[ポルトガル] 首都リスボンとアレンテージョ地方滞在、そしてスペインのアンダルシアへ

シェンゲン協定ギリギリの3ヵ月まで滞在したヨーロッパ。

最後の3週間で、ヨーロッパの南西部をリスボンからジブラルタル海峡に向けて移動していく。

ポルトガルのリスボン→アレンテージョ地方、そしてスペインのアンダルシアへ。

陸路での旅は続く。

ポルトガルの首都リスボン

コインブラの次なる目的地は、ポルトガルの首都リスボン。

コインブラ近郊の小さな村でホストしてくれていたバルターが、20kmほど離れたガソリンスタンドまで送ってくれて、そこからヒッチハイク開始。

だが…高速道路の入り口の後ろで待っていても、全く誰も通らない。まさかの朝の10:00から15:30ごろまで一台も止まらないという…ポルトガル恐るべし。

ならばとガソリンスタンドに戻り、別のルートでヒッチハイクを試みる。すると、一人の男性が声をかけてくれ、そこからガソリンスタンドで直接お願いしながら移動していくことに。

日が暮れようとしてきた18:30、最後に奇跡のようにリスボンに行くアンドレアが、わざわざ車で一度通り過ぎた道を戻ってきて、車に乗せてくれた。まさに女神様のような存在に見えた。

そんな一苦労もありながらリスボンに到着。ここでカウチサーフィンで家に泊めてくれていたのは、スコットランド出身のヘンリー。

彼は映画や音楽、サッカー好きのオタクのような人だった。好きな事になると話すのが止まらない。

日本映画も音楽も良く知っているし、サッカー選手まで知ってる面白い人だった。

彼とは夕方に彼の友人も含めて映画鑑賞しながら過ごしていたのだけれど、それ以外の時間はリスボンの街を散策。

街を歩く時に少しでもその歴史を知っていると楽しいので、ここで簡単に振り返る。

リスボンに紀元前から最初に住んでいたのはフェニキア人。

この頃から海すでに上交易の拠点として栄え、紀元前3世紀にはローマ帝国が、8世紀以降はイスラム勢力が街を統治。

12世紀の中ごろに400年も続いたムーア人の支配から街を解放したのが、ポルトガルの初代国王アフォンソ・エンリケスで、レコンキスタの一環でリスボンの包囲と再征服を行った。

その後に訪れた大航海時代に最も栄えて栄華を極めたポルトガル。

喜望峰を通ってインド大陸を発見したバスコ・ダ・ガマ、世界一周を指揮したフェルディナンド・マゼラン、アメリカ新大陸を発見したクリストファー・コロンブスなどが、この地から新たな世界を求めて旅立っていった。

16世紀はリスボンの黄金期で、リスボンの街は航海で獲得した豊富な香辛料や奴隷、砂糖、織物、ほかのさまざまな商品により、ヨーロッパとアフリカ、インド、極東、のちにはブラジル植民地との交易の中心であった。

その後1755年リスボンを襲ったのは大地震。リスボンではテージョ川の水は津波となって町に押し寄せ、地震の直後に起きた火事は六日間都心部を焼き尽くしたのだとか。

そのためリスボンの旧市街の大部分は、その後ポンバル侯爵の都市計画により建設された。

しかしながらリスボン大地震で大きな被害を受けず、今でも昔ながらの街並みが残されているのが「アルファマ地区」です。

アルファマ地区の街並みは、イスラム時代に整備されたもので、入り組んだ細い路地が特徴。

洗濯物が外に干されていたり、子供が家の前で遊んでいたりと、そこに暮らす人々の生活が垣間見れるのも魅力。

アルファマ地区の一番高い丘の上にそびえ立っているのが「サンジョルジェ城」です。

その起源は古代ローマ時代に始まり、現在のような頑強な要塞のスタイルを確立したのは、9世紀頃のイスラム時代。

頂上からの景色も見事なもの。

アルファマ地区を散歩していると見かけたのが美味しそうなエッグタルト。ポルトガルでは有名な「パステル・デ・ナタ」と呼ばれる定番スイーツ。

パリパリのパイ生地に濃厚なカスタードクリームがたっぷり入って、毎朝食べたくなるほど美味。

アラファマ地区からもう少し足を伸ばして訪れたのがサンタ・エングラシア教会。

ここは国立のパンテオン(霊廟)に指定され、ポルトガルの著名な人物が葬られている。

それだけでなく、階段を登っていった教会の上部からは美しい景色を眺めることができる。

このように美しいリスボンですが、土地や物価の高騰でリスボンの中心地に住んでいた地元の人々は、もう中心部には住めなくなってきているという。

現在中心部に住んでいる人は一部のお金持ちや外国人で、地元の人は郊外から時間をかけてリスボンの中心部へ通勤しているのだそう。

私は実質1日しかリスボンを観光できる時間がなくて、本当に中心部しか歩き回れなかったのですが、他にも見所がたくさんあるリスボン。

またいつか戻ってきたい。

ポルトガルのアレンテージョ地方南西部へ滞在

リスボンの後にやってきたのは、ポルトガルのアレンテージョ地方。

ポルトガルの都会に滞在した後は、田舎に滞在してみたかったのと、ワークアウェイで面白そうな機会を見つけたから。

面白そうな機会とは日本人のマサさんと、スペイン人のイサベル夫婦、そして3人の子供達の家庭でボランティアできることになったこと。

マサさんはプロの指圧マッサージ士、そして自家製の醤油と味噌を販売、イサベルはホテルの部屋の掃除などをしながらポルトガルの田舎で3人の子供を育てながら生計を立てている。

