セルビアから国境を越え、ルーマニアに入国。ルーマニアでは主にトランシルバニア地方を旅して周りました。トランシルバニアはラテン語で「森の彼方にある国」という意味。
その名の通り、この地域には美しい山や谷、森に覆われている。そんな美しい自然風景に溶け込むように佇む、中世の香りが強く残る街並みや山間にある田舎の村を訪ねました。
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ルーマニア入国 トランシルバニア地方最初の街 ティミショアラへ
セルビアのベオグラードからヒッチハイクを開始し、ルーマニアのティミショアラへ。
セルビア側で車に乗せてくれたおじさんに「これでもつけていけ」と、彼のお気に入りのベルサーチの香水をシュッと別れ際にかけてもらい、国境を通過。
ティミショアラの街に到着し、カウチサーフィンでホストしてもらえるラブザン一家に電話したいが、まだルーマニアで使えるシムカードがない。
そこで近くにいた女性に携帯電話を貸してもらうために声をかけると、彼女は電話を貸してくれただけでなく、何と数分後には彼女の夫が登場。
ラブザン家の前まで行くバスが来る停留所までわざわざ車で乗せてくれた。何て親切な人々なんだろう。幸先のいいルーマニアの旅の始まり。
ティミショアラは緑が多くて、大きな公園があり、住みやすそうな町だなーという印象。旧市街にはハンガリー風の素敵な建物や教会等がありめっちゃきれい。
バルカン半島の国々でおなじみだった、オスマン帝国風の旧市街とはここでおさらば。
トランシルバニア地方の歴史は複雑です。その昔ローマ帝国が崩壊した後、ハンガリー王国、オスマン帝国、オーストリア=ハンガリー帝国の一部と時代に沿って支配国が変わったために、多様な民族、宗教生活が形成されることになりました。
その歴史の流れの中で9世紀ごろにはハンガリー人が強い影響を持つようになり、12世紀には東方植民の一環としてドイツ系のザクセン人が入植。さらにセルビア国境に近いティミショアラではセルビア人も住んでおり、現在でも他民族の地域となっています。
その多民族が混ざった感じは、トランシルバニア地方の街の旧市街の建築様式からも見ることができ、このティミショアラの街はハンガリー色の強い街だといわれています。
ティミショアラの中心街のど真ん中に位置するのがヴィクトリア広場、中世からティミショアラの中心の広場であったそう。
大聖堂とオペラ座が広場の端に構え、ハンガリー調の建物が並ぶ広場の中央には美しく花壇が手入れされており、季節によって様々な花が広場に彩りを添える。
このように花と緑に囲まれた美しい街並みがティミショアラの風景。
そしてハンガリー風の街並みが彩りを加える。ルーマニアの旧市街ってこんなに魅力的なんですね。訪れるまで想像したこともありませんでした。
ある広場では美しい中世の街並みの中で、青空マーケットが開かれていました。中世の時代も馬車が通ったりして、同じように賑わっていたのでしょうね。
旧市街を歩いていると見つけたのが、下の写真のような交通サイン。自転車専用道路はわかるけれど、一番右にあるのはローラースケートとスケボー専用ラインのサイン。
今までの人生で初めて見ました。
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絵本の中に迷い込んだらこんな感じ?美しい中世の街シビウ
ティミショアラの街を離れ、次はシビウという街へ向かう。ヒッチハイクを開始しようと思ったら、そこにはすでに地元民ヒッチハイカーが。
ライバルだからといって敵対心を持つわけでもなく話していると、ビスケットとお菓子を頂いた。金ないからヒッチハイクしてるのに、食べ物を分けてくれるなんて。なんていい人。
さらに車が止まると私のために行き先を尋ね、俺にその車を譲ってくれたー!なんていい人なんだー。つくづくこの世界はいい人で溢れていると実感する。
