世界中を旅する中で様々な場所を訪れました。めったに観光客が行かないような、秘境や国境沿いの小さな村々。
それはガイドブックにに頼り、観光地を巡るだけでは体験することのできない、異なる場所・文化に住む人々の生活を知りたいから。
今回はその中でもイランを旅していた時に訪れたクルディスタン州、ホウラマン地方(Hawraman region)をご紹介します。
クルディスタン州はどこ?
クルディスタン州はイランの北西部イラクとの国境沿いにあります。
クルディスタン州という名前から想像できるとおり、居住者の大多数はクルド語を母語とするクルド人の方々です。
トルコから続くザグロス山脈の一部であるクルディスタン州の大部分は険しい山岳地帯で美しい景観が広がっています。
クルディスタン州を旅した時のルートは上の地図で見ることができます。
クルディスタン州を訪れる際に拠点となるのが、この州で一番大きな街であるサナンダージ。
今回はサナンダージを拠点に、美しい湖がある街マリバーンへ。
そして、マリバーンからホウラマンバレーを旅しながら、ケルマンシャーへと抜けました。
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ホウラマンバレーを訪れる玄関口 サナンダージ・マリバーン
サナンダージはクルディスタンで一番大きな都市で居住者の大部分はクルド人の人々です。
クルド人はイランのこの地域にだけ居住しているのでなく、西アジアのトルコ、イラン、イラク、アルメニア、シリアにまたがって居住する民族です。
クルド人は「国家を持たない最大の民族」と呼ばれ長年独立を望んできましたが、他国の利害が絡み、抑えつけられてきた歴史があります。
現地で度々クルド人の人々から話を聞いたのがハラブジャの悲劇についてでした。
現地の方々はハラブジャの悲劇を日本のヒロシマ・ナガサキと結びつけて、決して忘れてはいけない悲劇だと話してくれました。
ハラブジャの悲劇とは、1988年ハラブジャ村に対しイラク政府が毒ガスを使用し、5000人ものクルド人の命を奪った事件です。
イラン・イラク戦争中、イランとの結びつきを強めていったクルド人勢力に対する報復だったそうです。
さらにイラク政府はイラク北部の村々を破壊し多くのクルド人を虐殺したと言われています。
そんな歴史を背負っている事もあり、見ず知らない旅人にも優しくもできるんでしょうか?
イランでもクルド人のホスピタリティは有名で、通りを歩いているだけで、「日本から来たのか?お茶を飲んでいきなさい!家に寄っていきなさい!ご飯食べていきなさい!泊まっていきなさい!」とありがたい声が次々とかかります。
また、サナンダージから西に130kmほど離れたイラクとの国境付近に、マリバーンという都市があります。
マリバーンの西方にはザリーヴァール湖があり、高山の麓に位置し森に囲まれている事から、美しい景観がひろがっています。
ちなみに私はサナンダージからマリバーンまでヒッチハイクで移動しました。
車に乗せてくれた運転手は英語が話せませんでしたが、なんと彼はマリバーンに住む友人にわざわざ電話し、
「今日本からきた旅人と一緒なんだが、お前の家に泊めてやってくれないか?」と聞いてくれたのです。マリバーンではお言葉に甘えて、彼の友人のお宅に泊まらせていただきました。
またマリバーンに行く途中でも昼休憩に立ち寄ったレストランで、水タバコや昼食までご馳走してくれました。
自分で代金を払うと言っても、「あなたはわざわざ日本から来たゲストだから」と決して払わせてくれません。
何て寛大で親切な人なんだろうと思いますが、驚くことにこの出来事はイランでは珍しいことではありません。
イランに来た旅人なら必ずこのようなホスピタリティを一度は体験すると思います。
マリバーンでお世話になった家族に聞くと、ここから南の山岳地帯にあるホウラマンバレーと呼ばれる山岳地帯までのバスなどはなく、辿り着くにはヒッチハイクで行くしかないとの事でした。
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ウラマンタフト(Uraman Takht)へ
マリバーンからホウラマン地方で一番大きな村である、ウラマンタフトまでヒッチハイクで向かいます。
