2ヵ月間滞在したアスワンを去り、次の目的地は紅海。世界でも有数のダイビングスポットとして名高いこの地域は、透き通るような海とカラフルなサンゴ礁で彩られる。
エジプトの北海岸、西部砂漠のオアシス、ナイル川流域を旅してきたわけですが、続いてはこの紅海沿いを南から北へ縦断する旅をしてみることにしたのでした。
美しい珊瑚礁をシュノーケリング 静かな観光地マルサ・アラム
アスワンからエドフォを経由して、ヒッチハイクでマルサ・アラムへ。エドフォまではトラックなどを乗り継いで順調に辿り着いたのですが、エドフォからマルサ・アラムまでが難関だった。
少しずつ車を乗り継ぎ全力で挑戦するも、マルサ・アラムまで行く車が見つからない。
結局3時間ぐらい粘った後に悔しいけれどあきらめることにし、ミニバスでマルサ・アラムまで向かうことに。
スペイン以来、久しぶりのヒッチハイク断念。まぁ、ミニバスの乗れただけでも幸運だったと思うけれど。
ヒッチハイクで時間を無駄にした分だけ、マルサ・アラムに到着するのが大分夜遅くなってしまった。
23:00に到着したのだけれど、この時間まで待っていてくれたカウチサーファーのモハメドとゲストのタニアとマックスに感謝。
長い一日に到着した時には、もうクタクタでベッドに直行。
マルサ・アラムは、静かな環境が好きな旅行者のための観光地といった雰囲気の小さな街。
住人のほとんどは近郊の金鉱山で働く人々だそうで、カウチサーフィンでホストしてくれたモハメドも金鉱山関係で働いている。
朝の5時に家を出て、午後5時30分に帰ってくる忙しい生活にも関わらず、こうして旅人を受け入れてくれるのがありがたい。
さらに幸運だったのが、ゲストとして滞在していたロシア出身のタニアとマックスがダイビングについて詳しく、またシュノーケリングの装備も持っていた事。
そして彼らはレンタカーで旅しているので、シュノーケリングスポットまでの移動も何と楽だったか。
彼らのおかげでマルサ・アラム近郊の空想上の世界にあるかのような美しい海を満喫することができた。
遠浅の海が続くので、シュノーケリングするのにも、まずは浅瀬を泳いでいく。タニアのウェットスーツを貸してもらって、寒さ対策も万全。
海底にはウニや微毒をもった珊瑚などが存在するので、浅瀬といっても歩いていかずに、体を平らにして泳いでいった。
少しずつ海が深くなってきて、珊瑚礁が現れる。まるで海の楽園のよう。黄色や青、赤色などカラフルな珊瑚礁とそこを泳ぐ無数のカラフルな魚たち。
本当に竜宮城があるとしたら、ここに違いない。外から眺めているだけでも、あんなに美しいのに、内側にもこんなにも美しい世界を隠し持っているなんて。
防水のカメラを持っていないので、写真は撮れないけれど、あの素晴らしく美しい世界は脳裏にくっきりと焼き付いている。
シュノーケリングを楽しんだ後は、海岸線沿いを散歩。そして共に夕日を眺めた
偶然のはずなのに、何かに導かれるようにして彼らと出会い、こんなにも美しい時間を彼らと一緒に過ごせたことを幸せに感じる。
彼らのおかげでマルサ・アラムが、まだ訪れた事のないロシアが特別な場所になっていく。
スーダン国境近くの小さな港町 シャラティーン
マルサ・アラムから南へ250km。スーダンとの国境近くにシャラティーンという港町がある。
残念ながら現在はシャラティーンよりも南部地域は、軍の管理下に置かれており、観光客が訪れることはできなくなっている。
シャラティーンよりも南部のハラエブという地域が、写真をみると桃源郷のような美しさで訪れてみたかったのだけど、さすがに軍の監視をかいくぐって南部地域に行くことは難しいので、ここシャラティーンで我慢することにした。
外国からの観光客が、この街を訪れることも想定されていないようで、街の入り口で身分証明書を軍に預けなければならない事に。
ここでは美しいビーチにテントを張って、浜辺でキャンプだなんて思っていたけれど、当然そんな事はできるはずもなく、ホテルの敷地内にテントを張らせてもらえる事に。
身分証明書を預けている事もあって、あんまり長居をしたいとも思っていなかったので、シャラティーンに滞在したのは3日間のみ。
初日は到着した頃には、もう夕暮れだったのでテントを張って寝るだけ。
