サハラ砂漠の国モーリタニアに別れを告げ、次の国は西アフリカの玄関口セネガル。
日本でセネガル人の友人がいることから、不思議と訪問前から親近感のある国。
ここからサハラ以南の西アフリカの旅が始まる。一体どんな出会いと風景が待っているのか。
サン・ルイ コロニアルな雰囲気漂う港町
モーリタニアの首都ヌアクショットに別れを告げ、セネガルに向けヒッチハイク。
賄賂を請求されたりとカオスな雰囲気で悪評の高いロッソ国境を避け、南西部にある小さなディアマ国境を目指す。
バスを乗り継ぎヌアクショットの街の外れでヒッチハイクしていると、モロッコから来たトラックが止まり、これからダカールまで向かうという。何という幸運。
私を乗せてしばらく走るとトラックを停車し朝食タイム。運転手は親切にもモロカンティーとオムレツを朝ごはんに作ってくれ、モーリタニアにいながらモロッコ人の親切さに感激。
彼とこのままロッソ国境を越えて、セネガルに行っても良かったのだけれど、やっぱりディアマ国境がどんな感じか気になったので、途中で降ろしてもらいディアマ国境の方向へ。
ディアマ国境への道は国立公園の中を通過する。といっても別に特別な景色はなく、道はガタガタで、野生のイノシシを数頭見かけたぐらいだったけど(笑)
ここではダカールに向かうモーリタニア人の車に幸運にも乗せてもらえた。外交関係の人だったのも運が良くて、国境越えも賄賂を請求されることもなくめちゃくちゃスムーズだった。
国境にはセネガルで使えるシムカードを販売している人もいて、オレンジ社のシムカード(3GB/1週間)付きで2000セーファ(400円)で購入。モーリタニアで余ったウギアを購入の際に使えて助かった。
結果的に悪評高いロッソ国境を避けて大正解。ストレスフリーでセネガルのサン・ルイへと到着したのでした。
サン・ルイは、セネガル川の河口に浮かび世界遺産にも登録されている「サン・ルイ島」がある街で、1659年にヨーロッパが建設した西アフリカ最古の植民都市。
フランスの植民都市として誕生して以来、サハラの交易の拠点、奴隷貿易の玄関口として栄えてきました。
そのため現在でもサン・ルイ島には植民地時代に建設された建造物群が多数残され、植民地時代の西アフリカの様子を今に伝えています。
そんなサン・ルイでカウチサーフィンでお世話になっていたのはママドゥ一家。大きな家に10人以上の家族が一緒に暮らしている。
敷地内には鶏や山羊が飼われていて、鶏は食べたり売ったり、山羊はラマダン明けのご馳走に毎年一匹食べるのだとか。
セネガルにはイスラム教の人が多くママドゥ一家もムスリムの家族だった。
セネガルは現地のウォロフ語で「テランガ(おもてなし)の国」と呼ばれ、セネガルの人々もそれを誇りに思う程ホスピタリティを大切にする国で、ここサン・ルイのママドゥ家族からも盛大なおもてなしを受けた。
家に泊めてもらうだけでなく、朝食から夕食まで家族の人々と一緒に食べるように誘ってくれる。食事時になると、大きなお皿に食事が盛りつけられ、そのお皿を家族みんなで囲むように食べる。
セネガルでは家族を一番に考える文化で、こうした食事のとり方にもそれが表れている。
手で食べる人がいたり、スプーンを使う人がいたりと人それぞれ。初日はチェブ・ジェン(魚ご飯)と呼ばれるセネガルで一番定番の料理を食べさせてくれた。
よく炒めた玉ねぎ、魚、野菜を煮込んだ汁でお米を炊くので、日本でいう出汁が効いていてめっちゃ美味しいのです。
「もっと食べなさい」というように、ママがチェブ・ジェンの魚の身をほぐして、私の目の前の皿のスペースにポイっと投げてくれる。そんな少し雑な仕草が、飾らない自然の仕草に思えて心がほっこりする。
