ケープコーストを離れてやってきたのは、クマシという都市。
アクラに次いでガーナ第二の都市で、かつてのガーナ帝国の中心地、またその後のアシャンティ王国の首都でもあった土地。
一体どんな場所なのか、楽しみにしながらクマシへ向かう。
クマシ ガーナ第二の都市 かつてのアシャンティ王国の首都へ
ケープコーストを離れて、ガーナを少しずつ北上していく事にする。
コートジボワールでは主に沿岸部を旅していたので、ガーナでは内陸部を訪れることに決めたからだ。
ガーナでのヒッチハイクは簡単とは言えないけれど、最後の最後には何とかなって目的地に辿り着けている。
クマシまでは写真のジェイさんが車に乗せてくれただけでなく、何と夕食まで奢ってくれた。ガーナむかつく人も多い(今日もイミグレと喧嘩した)けれど、親切な人も同じくらい多い。
クマシに到着すると、カウチサーフィンで泊めてくれる予定のクワクと出会う。
ただ雨期の始まったクマシではちょうど大雨。土砂降りの中を歩いて、彼の家へ。
舗装されていない道路はすぐにベトベトになり、川のように水が流れている。
彼はクマシ郊外の6畳ほどの小さな部屋に住んでおり、トイレやシャワーも無し。
トイレに行くときは100mほど離れた公共のトイレへ、シャワーは通りの隅にあるブロック塀に囲まれた場所でお金を払って水をもらいバケツシャワー。
雨の中ぬかるんだ道を歩いて、わざわざトイレに行くのはさすがにめんどくさいが仕方がない。
ただこの地域に住んでいてトイレがない人はみんなこうらしい。初日はストレスだったけど、二日目からは少し慣れた。
彼もNGOを家族と経営しているのだが、彼自身はお金がない。結局滞在中は、私が彼に奢りで食べさせることに。ガーナのカウチサーフィンどうなってんねん(笑)
ここクマシには、西アフリカで最大の市場があるのだとか。どうりで超カオス。
市場を訪ねてみると、凄まじい人だかりとエネルギーに満ち溢れていた。
車のクラクションをBGMに、通りすがる人々とぶつかり合いながらしか歩けない。
市場の様子を上空から眺めると、下の写真のような感じ。
これでも市場のほんの一部にしか過ぎない…。
チャットGPTにクマシの歴史を尋ねてみると、
ガーナのクマシは、西アフリカの中心部に位置する町であり、かつてはガーナ帝国の首都でした。クマシは、15世紀後半から16世紀初頭にかけて、ガーナ帝国の王族によって建設されました。
クマシは、アフリカの歴史において重要な役割を果たしてきました。19世紀初頭、イギリスは、ガーナに進出し、クマシを占領しました。その後、クマシは、イギリスの植民地支配下に置かれ、ガーナはイギリスの植民地となりました。
しかし、クマシはガーナの独立後も重要な役割を果たし続けています。現在でも、クマシは、ガーナの文化的中心地であり、アフリカの歴史や文化について学ぶことができる多くの博物館や歴史的な建物が残っています。
クマシには、アフリカの伝統的な文化や芸術、音楽、ダンスなどが豊富にあります。また、クマシは、カカオやコーヒーなどの農産物が栽培される地域でもあります。
クマシは、ガーナの歴史や文化を知る上で重要な場所であり、多くの観光客や研究者が訪れています。
チャットGPTより
文化の中心と言われても、正直あの市場の騒々しさしか印象に残っていないクマシ…。
それでもクマシにあるアシャンティ王国の王族が住んでいた宮殿は訪れることができた。
アシャンティ王国とは、
アシャンティ王国は、現在のガーナに存在した王国で、17世紀に建国されました。アシャンティ王国は、18世紀から19世紀にかけて、黄金海岸を支配し、ガーナの中心部にあるクマシを首都としていました。アシャンティ王国は、奴隷貿易の時代には大きな力を持っていましたが、19世紀後半にイギリスによって征服され、保護領となりました。
アフリカ各地で奴隷貿易が行われていた時代において、アシャンティ王国は、西アフリカの内陸地域に位置しており、奴隷商人たちが通るルートの中継地点に位置していました。そのため、アシャンティ王国は、奴隷貿易において中心的な役割を果たしていました。
アシャンティ王国は、捕らえられた敵対勢力や犯罪者、債務者、あるいは家族から離された子供たちを奴隷として売買することがありました。また、アフリカの内陸地域に存在するアシャンティ王国は、沿岸部のヨーロッパ人商人たちと協力して、沿岸部にいる奴隷商人たちから奴隷を仕入れていました。ただし、アシャンティ王国が奴隷貿易に関与していたことは、アフリカの多くの地域に共通することであり、同時代に存在した他の王国も同様に奴隷貿易に関与していたことが知られています。
