ウィグル自治区では、一般的に皆がイメージする中国とは全く違う中央アジアの雰囲気をたっぷりと味わえる。
オアシス都市カシュガルでの滞在を終えて次は何処へ?
思い出したのはモンゴルのムルンで出会った、マレーシア出身の旅人Sitiから聞いていたカラクリ湖。ものすごくきれいな場所だと聞いていたので一度訪れてみたかったのです。
湖の麓でテントを張ってキャンプができるという事だったので、キャンプの用意を携帯し、ヒッチハイクでカラクリ湖目指して出発!今回の旅のルートはこちら、
カラクリ湖へヒッチハイク中に公安の車が止まって、どうなる?
カシュガルを朝早く出て、公共バスでヒッチハイクするために郊外へ辿り着く。ヒッチハイクするときのコツは街中ではなく、少しでも町の外れに行くこと。
郊外まで来る車は、そのまま遠くまで行く確率が、街中で走っている車よりも高いからです。
秋の終わりの冷たい風の中、ヒッチハイクのための大切な親指を手袋で保護しつつ、カラクリ湖方面に向けてヒッチハイクを開始。
カラクリ湖まではカシュガルから一本道。車を待つ場所を迷う必要はありません。
この道はパキスタンとの国境まで続く道。このような辺境の地へ向かう車の数も少ないので、長期戦を覚悟しながら待ちます。
勢いよく何台か車が通り過ぎた後、一台の車がスピードをゆるめて止まる。よりによって止まったのは中国公安の車。
「うわー何でよりによって公安が止まるんだー、ウィグル自治区は政治的にも複雑な地域なので嫌な予感。日本から来たらスパイだと疑われたらどうしよう。」と内心ビクビクしつつも笑顔でニコニコしながら挨拶。
私:「ハーイ!ニーハオ!(怪しいものではありません)」
公安(中国語で):「#%&#$‘!」「@|¥~=&&!?」
私:「カラクリ湖までヒッチハイクしているだけなんです。」
何を言っているのかまったく理解できないのでボディランゲージで会話していると、彼らは私を逮捕するためではなく、助けるためにわざわざ車を止めてくれた様子で一安心。
どうやらカラクリ湖までは直接行かないが、途中までは行くらしい。まさかパトカーが止まってヒッチハイカーをピックアップしてくれるなんて、夢にまで思っていなかったです。
やっぱり中国の人は良い人が多いなーと思いつつ、車で2時間ほど進んだ場所にあった警察署で停車。
私が感謝を述べてヒッチハイクを継続するために立ち去ろうとすると、
「警察署まで一緒に来なさい(ボディランゲージで)」と、どうやら警察署の中まで一緒に行かなければならない様子。
あれ?やっぱり逮捕される?パスポートの提示を要求されて没収。少し不安に思いながら、しばらく椅子に座って待っていると、
「お前腹が減っているか?昼飯を食べるぞ(ボディランゲージで)」と、なんと昼食を警察署内でおごってくれました。こんなことってありますか!?
でっかい羊肉がドンっとのった炊き込みご飯(ブロフ)とサラダとスイカだ。本当にありがとうございます。
そして昼食を食べた後は、何と目の前の検問所で止める車にカラクリ湖まで行くかわざわざ聞き始めてくださいました。
そして待つこと20分のみ。難なく二台目の車をゲット。
大学の研究チームの皆さんで、パキスタン国境近くに地層の研究をする予定の車に乗せてもらえることに。パミール高原の絶景を眺めながら、3時間後ぐらいにカラクリ湖に到着しました。
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パミール高原カラクリ湖に到着
カラクリ湖に到着したのは、夕方になってからでした。
湖からはムスタグ・アタ山(7546m)やコングール山(7649m)などの、ずっぽりと深く雪を抱いた7000m級の山々を見渡すことができます。
湖面の標高は3600m、湖の面積はそれほど大きくありませんが、パミール高原の山々に囲まれた景色は素晴らしすぎます。
夏のシーズン中は宿泊施設もあるようですが、10月下旬の当時はもう閉まっていました。テント持ってきて良かったー!
