ラダックに来て壮大なヒマラヤの山々を感じたら、その中にふっと飛び込んでみたくなる。
昔々からこの地に住む人々によって利用されてきた山道を行き、もっと奥地の村々を訪ね歩いてみたい。
そして気がつけば、私はザンスカールへと続く山道を歩きだしていた。
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ザンスカール トレッキングルート
インド北端ラダック地方のさらに奥地にザンスカールと呼ばれる地域がある。
一番標高の低いところでも3500mの山岳地帯で、雨が極端に少なく、一年中乾燥している。
生物の存在をまるで感じさせない砂漠のようにも見える地肌むき出しの山々。
ザンスカールトレックは、そんな山岳地帯を5000m近い峠をいくつも越えながら歩いていく。
計算してみると歩行距離は180km、12日間の旅だった。
ツアーグループで行くとだいたい9日~10日かけて歩くようだ。
そしてその間の大量の食糧が必要なので、山岳ガイドに加えて馬やロバを雇って食料を運ぶことになる。
しかし私はもっと自由に、自分の好きなように歩きたかったので、単独で地図を片手にテントを担いで行った。
ルートもはっきりしていて、地図さえあれば迷うこともないと思う。
大量の食糧が必要で荷物が重くなると思われるかもしれないが、訪れる先々の村で少しお金を払えば、ホームステイさせてもらえ、ご飯も食べさせてもらえる。
自然の中でキャンプしたのは2日間だけだった。
「お前は一人で歩いてるのか!?」と驚かれることも何回もあったが(笑)
中にはお金を払おうとしても、お金なんて必要ないよと言って下さる家庭もいて、親切なザンスカールの方々に感謝。
ちなみにこれが私が歩いたザンスカールトレックのルート。
1日目:ラマユルからザンスカールトレック開始
ボランティアとしてリッキル(Likir)村のホームステイタイプのゲストハウスで働かせてもらっていた私だが、ザンスカールトレックのために2週間の休養をもらって、いざ出陣。
オーナーのスタンジンは山岳ガイドとしても働いているので、トレッキング用の地図を貸してくれ色々アドバイスもくれた。
トレイルも比較的はっきりしていて、地図が読めて登山に慣れている人であれば大丈夫とのこと。
いってきます。
スタート地点はラマユル。
ここからザンスカール山岳地帯の奥深くに歩いていく。
目指すは18.5km先のパンジラ(Panjira)付近。
人っ子一人見当たらない山砂漠。本当にこれから180kmもザンスカールの山々を歩けるのか。
最終的に写真の奥にある峠プリキティ峠(Prikiti La)3725mを越えるのですが、谷に入って上がって迷いに迷う。
誰もいないのでついていく人もいないし、頼れるのは自分のみ。
写真のような谷に入ると自分がどこにいるのかわからなくなる。
簡単にトレイルが見つかるって教えられたけど、野生動物が通る獣道か人が歩くトレイルなのか判断に迷うことも。
丘の上に上がったり、谷に下がったり。峠道にたなびくタルチョ(祈祷旗)のおかげで、向かうべき峠がわかった。
無事に峠道を越えワンラ(Wanla)へ到着しホッと一息。
ワンラは小さな村だけど、小さなショップやゴンパ(僧院)もある。
ちょうどよかったのでここでお茶を飲みながら一休み。
そしてまた歩き出す。
でもあることに気づく。
あれ?トレッキングしてるはずなのに車道があるし、車も何台か走っている。
車道があって車が数台走っている道をわざわざ徒歩で歩くのも面白くない。
ということでこの日はパンジラ(Panjila)までヒッチハイクした。
正直ここはスキップしても良いゾーンです。特にアッと驚く景色もなく悔いることは何一つない。
中型トラックの後ろに乗ってレッツゴー。
幸運にもそこで出会った方に今夜ホームステイさせて頂けることに。
