

このクリームは保湿効果があるのはもちろんのこと、紫外線や虫などから肌を守る効果もある。

また特徴的なのが髪形。オーカに使う赤鉄鉱の粉や粘土質の土、牛糞を混ぜたもので髪を固めるのだとか。

後ろ髪の先に付いている、ふさっとしたの毛の束は牛の尻尾の毛を使う。

さらに体には様々なアクセサリーを身につける。

こちらは、マカオナ族の女性達。

ブラックピート(黒泥炭)とバターを混ぜて、黒く固めた髪の毛や色鮮やかな装飾品が特徴的。

こういった少数民族が普通に街中を歩き回っている不思議。まるで別世界に来たかのような錯覚さえ感じる。

彼らとコミュニケーションをとろうとトライしてみるのだが、女性や子供はポルトガル語をほとんど理解できない様子。

それに比べて男性はポルトガル語を話す人も多い。どうやら少数民族の女性や子供は学校で教育を受けていないようだった。

ちなみに彼らの母語は、ヘレロ族系の言語。ナミビアのヒンバ族もヘレロ系の言語を話し、アンゴラのクネネ地方南西部とナミビアの北西部地域は同列系の言語を話す。

ただ国境のせいで別の国に住んでるだけで、彼らは同様のバックグラウンドを持つ。

オンコクアで数日過ごしていると分かったのが、彼らは午前中は家事などの仕事をこなし、午後になると市場に集まってくる。

その目的は飲酒。特に夕方になると市場は各少数民族の酔っ払いでいっぱいになる。

まぁそれぐらいしか楽しみもなさそうだしね。

でも何となく彼らが民族衣装を着たまま、市場で酔っ払っている姿は見ていて不思議だった。

本当は彼らの村を訪れたり、もっと奥地にも行きたいのだけれど、自分の車があるわけでもないので、今回はここまで。

ちなみにオンコクアの周辺の景色はこんな感じ。このような景色の中に彼らは住んでいる。

日本から遠く離れたアンゴラの土地で、全く異なる常識や環境で暮らす人々がいる。

そんな彼らと少しでもコミュニケーションが取れたのが嬉しく思い、また世界の広さを思い知らされるのだった。

おわりに

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