西サハラからさらに南にへと向かい、目指すはモーリタニア。
広大なサハラ砂漠が広がる土地に住む人々の人口は460万人。現在も遊牧生活を続ける人々も多いという。
北アフリカのアマジヤ(ベルベル)文化とサハラ以南のブラック・アフリカ文化との交差点の国。一体どんな出会いが待っているのか。
西サハラからヌアディブへ抜け、世界最長のアイアン・トレインへ
西サハラのダクラから、南へ南へとサハラ砂漠をヒッチハイクで南下。
西には美しい大西洋の景色が広がり、気持ちの良いドライブだ。
モーリタニアまでヒッチハイクで乗せてくれたのは、ドイツ人のおじいちゃん「グンタ」さん。
彼はモーリタニアのシンゲッティという村に15年も通い続けており、ドイツから自家用車でそこに向かう途中で拾ってくれた。
もう85歳ぐらいだと思うけれど、ドイツから車で車中泊しながらモーリタニアまで来る体力と気力凄い。
数十年前にもこの国境を越えた事のあるグンタさん。「かつて西サハラとモーリタニアを結ぶ国境を通過するには、モロッコ軍の護送が必要だったんだ」などと、かつての昔話を聞くのは面白い。
ドライブ一日目はモーリタニア国境手前のグンタさんお気に入りのキャンプスポットで一泊。
大きな砂丘がある美しい場所だった。
グンタさんはドイツから持ってきた赤ワインをグビグビと飲み干し就寝。
翌日西サハラとモーリタニア国境へ到着。国境に食堂もあるので、簡単な食事もとる事ができた。
出国側で厳重な手荷物検査があり、西サハラとモーリタニア間の国境未画定エリアを通り抜け、モーリタニア側のイミグレへ。
モーリタニア側には両替商やSimカードを販売する人々がいて、ビザの手続きもアライバルビザで簡単。
55ユーロをビザ代として現金で支払い、ビザをパスポートに貼ってもらい手続きは簡単に終了。
さて新たな国モーリタニアへ入国。
グンタはシンゲッティへ向かうので、ヌアディブへ向かう私とは逆方向。ここで彼に別れを告げて、モーリタニアでのヒッチハイクを開始。
サハラ砂漠で行うヒッチハイクは冒険感があって良い。
30分ほど待っていると、ヌアディブへ行く車が止まってくれた。モーリタニアでのヒッチハイクは難しいと聞いていたけれど、これは悪くないかも。
そしてヌアディブでは友人の友人の家に泊めてもらえる事になっている。毎度のことだけれどありがたい事だ。
ヌアディブ滞在中にお世話になっていたのはハッサンの家。モーリタニア人の父とセネガル人の母を持つ長身の若者。
日本のアニメ好きで、家にはプレーステーションまであった。モーリタニアまで来て、日本文化好きに会えてしまう現代社会。
ついつい懐かしのサッカーゲーム「ウイニングイレブン」で遊びながら、彼の家に長居してしまった。
ちなみに写真の彼が着ているのは、ブブと呼ばれるモーリタニア男性の伝統衣装。
モーリタニアの初めての街という事もあり、ヌアディブの街は歩いていて面白かった。
通りには伝統衣装をまとって歩く人々。女性の伝統衣装はメルファと呼ばれ、日本の藍染の絞りのようなデザインに、カラフルな色。
ピカピカの高そうな車に混じって、街中を黒煙をまき散らしながら走るボロボロのメルセデスの車はタクシー。
サハラ砂漠の街らしく、街中には砂が
街にはヤギが歩き回り、元気な子供達が遊ぶ姿が目立つ。
街を歩いていても何かを売ろうと強引に話しかけてくる人はおらず、モーリタニア人は穏やかな人々という印象。
それでも話しかけるとフレンドリーに応対してくれ、冗談も好きで、こんなところにも北アフリカとサハラ以南アフリカの中間のような印象を受ける。
そしてモーリタニアに来て嬉しいのが、お米を頻繁に食べる事。写真はトマト味のご飯に魚をトッピングされた料理。
モーリタニアのATMはVisaカードでお金を引き出せる機械が少なく、ヌアディブではSociete Generale BankのATMで引き出せました。
ただ手数料が300ウギア(1150円)もかかるのが欠点ですが…。
ヌアディブでモーリタニアの文化に少しずつ触れた後は、アイアン・トレインでさらにモーリタニアの内陸部へ移動することに。
アイアン・トレインとは、モーリタニア北部にあるズエラットで採鉱した鉄鋼石を港があるヌアディブまで運ぶために作られた鉄道。
何とこの列車の鉄鉱石を積むワゴンの部分に飛び乗って、無料で移動することができるのです。
地元の人々もこのアイアン・トレインを移動の手段として使用しており、列車が来る時間が近づくと、鉄道駅には荷物を抱えた人が集まる。
