2-3週間滞在していたギニアビサウをついに離れる時。携帯やお金を盗まれたりと、残念な思い出もあるけれど、それ以上に楽しかった。
首都のビサウを離れ、ヒッチハイクで車とバイクを乗り継いでギニア国境を目指す。
ギニアビサウ東部の大きな街ガブの警察署で一泊(別に悪い事をしたわけではありません)。
ガブからギニア国境までの道のりは予想以上にデコボコで大変だった。
国境では事前にオンラインでビザを申請していた事もあり、何の問題もなくギニア入国。新しい旅の章が始まる。
ギニアの山岳地帯フータ・ジャロン地方の主要都市「ラべ」にて
ギニアビサウから国境を越えてギニアへと入国したのはいいが、何て閑散とした国境なんだろう。
ギニアビサウのガブという街と、ギニアとクンダラという街を結ぶ国境を越えたのだが、ギニア側の国境には移民局と数軒の民家しかない。
両替できるところもなければ、飯を食べれる場所もない。ギニアビサウ側で飯を食べておいてよかった…。
さてヒッチハイクでここまで辿り着いたので、国境からクンダラという街までの交通手段もない。
まぁしょうがないのでクンダラ方向に向かって、ヒッチハイクできることを期待しながら炎天下の中をとぼとぼと歩き出す。
1時間ほど歩いただろうか。後ろからバイクの音がして、頼んで後ろに乗っけてもらい10kmほど先にある村まで乗せてもらう。
だが、結局この日はクンダラまで到着できず。
疲れ果てたので道中にあった民家に頼んで、庭の大きな木の下でテントを張らせて一泊させてもらう事に。
両替ができておらず、ギニアの通貨も持ちあわせていないので、そのへんにあるマンゴーとカシューの果実を食べて飢えをしのぐという、極貧なギニアの旅の始まり。(たぶん民家に頼めば食べさせてくれたのだろうけど…)
泊めさせてもらった敷地内には、素晴らしいこの地方の伝統的な家屋が。
翌日ヒッチハイクが成功し、バイクの後ろに乗せてもらいクンダラの街へ。
だがしかし、街にある唯一の銀行のATMが機能しておらず、現地通貨を引き出せず…。
これは西アフリカではよくあることで、大きな街で現金を入手しておかなければ困ることになるという教訓になった。
結局街で両替商が見つかり、持ちあわせていた西アフリカセーファをギニアの現地通貨に換金。
その辺の屋台でさっそく朝食を食べて腹ごしらえするのだが、コミュニケーションをフランス語でしなければならないのが難しい。
ギニアビサウではポルトガル語が公用語で、人々はポルトガル語と現地語が混ざったクレオールを話すので、かなりスペイン語が通じて楽だったのだが。
ギニアでは現地のいくつかあるプーラ、マリンケ、スース―などの言語に加えて、フランス語が公用語とされている。
少しずつ勉強しているのですが、まだまだ聞き取るのも難しく、めちゃくちゃ片言のフランス語で奮闘中です。
腹ごしらえをした後は、カウチサーフィンのホストが待つラべの街までヒッチハイクを続ける。
国境付近の小さな街からのヒッチハイクなのでなかなか難しかったのですが、大げさに手を振りながら愛想をふりまいていると、牛を運ぶ大型トラックが親切にも止まってくれた。
道中で牛を積みながら、どれだけ時間かかるかわからないけれど、ラベまで行くらしい。
ここからラベまで200km。40km/毎時として5時間。昼休憩などで1時間30分。
今は15:00だから21:30-22:00ぐらいに到着かな。たぶん…。
と思っていたのが、甘い!!!
もちろん牛を積むのに時間がめっちゃかかる。ロクな設備もないから荷台に牛を乗せるために3人がかりとかで牛を後ろから押し上げてるし(笑)
すべての牛を積み終わったのは夕方の7:30。もう日が暮れてますけど…。
そしてついに出発し今日中にラべに着けばと思っていた矢先、なんと山道で数台前方を走っていたトラックが横転。
道を塞いで、先へ通れなくなるという。深夜だったので、道路脇でのテント泊。ビサウで強盗にあってからの数日間めっちゃタフな日が続いてるぜ…。
まぁ良い事も起これば、悪い事も起こる。想定内のことも起これば、想定外のことも起こる。自分にできるのは何が起きてもいいように精神的に準備して、起こった出来事に柔軟に対処していく事のみ。
さて、翌日になっても横転したトラックが道を塞いでいて、他の大型車両が通れない。
ここまで乗せてきてもらったトラックに別れを告げ、事故現場を徒歩で越えて歩きながらヒッチハイク。
そこからのヒッチハイクも簡単ではなかったのですが、無事に何とかラベのホスト宅へと到着。
いやはや大変な道のりであった。
さてゆっくり休んで、翌日からはやっとまともにギニアを観光できるように。
まず立ち寄ったのはラべの市場。
朝の7:00-8:00ぐらいになると、どこからともなく人々が集まり始め野菜を路上で販売し始める。
アフリカの市場らしくカラフルで活気があって、歩いていて楽しい。
ギニアビサウからギニアに来て変わったのが、イスラム教の方々が多く、市場でもスカーフで顔や髪を隠す女性が多くなったこと。
市場ではマンゴーやアボガドは、サイズや質にもよるけれど安くて一つ15円で買えてしまうので、ギニアに来てからよく食べている。
市場で楽しいのは食べ歩き。路上の屋台では70-150円で量も満足な、美味しい食事がとれる
この日の昼食は「ケケ」。「ケケ」は、キャッサバを粒状にして炊き、揚げ魚や玉ねぎ、ゆで卵、トマト、マヨネーズ、香辛料など、店によって異なるトッピングをかけて食べる料理。
これで8000フランだから110円ほど。キャッサバのパサパサした食感と魚の揚げ油が混ざったソースの組み合わせが美味い!
