ホルムズ島、バンダル・アバスを去って向かうのはシラーズ。ヒッチハイクの距離は600kmもある。無事に辿り着けるのか。
バンダル・アバスで自宅に泊めてくれてお世話になったアコが、最終日わざわざヒッチハイク場所まで送り届けてくれました。アコが夕食に作ってくれたポテトパイおいしかったな。後ろ髪をひかれつつも、シラーズへ。
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ヒッチハイクでシラーズを目指す
さて早速ヒッチハイクを開始。シラーズまでは600km近くもあるので少し不安なのと、絶対いけるという妙な自信が半分ずつというような心境。
そのわずか5分後。男3人が乗った車が停車。「どこまで行くんですか?」「シラーズまで行くよ。」
これぞ奇跡。わずか5分の間にシラーズまでのヒッチハイク成功。
シラーズまでは距離が大分あるので、運転中に何回か休憩をはさみながら進んでいきます。そしてお昼ごろになって「昼食でも食べようか」ということで、ファーストフードの食べられるお店に。彼らはショップオーナーと顔なじみらしく、楽しそうに会話中。
そこで彼らがいきなり「ヴォッカでも少し飲むか?」とか言い出した。「ん?イランでアルコール飲料は禁止されているのでは?」と聞いてみると、「それはオフィシャルにはそうだけど、禁止されてるものなんて実は簡単に手に入るんだ」
といって店主が店の奥から取り出してきたのは、正真正銘のヴォッカ。そう表舞台では禁止されていることも、実はイランでは何でもこっそりと行われているのです。
例えば禁止されているのが、サテライトTVで海外の放送を見ること。デコーダーとパラボナアンテナを購入して、誰もが見ているとの事。イギリスで現地在住のイラン人向けのチャンネルがあり、そういったものを好んで人々は観賞しているらしい。
もちろんイラン政府も取り締まりを行っている。違法パラボナアンテナを発見するために、ヘリコプターから航空写真を撮ったりするらしい。しかし、ここが電気屋の腕の見せ所。彼らは、絶対にアンテナが見つからない場所へ設置する方法を知っているのだとか。
テヘランのような大都市にもなると、シークレットホームパーティーなるものもあるらしいです。そのホームパーティーの中では、普段禁欲させられている分、参加者はかなりハメを外しているそう。男性だけでなく、女性も普段着用できない大胆な格好をし、お酒を飲み、タバコを吸い、踊り狂ったり。
そんなイランの裏側をレクチャーしてもらいながら、日も落ちてきたころにシラーズに到着しました。
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シラーズ到着 町を散策
さてシラーズでもアフワズで出会ったムスタファの友人、アリラザ宅にお世話になることに。彼は妹と二人でアパートを借りて住んでいるらしい。電話番号を教えてもらっていたのでさっそく電話。
すると、近くの英会話教室で授業に参加しているから、そこまで来てくれとのこと。住所を教えてもらい、さっそく英会話教室に参加する。
教室に辿り着くと「ウェルカム・トゥー・シラーズ」と先生と生徒さんたちが温かく迎えてくれた。英会話教室ということもあり、英語で自己紹介・スピーチをさせられました。政府がいくら反米政策をとっていても、やはり国際語となっている英語は大切。たくさんの生徒さんたちがいました。
英会話教室を終えて、さっそくアリラザが自宅へと招待してくれました。そこで待っていてくれたのは、彼の兄妹のタイヤベとパリ。何とイランの家庭料理を用意してくれていました。
イランの料理大好き。本当に何でもおいしい。夕食を食べながら日本やイランについて、旅について、色んなことを話していると真夜中に。楽しい時間はあっという間に過ぎてしまう。
翌日はシラーズを少し散歩しました。実はシラーズは標高1500mに位置する高原都市。イランの南部から北上してきたせいもあるのか、少し肌寒く感じました。
シラーズのあるファールス州は紀元前700年あたりから繁栄した、アケメネス朝ペルシア帝国の中心地であった歴史ある土地。何と約2500年前の都ペルセポリスの遺跡も、シラーズから60kmほど離れた場所に残っています。
町を歩いていると、「何処から来たの?ハロー!!ウェルカム、シーラーズ!」と笑顔で声がかかります。イランの人々のフレンドリーさはどうなっているんだ。
13世紀には、ペルシャの学者や芸術家が集まる街であり、有名なペルシャの詩人ハフェズやサーディもこの土地で生まれました。またここシラーズは、ワインで使われるブドウの種類「シラーズ」の原産地とも言われています。
そんなペルシャ文化の中心地であったシラーズには、「エラム庭園」などの美しいガーデンやモスクが多く残されています。
その中でも圧巻なのが「シャー・チェラーグ聖廟」です。この聖廟は、9世紀にこの地で殉教したシーア派8代イマーム・レザーの弟、シャー・チェラーグの墓があった場所に14世紀に建造されました。
基本的に異教徒は内部まで入れないようなのですが、実際はガイド付きで廟内を見学することができます。建物の外観もすごく美しいのですが、圧巻なのは建物内部。モスク内部は壁面からドームまで全面に小さな鏡が貼りつけられ、きらきらと光っています。