早速上記の写真のように湖のほとりにテントを張りましたが、風が強すぎてテントが飛ばされると困るので、実際は別の場所に移動させました。
湖の周囲ではヤクや羊、山羊などが放牧されています。
放牧されている山羊と背景の景色がかっこいいので写真を撮っていると、この地域に住むキルギス族のおばちゃんがやってきて、
「ヤギを柵の中に入れるのを手伝ってくれないかい?」という感じのボディランゲージのジェスチャー。言葉は通じないけど、なんとなく通じ合える。
各国のファーム仕事で家畜の扱いに慣れている私は、任せなさいという感じで大声を出しながら山羊を後ろから脅かして柵内に閉じ込めるお手伝い。
ヤギが無事に柵内におさまると、気分を良くしたおばちゃんは笑顔で「今夜寝る所あるの?」と、ボディランゲージで家に招待してくれた様子。
ただただ今日はこの絶景の自然の中でテント泊がしたかったので丁重にお断りしてしまった。泊めてもらっても楽しかっただろうな。
別の男性にも話しかけられ家に招待していただいたので、カラコリ湖の周辺の家でホームステイ形式で泊めてもらうこともできそうですよ。
気温も夜になると、かなり冷え込むので(標高3600mですから)テントを張って泊まるバカは自分一人だけ。
こっちは極寒のモンゴルで生き残ってきたのだ!寝袋だって二つあるんだ!強がってもやっぱり少し寒かったですが、夜にこそっとテントから顔を出して見た星空は素晴らしかったです。
流れ星もたくさん見えました。
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カラコリ湖の周辺を散策
翌日は湖の周りを一周しながら、周辺にある丘に(丘と言っても標高4000m以上は確実にあります)に登ってみることに。
湖の周りには流れ込む川が無数にあり、湿地帯のようになっています。その中に浮島のようにある足場をみつけてはジャンプしながら、何とか目的の丘方向に進んでいく。
寒さのせいで川が凍り付いています。だがしかし周辺ではこれぐらいの寒さなんか関係なさそうに温かそうな長い毛をまとったヤクが草を食んでいます。
その後ろには巨大な山!旅していると本当にこれまでの想像を超える美しい景色に出会うことがあります。
欲深い私は7000m級の山々をもっとはっきりと見てみたかったので、とりあえず近くにある一番高い丘に登ることにしました。
まずトレッキングルートなんかないので、これまでの経験と直感を頼りに、丘に登りつつも湖を一周できる欲張りルートを見つけました。
丘の頂上に近づくほどものすごい強風で、ひどい時にはまともに立っていられずに、しゃがまなければならない程でした。それでも何とか頂上まで辿り着く頃には絶景が。
絶景を堪能した後は、今夜もここで一泊しようと思いながら下山したのですが、ちょうど湖の畔で3人の女性中国人旅行者と遭遇。
彼女たちはここよりさらに南のタシュクルガンに3週間も滞在していて、よほどその場所が気に入ったのか、かなり強くオススメしてくれました。
こんなタイミングで彼女たちに会うなんて、たぶんこれはタシュクルガンに行けという何者からか送られたサインなんだ!と即断して、テントと荷物を大急ぎで片付けヒッチハイクでタシュクルガンに向かう。
タシュクルガンへヒッチハイク また中国人に助けられる
カラクリ湖の絶景を眺めながらのんびりヒッチハイクしていると、一台のキャンパーバンが目の前で止まり、そこには元気の良い5人の若い中国人トラベラーが。
「ヒッチハイクしてるの?ちょっとぎゅうぎゅうだけどスペース作るから待ってて。」
ドライバーとその彼女は一緒に中国を3ヶ月間車で旅行しているらしい。他の3人とはカシュガルで出会って意気投合し、そのまま一緒に旅行しているみたい。
本当にこの出会いは自分にとって奇跡的で、出会ってくれた彼らに感謝です。出会ってから5日間もそのまま一緒に旅をしました。
そして2時間程のドライブで無事にタシュクルガンに到着。しかし彼らが言うには、普通の安宿に泊まるのは普通すぎでつまらないという事で、少し離れた場所にあるキャンプ場を探しに行くことに。よっ!これぞ旅人魂!
道に迷いながら、何とか目的の場所に辿り着いたよう。使わなくなったバスや列車を宿泊施設にリノベーションしたとてもユニークなキャンプ場。
「こんにちはー!誰かいますかー?」と尋ねるが、誰もいない様子。これはあきらめるしかないかなーと思っていましたが、
「念のため開けて中に侵入できる窓があるかどうか確認してみようぜ!」と悪い考えが皆の頭に浮かび、
すると何と!そのうち一箇所だけ開けることができる窓を発見してしまいました。そして今夜の宿となりました(笑)
*よい子の皆さんはマネをしないようにしましょう。
今夜の夕食はキャンプで中国火鍋にするという事で、食材やビール等も買って準備万端。
後ほど食材等に掛かった費用は全部割り勘にしようという事になりましたが、「あなたはゲストだから特別よ」と、結局最後に少額しか彼らは請求しませんでした。
中国人の人々のおもてなしには、このように何回も感動させられます。
その晩は食べて飲んで踊っての賑やかな夜でした。「日本の歌を歌ってくれよ!日本の踊りを踊ってくれよー!」という無茶ぶりにも酔っぱらった力にまかせて対応し、燃え尽きた後は窓から部屋に侵入して寝ました。