夕食と朝食付きで400ルピー支払った。何と親切にも翌日の昼食までパック詰めにして持たせてくれた。
こんなに親切な人ばかりなら、ザンスカールトレックをホームステイしながら、歩くことができると確信した瞬間。
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2日目:パンジラからハヌプタへ
今日はパンジラからハヌプタ(Hanuputta)まで15km歩く予定。
今日からズルなしでちゃんと歩くことを決意しながら、朝ごはんとしてパンと自家製バターにジャム、バター茶を頂いて出発。
今日はひたすら写真のような渓谷の中を歩いていく。
辺りはシーンとして、自分の歩く音と近くを流れる川の音のみ。
この辺りはまだラダック地方で、この渓谷を越えたところに念願のザンスカール地方が待っている。
しばらく歩いていると、ようやくザンスカール最初の村が見えてきた。
ラダックもそうだけど、この辺りは村がある近くにだけ緑に溢れている。
厳しい環境の中で限られた居住可能な土地を見つけて、はるか昔から先祖代々住み続けているのだろう。
村を歩いていると、立派なマニ車を見つけた。
このマニ車は回せるようになっていて、ぐるぐる回すだけでお経を全部読んだことになる手軽な信仰道具である。
村の入り口にはこのマニ車があることが多く、村人は時計回りに三回まわして通り過ぎる。
今夜は村内にあったショップの店員と子供たちと仲良くなったので、店のすぐ横にテントを張らせていただいた。
夕食と朝食は彼らの母親が用意してくれるという。ありがとう。
テントだけどこかに張って、お金を少し払いホームステイでご飯だけ食べさせてもらうこともできる。
3日目:ハナプタからフォトクサルへ
朝日がテントに差し込み、その光で目を覚ます。
今日はここからフォトクサル(Photoksar)に向かう。
距離は25km。今日は長い一日になりそうだ。
ハヌプタからの道は徐々に視界が広がってきて、砂漠のような高原や雪を抱いた山を背景に歩いていく。
車道もあるのだができるだけ通らないように自然の中を歩く。
時折岩の上にマーモットの姿を見つけることもできた。
しばらく歩き続けていくと、大量の山羊を放牧している一家に出会う。
「ジュレ―(こんにちは)」「今できたてのお茶があるけど飲んでく?」
もう2時間以上も歩いて疲れていたので、お言葉に甘えて一緒に休憩させてもらう。
どうやら以前にも日本人のトレッカーを家に泊めたことがあるみたいで、次回来るときはぜひ家に泊まるようにと言ってくれた。
こんな風に現地の人々とふれあいながら歩けるのが、単独トレッキングの魅力の一つ。
お茶を頂いて一服した後には、シルシルラ峠への坂道が続く。
うねうねと曲がりくねったトレイルを、高度のせいで息を切らしながらゆっくり登っていく。
ついにシルシルラ(Shirshir la)4800mに到達すると広がる絶景。
山の頂上ではなく、峠道で4800mもあるなんて。
荒涼とした大地が広がっており、奥には翌日越えるであろう峠が見えている。
峠道には高く積まれた石塔と願いをのせたタルチョ(祈祷旗)がたなびいている。
よし!4800mまできた。景色も良いのでしばし休憩。
まるで砂漠のように見えるこの土地にも生命はある。
近くに可憐に咲く白い花を見つけた。
またこの辺りでは、まるで鳥が鳴いているような独特の鳴き声を持つマーモットもよく見かけた。
岩場の上に登ってこちらを見ている。近づいたら岩の下に隠れる。
峠道からゆっくり下りながら、しばらく歩くとフォトクサル村(Photoksar)が見えてきた。
荒々しい山をバックに、崖に沿って家が建てられている。
何て美しいところなんだろう。
この村も標高は4100mある。
畑があるエリアを歩き回ってみると、山から流れてくる雪解け水がどの畑にも届くように、水路がうまくはりめぐされている。
限られた水を農業に有効に使う先祖代々の知恵。