それにしてもセネガルの人はお米と魚をよく食べる。セネガルきてからお米と魚を食べない日はないくらい。
セネガルには残り物を翌日までとっておく習慣がなく、この家では残り物は家畜の餌になる。
自由時間にはママドゥと一緒にサン・ルイの街を隅々まで散策。
サン・ルイは大きく3つのエリアに分かれている。大きな市場があり多くの人が住む新市街、世界遺産のサン・ルイ島、そして漁港がある漁師の地区。
新市街地区は商業の中心という感じ。銀行があり、様々なお店が建ち並ぶ。そしてサン・ルイで一番大きな市場は多くの人でごった返している。
特に目立つのは魚市場。おばちゃん達が列をなして座りこみ、その目の前に並べられた新鮮?な魚。あの生臭い匂いが辺りには漂っている。
モーリタニアと違うのは人々の服装。カラフルでエキゾチックな柄をまとった人々が歩き回り、活気があって目にも楽しい。
セネガルのどこでも売ってるけれど美味しいカフェ・トバ(1カップ10円)を飲みつつ歩き回る。甘さとスパイスが効いていて癖になる味。
新市街のある本土とサン・ルイ島には、両者を結ぶフェデルブ橋が架けられている。1897年に完成したこの橋は、全長約507mで街のシンボル。
ちなみに橋の設計者は、パリのエッフェル塔を設計したギュスターヴ・エッフェル。
橋の両側は歩行者専用の通路があり、対面から来た人とすれ違うのですが、そのたびに子供達からはボンジュール!ハロー!と声がかかり、大人たちからも同様に。
セネガルには挨拶を大切にする文化があるようだ。
橋を越えると、世界遺産のサン・ルイ島へ。ここで本土とはガラッと雰囲気が変わります。
コロニアル風の建物が多く残されている事からフランス統治時代の雰囲気が漂いつつも、そこをアフリカっぽいカラフルな衣装をまとった人々が歩いていく。何ともレトロな雰囲気がある街だ。
そこにアートな雰囲気もあって、
イスラム教が多いセネガルらしくモスクもある。
夕暮れ時に島の最南端を歩いたことがあるけれど、子供達がモスクの前で自転車で遊んでいて、島の向こう側に夕日が沈んでいって、最高の雰囲気だったのを思い出す。
ママドゥと街を歩いていて驚いたのは彼の友人の多さ。先ほどセネガルには挨拶を大切にする文化があると書いたけれど、知り合いに出会うたびにセネガル式の長い長い挨拶が始まる。
それも早口で、ラップのリズムのように(笑)
ママドゥ: 「アッサラームアライコン」
友人: 「オワライコンアッサラーム」
ママドゥ: 「こんにちは!」
友人: 「こんにちはー!」
ママドゥ: 「元気?」
友人: 「元気やで」
ママドゥ: 「家族はどう?」
友人: 「みんな元気にしてる!」
ママドゥ: 「朝の調子はどう?」
友人: 「いい感じ!」
ママドゥ: 「今日は暑いねー」
友人: 「めっちゃ暑いなー」
ママドゥ: 「仕事は順調?」
友人: 「うまくいってるよー!」
ママドゥ: 「住んでいるところはどう?」
友人: 「何もかも変わりなく」
ママドゥ: 「平和やねー」
友人: 「神様のおかげで」
この長い挨拶をできずにいると、丁寧な挨拶をする時間もない不親切な奴とみなされるようだ。
知り合いに出会うたびにこの長い挨拶が繰り返されて目的地になかなか着かないけれど、このセネガルの挨拶文化を結構気に入ってる。
サン・ルイ島を西に歩いていくと、もう一つ橋が架かっていて海辺にある漁師の街へと辿り着く。
ママドゥ曰く、この地域には漁師や貧乏な人が住んでいて、サン・ルイ島にはお金持ち、新市街には色んな人が混じって暮らしているとの事。
確かにサン・ルイ島の観光客に向けたおしゃれな雰囲気とは異なり、ローカルな雰囲気が。
このエリアを歩いていると目につくのが路上でスナックを売るオバちゃん達の姿。カラフルな衣装を纏い、目の前に並べられたたくさんの小鍋。