彼らの家にはオーガニックファームもあり、自家製の漬物を作ったり、ワインも作ったりと羨ましい生活をしている。

こうして旅をしながら、十人十色の生活をする人々に出会えるのは興味深く、自分の将来の血肉になっていく。

この地方では特に海外からの移住者で、自給自足の田舎暮らしを楽しみに移住してきた人々がたくさん住んでいるようだった。

各地にヒッピコミュニティーのような場所も多数あり、滞在中に彼らのイベントを訪れることもできた。

敷地内はレインボーな人々による、自由なフェスティバルのような雰囲気。

会場内には彼らのハンドメイドの衣服や、オーガニック素材で調理された料理、ヴィーガン料理、ステージではディジェリドゥの軽快なトランス音楽に合わせて踊る人々。

こういった場所に遊びに来ると、世界の常識や慣習に縛られない生き方や考え方に触れることができる。

そして当たり前のことなんだけれど、大抵何でも知識と技術さえあれば何でも作れちゃうんだなぁと。衣服でもジュエリーでも、自分の住む家でも食物も味噌も醤油も。

忘れがちだけれど…。

休日にマサさん家族に電動自転車を貸してもらい、周辺の美しい風景の中をサイクリングしてみた。

赤土に覆われた、乾燥した大地。

木の幹を剥がれたコルクの木、巨大に育ったユーカリプトの木々が目立つ。

それにしても電動自転車は楽だ。坂道でも電動の助けを借りて無理せず快適に走行できる。

おかげさまで羊が放牧されていたり、古くなり取り残された家屋があるようなポルトガルの田舎の風景をのんびりと楽しめた。

といっても電動自転車で時速70kmも出るのには驚いたけれど。

もう少し長く滞在したかったけれど、シェンゲンビザの有効期限が切れる前にEU圏から出国しなければならなかったので、10日間ほどしか滞在できず。

別れ際に頂いた自家製の味噌1kg。各国で味噌を使った日本料理を振る舞いながら旅を続けている。

ヴィセンティーナ海岸自然公園をトレッキング

アレンテージョ地方に行ってみたかったのが、ヨーロッパでも随一の美しさと呼ばれる海辺であるヴィセンティーナ海岸。

ここは海岸線沿いを歩けるトレイルもあるようで、1泊2日でテントを担ぎながら海岸沿いに歩いてみることにした。

歩いたのはオデセイシュ(Odecixe)からアルジェズル(Aljezur)を経由して、カラパテイラ(Carrapateira)のアマドビーチまでの約45kmほどの距離。

この辺りのビーチは切り立った崖の下にビーチがあるので、崖を登ったり下ったりの繰り返しで、なかなか歩き応えのあるトレイルでした。

私は公式のトレイルを無視してできるだけ海岸沿いに歩いていったので、時折トレイルも明確ではありませんでしたが、GPSと勘を頼りに何とか。

最初の1日はオデセイシュ(Odecixe)にあるビーチから、モンテ・クレリゴ(Monte Clerigo)からもう少し南に歩いたCoelha(コエルハ)ビーチでテント泊。

本当はテント泊は禁止されてるのですが、10月に入ってオフシーズンであり、かなりの距離を歩かないと辿り着けない場所であった事から、問題なくテント泊できました。

トレッキングを開始したオデセイシュのビーチは波も大きくなく、家族に人気のビーチ。この時期でも海水浴を楽しむ人々の姿も。

そこから崖を登っていき、丘の上へ。

崖の上の土地はさらさらとした砂の大地に、いかにも乾燥に強そうな植物と低木が育つ。

そんな景観の中を大西洋を眺めながら歩く。

大西洋に面した海岸線沿いは荒々しい。

激しい風雨によって削られた、奇岩が絶景を生み出している。

そこにポツンと点在する砂浜は、まさにシークレットビーチ。

海辺の反対側も植生に覆われた自然保護区。リゾートなども開発されていない自然の状態。

海岸沿いなので谷が多く、そのたびに登って下っての繰り返しが体に堪える。

下の写真のように、谷を下っては登る。景色が美しいのが幸いだ。

ヴィセンティーナ海岸は、波が大きなことでも有名で世界各国からサーファーが集まる。

大きな波が岩しぶきをあげる音を聞きながら歩くのは、何だか世界の果てを歩いているような気分にもなる。

崖の上から海釣りを楽しむ人も、たまに見かけた。

おそらく初日に歩いたのは20kmほどだったと思うけれど、8時間ぐらいかかった。

崖を登って下っての繰り返しだったからだろう。

時折ネイキッドビーチがあって、裸になって海水浴や日光浴を楽しんでいる人々も。

その隣をでっかいバックパックを背負ってトレッキングしているオレ(笑)

