スペインから国境を越えてやってきたのは、ヨーロッパの最西端の国ポルトガル。
大航海時代の始まりとなり、ポルトガル人により日本に鉄砲が伝わった。
初めて訪れる国だけれど、なぜか親近感が湧くこの国での旅が始まる。
ポルトガル王国発祥の地 ギマランイス
スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラから、ポルトガル方面に向かってヒッチハイク。
しばらく待って止まってくれたのは、北アイルランド出身のマルティン。
数年前にポルトガルに移住し、現在はアルガルベと呼ばれるポルトガルの南海岸に住んでいる。
彼と同じようにヨーロッパ各地から、ポルトガルの温暖な気候を求めて移住してくる人々の数は年々増えているようだ。
私がポルトガルで最初に訪れた街はギマランイス。
この地はポルトガル王国初代国王アフォンソ1世(アフォンソ・エンリケス)が誕生していることから、ポルトガル発祥の地と呼ばれる。
1128年、アフォンソ・エンリケスは宗主国カスティーリャ=レオンの国王アルフォンソ7世に叛旗を翻してこれを打ち負かし、ポルトゥカーレ公爵として独立。
その後領土を広げるべく南部のイスラーム勢力との戦いでも大勝すると、1139年にポルトガル王アフォンソ1世である事を宣言。1143年にローマ教皇の仲介により、ポルトガルはカスティーリャ=レオン王国から正式に分離独立を果たして対等の国家となったのでした。
そんな王国の建立の地となったギマランイスの旧市街では、現在まで維持され続けてきた歴史的建造物の数々を目にすることができる。
14世紀に建てられた市民の家屋もあるようで、それらは1階が花崗岩、2階以上が木の枠組みで造られた伝統的建築物。現在でも人々が住まう現役の住宅であるのだとか。
ギマランイスの旧市街には、歴史的建造物が並んだ細かい路地がたくさんあり、歩き回っているだけでも面白い。
街の小高い丘には、その昔ヴァイキングの襲撃から街を守るために築かれたギマランイス城がある。
この城を建設したのは当時の伯爵の寡婦として政務を引き継いでいた婦人ムマドナ・ディアス。
この城内で初代ポルトガル国王アフォンソ・エンリケスが生まれた事から、彼女に敬意を表して?街の広場にはムマドナ夫人の銅像も。
こちらがギマランイス城の現在の姿。
大きな岩がそのまま城壁の一部として利用されている。塔の高さは28mにも及ぶ。
そしてこちらが城壁からの景色。ギマランイスが緑に覆われた美しい街であることがわかる。
ちなみに写真の煙突がたくさんある建物は、中世の邸宅であるブラガンサ公爵館。
ブラガンザ侯爵館も見学することができ、内部では当時の生活が垣間見える物が多く展示されていました。
時間があれば中世の修道院を利用してつくられた「アルベルト・サンパイオ博物館」もオススメ。
ロマネスク様式の回廊が美しいことで知られているその館内には、絵画や彫刻、典礼や儀式の際に使用されてきた金や銀の器、宝石や陶磁器などが展示されていました。
このような街ギマランイスでカウチサーフィンを利用してホストしてくれていたのはウーゴとリアの親子。
リアは柔道も習っていて、日本語で数えることができる。ポルトガル語が母語だけれど、英語とスペイン語も少し話せる。
父親のウーゴからはポルトガルについて様々な事を教えてもらった。歴史から現代の経済まで。もちろんポルトガルの食事情も。
ポルトガルでは鯛をよく食べ、「鯛の350通りの調理法がポルトガルにはある」という言葉があるほどらしい(笑)。
そしてウーゴが奢ってくれて初めて味わったヴィノ・ベルデ(緑ワイン)。緑ワインは完熟前のブドウで仕立てられるワイン。そのため、発酵途中で発生する気泡がワインに残っておりシャンパンのよう。
白ワインよりも爽やかでフレッシュな味わいで日本でも人気が出そうな味だった。
さらにウーゴ達は忙しい間に時間を見つけて、近くの丘の見晴らしが良い場所にも連れて行ってくれた。本当に彼らのホスピタリティに感謝だ。
世界で一番美しい街かもしれない ポルト
ギマランイスの街を離れ、ヒッチハイクでポルトガル第二の都市ポルトへと向かう。
ヒッチハイクが難しい事で有名なスペインを乗り越え、簡単だといわれるポルトガルに来たことから、すぐに車が止まるだろうと思っていたのに…
4時間たっても一台の車も止まらないのには驚いた。ポルトガル全然ヒッチハイク簡単じゃないやん…無事にポルトには辿り着けたけれど、これは別の方法を考えねば。
ポルトに到着前に再会したのはチリ出身のオズバルド。チリのパタゴニアで一緒に働いていたのだが、現在はワーキングホリデービザでポルトガルへ滞在しているよう。
懐かしい再会に会話にも花が咲く。
そしてついに大西洋を目にすることができた。めちゃくちゃ風が強くて長くは滞在できなかったけれど、来年には大西洋を越えてブラジルかカリブ海に旅する予定。
ポルトでもカウチサーフィンで家に泊めてもらう。今回泊めてもらっていたのはブラジル人のライの家。