フランス文化の影響が強いセネガルではフランスパンもよく食べる。定番のスナックはフランスパンにお好みの具を挟んでのサンドイッチ。お値段は具によって30円から200円ほど。
この日私が食べたのは、フワフワとした食感が美味しいアカラ(豆の粉を丸めて揚げたもの)を挟んでサンドイッチにしたもの。
子供達にも人気で屋台の前には何人もの子供達が。
海辺まで出てみるとそこには大西洋の広がるビーチが。カラフルな色とデザインがいい感じ。
ただ砂浜には大量のゴミがあり、長居したくなるような美しいビーチではない。
このエリアをさらに南に歩いていくと漁港に辿り着く。
ちなみにここがサン・ルイに来たら個人的に一番訪れてみてほしい場所でもある。
何といっても見ていて楽しいのは人々の活気とカラフルな色彩。海から帰って来た漁師とそれを待つ人々でごった返している。
ここから新鮮な魚がセネガル各地へもトラックで配送されていくのだが、気になったのは馬車の多さ。
サン・ルイではまだまだ馬車が活躍していて、漁港から市場に魚を運ぶのにも大活躍。荷台に男が立ちながら馬車を操る姿はカウボーイみたいで、かっこよくも見えなくもない。
漁港を歩いていてもちろん気になるのはカラフルに彩られた木造の船。
もちろん漁船への塗装を生業としている人もいて、その手際のいい仕事の様子を見ることもできた。
15人程の漁師たちが一列に並び、歌いながらリズムに乗せて魚網を漁船から浜辺へと引く姿も圧巻だった。
そんな様々な日常風景が見られるのがこの地域の醍醐味かと。人々の日常生活を眺めているだけで飽きないような。
ここからさらにさらに歩いていくと、ゴミの少ないきれいなビーチへ辿り着く。いくつかホテルも立地しているような場所。
それでも放牧されている牛の群れが浜辺を行進していくようなローカルな光景。
サン・ルイ滞在の最終日。ラッキーだったのは丁度セネガルの大物アーティストが演奏するコンサートが開催されたこと。
ちなみにそのポスターがこちら。
3時間に及ぶ本格的なコンサート。初めてセネガルの音楽を聴いたけれど、タムタム(セネガルの太鼓)のメロディーに体が自然と動いてしまうようなリズムで、楽しくかっこいい音楽。
そしてコンサートの自由な雰囲気。VIP席を除いて座る席は早い者勝ちで好きな場所を選べた。アーティストが演奏する目の前で踊ってる人がいても、セキュリティは止めようともしないし、怒る人もいない。
会場内では飲み物も売っていて、何だか小さな音楽フェスのような雰囲気だった。
セネガルで最初に訪れた街サン・ルイでの充実した日々。
これは楽しいセネガルでの滞在になりそうだ。
ダカール とにかく渋滞がすごかったセネガルの首都
サン・ルイからヒッチハイクでダカールへ。モーリタニアのヌアクショットから来た車が乗せてくれ、一発でダカールまで行けるという幸運。
セネガルに来てまで、モーリタニアにお世話になります。
セネガルの首都であるダカールはアフリカ大陸の西端に位置し、現在も交易の拠点として重要な位置を占める西アフリカの商業の中心都市。
またダカールは大西洋を横断する奴隷貿易の中心地であった。
ダカールから船出して西半球(南アメリカ、アメリカ大陸の各植民地、カリブ海沿岸地域を含む)へ運ばれた奴隷の数は、アフリカの他のどの単一の港から運ばれた奴隷の数よりも多いのだとか。
そんなダカールでお世話になっていたのはハリル一家。ダカールの郊外にある家に、香港人の旅人と共に泊めてくれていました。
彼は幼稚園で英語の先生として働いていて、そこも滞在中に訪問。やっぱりどこの国でも小さな子供はかわいいもんだ。
セネガルでは最近フランス語だけでなく、英語教育に力を入れる人も多くなっているのだとか。