その分翌日は早起きして朝日を眺めに行った。海の遠くまで突き出た桟橋を歩いて。
穏やかな海に柔らかな光が広がっていき、ゆらゆらと揺れる心を映すかのような波だった。
桟橋から海を挟んで内陸部を眺めると、黄色い砂漠が広がり、その背後にはそびえる丘。
生命を感じる海と、閑散とした砂漠の対照的な風景が、心に何かを訴えかけてくるような気もする。
次第に明るくなってくると、シャラティーンの街を少し歩いてみることに。ちょうど港から街の中心に向かうピックアップトラックが通り過ぎたので、荷台に乗せてもらう。
公共交通機関の乏しいこういった街では、お互いに助け合って生活が成り立っているのは珍しい事ではない。
そして辺境の街に住む人々ほど、旅人に優しい人々が多いのも経験から言える事。
カフェではお茶を奢ってもらい、朝ごはんの屋台ではサンドイッチを無料で食べさせてもらえる。
街を歩き腹ごしらえをした後は、海辺をプラプラと散歩してみることにした。
相変わらず何もない砂漠を歩いていく。エジプトでは見慣れた風景。
残念ながら大量のごみが浜辺には流れ着いているけれど、海越しに眺める山の姿はきれいだ。
そして反対側には遠浅の美しい海が広がる。
そして誰もいない浜辺を歩く歩く歩く。
波の音と強く吹く風と。
ここの海辺で面白かったのは遠浅の海の中にポツンとあるマングローブの木。
まずエジプトでマングローブを見ることを予想していなかったのでビックリ。
そしてマングローブは群生しているようなイメージがあったけれど、ここでは海の真ん中にポツンと…。
何だか不思議で、力強い風景で、気がつけばこのマングローブの木に惹きつけられるように裸足で浅瀬を歩いていた。
ゆらゆらと揺れる浅瀬に、太陽光がきらびやかに反射する水面。
一歩一歩進むごとに、少しずつ心が洗われていくような感覚。
そんな特別なエネルギーが流れる場所だからこそ、このマングローブもこの地に根をはる事にしたのかもしれない。
楽園のような三日月形のマングローブビーチ クランビーチ
シャラティーンからマルサ・アラムに向かって再北上する途中、時間があれば寄ってみようと思っていた場所がある。
グーグルマップで見てみると、車道からそれほど離れておらず、海辺まで簡単に歩いて辿り着けそうなマングローブが群生するクラン・ビーチという場所。
幸運だったのはシャラティーンからマルサ・アラムに向かうバスに、軍の助けもあって無料で乗せてもらえたこと。
身分証明書を返してもらうのに時間がかかって、少し揉めたのだけれど、結局お世話になっている。たまに自分の小ささに申し訳なくなる(笑)
そんな幸運に助けられつつ、クラン・ビーチに到着したのは午後二時。
GPSで場所を確認しながら運転手にバスを止めて降ろしてもらえるように頼み、そこからバッグを背負ってしばらく歩くと、目の前に広がるのは三日月のように広がるマングローブの浜辺。
途中下車するのを面倒に思った事もあったけれど、降りた甲斐があったと思える景色。
飲み水を大量に持ってきていなかったので、キャンプしようか迷っていたのだけれど、近隣の住民に頼んで飲み水の目途がついたので、一泊だけテントを張ってキャンプすることにしてみた。
マングローブ林の間にすっぽりと空いた砂浜のスペースにテントを設置。ここなら強風からも守られている。
このクランビーチのユニークな所は、三日月形のビーチの内側が自然の防波堤に守られて、穏やかなマングローブ林の広がる浜辺になっていて、
三日月形の浜辺の外側、つまり海側にはゴツゴツと岩がちな珊瑚礁の広がる海に面した、二種類の浜辺が楽しめるところ。
絵に描いたような楽園の風景が、オレンジ色に染まる夕暮れ。
こんな自然の神秘を楽しむためにキャンプすることを決めた。
しかし夕日の写真を機嫌よく獲っていると、嫌な人影が丘の向こうから近寄ってくる。エジプトの軍服を身にまとった男。
「ここで何をしてるんだ?どこから来た?ここは軍の管理下で写真を撮る事も禁止されている。撮った写真は全て消せ。」
何とかSDカードを隠して誤魔化して、写真を消すことは逃れたものの、テント泊の許可はもらえず…。
もう午後の19:00で周囲も真っ暗に関わらず、今すぐにテントを片付けて出て行けと…。
結局、真っ暗闇の中で強制退去させられて、マルサ・アラムまでヒッチハイクで帰ることに。
