ウズベキスタン かつてのシルクロードを行く ブハラとヒヴァへ 

ボイスンで新年を迎えた後、東西に長ーいウズベキスタンを西方向に進んでいきました。昔はラクダに乗ったキャラバン隊が通ったであろう、シルクロードの時代を思い浮かべながら西へ西へ。

途中かつて中央アジアで重要であったオアシス・宗教都市のブハラとヒヴァにも立ち寄りました。あーまるで中世にタイムスリップしたような旅だ。ぜひとももう一度訪れたい。

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シルクロードのオアシス都市「ブハラ」散策

サマルカンドと同じように、ブハラにも日本語を勉強できる学校があります。たまたまそこの生徒と出会って、「日本語の練習がしたいから案内しますよ」と、彼は町中を案内し、歴史などを説明してくれました。

ブハラはサマルカンドと同じく、古代から栄えたオアシス都市。中央アジアの乾燥地帯の中に位置しますが、水資源に恵まれた場所。まずはソグド人の商業都市として栄え、ブハラの商人たちは東西交易の仲介者として活躍し、それに伴い都市も発展していきます。

8世紀からアラブ人によるイスラーム勢力がブハラにも進出し、地域のイスラーム化が進んでいきます。この時代以降、ブハラには優秀な宗教家や科学者が集まるようになり、中央アジアにおける最も重要な都市の1つに。

しかし、13世紀の初め、モンゴル帝国のチンギス・ハーンによりブハラは壊滅してしまいます。モンゴルではヒーローの彼もここでは悪役。

その後ブハラはゆっくりと復興をはじめ、16世紀後半にシャイバーン朝がブハラを首都に定めます。シャイバーン朝以降の王朝もブハラを首都とし、多くのモスク、マドラサ、公衆浴場、商店街などが建設されました。

そして、次第にブハラは中央アジアにおけるイスラム教学の中心地としても重要な役割を果たすようになっていき、「ブハーラーイ・シャリーフ(聖なるブハラ)」と呼ばれるように。各地から多くのムスリムが巡礼や勉学のために訪れる宗教都市として発展しました。

そのためブハラには数多くのイスラム神学校(マドラサ)やモスクが現在まで残されているのです。その中の1つが16世紀に建設された、ミル・アラブ・マドラサです。ここでは、現在でもイスラム神学を教えています。何と宗教を禁じていた共産主義ソ連時代にも、イスラム神学を教えることを認められていたのだからすごい!

サマルカンドで見た建物と同じように、青色をしたドーム型の屋根、美しくデザインされた繊細なタイルが美しいです。そのすぐ近くには巨大なカラーン・モスクがあります。このモスクも16世紀に建設されました。

何とカラーン・モスク、1万人が礼拝できるのだそう。そのあまりの巨大さに、チンギス・ハンがブハラを征服した時に宮殿と間違えて破壊してしまったという話もあるぐらいです。おもしろい話ですね。

しかしソ連時代にイスラム神学を教えることを認められたミル・アラブ・マドラサと違い、カラーン・モスクはただの倉庫として利用されていましたようです。独立後の現在では、再びモスクとして利用されるようになっています。

またブハラのシンボルである、カラーン・ミナレットも同じ広場にあります。この高さ46mもあるミナレットは1127年に建設され、ブハラだけでなく中央アジアで最も高いミナレットだそう。旧市街のどこからでも見ることができます。

そのため、このミナレットはブハラを目指して旅をするキャラバン隊の目印にもなっていたようです。歴史を感じますねー!しかしこのミナレットには恐ろしい一面も。

ミナレットとして街の人たちに礼拝を呼びかけるだけでなく、罪人を袋に詰めて突き落とす処刑場としても利用されていたそう。その事から「死の塔」という異名も持っています。

チンギス・ハーンが13世紀にブハラを襲撃した時に、なぜかこのミナレットを破壊しませんでした。その理由がまた面白い。彼はこのミナレットの前で帽子を落としてしまい、その帽子を拾おうとした時に思わず、この塔に頭を下げてしまったそう。

チンギス・ハーンに頭を下げさせた塔として破壊することが禁じられたのだとか。モスクを宮殿と間違えたり、頭を下げてしまったミナレットの破壊を禁じたり、チンギス・ハーンってどんな人だったんでしょうね。

ちなみにカラーン・ミナレットには、他の建築物に使用されている青色タイルなどがほぼ使われていません。下記の写真のようにレンガを組むだけで、美しい模様が浮き出すようにデザインされているんです。

もう1つ興味深いのがボロハウズ・モスクです。ハウズというのはため池という意味。モスクの目の前には用水池として使用されていた小さな池があります。20本の木の柱に屋根が支えられているのですが、それぞれの柱に彫刻が施されています。

本来は王様専用のモスクであったらしいですが、今では通常の人たちも礼拝に訪れています。

町中にはタキと呼ばれる、ドーム状のポコポコした屋根が特徴の建物がいくつかあります。これはかつてバザールとして使用されていました。入り口の天井が高いのは、ラクダが通れるように設計されているからだそうです。

バザールの内部には観光客向けにお土産屋さんがたくさんあります。その中でもなぜか気に入ってしまったのがこれ。

どうやらこれはナンを焼く時に生地の中心部に押すものらしいです。そういえばナンに色んな模様があったのは、この器具を使っているんだな。おもしろい!