残念ながら建物内部は撮影禁止だったので、写真は撮影できず。唯一写真を撮らせてもらえたのは、ここ。ここも鏡張りになっているが、聖廟がある内部はもっともっとすごい。写真では美しさが伝わりづらいかもしれませんが。
聖廟を見学後、町を歩き回っているとモスク前で奇妙な人だかりを発見。中に入ってみると炊き出しのような事をしていました。「こっちに来い」と手招きされるので行ってみると、お椀にガボッっとスープとご飯をよそってくれました。優しいイランの人たち。
翌日はシラーズの郊外の村、ガラット(Ghalat)にも遊びに行ってきました。日干し煉瓦で建設された家が建ち並び、村のすぐ近くには森や丘、滝などがあり、都市の喧騒から離れてリラックスするには最高の場所。シラーズ在住のローカルにも、ピクニックをするのに人気の場所なんだそうです。
森の中を散歩がてら歩いていると出会ったのが、シラーズから遊びに来ていたローカルギャング達。さすがシラーズ種発祥の地。「自家製ワインがあるけれど、一緒に飲まないか?」とお誘いを受けました。
もちろん自家製ワインなど法律違反ですが、多くの人が実際は作っているそうです。キャンプファイヤーをしながら乾杯。
イランは敬遠なイスラム教徒の国というイメージは、とっくの昔になくなってしましました(笑)
砂漠のオアシス都市 ヤズド
シラーズを離れた私は、砂漠にあるオアシス都市ヤズドにやってきました。ここヤズドもシルクロード上の交易における要所として、絹や香辛料などを運ぶキャラバン隊が訪れ、栄えてきました。あのマルコ・ポーロも13世紀にヤズドを訪れました。
しかしヤズドの歴史はもっと古く、遡ると紀元前3000年ごろのメディア王国の時代から、砂漠のオアシス都市として発展してきたことがわかります。
ヤズドは厳しい砂漠上に位置していたことから、非常に攻められにくく、戦争により町が破壊されるような惨劇からその姿を守ってきました。例えば7世紀にイスラム軍が攻めてきたときも(ヤズドはゾロアスター教発祥の地)、飲料水や食料の確保が難しい事から、ヤズドは攻められませんでした。
またチンギス・ハーンが擁するモンゴル帝国が、イランに進出してきたときも、ヤズドは惨劇を免れ、他地域に住む住民の避難地となっていました。そのためでしょうか、日干しレンガで作られた伝統的な家屋などが旧市街地に多く残されています。
そんなヤズドでもアフワズで出会ったムスタファの紹介で、友人のアリに無料で泊めてもらいました。彼はヤズド市内にキャラバンサライ(隊商宿)をリノベーションしたホテルを経営しています。そこの地下室にある部屋に泊めてもらっていました。(本当に色んな人にお世話になりすぎ)
さて早速ヤズドの町を歩いてみます。ここでもカウチサーフィンで知り合ったマジッドさんが、ガイドをしながら一緒に歩いてくれました。
旧市街を歩いていると、別の時代にタイムスリップしたような気持になります。狭い迷路のような路地には、日干しレンガを土で塗り固めた家々が建ち並び、風情のある土色の世界。
まずマジッドさんが教えてくれたのが、この古そうなドアについて。
さてこのドア左右にそれぞれ異なった金具がついています。女性の訪問者は女性用の金具を鳴らし、男性の訪問者は男性用の金具を鳴らすそうです。
女性側の金具が鳴った時は女性が応対し、男性の金具の場合は男性が応対するのだとか。そうすると、女性が他の男性に顔を見られずにすんだり、男性用のベルが鳴った時に、女性がスカーフを被って顔を隠すことができるという事らしいです。
ヤズドを歩いているとよく見かけるのが、バードギール(風取り塔)と呼ばれる、上部にいくつか穴の空いた塔のような建物です。これは砂漠の厳しい気候に適応するために、自然の力を利用した空調システム。塔の上部に空いたいくつもの穴から、上空の涼しい風を取り込んで家を冷やすための仕組みです。
このバードギールの仕組みはただ、涼しい風を取り込むだけではありません。熱い空気は冷たい空気よりも軽いので、塔の上部に熱い空気を導き、カナートと呼ばれる地下水路から冷気を通すことで、涼しい風が吹き抜けるようにも設計されているのです。
こちらはバードギールの仕組みを活かして、貯水タンクの水を冷やしている。
暑さの厳しい砂漠の環境の中に住む人々の知恵。すごいですね。ちなみにヤズドで一番高いバードギールは、ドウラターバードのものです。高さは33mもあります。このバードギールの真ん中に立つと、涼しい風が吹き抜けていくのを実際に感じることができます。
さらにこのドウラターバードのバードギールの建物内部には、美しいステンドグラスもありました。
少し歩き疲れたところで、マジッドさんは昔のハマムを改装したチャイハネに案内してくれました。
使われなくなった古い素敵な建物を、リノベーションして再利用する。こんなアイデアは凄く素晴らしいですね。
最後にヤズドに来たからには砂漠を見ないと!という事で、マジッドさんは砂漠までドライブして連れて行ってくれました。
こんな砂漠の真ん中にヤズドはあるんです。ありがとうアリ!マジッドさん!あなたたちのおかげで、ヤズドを楽しめました。
おわりに
ヤズドの次は、なぜか思いつきで、砂漠の真ん中の、道なき道を突っ切って、イスファハーンまで行きました。その途中で出くわしたヌドシャンという、ホテルが一つもないような、しかし美しい辺境の町。
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