通常列車は午後の16:00頃にヌアディブ駅に到着し、出発するようなのだけれど、この日は待てども待てども列車が来ず。
結局深夜の23:00になってようやく列車が来た。
アイアン・トレインは全長2-3kmにも及び、世界最長の列車とも呼ばれるのだとか。
写真のような巨大なワゴンによじ登って、コンテナの中へ。
鉄鉱石が積まれていたコンテナなので、中は決してキレイとは呼べない。
そしてサハラ砂漠の中を突っ切って走るので、舞い上がる砂塵が容赦なく襲いかかる。
私は他の7名のモーリタニア人と一緒のワゴン車へ。
砂漠の夜は冷えるし、朝起きると体や顔中が砂まみれ。アイアン・トレインへ乗車の際はそれなりの準備が必要。
目的地のチュームに着いたのは朝の10:00。
アイアン・トレインから降りると、すぐにアタール行のミニバスが走ってくる。
どうやら200ウギアでアタールまで行けるようだけれど、私はヒッチハイクで行くので、街の方へ歩いていく。
チューム自体はただの小さな村。小さなお店や食堂があるだけで、特に見所はない。
そんなお店の一軒に頼んで、水を利用して顔を洗わせてもらう。アイアン・トレインの砂ぼこりで顔は冗談抜きで真っ黒だった(笑)
ここからのヒッチハイクが難しく、何とアタール行の車を探すのに6時間もかかるハメに…。
そしてようやくみつかったピックアップトラックの荷台に揺られながら、モーリタニアの国土の広さと何もない土地の大きさを感じるのだった。
アタール近郊の辺境の地 ワディツァガリル滞在 シンゲッティも訪問
アイアン・トレインに乗ってヌアディブからやってきたのはアタールという街。
アタールから45kmほど南にあるワディ・ツァガリルに、10日間ほどワークアウェイでアフメッドのお宅にボランティアとして滞在していた。
ボランティア先があった場所は、ものすごい田舎の村。
アタールとヌアクショットを結ぶ幹線道路を離れ、そこから4kmほど徒歩で谷間に向かって歩いた場所にボランティア先はあった。
道中には、長年の間風に吹かれ続けた結果できたと思われる、波模様がある大きな岩がたくさん。
しばらく何もない砂漠地帯を歩いていくと、岩山に囲まれた谷間に出る。
ここがしばらく滞在することになるワディ・ツァガリル。
谷間には川が流れ、地下水も豊富。
その豊かな資源を活かしてナツメヤシの栽培が行われている。
ただこの地域の家はほとんど長年使用されずに放置された状態。
かつて住んでいた人々も首都のヌアクショットや海外に移住してしまい、現在はナツメヤシの農場を維持するための労働者しかこの土地には住んでいないようだ。
私たちが滞在していた家も水道、電気、ガス、明かりもない家だった…。携帯の電波もなく、インターネットを使うには山の上まで30分かけて登る必要がある。
ワークアウェイのプロフィールでは、WIFIがあるロッジということになっていたのですが…(笑)
川にシャワーを浴びに行ったり、拾った薪で調理したりと自然の中でキャンプしているような感覚で面白かったけれど。
平日はここワディ・ツァガリルで野生的な生活をして、週末は大きな街であるアタールへ。
周辺には野菜を買えるお店なども無いので、食料などもアタールまで行って買わないといけない。
車もないので、買った食料は全て人力で運ぶという生活。
そして移動手段はヒッチハイク。
週末にアタールにきてする事といえば、携帯を充電してインターネットを使ったり、レストランに肉を食べに行ったり、そんな日常の幸せ(笑)
2022年12月31日には、アタールからシンゲッティに行って新年のお祝いをしようということに。
シンゲッティは、アタールから西へ100kmほどの距離にあり、クサールと呼ばれる古い交易拠点の一つ。13世紀にサハラ交易ルート上の拠点として建造されたという。
さらにモーリタニア中から敬謙なイスラム教徒が集まり、メッカに巡礼に行く旅人の拠点でもあったのだとか。
シンゲッティ地方一帯の洞窟壁画には、キリン、ウシ、人々などが描かれており、かつては一帯がサバンナだったことが想像できる。
今では何もない砂漠が広がるのみで、もちろんキリンはいない。
シンゲッティに到着すると、最初に受けた印象は砂漠の中に埋もれつつある小さな街。
旧市街側にはどれほど古い建物かも見当がつかないが、石で積まれた建築物が未だに存在している。
地元の人は少なくとも200年以上前の建物だと話してくれたけれど。