まずはサナンダージとマリバーンを結ぶ道路上にある、ホウラマンバレーに続く分かれ道までバスで行きます。
ここからはヒッチハイク。
ウラマンタフトまで行く車は少ないですが、幸運なことに最初に来た車が止まりました。
なんでも地元の人もヒッチハイクをするので、ほぼ全ての車が止まってくれるそうです。
2月だったので季節は冬、雪に覆われた壮大な山岳風景を眺めながらウラマンタフトに到着しました。
ウラマンタフトに到着した瞬間、その美しさに魅了されました。
こんな殺伐とした山岳地帯にも人の暮らしがあるんだ。
山岳地帯の村らしく山の斜面にへばりつくように家が建っています。
石造りの家が茶色の山々に囲まれた自然に溶け込むように建っています。
今まで見たことのないような風景に心を躍らせ、あっちへこっちへ歩き回っていると、村人達が「こいつはこんな場所まで来て何をしてるんだ」と興味深そうに自分の事を眺めている視線を感じます。
「サラーム(こんにちは)」と挨拶すると「サラーム。ホビ?(こんにちは。元気?)」と笑顔で返事があるが、その後が続かない。
くそー!もう少しペルシャ語が話せたらなー!どこでもいつでも思うのは、現地の言葉が話せず山ほどある質問を聞けず返答も理解できないもどかしさ。
本当はもっと色んな会話をして、感謝の気持ちを伝えたい。
ここに住む人々は馬とロバをかけあわせた動物を荷物の運搬に使用します。
急な斜面を登ったり下ったり、持久力があり、山岳地帯に適しているそうです。
写真の中で屋根にいくつか塔がある美しい建物がモスクです。
モスクの内部も美しく見とれていると、モスクで勉強している子供たちが駆け寄ってきました。
「ここで何してるの?」「どこから来たの?」「一人で来たの?」子供たちは興味津々。
ジェスチャーで両手を頬の横に添えて、「今日はモスクで寝るの?」というような手ぶりをするので、今夜は彼らのご好意に甘えて、モスクに宿泊させてもらうことにしました。
なんと泊まらせていただいただけでなく、じゃがいも茹でたのとゆで卵を準備して、ご馳走までしてくれました。
こんなにも温かいおもてなしがある国イラン。テロや戦争の危険で震え上がるようなイメージから程遠い、平和で温かい人々の姿がここにはあった。
クルディスタンのさらに奥地へ(Bolbar, Zhiwar, Novin)
ウラマンタフトを訪れ、さらに奥地へと行ってみたくなり、ヒッチハイクで進んでいきます。
車の数はかなり少なくなり2時間に1台ぐらいしか来ません。それでも車が来ると必ず乗せてくれます。
山岳地帯の中に、山にへばりつくようにできた村々が点在し、まさに秘境に来たような気分です。
ここでもたくさんの人に声を掛けられ、トヨタやホンダやSONYなどについて「日本の製品はクオリティが高くていいねー!」と絶賛の声。
このような秘境の土地でも日本ブランドへの信頼は厚い。
自分は日本人であるという事以外に全く関係ありませんが、言葉が通じない中で日本製品を通じてコミュニケーションがとれるのはありがたい!
ホウラマンバレーには旅行者用の施設などは全くありませんが、食べることと泊まる場所には困りませんでした。
本当に優しい地元の方々に泊めていただき、食べさせてもらい、車に乗せてもらって、何とか旅をする事ができました。
BolbarでもZhiwarでもNovinでも村の人に声をかけてもらい、彼らにお世話になり続けました。
何人にも声を掛けられ、家への招待を何回か断らなければならないほど。
ここでの暮らしは主に農業、家畜の放牧、小麦や大麦、レンティル豆の栽培で成り立っているいるそうです。
ナシの木やくるみの木もたくさんみかけました。貴重な薬草も山の奥でたくさん採れるそうです。
クルド人は、独特の民族衣装があります。
黒い上着にゆるやかなズボンを着用し腰には帯をまきます。
またコラバールと呼ばれる、分厚いフェルトで作られた肩に出っ張りのあるユニークな上着を着用している人も多くいました。後から調べると、これはホウラマン地方に伝わる民族衣装だそうです。
まだまだ一般的には知られていない場所ですが、もっともっとたくさんの人に訪れていただいて、イランやクルド人の優しさを感じてもらいたいです。
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