これまでも多少の常識外の事をしてきましたが、今まででの中でもなかなか奇抜な体験をしました。
そして翌朝9時ぐらいに目覚めて外にでると、何と守衛がウロウロしているではないか!危ない危ない。
早起きして荷物を早めにまとめて外に出ておいてよかった。危機一髪。
もしまだ部屋で寝ていたら、どうなっていたことか。
かなり脇汗びっしょりでしたが、冷静に「空いてるスペースでテント張って寝させてもらいましたー」と言って、早々にその場を立ち去りました。
まさか目の前のクソガキが、窓から侵入して寝ていたなんて思わないでしょう。すいませんでした。お世話になりました。
タシュクルガン近郊の村で結婚式に参加
タシュクルガンはタジク族の自治区であり、この地域に住むのはほとんどがタジク族の人々です。この町の人々は人懐っこくて、とても感じが良い場所でした。
この日はタシュクルガンからさらに南へ、パキスタン国境まで車で行こうとしましたが、外国人には許可証が発行されず断念。中国人でも3時間しかエリアに滞在することしか許可されませんでした。
その代わりにタシュクルガンから40kmほど離れた村で、結婚式があるとの情報を得てその村に向かいました。タジク族の結婚式には誰でも参加できるようです。
結婚式が行われる村には、午後12時ぐらいに到着しました。村の周辺は土色をしたとても乾いた土地で雪を抱いた山々がきれいに見えます。
「今日結婚式がある家はどちらですか?」と村人に尋ね、ピンク色の外壁をしたかわいらしい家を発見。
我々も何も無しで参加させてもらうのは気が引けたので、お菓子などを贈り物として持っていきました。
参加する際は何か贈り物を持っていくのがタジク族の結婚式でも礼儀だそうです。
家を訪ねるとまだ結婚式は始まっていませんでしたが、結婚するカップルの親戚の方が、「ようこそ結婚式に来てくださいました!」とニコニコしながらお茶やお菓子を出してくれました。
子供たちも我々に興味津々で、結婚式が始まるまでしばらく一緒に遊んだりし。
お祝いの食事の為に家の外では羊や牛が解体されています。キッチンは残念ながら男子禁制のようで、見せてもらう事はできませんでしたが、女性たちがおいしそうな食事を手際よく料理していました。
タジク族の結婚式には音楽とダンスがつきものです。キーボードと電子音を組み合わせた軽快な音楽でみんな踊る踊る。手をくねくねさせて、輪になって。
もちろん自分も踊らされました。日が暮れてくると参加者全員に食べ物が振る舞われました。
何とありがたいことに、その日は結婚当事者の親戚の家に泊めていただける事に。
この人々の見ず知らずの人々に対するホスピタリティは本当に見習わなければなりません。
その家族の方々がすごくいい人達で結局2泊もさせてもらう事になりました。本当にありがとうございます。
ムスタグ・アタ氷河国立公園にて迷子
翌日は氷河をすぐ近くで見る事ができるという国立公園へと向かいました。
通常は入場料を支払う必要がありますが、「この村で先生をしていると言えば無料で入れるよ」とホストの家族からの情報も入手。
本当にこんなセコイのばっかりですいません。滞在先家族の子供3人も一緒に行きました。
無事に入り口に到着し、守衛に交渉するもどうやっても無料では入れないらしい。まあ何でもそんなにうまくいきませんよね。
しかし!ここであきらめないのが旅人魂。ここで引き返せば面白くないと意気投合し(本当に悪い奴らです)国立公園内へと入れる別の道を探すことに。
そして何と20分後見つかりました(何で見つかるんだろう?)。ガタガタの道なき道。4×4でしか行けないような凸凹で急斜面の悪路をキャンパーバンで登って行きます。
このキャンパーバンもただの車ではなく四輪駆動で、車体もかなり地面から高くなるように改造してあります。適当に「こっちの方角じゃない?」と目星をつけて、轍もない丘を登ったり下ったりしていきます。
この人達やっぱりネジが何本か外れています。それでも、エンジンが唸りをあげながら何とか奇跡的に正規の整備された道へ到達しました(何で??)。
そしてしばらく正規の道を走ると駐車場があり、そこからしばらく歩くと大迫力の氷河が待ち構えていました。
さて氷河を思う存分楽しんだ我々ですが、次は同じ道を帰らなければならない。ところが大体の道はわかりますが、誰一人として正確な道はわからない。
そりゃそうです。適当に奇跡的にここまで辿り着いたのですから。
迷いながら進んでいると前方に急斜面があり、車が横転の恐れもあるので立ち往生。バックで後ろに戻ろうとしたが坂が急で登り切れない。
結局車はコントロールし切れずに、大きな石がごつごつある谷へと降りてしまいました。車が自力で動けなくなり、石を動かしたりして何とか車を移動させようとするが、どんどん状況は悪化する一方。
結局この日は車をあきらめ山を降り、村までヒッチハイクで戻りました。
ビザの関係で、この日が自分にとって最後の滞在日。夕食はお世話になっている家族の為にみんなで料理する事に。ホスト家族とお酒を飲み、中華料理を食べ楽しい最後の夜でした。
おわりに
後日話を聞くと、村人の助けにより車は無事に救出できたようで良かったです。私は皆に別れを告げカシュガルへ戻りました。次は遂にキルギスタンに入国します。
旅の続きはこちら、
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