しかし、アシャンティ王国は、奴隷貿易以外にも、金や象牙、奴隷以外の商品を交易していました。また、アシャンティ王国は、アフリカの伝統的な文化や芸術、音楽、ダンス、建築物など、多くの文化的財産を持っていることでも知られています。
チャットGPTより
現在、アシャンティ王国は、ガーナの憲法によって法的に認められています。ただし、アシャンティ王国は、政治的な権力を持っているわけではなく、ガーナ共和国が主権を持つ単一の国家です。
アシャンティ王国は、歴史的な王国であり、現在でもアシャンティ族の文化や伝統を守り続けています。アシャンティ王国には、アシャンティ王族によって運営される宮廷があり、アシャンティ族の文化や伝統を維持するための活動が行われています。また、アシャンティ王国には、アシャンティ王国議会と呼ばれる組織があり、アシャンティ王国の経済的・社会的・文化的発展を促進するための活動が行われています。
ただし、現代のガーナにおいては、伝統的な王国の権威は、憲法に基づく法的な枠組みの中で認められているものの、政治的・行政的な権限は中央政府が持っています。アシャンティ王国の王族は、ガーナ政府によって任命される地方行政の役職を担うことがありますが、これは伝統的な慣習に基づくものであり、法的な権限を持っているわけではありません。
チャットGPTより
現在も王国がガーナの法律によって認められているというのが興味深い。
そのため、ここクマシには王族御用達のお店が何軒も存在し、王族が身につける様々な装飾品などが販売されているのです。
現在も王族はクマシ周辺だけでなく、ガーナ各地に散らばって暮らしているという。
アシャンティ王国に少し興味が出てきた私は、アシャンティ王国時代の伝統的な建築物として、ユネスコに登録されているアシャンティの伝統的建築物群を訪ねてみることに。
茅葺の屋根、木材や竹、土壁で建設され、壁に施されたレリーフも印象的。これらの建築物は伝統宗教の神社であったようで、様々な儀式が行われてきたのだとか。
アシャンティ王国の人々は、神々や祖先を崇拝し、神々や祖先の力を借りて生活することを信じていました。
様々な宗教儀式が行われていたようで、例えば、収穫や漁業の成功を祈願する儀式や、新年の祝いをする儀式、戦士たちの勇気を高めるための儀式などがあった。
これらの儀式は、アシャンティ王国の人々にとって、生活の重要な一部であり、今でもアシャンティ地方で受け継がれているのだという。
アフリカが植民地化され欧米化が進む以前に残っていた伝統宗教や文化。
ここクマシにもアシャンティ王国が存在していた(現在も法律上は存在する)。
日本の江戸時代もだけれど、もしタイムトラベルができるようになれば、ぜひとも訪ねてみたい。
クマシ滞在で最後に尋ねたのは、クマシ近郊にあるボスムトゥイ湖。
周囲約8キロメートルの美しいクレーター湖であり、湖周辺の村々では人々が生活を営んでいる。
前述のアシャンティ王国の伝統建築群と、ボスムトゥイ湖は近くにあるので、一日でヒッチハイクしながら全て訪れることができた。
アシャンティ王国の人々はこの湖を神聖な湖と考えていたそうで、神話が残されている。
ボスムトゥイ湖には、アシャンティ王国の伝統的な神話が残されています。その中で最も有名なのが、「アニャンクロポン(Ankrahmun)」と呼ばれる神話です。
アニャンクロポンは、ボスムトゥイ湖に住むとされる神で、湖の守護神とされています。神話によると、アニャンクロポンは美しい女神と結婚し、彼女との間に多くの子供をもうけました。
ある日、アニャンクロポンは湖畔で小魚を捕まえていると、美しい女性が現れ、自分の子供たちを抱えているところを見せました。しかし、その女性は実は魔法使いであり、アニャンクロポンを呪い、彼を湖に沈めてしまったと言われています。
その後、アシャンティの人々は、湖に生息する魚や動物を神聖なものとして扱い、湖をアニャンクロポンの住まいとして崇拝するようになりました。また、アニャンクロポンに捧げる儀式や祭りが行われるようになり、現在でもその伝統は受け継がれています。
チャットGPTより
湖畔を歩いていると、子供達も湖にまつわる神話を教えてくれる。ただチャットGPTが教えてくれたのとは、ちょっと違う神話であったような。
私が訪れたのは週末だったので、湖畔では多くの人がピクニックや湖水浴などを楽しんでいた。
クマシの喧騒から逃れられる、素晴らしく美しい場所。
こんな場所で数日間キャンプするのもいいよなー。雨期じゃなければ。
さて湖でリフレッシュした後は、クマシの滞在先の小さな部屋へ帰りを急ぐ。
私のカウチサーフィンのホストがお腹を空かせて待っているのだから。
おわりに
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