マルサ・アラムに友人がいたから泊めてもらえたのが唯一の救いで、散々な経験だったけれど、今思えば笑える思い出。
チャーミングな旧市街がある港町 クセイル
マルサ・アラムを離れ、ヒッチハイクでトラックに乗せてもらって少しずつ北上していく。
次の目的地はクセイルという港町。
アスワンで出会ったアイルランド出身のフレッドの紹介で、彼の友人でダイビング・インストラクターのモハメド の家に泊めてもらえる事に。
モハメドは訪れるチャンスを逃さないように、瞬間瞬間を楽しもうと生きる愉快な男だった。
クセイルの街を歩いていて感じたのは、紅海沿岸部の街にあって、観光地っぽくないローカルな雰囲気があること。
お昼ご飯に立ち寄った魚料理のレストランでも、「料金はいいから」と、無料で魚を奢ってくれようとした店主がいたり。
こんなリゾート地っぽくない所が、クセイルの魅力の一つ。
もう一つの魅力は、沿岸部の旧市街にまだ当時の古い建物が残されている事かもしれない。
クセイルはその昔からアジアとの絹や香辛料などの貿易で重要な港であった。
船から降ろされた積荷は、ここからキャラバン隊によってナイル川流域に運ばれていった。
オスマン帝国時代に建てられてた建物には、最近まで人が住んでいたのだそうですが、この地域を離れる家族も増え続けているそう。
今ではほとんどの建物には誰も住んでおらず、見捨てられたような状況にあるのだとか。
旧市街をリノベーションしてきれいに整備すれば、観光地として化けるポテンシャルはありそうだけれど。
下の写真は古い建物をリノベートして、ホテルとして生まれ変わった建物で、他の古い建物も上手く活用できれば、素敵な旧市街になりそうなのに。
旧市街の中心にはオスマン帝国の支配時代に建設された城塞も残されている。
かつて貿易の中心地として、またはメッカへの巡礼の道としての要所であった証。
観光地されていないので、街の中心部にあるビーチでも地元の人がのびのびと暮らしている。
自由に散歩を楽しんだり、子供たちがサッカーを楽しんでいたり。
リゾート化が進んでしまった他の観光地での弊害は、こんな日常の楽しみも地元の人々から奪い去ってしまう事なのだろう。
現在は観光地がすすんでいないクセイルでも、徐々に観光地化されていく運命であると思う。
そうすれば、今私が目にしている光景も、徐々にどこかで見たことがあるようなリゾートタウンの風景に変わってしまうのだろう。
他のかつては本当の意味で素晴らしかった場所のように、その土地ならではの魅力を徐々に失っていくのかもしれない。
お金持ちのためのリゾート エルグウナ
クセイルに数日滞在した後に、立ち寄ったのはプライベートリゾートのエル・グウナという街。
街には、厳しく選ばれたヒルトンなどのハイクラスなリゾートホテルやレストラン、ブティック、ゴルフコースやインターナショナルスクールなどなど。
この街に滞在するには一泊数万円するホテルの予約が必要であり、街の入り口のセキュリティチェックで確認されるほどの徹底ぶり。
まさにお金持ちのためのリゾートである。
なぜ節約旅行をしている私が、こんな高級リゾートを訪れることになったのかというと、たまたまホストしてくれたカウチサーフィンのホストが、エル・グウナで建設関係のマネージャーとして働いていたから。
本当は家族以外は誰も自宅に招いてはいけないルールになっているのだけれど、特別に自宅に泊めてもらえる事になった。
この街を一日中歩いてにて感じたのは、すべてが整っていて清潔なんだけれど、あまりにも人工的な感じがすること。
ディズニーランドのように全てが人工的に作られた偽物に感じる。
大金を支払ってこんな場所に住みたい人や、休みの日を過ごしたい人がいるのだなぁ。
少なくとも私とは全く違う世界観をもった人々。
皮肉な事に、私が一番美しいと感じるのは手つかずの自然である事がほとんどだ。
嘘で固められたかのような完璧な街の中のレストランやカフェでは、人々が礼儀正しく食事や会話を楽しんでいる。
そこにはエジプトの他の街のようなお節介で世話好きな人々も騒ぎたてる子供達もいない別世界。
ほんの一日であの面倒くさくも懐かしい世界に帰りたくなった。
おわりに
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