短すぎた10日間程のジョージア滞在。ジョージアは北にロシア、南にトルコとアルメニア、東はアゼルバイジャンに接している、コーカサス地方の国です。
思い出すのは美しかった極寒の冬の山岳風景。誘われて一緒に飲んだチャチャと呼ばれる、ジョージアのお酒。しわくちゃの顔に刻まれたパブシカたちの優しさと元気でフレンドリーな若者の姿。
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スバネティ地方を目指して
極寒の冬。アルメニアからジョージアへ国境を越えてやってきました。短い期間しかなかったジョージアだけれど、訪れてみたかったのがスバネティ地方。
ジョージアの北西、ロシアとの国境近くにある地域です。ジョージアについての写真集でみたスバネティ地方の風景に惹かれ、いつか訪れてみたいと思っていたのです。
スバネティ地方を訪れる前に、途中で経由した町がアカルツケ(Akhaltsikhe)。アカルツケは、ジョージア南西部にある人口20,000ほどの小さな都市です。歴史ある町で、旧市街には昔の町並みがまだ残されています。
ジョージアでの安い宿の探し方もアルメニアと同じ方法。町の人にどこか数日宿泊させてくれる空き部屋があるかどうか聞いて回ります。ミニマーケットなどの日用品店で、お店のオーナーに聞くのが簡単で良いと思います。
まだ3月ということもあり、町にも雪が残っています。とくに急な坂には注意。道路が凍っていて、何度も滑って転びそうになりました。そんなわけで町では雪かきが欠かせません。こんな小さなおちびちゃんも一仕事。
旧市街の近くにはオスマン帝国によって建設された、ラバティ城がどっしりと構えています。城の内部には教会や、1752年にオスマン帝国により建設されたモスクなどが残されています。
モスク内部にはキリスト教の祭壇として使用された祭壇もあり、イスラムの影響とキリスト教の影響を強く受けたこの地域の歴史を感じることができます。
レンツェキ(Lenthekhi) スバネティ地方へ到着
アカリツケからクタイシを経由して、ヒッチハイクで向かったのはスバネティ地方のレンツェキという小さな町。最後の20kmほどは、クタイシから来たオンボロのバスにピックアップしてもらいました。お金を払おうとすると、「お金なんかいいから座れ」と強面のおじいさんドライバー。
ここはスバネティ地方でも標高が低い地域。ここから田舎道を通って、同地域の標高が高いエリアに辿り着ければという作戦でしたが、季節はまだ冬。レンツェキに到着して地元の人に教えてもらったのは、積雪で道路は冬の間閉鎖されているという事実。
徒歩で峠道を越えていくこともできるようですが、目印などもなく、旅行者に山道を越えるのは難しいだろうとの事。しょうがないので、予定を変更してレンツェキに数日ゆっくり宿泊させてもらうことにしました。
「どこか泊めてもらえる場所はありますか?」と尋ねまわり辿り着いたのは、唯一冬季でもゲストを受け入れているという民家。アクが強そうだけど、やさしいパブシカの家に泊めてもらいました。
この時期空いているレストランもないので、朝食夕の3食付きで。もちろん冬にこんな場所を訪れる旅行者はめったにおらず、ゲストは私一人だけ。
積雪でレンツェキより先に進むのは難しいとの事なので、のんびりと周辺を歩いたりすることに。牛が「もぉー」と鳴けば、鶏が「コケコッコー」と鳴く、のどかな山岳風景。まだ雪の残る山道を登っていくと絶景が広がる。
途中散歩に来ている子供たちのグループにあって歓迎されたり、さっそうと馬に乗って現れた少年たちに出会いました。スバネティらしい?風景に心もほっこり。
そして顔を見上げると、ある家の若者が私に向かって、「こっちに来い」というように手招きをしているのが見えます。「でた!フレンドリーなジョージアの人々!」積雪のある道をズボズボと進みながら、彼らがいる方向へ。
近づくにつれ、何やらだれかが調子よく歌っているのが聞こえます。中に入ると想像していた通り、お酒臭ーい匂いがしており、小さな宴会が行われていました。
小さなグラスを持たされて、「日本とジョージアのために!」という掛け声とともに一気に飲み干したのが、ジョージアの伝統的なお酒「チャチャ」です。アルコール度数が高いやつだと60度もあることも。
この宴会を通して一気に仲良くなった若者と「明日少し町を案内するから会おうよ」と約束。どうせする事もないので、もちろんオッケー。宿泊先を告げて、翌日会うことに。
スバネティ地方には、はるか昔からスヴァン人がコーカサス山脈の奥地で暮らしていました。ロシアやトルコなど大国からの影響を少なからず受けながらも、山奥に位置するスヴァネティ地方は独自の文化を維持。レンツェキでも見られたスヴァネティの町の特徴は、石でできた見張り塔の様になっている珍しい建物です。
スヴァネティ地方の村々では、このような石の塔が数多く見られます。そのほとんどが9世紀から13世紀にかけて建設されたそうです。これらの塔は他民族からの侵略を防ぐための見張り塔、または要塞の役割を果たしていました。
またスヴァン族には身内が殺されると敵の一族を抹殺する「血の復讐の掟」が過去に存在しており、この塔はその復讐の舞台となったために「復讐の塔」とも呼ばれています。アッパースバネティの村々では家族ごとに塔が建てられ、家族の避難所にもなっていたのだとか。
そんな話を聞きながら、彼らが紹介してくれたのはスバン地方のハチャプリ。通常のジョージアのハチャプリとは違い、羊肉や豚肉が入っていました。パブシカ達の自家製ハチャプリ。
今回は短期間しか滞在できず、生きたかったアッパースバネティにも行けず、消化不良のジョージアの旅でしたが、何だか再訪してゆっくり旅してみたいなーと思わせてくれる、ほっこりとしたジョージアでの滞在でした。
おわりに
ジョージアの滞在を終えた後は、バトゥミを経由し、7年ぶりのトルコへやってきました。懐かしささえ感じたトルコの旅については、また次回。
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