ハリルの家はダカールの郊外にあるので、中心街に行くにはバスに乗る必要がある。バスには番号があって、その番号ごとに決められたルートを走っている。
バスは大体21:00ぐらいまであり、その後の時間帯は大きなバンを改造したような、番号の無いミニバスを利用することができる。
バス停で目的の番号のバスを探すのだけれど、バスに乗るのも一苦労だ。バス停には溢れんばかりの人がいて、目的のバスが来たとしてもバスの中にはすでにぎゅうぎゅう詰めに人が押し込まれている。
日本の電車のラッシュアワーを想像してほしい。それのバス版だ。その状態でひどい渋滞が始まる。
20kmほどの距離なのに片道2時間かそれ以上。その疲労感はバスに乗ってるだけで一日が終わるかのよう。
電車も通っているようで、そちらだと20分ぐらいで到着するそうだけれど、やはりぎゅうぎゅう詰めらしい。
やっとの思いでダカールの中心部に到着。
そして、路上でオバちゃんが作ってくれる美味しいサンドイッチを頬張りながら、ダカールの街を歩き始めるのだけれど、何だろう…これといって見所がない。やっぱり商業の中心都市という事なのだろう。
それでも多くの人が忙しく動き回り働いているのを見ていると、セネガル経済の勢いを感じない事もない。
個人的に好きだったのは、街中に点在する小さなモスク。
東京の街にある神社やお寺のような存在だろうか。高層ビルが立ち並ぶ光景のなか何だかホッとできる空間。
ダカールの喧騒に疲れたらぜひとも訪れてほしいのがフレンチインスティテュート。
ダカールの街の中心にありながら、緑に溢れ、アートも展示されていて、ゆったり座れる場所もあって、都会のオアシスのような場所。
テオドール・モノ・アフリカ美術博物館とThe Museum of Black Civilisationsも訪れたけれど、これはちょっと期待外れ。
西アフリカ各地の彫刻やマスク、現代美術などが展示されているのだけれど、期待値が高かっただけに展示物の少なさにちょっとがっかり。
結局一番楽しかったのはダカールの街の食べ歩きかもしれない。トバコーヒーを飲んで休んで、ココナッツジュース飲んで、サンドイッチ食べて。
ちなみに下の写真はファタヤというセネガル定番のファーストフード。ふわっとした食感の生地のパンに、好みの具を挟んでくれる。120-200円程度。
ダカールの中心部からは、アフリカ最西端に位置する岬へと足を伸ばしてみた。
バスに乗ってアルマディという地域まで行くのだけれど、ここで渋滞がひどく再び2時間かかる(笑)
このアルマディというエリアはお金持ちが住むエリアで、お洒落なカフェやバーも多く、外国人の姿もよく見かける。
そんな地域にも路上でサンドイッチを売っているお店は存在していて、120円の焼き鳥入りのフランスパンを片手にビーチへ。
アフリカ最西端の岬へ辿り着くには、なぜか私有地を通過していかなければならず、セキュリティに許可をもらって岬へ。
アフリカ大陸の最西端。東京からは14,000kmの距離だそう。
ずいぶん遠くまで来たものだと感慨深くもなる。人生でもう一度西アフリカに戻ってくることがあるのだろうか?そう考えると一層ここでの毎日が貴重な時間に思えてくる。
トゥバブ・ディアラウ 都市の喧騒からさようなら のどかな海辺の村
渋滞がひどくバスでほとんどの時間を費やしたダカールを離れ、海辺ののどかな村トゥバブ・ディアラウへやってきた。
ダカール郊外のリュフィスクからも公共のバス(218番)が出ていて、値段は350セーファ(70円)。
その1時間後には、都会の喧騒から離れたのどかな海辺の楽園へ到着する。
そんなトゥバブ・ディアラウでお世話になっていたのは、クラウディアとパップの一家。