彼はサンパウロの出身で、日本人移民の影響から日本の文化に幼少期から馴染みがあるという。彼の家の毎週金曜日の夕食は焼きそばだったようだ(笑)
だから泊めてもらっていた日の一日は、焼きそばを一緒に作ってオズバルドも誘って一緒に食べた。
ライはちょうど休暇中で時間もあったので、ポルトの街を案内してくれた。
まず最初に印象的だったのが、外壁がタイルで彩られたポルトの旧市街の家々と教会。
家々はこんな感じでタイルが張られており、
教会はこんな感じで、これらの装飾タイルはアズレージョと呼ばれ元々の起源はイスラム文化から。それがスペインに伝わった後、ポルトガルに到来したのだとか。
「世界一美しい駅」と称される、ポルトの「サン・ベント駅」。ここでも素晴らしいアズレーショが駅構内を彩っていました。
丘陵地帯にあるポルトらしく、街には坂が多い。
ポルトに住んでいる人はこの坂道を避けながら上手く移動できるのですが、この街に来たばかりの観光客は坂を下って登って、観光にも体力を使う。
それでも色とりどりのカラフルな街並みを眺めていると、その疲れもさほど気にならない。
ポルトの小高い丘の上にあるポルト大聖堂から見る景色は素晴らしい風景。
ポルトのオレンジ色の屋根に覆われた街を一望できてしまいます。
ここから旧市街の美しい街並みを抜けてドウロ川へと下っていくと「カイス・ダ・リベイラ」という、かつて遠洋航路の波止場として使われていた川沿いのエリアへ。
川沿いにはレストランやカラフルな家屋が建ち並び良い雰囲気。
ここからドウロ川を挟んだ対岸に渡るには、「ドン・ルイス1世橋」を渡ります。
この美しい橋は、パリのエッフェル塔を設計した ギュスターヴ・エッフェルの弟子の一人、テオフィロ・セイリグが設計したもの。
橋からのポルトの景色も素晴らしい。
橋の反対側に到着すると、そこは「ヴィラ・ノヴァ・デ・ガイア」と呼ばれる地区。
約60軒のワインの製造・輸出業者が集まっている地区で、ドウロ川流域で生産されたポートワインはここへ運ばれ、熟成されてから世界各地に輸出される。
また対岸側から見るポルトの景色も絶景。
ここから眺めると起伏の激しいポルトの街がよくわかる。
ポルトには美しい街並みに加えて、広々とした公園が各地区にあるのもいい。
特に気に入ったのが、旧市街の西にある「Palacio da cristal」という公園。
広々としていて静かで、素晴らしい景色を眺めることのできるビューポイントもある。
海があり、美しい旧市街、ストリートミュージシャンが街中で奏でる音楽、陽気な人々と温暖な気候。
ポルトは今まで訪れた街の中でも、最も美しい街の一つだと言える。
世界最古の大学がある学生都市 コインブラ
ポルトの街を去り、やってきたのはコインブラの街。コインブラは12世紀中旬から13世紀中旬までの間ポルトガルの首都であった時期がある。
さらにその後世界最古の大学であるコインブラ大学が設立されたことにより、ポルトガルの文化的な中心都市となった。
街の旧市街は丘の上に建設されており、坂が多いので歩き回るのも良い運動になる。
次の写真は、旧市街の中心部にある「アルメディーナ門」にて。アラブ語で「街」を意味する「アルメディーナ」が門の名前の由来になっている事から、イスラム勢力下の時代の影響も垣間見える。
コインブラは、旧市街が狭いエリアに密集しており数時間で簡単に街中を見て周る事ができた。
丘の一番上に建つ「コインブラ大学」は、1290年設立された「世界最古の大学・国立大学」として知られている。
ちょうど大学が始まった時期と重なり、大学構内にはハリーポッターの世界のような黒いマントの学生達が集まっている姿を見かけた。
大学構内の近くにあるのが国立マシャード・デ・カストロ博物館。ここがオススメ。
ここではローマ時代の遺跡から、コインブラ周辺で集められた膨大な貴重な品々が展示されていました。
まずは地下から見学するとローマ時代アエミニウムと呼ばれていた当時の遺跡が。
古代の石板や彫刻や絵、宝物などが時代を追って展示されています。
豊富なコレクションは見ていて疲れてくるほど。
大航海時代に輸入されたのであろうアジアからの貴重な品々も。
日本の印籠まで展示されていたのには驚き。
さらにラッキーな事にコインブラから少し田舎の村を旅する機会もあった。
サミュエルという小さな村に住むバルターが家に招待してくれたからだ。
親切にも村の周辺を案内してくれ、せっかくだからと色んなポルトガルの伝統料理までご馳走になった。
彼のお母さんが料理した海鮮リゾットや鯛とジャガイモをオーブンで焼き上げた料理。おばあさんが作った新鮮な山羊のチーズまで。
この地域ではコメの生産も盛んなようで、稲は黄金色に色づいていた。9月の終わりに近づく今が収穫の時期のよう。
ヨーロッパ周遊もクライマックスを迎えて、ビザが切れるまで残すところ2週間ほど。
ポルトガル南部とスペインアンダルシア地方を訪れ、モロッコへと向かう。
おわりに
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