アルジェズール付近のアモレイラビーチでは、引き潮の時間だったので、膝上ぐらいの水量だった川を靴を脱いで渡る。

海辺沿いの河口付近で、川が深くない所を地元の人に教えてもらい、大分距離を節約できた。

日が暮れるころには、Coelha(コエルハ)ビーチ付近の崖の上で、景色のきれいなテントの張れそうな場所を発見。

テントを張り、夕食を食べ、夕日を眺めながらのリラックスタイム。

テント泊でしか味わえない贅沢な時間。

2日目の朝は、予想だにしていなかった霧深い朝で始まった。

テントも霧のおかげでビショビショ。景色も見えない。

とりあえずビショビショのままテントを片付けて、最寄りの街へ朝ごはんと、本日の昼食を確保しに行く。

最寄りの街は、Vale de Telhaという小さな団地のような場所だったけれど、スーパーマーケットがあって、そこでコーヒーとエッグタルト(パステル・デ・ナタ)を朝食に。

朝食を食べた後は、再び海辺まで歩き海岸沿いのトレッキングを開始した。

早朝から続く霧はまだ完全に晴れないけれど、こんな雰囲気も味があっていい。

この天気のおかげで、昨日と違い今日は炎天下の中を歩かずに済みそうだ。

海辺といっても、石で覆われたビーチや砂浜など様々。

砂浜を歩く時は靴を脱いで、裸足で歩いていくのが最高に気持ちよい。

途中海辺沿いを歩くのをやめて、少し陸側を歩くことにしてみた。

赤土の大地、白壁でオレンジ色の屋根、広大な開墾地はアレンテージョ地方でよく見かける光景。

そこからまた海辺の道へ戻ると、大地は砂地に戻る。

そして再びどこまでも続くかのように思える海岸沿いを歩いていく。

ボルデイラビーチを越えたあたりから、また海辺の景色が一変する。

突如として赤みを帯びた奇岩だらけの海岸沿いになるのだ。

ヴィセンティーナ海岸自然公園。1泊2日で歩いただけだけど、こうしてバラエティに富んだ風景を楽しむことができた。

車で各ビーチを訪れることもできるけれど、自分の足で歩くと感じ方が違うし、トレッキングでしか訪れることのできないビーチもある。

2日目の午後5:00。ついに今回のゴールであるアマドビーチが見えてきた。

海岸線はヨーロッパ最南西端のヴィセンテ灯台まで続くのだけど、今回はここまで。

ポルトガルの海を満喫できたトレッキングだった。

4年ぶりにスペインのアンダルシア地方へ セビージャとロンダ

ポルトガルのアレンテージョ地方を離れ、ヨーロッパからアフリカ大陸のモロッコへ渡るために、スペインのアンダルシア地方へ。

アンダルシアへは2018年にも訪れたことがあり、今回は4年ぶりの再訪となる。

ポルトガルの最終日には、ヒッチハイクで知り合ったマルティン一家も訪問。

マルティンはスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラからポルトガルまで、ヒッチハイクで乗せてくれた方で、「ポルトガルの南部に住んでるから、是非とも遊びに来てよ!」と誘われていたのだ。

彼らの家に1泊させてもらった後は、スペインのセビージャへ数日間滞在。

セビージャは初めての訪問で、フラメンコショーを見に行ったり、美しい建築物が建ち並ぶ旧市街を歩き回ったり。

かつてアンダルシア王国の中心都市で、その後は港湾都市として貿易で莫大な富が集まったセビージャ。

街を歩いていると、そんな時代の流れを感じることができる。

セビージャの後に訪れたのはロンダ。

2018年に訪れてからの再訪だったので、懐かしい気分になりました。

4年前に訪れた時も感動したけれど、相変わらずロンダは美しかった。

新市街と旧市街をつなぐ橋、アンダルシア地方らしい白壁にオレンジ色の屋根の建物。

山に囲まれた風景。

こじんまりとしたロンダの街の雰囲気が好きで、また来てしまった。

前回お世話になったルシアには今回出会えなかったけれど、またどこかで再会できることを願う。

ロンダを訪れた後は、これまた4年前にお世話になったガウシン村のジョセフの家へ。

4年も経ったので色々と変わっていたけれど、変わらずに懐かしい友人に出会えたのは嬉しかった。

短い間だったけれど、また出会えると信じて。

そしてこの後アルへシラスからジブラルタル海峡を船で越え、アフリカ大陸のモロッコへ。

また旅の次の一章が始まる。

おわりに

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