ルーマニアのモルダヴィア地方を経由して、モルドバに入国。もちろん訪れる前はモルドバの事なんか何も知らなかった。
私が中学生の頃に大ヒットした「恋のマイアヒ」という曲が、確かモルドバ出身のオゾンというグループだったというのが唯一のモルドバと私の接点だった。
「マイアヒ―、マイアフー」と頭の中で口ずさみながら、いざモルドバへ。
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モルドバ第二の都市バルティで小さな日本祭り開催
ルーマニアから国境を越えて、モルドバに入国。ローマ字表記に加えてキリル文字の表記も見かけるようになったのに気づく。
ヒッチハイクで乗せてもらった人に質問すると、モルドバの人はルーマニア語とロシア語の二か国語が話せるのが普通なのだとか。それはモルドバの成り立ちに由来する。
現在のモルドバがある地域は、14世紀頃からルーマニア人国家であったモルダヴィア公国に支配されていました。その後16世紀にオスマン帝国の支配下に入りますが、ルーマニア人貴族による自治は認められていました。
その後、露土戦争により1812年にロシアに割譲、第一次世界大戦後は再びルーマニア領になりますが、第二次世界大戦後にはソビエト連邦の領土に。
この間にソビエト連邦は、ロシア語の教育はもちろんの事、モルドバをルーマニアから切り離すために、ルーマニア語をただキリル文字にしただけの言語を作り、それをモルドバ語と呼んだのです。でも実際はモルドバ語=ルーマニア語です。
その後、1991年のソビエト連邦崩壊とともににモルドバ共和国として独立。
独立したのはいいのですが、モルドバ人という民族もモルドバ語という言語も存在せず、民族的はルーマニア人と同じ民族でモルドバ語=ルーマニア語。モルドバ国内の政治家の中にはルーマニアとの統合を主張する政治家もいるほど。
そんなモルドバで最初に訪れたのは、この国第二の都市バルティです。ここではセルゲイの家にカウチサーフィンで滞在させてもらう事に。
彼はバルティのユース世代(小学生~高校生世代)が放課後の余暇活動を過ごすユースセンターで働いていて、日本の文化を紹介してくれないかの事だったので、喜んで承諾。
承諾したのはいいものの、直前の事だったので何をしようかなーと軽くパニック。しかも2日間だって。セルゲイと話しながら、アイデアを考えてみる。
ずっと旅してるから日本から用意してきたものなんてないし、身近にあるもので。セルゲイによると、巻き寿司を作る材料はバルティ内のスーパーで買えるらしい。よし。1日目は巻き寿司づくり教室で。
学校が終わって午後3時ごろ子供たちが次々とユースセンターにやってくる。モルドバにバルティに、日本人はめったにやってこないだろうから、子供達だけでなく、大人たちもきた(笑)
日本食ってどんどん有名になってるんですね。「今日は寿司を作りまーす」と聞くと、寿司が何であるかを説明するまでもなく、子供から大人まで知っていて大喜び。
1日目を乗り切り、2日目。この日は日本の遊びを教えて、一緒に遊ぶことにした。出てきたアイデアは紙相撲と福笑い。段ボールと紙さえあればできるしね。
遊びをする前に、まずは子供達からのリクエストで一人一人の名前を日本語で書いたらどうなるかというのをやってみた。
ひらがなとカタカナと漢字をそれぞれに書くんだけど、その場で音に合わせて漢字を当てはめるのは難しい、「この漢字はどういう意味?」とか聞かれるから変な意味の漢字使えないし。
例えばロ―マという男の子の名前。頭の中から出てきた答えは「露馬」。「意味は?」と聞かれて、「ロシアの馬」と答えたら気に入ったのか爆笑。
続いては紙相撲大会。各子供達に好きな絵を描いて紙相撲を作り、ルールを説明してトーナメントを開催することに。
さっそく紙相撲をつくってもらい、
できたのがこちら。
めっちゃレベルが高いトトロが混じっている。モルドバの子供達も日本のアニメは知っていて、ドラゴンボール、ナルト、ワンピース、デスノート、進撃の巨人なんかは誰もが知っている。