川があって、花が咲き乱れ、良いところだなー。これまでの荒涼とした大地からは考えられない。
今まで見てきたラダックの村もそうだけど、村がうまく自然に溶け込んでいるように見える。
村人の暮らしもそうで自然の恵みと一緒に生きている。
ここに何十年も暮らすとどんな気持ちになるだろう。
この日は民家に頼んで、使っていない耕作地にテントを張らせてもらった。
夕食はおいしいトゥクパ(チベット風うどん)だった。
4日目:フォトクサルからシンギラ峠へ
朝、村人が畑仕事に出ていく音で目が覚める。
今回お世話になった家には小学生がいて、彼らが学校に行くために準備する姿を横目に朝食を頂く。
今日はシンギラ峠を越えて、少し下ったところでキャンプする予定。距離は18km。
フォトクサル村からゆっくり高度を上げていき、まずはボウミツェラ峠(Boumitse la)を越える。
村の畑を通り抜けて行くのだが大麦などが順調に育っていて、茶色の大地に映える緑が美しい。
峠近くではフォトクサル村もこんなに小さく見える。
村の周囲だけが緑色に輝く。
峠を越えてしばらく歩いていると、美しいシンギラ峠が見えてくる。
しばらく前方の楽園にきたような美しい景色の中を歩いていく。写真右上の山の景色はお気に入りで、今でも鮮明に思い出せる。
写真の中で双方の山に挟まれた中央部分がシンギラ峠で標高は5000mを越える。
しばらく歩いていると、川を越えて対岸に渡らないといけない場所に出た。
雪解け水で川が増水した後は、川を渡るのが危険となるトレッキングコースなどもある。
別のルートをトレッキングしていた時に、一度流されそうになって危なかった。
ここはまだそれほど川が深くなかったので、ズボンをまくって、サンダルに履き替えて越える。
水はめちゃくちゃ冷たい!
川を越えると、うねうねと曲がりくねった道が標高を上げていき、シンギラ峠へ到達。
山の先にはまた山。いったいどこまで続いているんだろう。
茶色のおもしろい形をした山の奥に雪をかぶったさらに奥地の山が見える。
6000m以上はあるだろうなー。
峠で景色を楽しみながら少し休憩して、今夜キャンプできる場所を探しながら峠道を下っていく。
すると前方からベルがリンリンとなる音が聞こえてきた。
前方からロバに荷物を括り付けた小隊が登ってくる。
昔々車もまだなかった時代は山を越えてこうやって荷物を運んでいたのだろうなー。
まだまだザンスカールやラダックには車道が整備されていない場所がたくさんある。
整備されれば徐々にそこに暮らす人々の暮らしも変わっていくだろう。
峠道をしばらく下り、今日のキャンプ地候補を発見。
雪解け水が流れる小さな川もあるし、何より景色がいい。
近くの川で顔を洗って、体をふいて。
昨日フォトクサル村で調達したパンや缶詰、ビスケットを頬張りながら、ただただ景色と一人だけの静かな時間を楽しむ。
眠りにつく頃には満点の星空が夜空に輝いていた。
5日目:シンギラ峠からリンシェ村へ
今日は少し早く起きて、朝日を見た。
今日も快晴!ザンスカールにはめったに雨が降らない。
写真の右下に見える道を歩いていく。
毎日絶景に囲まれて幸せ。
気持ちいい景色の中を歩いていると、放牧されているヤクに出会った。
ヤクは牛に似ているけれど、毛がもさっと長いのが大きな特徴。
ヤクはザンスカールでも大切で重要な家畜。人々はヤクと共に穀物を脱穀したり、土地を耕したり、荷物の運搬をする。
そして乾燥させたヤクの糞は、圧倒的に木の少ないこの地方で唯一の燃料になる。
そんな大切にされているヤクの後ろをついて歩いていく。
今日1つめの峠クバラ(Kuba la)4500mを越えて、しばらく歩くとスキュンパタ(Skiumpata)の村が見えてきた。
ここまでは何とか車道があり、車で訪れることも可能だが、この先からは徒歩でしか進めない。
一旦スキュンパタのある谷間まで下りて、橋を渡っとところでランチタイム。