当時のシンゲッティはメッカに向かう巡礼者たちが集まり、アラビア半島まで巡礼に赴けない人々にとっての聖都のようになっていたのと同時に、イスラム神学や科学の研究の一大拠点となっていた。
シンゲッティの学校では、イスラム神学のみならず様々な学問が教えられていたらしい。
また、旧市街にはかつてイスラーム学者たちが集まり議論を交わした、貴重な手稿を収めた図書館が存在する。
現在する貴重な資料を見せてもらえるらしいのですが、私達が訪れた時はあいにく閉まっていた。
サハラ砂漠を越えてメッカまでラクダで旅をする巡礼の旅。またはトゥンブクトゥまで塩を運ぶキャラバンの旅。
そのどちらもここシンゲティを経由していったのだ。
シンゲティの東には砂丘が広がっており、ここから先はオアシスや水の補給地を頼りに進んでいくのだろう。
マリや他の国々の治安が安定してくれば、ぜひとも一度キャラバンで砂漠を横断する旅をしてみたい。
こんなシンゲティでお世話になっていたのがアフメッドの親戚のお宅。
数日間お世話になったのだけれど、毎日食べきれないほどの美味しい料理でもてなしてくれた。
モーリタニアの人々のホスピタリティには頭が下がる。
下の写真はモーリタニア風クスクス。
さらにパスタやお米の料理まで、至れり尽くせり。
モーリタニアはイスラム教の国なので、特に西暦の新年を祝うという事は無いのだけれど、ここシンゲティは旅行者も訪れることから、新年にささやかなコンサートをしている場所を発見。
音楽を聴いたり、踊ったりと、少しだけ楽しませてもらった。
また村の中心部に戻ると、何やら人々が集まり音楽が鳴り響く場所がある。
何だろうと思って近寄ってみると、どうやら結婚式のイベントの一部が行われているようだった。
村中の女性たちが一同に集まっているように感じるほど、多くの人々で賑わっていた。
訪れる前はほとんど何も知らなかったモーリタニアの文化。2週間が過ぎて、ようやく少しずつ理解できてきたかもしれない。
モーリタニアの首都ヌアクショットにて
10日間ほどのワディ・ツァガリル滞在を終えて、やってきたのはモーリタニアの首都ヌアクショット。
電気、水道、ガスや電灯の無い場所で生活していたので、それほど都会でないヌアクショットでも文明のある生活に大はしゃぎ。
ちなみにヌアクショットでカウチサーフィンでお世話になっていたのがリマムさんのお宅。
ブラジル人旅人のフランツと共に家にしばらく泊めてもらっていた。
さらにヒッチハイクで知り合ったモハメドは、彼の自宅に招待してくれたり街中を案内してくれて、さらに美味しいモーリタニア料理までご馳走してくれたり。
モーリタニア人のホスピタリティが凄すぎて、お金を支払う隙も無いほど。
一枚目の写真は、最近流行りの場所のようで、遊牧民のテントを何だかお洒落にしたような雰囲気のカフェ・レストラン。
二枚目は、遊牧民テントで楽しむバーベキューレストラン。
どちらもモーリタニアらしい場所だ。
ヌアクショットはモーリタニアの首都だけあって、各国の大使館があったり、近代的な建物やホテルもあるのだけれど、まだまだ近代都市には程遠いという印象。
街の中心部などは賑わっているのだけれど、村をそのまま大きくしたようなゆったりとした雰囲気がある。
ヌアクショットでは、もちろんお洒落なベーカリーでチョコクロワッサンとエスプレッソコーヒーを楽しんだり、美味しいレストランでご飯を食べたりと楽しんだのだけれど、一番のお気に入りの場所の一つはラクダ市場。
モーリタニアはこれまで訪れた国の中で一番ラクダを見かけた国で、このラクダ市場ではラクダの売買が毎日行われているよう。
値段はラクダにより様々だけれど、大きなラクダで10万円は最低価格。
もう一つのお気に入りの場所は漁港。
カラフルなボートと色とりどりの衣装をまとった人々で賑わう場所。
漁師たちがカラフルなボートで漁から戻ってきたり、沖に出ていく姿は美しく圧巻。
魚市場は朝から晩まで多くの人で賑わっており、ここで一日時間が過ぎてしまう程楽しい場所だった。
合計で3週間ほど滞在したモーリタニア。
印象に残っているのは広大なサハラ砂漠の景色とモーリタニアの人々の伝統衣装に、彼らの温かなホスピタリティ。
一般的には危険なイメージのあるモーリタニアだけれど、素晴らしい伝統が色濃く残る、もっと多くの人に訪れてほしいと思える国だった。
おわりに
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