クラウディアはスイス出身、パップはセネガル人。クラウディアがセネガルを旅行中に恋に落ちて、今はトゥバブ・ディアラウで一緒に暮らしている。
彼らはパーマカルチャーの考えに基づくファームを経営していて、敷地内には鶏や山羊、マンゴーやパパイヤの木。
「テントがあったら何日でも泊まっててもいいよ」とのことで、大きなマンゴーの木の下にテントを張らせてもらう。
いつもテントを担いで移動するのは大変な事もあるけれど、こんな時にはめちゃくちゃ役に立つ。これからの西アフリカの旅でもより一層に活躍しそう。
彼らのファームを訪れて最初に目に入るのは、各地に散りばめられたアート。
アートは何気ない空間を、心が躍る空間にガラッと変えてしまうから不思議だ。
セネガルにはアーティストと名乗る人の数が多い印象で、音楽をやったり、絵を描いたり、ジュエリーを作ったり、下手でも上手くても自分を表現できるモノがあるって毎日を豊かにする。
この時期ファームに植えられていたのは玉ねぎやナスに唐辛子にオクラ。
乾燥した土地では土を盛るように畝を作らず、水がたまるように畝の周りに囲むように土を盛る。
ラダックやモロッコの乾燥した土地でも同じような方法で農業が行われていた。
山羊が飼われている敷地内には、タイヤで作られた彼ら用の遊具が。そんなところにも動物への愛情が感じられる。
将来的には山羊乳のチーズを作りたいのだとか。夢は広がる。
ファームを歩いていると、何とカメレオンも見つけた!
素晴らしく周囲の色に擬態していてビックリ…よく発見できたなこれ。
食事は一つのお皿を皆で囲んで食べるセネガル流。
村で獲れた新鮮な魚に畑で採れたナス入りのチェプジェン。
こうやって少しでも地元や自分の畑で採れたものが食事にあると、愛着がわいて毎回の食事が楽しくなると思う。
とか言いつつ、朝ごはんはフランスパンに市販のチョコレートクリームをベタベタに塗って食べて喜んでいたけれど。まぁ、たまにはね…。
数日間お世話になっていたので、その代わりに畑の仕事を手伝ったり、犬の散歩をしたり。
そんな生活をしながら、もちろん美しいビーチのある海辺の村へも足を伸ばした。
ビーチを訪れるとすぐに目に入るのが子供達がサッカーをしたり、走り回っている姿。
観光地なんだけれど、こうやって地元の日常生活が自然とあるのがいい。
ずぅーと続いている広い砂浜。
海辺のエリアには観光地らしくホテルや海の見えるレストランが点在し、夜になるとライブミューシックをやっているバーなどもある。
かと思えば、砂浜にはカラフルに彩られた漁船とそこでサッカーを楽しむ子供達、ランブ(伝統的なレスリング)の練習をする屈強な男達。
ビーチも私有地化されることなく、誰もが自由に行き来できる。
夕暮れ時になると、少しずつ空がオレンジ色に染まっていき、太陽が大西洋に沈んでいく。
穏やかな波の音を聞きながら、遠くには漁船が通り過ぎていく。ビーチではサッカーを楽しむ地元の人々。
何ともセネガルらしい美しい風景に、「西アフリカにいるんだなぁー」と夢心地の気分。
日が暮れていくと海辺のバーから感じの良いタムタムの音色が聞こえてくる。ライブミュージックが始まった。
節約旅行者らしく、事前にスーパーで購入したビール、路上のオバちゃんから購入したファタヤをスナックに、バーの近くの砂浜に座りこんでチビチビと飲む。
薄暗くなり、かすかに照らされた波を眺めながら、聞こえてくるタムタムのリズムが体に染み入ってくるよう。
ここでは今日も同じように子供達がサッカーを楽しみ、夜になると音楽が流れるのだろう。
おわりに
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