ここで泊まっていってもいいのだけれど、調子がいいのでリンシェ村まで歩くことにした。
谷間からまた橋を渡って標高を上げていく。
この地域に住む村人や他のトレッカーと挨拶をかわしながらしばらく歩くと、マルゴンラ(Margon La)4400mの峠に到着した。
そして、ここからまた歩いてようやく今日の目的地リンシェ村が見えてきた。
リンシェ村までは、まだ車道が整備されておらず、この村に来るには峠道を越えてくるしかない。
今日は24kmぐらい歩いたかな。
村の入り口にあるカフェでもテントを張って泊まらせてもらうこともできそうだけど、さんざんテントで寝たので今日はホームステイしたかった。
村に到着し今夜の宿探しに民家を訪ね歩いていると、ロブザンという青年に出会った。
彼はジャンムーという都市で学生をしているがちょうど休暇で故郷に帰ってきているという。
彼がこころよく家に迎えてくれた。
5~7日目:リンシェ村にしばし滞在
リンシェ村(Lingshad)4100mは山に囲まれた盆地。
斜面の緑に輝く畑が美しく、その中に家がぽつぽつと建っている。
この村が気に入ったのと、少し疲れていたので数日の間村に滞在することにした。
ロブザンと話をしていると彼は休暇で故郷に戻ってきているが、この時期は多くのトレッキング客がザンスカールやラダックを訪れるため、山岳ガイドとしても働いているようだ。
彼はチャダルトレックのガイドもした経験があるといい、今度やろうと誘ってくれた。
チャダルとは、冬の寒さがもっとも厳しい1月中旬から2月中旬までの間に現れる氷の道。
山々の間を流れ込むザンスカール川が凍結し、その氷の上を歩けるようになる。
厳しいトレックだが凍りついた滝など、幻想的な風景を見ることができるという。
冬になると積雪のため峠道が通行不能になるため、このチャダルは今でもこの地域に住む人によっても利用されているという。
例えば急に村人が病気になった時。ヘリコプターで病人を運ぶという手もあるが、それができない時もある。
そんな時このチャダルが唯一の道となるそうだ。
村の一番高い場所には由緒あるゲルク派の大きなゴンパ,リンシェゴンパがある。
ダライ・ラマも何度か訪問されたようである。
翌日はダライ・ラマの誕生日なので村人みんなで祝福するようだ。
私も参加するよう招待を受けた。
まずは子供たちとダライ・ラマの写真を持って、村中を歩き回る。
子供たちは学校の生徒たちだが、学校のために遠くの村から来ている子供も多い。
学校には寮があり、小学生の時から子供たちはそこで暮らしている。
村中を歩き回った後は、リンシェゴンパへと向かっていく。
ゴンパの前では村人が待っていて、到着を祝福する。
ゴンパではバター茶やお菓子が村人に振る舞われ、僧によるお経やスピーチなどで誕生日を祝福する。
眺めの良い屋上から誕生日のお祝いを見守る人も。
このゴンパは500年の歴史がある。
それから毎年ここで同じように彼の誕生日を祝福してきたのかな。
村を歩いているとここではまだ伝統が息づいているのがわかる。
村では今での伝統的な方法で衣類が作られていた。
リンシェ村に住む村人は日干しレンガの家に住み、大麦、小麦、豆を主産物とする農業とヤギ、ヤク、ゾーを中心とする牧畜で生活している。
家畜からはミルク、バター、ヨーグルト、チーズを入手し、その毛や毛皮は衣類や靴、紐に。家畜の糞は乾燥させて燃料にする。
リンシェ村ではコミュニティで協力して放牧が行われている。
毎日交代で担当する者が、朝のうちに村人の山羊やヤクなどの家畜をまとめて放牧地に連れて行って、夕方に連れて帰ってくる。
ちなみに写真の中の女性で動物の皮を腰に着けている女性は既婚、着けていない女性は未婚ということのようです。
山の向こうに家畜が戻ってくるのが見えた。
のーんびり帰ってくるのか思いきや、ヤギがドォーーーっと群れになってひとまとめになって戻ってきた。