そんな親切を受けたにもかかわらず、車の中で我慢できずに居眠りしてしまった私を許してください。そんなこんなでシビウの街に到着。
東方植民の一環としてドイツ系のザクセン人がトランシルバニア地方各地に移民してきた12世紀。モンゴル帝国のタタール人やオスマン帝国の軍から守るため、彼らは自分たちの街を要塞化しました。
ここシビウの街も彼らが中心になって発展してきた街。トランシルバニア地方でも重要な街でした。
中世の佇まいを残すシビウの旧市街を歩いていると、馬車に乗った王子様やお姫様が登場する絵本に出てくる街にタイムスリップしたよう。
小さな街だけれど、絵になる風景がたくさん。歩き進めるごとに、どんな風景が待ち受けているか楽しみで、期待を裏切らない。
街の中心にある広場は、人々の憩いの場。旅行者も地元の人も混ざって散歩を楽しんでいます。地面から水が噴き出す噴水は子供たちのお気に入りのよう。
ちょうどシビウを訪れたタイミングで、陶器祭りが行われており、伝統的な陶器をみることができて幸運でした。日本ではなかなか見かけないデザインですよね。
トランシルバニア地方を旅するならシビウは外せない目的地でしょう。
中世の東西交易路 ザクセン商人の街ブラショフ
ブラショフの街の発展には、他のトランシルバニア地方の街と同じように、ドイツからこの地に植民したザクセン人が深く関わっています。
ブラショフのザクセン人たちはビジネスをすることに長けており、ブラショフの街がオスマン帝国と西欧とを結ぶ交易上の要衝であったことから、彼らはどんどん裕福になっていきました。
裕福になった事からザクセン人たちは次第に政治にも強い影響を与えるようになり、富を成した彼らが市内に好みの建築物を建設していったのです。
そのため旧市街の街並みからはドイツの雰囲気が残っています。旧市街の中心にある、街のシンボル「黒の教会」もゴシック様式。でかくて街のどこからでも目に入ります。
シビウの街に負けず劣らず、美しい中世の街並み。東ヨーロッパにもこのような美しい街がたくさんあるなんて想像もしていなかった。
その上に人々も親切だなんて。この街ではカウチサーフィンでセルジにお世話になっていました。
ラテン語で「森の彼方にある国」という意味のトランシルバニア。そんな名の通りブラショフは周囲の山々や森、自然と調和した中世の街並みがありました。
トランシルバニア地方の田舎を訪ねる そこはまさに「森の彼方の国にある楽園」だった
トランシルバニアへの旅の魅力。それは美しい中世の街を巡ることだけではありません。都市を離れ山間部に佇む村々を訪ねると、そこには昔ながらの伝統の生活が営まれています。
ブラショフから車で1時間ほど離れた山間部にあるマグラ(Magura)という村。ここで2週間ほどジョセフとアレクサンドラ親子の生活に混ぜてもらっていました。
滞在していたマグラ村の標高は1100m程。ホームステイ先の彼らの家には、牛が5匹、羊が4匹、鶏が2羽、犬が2匹、猫がたくさん。
こんな素晴らしい自然風景の中で、動物たちと共に暮らしていると「森の彼方にある国」という意味のラテン語からのトランシルバニアという名前の由来を、より感じられるような気がします。
特に朝日、夕日が大地を優しく照らすときの美しさといったら。
こんな風景の中で村人のほとんどは鶏、羊、牛などの家畜を所有して生活しています。毎朝、教会の鐘と共に牛や羊の鳴き声、チリンチリンと牛の首に着いたベルの音がのどかな風景に響きます。
食べ物も山で採れたキノコや庭で栽培されている野菜、自家製チーズが中心でした。今は世界中を旅しているけれど、心底こんな生活に憧れる。
「森の彼方にある楽園」での、美しくのどかな生活をありがとう。あなたたちは私の憧れです。
おわりに
トランシルバニア地方を旅した後は、モルドバへと入国。それはまた次回の記事で。
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