こんなに遠いモルドバという国で。驚きですよね。
子供も大人も混じって紙相撲トーナメント。みんなギャーギャーいいながら賑やかに盛り上がってよかった。
続いては福笑いを紹介してみた。
一人一人挑戦するも顔のパーツがあちこち変な場所に行って、地味なゲームながらも笑いが絶えなかった。
子供達とこんな風に遊ぶのって楽しいですね。もっと色々準備できればよかったけれど、少ししか考える時間なかったので勘弁を。
本当に子供たちは可愛くて、「家に遊びに来て―泊まっていって―」と招待してくれる子供までいて。日本からの旅人の訪問を楽しんでくれていたのだったら、こっちも嬉しい。
バルティではセルゲイのおかげで、子供達のみだけでなく同世代の人々とも知り合えた。
太極拳の先生をしている人や、マッサージの先生などなど。ロシア語、ルーマニア語に加えて、彼らは英語も話せてのでコミュニケーションも問題なし。
バルティではなーんにも観光はしていないけれど、こうやって色んな人々と知り合って、彼らの事や暮らしを知る方がもっと楽しい。
ありがとうバルティ!モルドバでのかけがえのない経験を。
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田舎モルドバをのぞいてみる コブスカ・ノワでホームステイ
モルドバは平坦でもないのだが山がない。丘陵地帯とでもいうのだろうか。なだらかな丘がアップダウンしている。農業国らしく、農業用に切り開かれた殺風景な景色の中、ガタガタの道を首都のキシナウへ向かう。
キシナウではピョートルに家に泊めてもらい。お礼にお寿司を作ってご馳走。
首都のキシナウを訪れた後は、モルドバの田舎がみてみたいなーと思い。コブスカ・ノワに住むチョルバ一家に連絡をとってみる。彼らはカウチサーフィンに登録していて。快く家に招待してくれた。
チョルバ一家の誰もが明るくて、親切で、こんな見ず知らずの日本からの旅人を温かく迎えてくれた。美味しいモルドバ料理に、お父さん自家製のワインで。
あまり海外からの旅行者が多くないモルドバ。日本からの訪問客に出会うのを楽しみにしてくれていたそう。こちらもモルドバに住むあなた達にこうして出会えて最高に幸せ。ありがとう!
コブスカ・ノワの周囲の風景はこんな感じ。村の周囲には遠くまで見渡せる穀倉地帯が広がる。
村の中はのーんびりとした田舎の風景。村人は家畜を飼育しながら農業で生計を立てている。
あまり観光する場所はないモルドバですが、実はモルドバは知られざるワイン大国。土地と気候がワイン造りに適しており、5000年前からワインの製造が行われていたらしい。
さらに19世紀半ばごろには国際的な品評会で高評価を獲得。ヨーロッパ各国の王室で飲まれるようになった。現在でも高品質の割にコストパフォーマンス高いワインが飲めるのだとか。
そんなワイン大国モルドバ。チョルバ一家も自分たちの家のブドウ畑を持っています。収穫の時期だという事で、せっかくなのでブドウの収穫を手伝わせていただくことに。
家族みんなで働いて、こんなにブドウが取れました。家族で協力して手作業でブドウを収穫する風景。これは数百年ずっと変わらず続いてきた風景なんだろう。
その後収穫したブドウを大きな樽に入れて、ワインを作るために潰していく。
作業を終えた後、お父さんが「こうやって去年作ったのがこのワインだ!」といってボトルをあけて、みんなで乾杯。こうやって飾らずにワインが身近にある国なんだ。
モルドバでは観光地には訪れていないけれど、こうした美しいモルドバの人々とのふれあいが一番の思い出になった。
コブスカ・ノワでチョルバ一家に別れを告げた後は、ウクライナとの国境へヒッチハイクで。
ありがとうチョルバ一家。またいつか会えるかな。
おわりに
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