土が乾燥しているので砂ぼこりがブワァーっと立ち込めて、せき込む。
どうやって判別するのか不明だが、村人たちは自分の家畜を上手く見つけて分けていく。
そして、それぞれ順番に家に連れ帰っていく。
このように伝統的なザンスカールの生活は、コミュニティに住む者同士で助け合って成り立っている。
ザンスカール地方の厳しい環境に適した適した農業や牧畜、様々な知識や技術が現在の世代まで継承されてきたのだろう。
8日目:リンシェ村からジンチェン
3日間滞在したリンシェ村に別れを告げ、ジンチェンを目指す。
ロブザンに聞いた話によると、ジンチェンには1軒だけ家があって、1家族のみ住んでいるらしい。
20km程歩かないといけないようだが、今夜はそこに泊めてもらおう。
たまたま今日が担当日のロブザンが家畜を集めて放牧に行く時間と重なり、彼と一緒に歩いていく。
何時になるかわからないけれど、また会える日が楽しみだ。
ロブザンと抱擁を交わして別れた後、登山道を馬やロバで荷物を運搬しているいる人々と挨拶をかわしながら歩いていく。
高度を上げハヌマラ付近になると、今まで登ってきたルートとリンシェ村が見えた。
毎回峠に来ると、よくこんな距離を歩いてきたものだと思う。
ようやくハヌマラ(Hanuma La)4700mに着いた。
反対側からヨーロッパから来た登山グループに出会う。
「良い景色ですねー」「ええ本当に。ここはまるで楽園ね。簡単な道ではないけれど頑張る価値があるわ。」
ハヌマラを越えると徐々に高度を下げ、沢沿いを歩くルートになる。
汗でベトベトになった顔を、氷河が溶けて流れてきた川の水でリフレッシュさせながら歩く。
もう夏だというのにルート上には雪がまだ残っている。
時には勇気を出して、今にも崩れそうな雪の橋の上を歩かなければならなかった。
しばらく沢沿いの道が続き、左右にルートを変えながら歩いていく。
時には飛び石を使って、対岸にジャンプしながら。
沢沿いの道が終わり、渓谷の道になり、渓谷を越えると視界がパッと開けた。
細い登山道が続いており、少しでも気を抜くと谷底まで真っ逆さまに落ちる危険性も。
道中になった茶店もトレッキングシーズンが近づいてきて最近オープンしたばかりだそう。
ここで少し休憩し、バター茶とインスタントヌードルを頂いた。
登山道は緩やかだけど、すぐ横にパックリとあいた渓谷は深い。
高度を徐々に下げながら、歩いていく。
尾根歩きが終わり、ジンチェンまではもう少し。
写真の奥には翌日越えなければならない、今回最後の峠が見える。
ジンチェンはザンスカール川の支流になる2つの川が交わるところ。
川の勢いは強く、眠るときに良い子守歌になりそう。
ジンチェンに到着し、このエリア唯一の家を発見する。
幸いなことに空きスペースにテントを張ることを許可してくれた。
すぐそばに川が流れていたので、汚れた服などをさっと洗う。
ここには、この家族しか住んでいないらしく近くのキャンプサイトも運営している。
自分たちの畑からとれた食材で、とびっきりおいしいモモ(チベット風餃子)を料理してくれた。
9日目:ジンチェンからハヌムル
ジンチェンからは今回のトレッキングで最後の峠道プルフィラを越える。
この辺りは両側を切り立った山に挟まれ、本当にここしか通れないという場所に峠道がある。
またお馴染みのジグザグの道をバックの重みを感じながら登っていく。
登山道には馬やロバの糞だらけで、この山を越える唯一の道を多くの人々が利用していることがわかる。
そしてプルフィラ(Purfi La)に到着。
最後の峠道。
これまで1人で歩いてきた道を振り返って、すこし胸が熱くなる。
できるかどうかわからないことに挑戦して、それを達成できた時の喜びはひとしおだ。
プルフィラを越えると、後は下っていくだけでもう急勾配を登る必要はない。
反対側からくる登山グループも多くなり、細い登山道を譲り合いながら歩いていく。