ちなみにブハラは絨毯の生産地としても有名です。街の中心部にも絨毯工場がありました。

サマルカンドよりはこじんまりした感じで、フレンドリーな人々との会話も楽しみながら散策を楽しめました。ビザの関係でたった3日しか滞在できなかったのが残念。

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その歴史はノアの箱舟時代にさかのぼる 博物館都市ヒヴァ

ブハラを離れこちらもシルクロード上の重要都市であったヒヴァにやってきました。

ヒヴァの歴史を調べていてびっくりしてしまいました。ヒヴァの名前の由来ですが、「ノアの箱舟」のノアの息子セムが砂漠で井戸を掘り、その水を飲んだ人々が「ヒワック(甘い水)」と叫んだという話からだそう。歴史を感じる逸話です。

紀元前2世紀、ヒヴァはすでに古代シルクロードの主要な町として栄えていました。13世紀になりブハラやサマルカンドと同様に、チンギス・ハーンのモンゴル帝国により破壊されてしまいますが、14世紀には有名なイブン・バットゥータも、ヒヴァの繁栄ぶりを記録に残しています。

16世紀の初頭にはヒヴァを首都とするヒヴァ・ハーン国ができ、現在まで残されている主要な建築物は、この時代に建設されました。しかしその後ペルシャのシャーによる襲撃で、またもやヒヴァは破壊されてしまいます。

しかし18世紀には、再びヒヴァは復興。現在見ることのできる建築物は、この時に再建されたものがほとんどのよう。

いよいよヒヴァの見所がつまった「イチャン・カラ」には、巨大な城壁の内部へ向かいます。大きい!

この城壁ですが、日干しレンガを積み上げて作られており、高さ約10m、長さ2100mもあります。最初に建設されたのは10世紀とのこと。

城壁は何度も破壊されましたが、そのたびに再建され続けてきました。現在の城壁は17世紀に再建されたものです。実はこの城壁は内壁で、かつて町は外敵を防ぐために外壁と内壁の二重の城壁に守られていました。しかし外の城壁「ディシャン・カラ」の城壁は、現在ほとんど残っていません

内側の城壁に囲まれた「イチャン・カラ」の中には、数々の歴史的建造物と古い民家が存在します。この「イチャン・カラ」は博物館都市とも呼ばれ、世界遺産にも登録されています。

城壁の内側へ入ると、シルクロードの砂漠に存在したオアシス都市の世界にタイムスリップしたような気分になります。せまい路地が入り組み、土色の風景が広がります。

観光地なのですが、今でも城壁内で人々は生活を送っています。町の人々は、とてもフレンドリー。町の人々が集まっているので近寄ってみると「おーい。こっちに来たらどうだ?」と誘われ、行ってみるとお茶や昼食をご馳走してくれました。

城壁内で一際目立つのが、ぐるっと青を基調とした様々な色で非常に美しく装飾されたミナレット「カルタ・ミナル」です。1852年の建設当初は100メートルの高さを計画していましたが、現在の26m時点で建設が中止されてしまいます。

その理由は、王様であったムハンマド・アミーン・ハンがペルシャとの戦争で死んでしまったからだそう。完成した姿を見てみたかったですが、それも歴史の一部。

ヒヴァを訪れたからには「イチャン・カラ」を歩き回るだけでなく、城壁の上やミナレットに登って町を眺めてみるのもおすすめです。その中でも「イチャン・カラ」の中で最も高い、「フッジャ・マドラサ」のミナレットに登ってみます。

人がギリギリすれ違えるくらいの細い螺旋階段を息を切らしながら登ると、絶景が待っています。

まるでシルクロードで栄えた時代にタイムスリップみたようじゃないですか?近代的な建物がなく、土色をした伝統的な建物ばかり。

思わずミナレットの頂上で空想に耽ってしまいました。ヒヴァがその昔、どんな場所であったか、人々がどのように暮らしていたか。

おわりに

いかがでしたでしょうか?ウズベキスタンに来たからには、かつてシルクロード上の拠点として繁栄を誇った都市は必見ですよね。本当に自分の住んでいる場所と、遠く離れた異世界に来たようで圧倒されます。

この後はウズベキスタンを抜け、カザフスタンのアクタウに。カスピ海を越え、アゼルバイジャンに向かいます。

カスピ海を越えていく ウズベキスタンからカザフスタン経由でアゼルバイジャンへ


コメント

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