安価な屋台でも、現地の人は一人前を二人で分け合って食べていることもあり(一部の人々)、彼らの経済状況が伺える。
こちらは、現地の言葉でジャベレというタロイモ。
茹でたものを路上で売っていて、香辛料をお好みでつけたりして食べる。
現地の人に「健康にいいから!」と勧められて食べてます。
個人的に匂いは日本の納豆のようで、ネバネバしてるから納豆だと思って食べてる。
また、街歩きをしていて気づくのがギニアのコーヒー文化。
ギニアにはコーヒーを頻繁に飲む習慣があるようで、街の至る所にコーヒーを販売する小さなカフェがある。
地元の人が集まり会話を楽しんでいたりと、地域の人の憩いの場ともなっているようだ。
ラべは標高1100mに位置するフータ・ジャロン地方では比較的大きな街。
しかしまだまだ24時間の電力供給や水道の配備などもままならず、道は多くが未舗装で舗装してあっても大きな穴があったりとガタガタ。
きれいな飲み水を確保するためには、各地区にある井戸やタンクに、ポリタンクやバケツを持って人力で運ばなければならない。
子供や女性がそのような仕事をしているのをよく見かけるけれど、なかなかの重労働だ。それでも彼女らは重いバケツを頭にのせて平気な顔をして器用に歩いていく。
そんな状況に関わらず、地元の人々と話していると、「C’est Afirique!」と、自虐的ネタにして笑い飛ばして生きている。
ここで個人的に感じるのは、イメージするアフリカの貧しさよりも、それを笑い飛ばして楽しそうに生きる人々の明るさと逞しさだ。
さてさてラべだけでなくギニアという国では、車はとにかく荷物を積む、積む、積み上げる。
鶏だって、ヤギだって乗っけて括り付けて運んでしまう。
さらにその上には、移動手段として人が乗っていることも。
「俺も車の上に乗らしてくれ!」と頼むと、「お前はダメだ」と車内の座席に案内される。
あそこはヒッチハイク可能なのだろうか?彼らは料金を払っているのだろうか?まだ謎のまま。
先述したけれど、ギニアはイスラム教の信者が大多数の国。
ここラべの街の丘の上にも、街のシンボルともいえる300年の歴史がある大きなモスクがある。
午後の礼拝の時間にラべのモスクを訪ねてみると、たくさんの人々が祈りを捧げていた。
人々が祈りを捧げている姿を見ると、こちらまで神聖な気分になるから不思議だ。
ラべの街だけを散策していてももったいないので、せっかくだから西アフリカの国々の中でも山岳国なギニアの自然も満喫してきました。
ラべの位置するフータ・ジャロン地方は、雨期の降雨量が豊富で山岳地帯であることから、他の西アフリカの国々へ流れ出る川の水源地となっているそう。
ラベに滞在中に訪れたのは、そこから40kmほどの距離にある、サーラの滝(Les chutes de Saala)。
主要道路を離れてからは、かなりの悪路。
私はトラックとバイクをヒッチハイク、さらに最後の5kmを徒歩で歩いて辿り着いたのですが、ラべからバイクを手配すると、待ち時間含めて往復100,000ギニアフラン(1500円)ほどだそうです。
辿り着くまではバイクの後部座席でお尻が痛くなること間違いなしですが、その先には素晴らしい景色があります。
緑に覆われた切り立った渓谷と、そこに美しく流れ落ちるサーラの滝。
ここは滝の全景を眺めるための展望台。
二手に分かれるトレッキングルートのもう一方へ足を伸ばすと、滝となり流れ落ちる前のなだらかな川に辿り着きます。
私が訪れた時には地元の人々数人しかおらず、ほぼ独り占めで自然にできたプールで気持ちよく泳ぐことができました。
さらに嬉しいのが照りつける太陽のおかげで、体が乾くのが早い早い。
乾季に限ってかもしれないのですが、滝壺を眺められる場所まで川を下っていく事もできます。
途中には無数の小さな滝がたくさん。
それらから奏でられる水しぶきの音と木々がそよ風で揺れる音色が重なって、まるでオーケストラを聞きながら森林浴をしているよう。
滝の落下地点まで下ると、そこからも圧巻の景色。
ここから滝壺へ勢いよく流れ落ちていく様子を上から覗いていると、そこに吸い込まれそうな錯覚に陥る。
そして眼前に広がるのは広大なギニア高地の風景。