ここから見えるザンスカール川の対岸には建設中の自動車用道路がある。
こんな険しい渓谷にどうやって道路を建設していくんだろう。
峠道を下りきると、ここからはザンスカール川沿いを歩いていくことになる。
マーモットの鳴き声に耳をすませながら歩いていくと、今日の目的地ハナムル(Hanamur)に到着した。
このキャンプサイトは川沿いに芝生が広がっていて、気持ちのいいところだ。
他の登山グループがおいしそうなご飯を食べている。
それを見てお腹が空いてきたので、キャンプサイトのおじさんにインスタントヌードルを作ってもらった。
その夜は久しぶりに雨が降った。
この乾いた大地には恵みの雨だ。
10日目:ハヌムルからザングラ
ザンスカール沿いの平坦な道をどんどん歩いていく。
緑が広がる畑には、ヤクやゾ(牛とヤクの雑種)ではなくトラクターの姿が。
ピドゥムの村に近づくと、電柱や電線がある。
越えてきた峠の向こう側の村々とは別世界だ。
ピドゥムで大きなつり橋をわたりザンスカール川の対岸に渡る。
つり橋は数年前に洪水で流されて、まだ建設中だったが幸運なことに渡ることができた。
後ろからはバイクが追い越していき、遠くで車の走っている音も聞こえる。
車道の通っていないリンシェ村やジンチェンでは、ただ自然とヤクやヤギの鳴く声だけだった。
そして、ザングラに到着。
Zangla(ザングラ)では英語の先生を学校でしているという方の家に泊めていただいた。
夕食を食べるとき、現地NGOで働くドイツとオーストリア出身の方々も一緒だった。
ラダックやザンスカールには様々なNGOが入り、この地域の生活環境の向上をを良くも悪くも支援している。
翌月にはヨーロッパから20名程の学生が来て、コミュニティセンターなるものを建設するそうだ。
ザングラの村の丘の上には尼僧院がある。訪ねていくと1人の尼僧が快く迎えてくれて、彼女は自分の部屋に案内し、バター茶を用意してくれた。
構内には子供たちの姿もあり、ここで勉強に励んでいるそう。
テレビを見ることができる時間になったようで、子供たちは飛ぶようにテレビがある部屋に走っていった。
11日目:ザングラからカルシャ
今日はザングラからカルシャに向かって歩く。
昨日お世話になったホストファミリーに温泉が道中にあると聞いた。
水着を着用して、タオルを準備して歩き出す。
そして聞いていた場所に近づいてくると、緑が広がりいくつか大きな水たまりがあり湿地帯のようになっている。
放牧されているヤギや牛の姿も見える。
本当にこんな場所に温泉が?
歩き回って温かいお湯がある場所を見つけたが緑に濁って、とても入れるような衛生状態ではなさそう。
たぶん別の場所があるのだろうけど、とりあえず今回はあきらめて先に進んだ。
今も場所は謎のまま。
ザンスカール川に架かるつり橋を渡って、対岸に戻り歩き続ける。
山に囲まれた、広大な平地をどんどんいくと、カルシャ(Karsha)に到着。
緑が豊かな村だ。
このカルシャにはザンスカール最大のゴンパ、カルシャゴンパがある。
まるで岩山の斜面にへばりつくように建てられている。
創建は11世紀で、現在は200人程の僧が住んでいる。
このゴンパには泊まらせてもらうこともでき、インドの別地域からきた女性2人と一緒に僧の部屋に泊めていただくことができた。
僧院というと女性禁制というイメージだったが、女性が泊まるのにも問題ないらしい。
そして同じ部屋で寝食を共にすることも。
僧というと固くて真面目なイメージだが、話してみると普通の人。
もちろん冗談も言うし、色んな話をした。
夕食は彼女らがおいしいインドカレーを振る舞ってくれた。
彼女らとは意気投合し、その後Padumでも夕食を一緒に食べ、デリーでも家に招待してくれた。
12日目:カルシャからパドゥムへ
翌日お世話になった僧に別れを告げ、パドゥムの町へ。
楽しかったトレッキング生活も今日で終わり。
