ラダックを訪れたきっかけは学生の時にテレビ番組で観た「世界秘境大全集傑作選 ヒマラヤ天空の秘境 ラダック」でした。
そこには今まで見たこともない壮大な風景と人々の暮らしがありました。標高3500mを超え、冬には-20度や-30度にもなる厳しい土地。
ヒマラヤ山脈とカラコルム山脈に囲まれたラダックの土地は極度に乾燥し、冬の間は積雪で村の外に出るのが極めて難しい地域もあります。
ただ映像で映されていた風景は壮大で美しく、いつか訪れてみたいと思っていました。
ラダックへの道 再開通の知らせ
インド滞在も4ヵ月が過ぎようとしていた頃、私はラダックを訪れてみたいという思いを胸に抱きつつ、ダラムサラ(Dharamshara)にある動物保護施設×有機農場で1ヵ月の間働いていました。
そんなある日、私はこんな記事を新聞で発見しました。
積雪で去年の12月から閉鎖されていたカシミール地方(Kashiir)からラダック地方(Ladakh)に抜けるゾジラパス(Zojila Pass)が、4月29日に長い閉鎖期間を経て、再開通するというのです。
ラダックの首都レーに行く方法は3つあります。
1つはデリーから飛行機で行く方法。
2つ目はマナリとレーを結ぶマナリ・レー・ハイウェイ。マナリから標高4000m級の峠を越えて行き、最後に標高5328mの峠を越えレーに辿り着きます。
3つ目は私が利用したカシミール側からラダックに行く方法です。カシミールのソナマルグ(Sonamarg)とカーギル(Kargil)を結ぶ、標高3500mと4100m程の峠を越えて行きます。
飛行機を利用すると通年ラダックに行けるのですが、他2つの道路は12月から5月まで積雪のため閉鎖されており通行できません。
4月29日にゾジラ・パスが再開通するという記事を見た私は、早速夢見ていたラダックへ行くことを決心し向かいました。
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カシミールからラダックへ
ダラムサラからヒッチハイクを繰り返し、ジャンムーを経由してスリナガル、そしてゾジラパスの玄関口であるソナマルグへと進んで行きます。
街の雰囲気も風景もヒンドゥー教が大多数の街からムスリムの街へと変わっていく。山々に囲まれ川や緑にあふれていて美しい景色でした。
カシミール紛争で危険な地域というイメージがありますが、私が訪れたときは少し落ち着いており、危険は感じませんでした。
むしろ人々は温かく、ヒッチハイクをしていると「金がないならこれで何か食べろ」とお金を手渡して助けてくれようとする人もいます。
お金がなくてヒッチハイクをしているわけでもないのですが、受け取るまで車を降りさせてくれません。
カシミールの人々の温かさを感じながら予定通り4月29日にソナマルグに到着しました。
ゾジラパスに到着するとカシミールからラダックに行く大量のトラックで溢れかえっていました。
トラックには大量の野菜やフルーツ、卵、鶏に日用品がこれでもかと積み込まれています。
冬の間ラダックに陸路で行く道は完全に閉ざされており、物品の供給は空路からしかありません。
後からラダックの人々に聞いたのですが、冬の間は新鮮な野菜はほぼ手に入らず、それらを積んだカシミールからの大量のトラックを今か今かと待ちわびていたそうです。
ソナマルグに到着すると、「どこから来たんだ?」「ゾジラパスはまだ開通してないぞ」「俺たちはもう1週間も待ってるんだ」「明日には開通する」「いや5日後にしか開通しない」
と、まだ開通していないのは確かで、情報がバラバラで誰も確かなことはわからないとの事。
オフィスにいた政府関係の方に聞いても、「いつ開通するか、まだわからない」「明日には開通するかも知れない」との返答。
翌日も「今日には開通するかなー?」「今日開通するかもしれないし、明日になるかもなー」「毎年こんな感じだよー」
結局トラック運転手としゃべったり周辺を散策しながらソナマルグで3日が過ぎた午後、何の前ぶれもなく突然、
ついに、開通!
急いでヒッチハイクをするが、開通の声とともにスタートした車がまるでカーレースのように「ブー!ブー!ブー!」とすさまじいクラクションを鳴らしながら、ビュンビュンと目の前を通り過ぎていきます。
何としてでも誰よりも先に行きたいらしい。
そんな中、新車をラダックの自動車販売会社に運ぶ仕事中の人が拾ってくれました。新車だと途中で壊れたりしないだろうしラッキー!
ただ新車を販売のために運んでいるという事は、一切感じさせないラフな運転で、目の前の遅いトラックを事故すれすれでどんどん追い抜いて行きました。
こんな道で前方の車を追い抜いていくんですよ。本当に「ここで死ぬのかな」と思いました(笑)
どんどんと標高を上げていって、
生きてゾジラパスを抜けれて良かったです。
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ラダックへ到着
超危険だったゾジラパスを抜けて、カーギルに到着。この街の住人の半分はムスリムでチベット語の方言のバルティ語を話すらしい。
ムスリムの街らしく礼拝の時間前にはアザーンが町中から聞こえてきました。
街は活気で満ち溢れていた。長い冬が終わり、待ちかねていた食料品がトラックとともにゾジラパスを越えてやってきたからでしょう。市場は特に大量の客で溢れかえっていました。
トラックがゾジラパスをすごいスピードで運転していたのは、できるだけ早く到着して商売を有利にするためだったのです。
市場には一緒に道路の開通を待っていた顔ぶれがあり、「おーカーギルまでたどり着いたのか?良かった!」と声をかけてくれました。
カーギルには1泊だけして、ヒッチハイクで先を急ぎます。
カーギルから東のレー方面に進んで行くにつれ、風景がムスリム中心の街からチベット仏教徒中心の街へと変わっていきます。
今まであったモスクの姿がなくなり、建物の屋根にはタルチョがたなびくようになっていきました。
カシミールにあった緑いっぱいの風景から、殺伐としたどこか世界の果てを感じさせる風景へ。
そしてラマユル(Lamayuru)に到着したころには、テレビ番組でみた憧れのラダックがありました。
雪を抱いたヒマラヤ山脈を背景に、極度に乾燥した茶色の山々、そしてその風景の中ににゴンパ(僧院)が。
ここにどんな人がどのように暮らしてきて、現在も暮らしているのだろう。
こんなに美しい景色の中でしばらく暮らす体験をしてみたい。
ラダックのLikirという村で3ヵ月滞在した時の記録はこちらから。
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