西アフリカに来て初めての山岳地帯でのトレッキング。
フータ・ジャロン地方に滞在中にできるだけ楽しみたいと思います。
標高1400mに位置する都市「マリ」を訪ねて
5日間ほど滞在したラベの街を離れやってきたのは、そこから北へ120kmほどの距離にあるマリという街。
バマコがある国のマリと混同しそうだが、ギニアの地方都市の名前である。
この街の標高は1400mほどにあり、セネガル国境ともそれほどの距離はない。
この街ではスレイマン一家にカウチサーフィンでお世話になることに。マリにも5日間ほど滞在させてもらった。
まずこの街で一番の観光スポットは、街の北にはMount Loura(Dame de Mali)と呼ばれる丘のような山。
Dame de Maliは、マリの女性という意味で、崖上部の岩の形が女性の体のように見えることに由来しているという。
写真だと分かりづらいけれど、実際に肉眼で見ると納得。
この切り立った崖の上部も歩いていく事ができ、その先に広がる広大な風景が素晴らしい。
セネガルとの国境付近でもあり、夜になるとあちら側の光が見えるのだとか。
マリの街では、毎週日曜日に大きな市場が開催される。
周辺の村々からの多くの人々が商売に訪れて、小さな街は中々の賑わいを見せてくれる。
お世話になっていたスレイマン家族も朝から忙しく市場のために準備。
一緒になって屋台の販売をお手伝いしていると、彼らの知り合いであろう人々が訪れ、雑談で盛り上がる。
この地では井戸端会議や市場でのコミュニケーションが、まだまだ現実に生きている。素晴らしいコミュニティ。
マリに滞在していた頃になると、ギニアに入国して1週間ほど経った時。
首都周辺の事情は知らないけれど、この国のインフラの弱さは想像以上で、特に電力供給はひどい。
マリでは夜になるとソーラーパネルとバッテリーがない家は、真っ暗なんて状態は普通。
そのおかげで、「あぁ夜って電灯がないとこんなに暗いんだな」と、当たり前のことを忘れていたように思い出している。
ある日にはスレイマン一家に誘われ、彼が校長先生を務める学校がある近隣のバラという村へ。
山に囲まれた静かな村。バオバブ、パパイヤ、オレンジ、マンゴーの木々が植わる。
鶏、羊、山羊などが村中を歩き回り、家同士の垣根は低く、気軽に住民同士の家を訪ね合う。
電気も水道もガスもない生活だけれど、少しホッとするような感じがするのはなぜだろう。
そんなバラ村にも、焼き立てのパンを近隣の集落に届けるベーカリーがある。
朝の6:00前には仕事を開始し、7:00頃になって私が訪れた頃には、ほとんどのパンが焼きあがっていた。
フランスの植民地時代に持ち込まれたフランスパンだが、こんな辺境の村でも手作りで焼かれるほど、ギニアでの生活に欠かせないものになっている。
この村も周囲を山に囲まれており、周辺で一番標高が高そうで、巨岩の頂上からの景色が良さそうな山に登ってみることにした。
どうやら丘の上部にも集落があるようで、人一人が通れるくらいの小さな山道があちこちへと伸びている。
途中で山頂までの最短コースを見失い、頂上付近で道に迷っていると、最寄りの集落から三人の兄妹が小さな山岳ガイドとして展望所まで案内してくれた。
帰路に彼らの家族の家を訪れると、母親が庭のオレンジの木から、たくさんの果実をとって持たせてくれる。
頂上からの景色よりも素晴らしかったけれど、そんな人々の優しさにも嬉しくなる。
山からバラ村へと戻ってくると、スレイマン家族と一緒に昼食の時間。
家族や友人で1つの大皿を囲んで食事。
食後には緑茶を強く煮出して、砂糖をたくさん入れたアチャヤを飲む。
西アフリカと聞くと危険なイメージが一番に湧いてきてしまうかもしれない。実際にギニアビサウでは強盗にあい、お金も盗まれたし。
確かにそれも嘘ではないけれど、それ以上に温かくて、明るくて楽しくて、おもてなし精神に溢れていて、親切な人多いというのが今まで西アフリカを旅してみての印象だ。
日本からは遠く離れた地域だけれど、また日本とは違った豊かさがここにはあるのだ。
おわりに
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