宿で久しぶりの温かいシャワーを浴びて極楽気分。
ここにはバザールもあり何でも売っている、ザンスカールを旅する拠点の町だ。
同じ宿で日本からグループで来ていた登山客に出会った。
10人程のグループで歳は皆60才以上に見える。
これから、はるか東のダルチャ(Darcha)まで10日間かけて歩くという。
日本のお年寄りは元気だなーと感心した。
ヒッチハイクで帰宅
パドゥムからカーギルを結ぶ車道を使ってゆっくり帰宅開始。
おんぼろバスで帰るよりも、ヒッチハイクで景色を楽しみながらのんびり帰る。
30分ぐらい待っていると、子連れのお父さんが乗せて行ってくれるというので同乗させてもらった。
これからラダック地方で一番大きい町レーに行く彼は、訪れる村々で何やら頼みごとをされている。
おそらく車を持っている人は少人数なので、配達する物、持ち帰ってきてほしい物など、色々頼んでいるんだろう。
途中で村人を乗せては降ろしての繰り返し。
途中の村で牛の移動を頼まれ、牛を後ろの荷台に乗せた。
走っているとこんな石を積んだだけの家に住んでいる人々をよく見かけた。
彼らは夏の間中、家畜を放牧するためにこうして滞在するそうだ。
カシミールからトラックで大量の食料や荷物を運んでいる。
短い夏が終わるとこの車道は雪で覆われ、翌年の夏まで通行不能になる。
ここで乗せてきた牛を降ろす。
車は断崖絶壁の道を走りながらどんどん標高をあげていき、ペンシラ(Pensi la)に到達する。
ここからはドゥルン・ドゥルン氷河が見える。
ここから車は高度を下げていき、ランドゥム(Rangdum)へ。
あたりも暗くなってきたのでドライバーに別れを告げ、今夜はここに泊まることにした。
ここにはランドゥムゴンパがあり、泊まらせてもらうことができた。
この地域では気軽にゴンパに泊まらせてもらえるのでありがたい。
この辺りには珍しく湿原地帯が広がっている。
翌日はまたヒッチハイク開始。
なっかなか車が現れないが、2時間後にやっと1台の車が止まった。
それは普通の車ではなかった。
なんとジャンムー・カシミール地方の知事が運転する車だった。
思い出した!そう言えばパドゥムでやたらと警官が多かったのは知事が来るからだと聞いていた。
止まった車をのぞいてみると、ガードマンに秘書に、ドライバーで。
あれ?知事はどこ?
っと思ったら知事は運転が好きで自分でここまで運転してきて、帰り道も自分で運転するそう。
それにヒッチハイカーを乗せてくれるなんて、なんていい人なんだ。
道中色んな話をしてくれて面白かったー!
車は途中で近隣の村からの嘆願書などを受け取りながら、ゆっくり進んでいく。
この辺りに来ると、仏教ではなくイスラム教の世界。
ゴンパは姿を消し、代わりにモスクが現れた。
知事たちにパルカチック(Parkachik)で別れを告げた。
ここからパ二カル(Panikhar)へと山を越える峠から7000m級の山ヌン(Nun)とクン(Kun)が見たかったからだ。
あれだけ山岳地帯にいたのにまた山に(笑)
天気は良くなかったけれど、何とか氷河の一部を見ることができた。
反対側にはスル渓谷が見える。
この辺りも素晴らしい景色。
次回はもっと時間をかけて探検したい。
パ二カル(Panikar)で家畜を放牧している方々と出会った。
持っていたビスケットを一緒に食べた。
これで今回のザンスカールの旅は終わり。
また会う日まで。
おわりに
今回はザンスカールを紹介しましたが、ラダック地方の暮らしにもっと興味がある方はこちらもどうぞ。
ラダックのリッキル村でホームステイした時のことを記事にしています。
https://sasurai.world/ladakh-likir/
ラダックの後は、中国へ行きました。旅の続きはこちら
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