アマゾン原生林の中にあるジャングルロッジでの1ヵ月の生活を終えて、メキシコまでのフライトがあるメデジンまで向かう。メキシコでは日本から旅行に来る両親と落ち合うことになっていた。
プトマヨ地方の滞在していた街からメデジンまでは、距離にして1000kmの距離。ヒッチハイクで3週間ゆっくり北上しながらコロンビアを旅して周る予定だったが、、、コロナウイルスの影がコロンビアにも少しずつ近づいてきていた、、、
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プトマヨ地方オリトで学校訪問、そしてモコアへ
1ヵ月間滞在したジャングルロッジ「la isla escondida」からオリトの街へ。初めてロッジに来た時の道を、1時間30分かけて帰る。オリトでは1ヵ月前に出会ったネイバ出身の英語の先生フアンの家へ転がり込む。
学校で一緒に英語のクラスをする代わりにご飯を奢ってくれるというので、翌日は彼の働く学校へ。訪れた学校ではフアンが教科書に頼らず、ゲームや音楽を使って斬新にクリエイティブに英語を教えていた。日本じゃ絶対にできなさそうな教え方。
プトマヨ地方は長年ゲリラとの抗争もあり、徐々に平和を取り戻してきた地域。ツーリズムもまだ始まったばかりで、中々外国人に出会う機会はないであろう子供達。
僕の訪問がどれだけ刺激になったかは不明だけれど、少しでも英語を勉強するモチベーションになればいい。
学校での授業を終えた後は、100kmほど離れたモコアという街へ。ヒッチハイクをする時間がなかったのでバスで移動。
ここプトマヨ地方の道はボッコボコのアナだらけ(想像された穴にもっと穴を足してください)。さらに山道なのでたった100kmほどの距離なんだが、3時間30分もかかる。ただ、この辺りは降水量が豊富な事もあり、緑に覆われた山の風景がめっちゃきれい。
モコアに到着後は、カウチサーフィンでホストしてくれるフアンに連絡。バスターミナルまでわざわざ迎えに来てくれて、彼らの家へ。モコア郊外の素敵なお家でした。
そして最近のカウチサーフィンですっかり定番になってきている、日本食をホスト家族にご馳走することに。今回は、あんかけ焼きそば風スパゲッティ(中華麺がなかったので、スパゲッティで妥協案)を作りました。かなり気に入ってくれたようで良かった。
ただここで想定外な事に。もう一泊するつもりだったけれど、フアンの仕事の都合で翌日家を離れればならない事に。あーーー。もう少しモコア周辺を見たかったけれど、予定を変更して翌日ネイバに向かうことに。
こうやって少しずつ予定が狂いながら、疲れながらのコロンビアの旅だった。
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ネイバでカウチサーフィン ネイバまでヒッチハイクに大苦戦
さてモコアからはヒッチハイクでネイバまで向かう予定。さーコロンビアヒッチハイクは簡単なのでしょうか?早速モコアから開始、、、ですが一向に車が止まらない。なーんかおかしいぞ、、、
3時間後、、、ようやく一台のミニバン型タクシー(トヨタのハイラックスの後ろの荷台の部分を改造して座れるようになっている)が止まってくれた。通常25000ペソのところを、10000ペソで乗せてくれるらしい。もうこれ以上待ちたくなかったので、10000ペソを払って、ピタリトまで乗せてもらう。
ここでピタリトに着いたのが3時。すぐに車が見つかれば今日中にネイバに!という期待もむなしく、またもや待つこと2時間。ようやく一台の車が止まってくれた。が、20km先のテマナという街までしか、行かないという。
ヒッチハイクを続けるかどうしようか悩んでいると、なんとドライバーのフリアンが彼の家に招待してくれることに。ありがたい。今夜はピタリトにある彼の家で1泊させてもらおう。
翌日早朝、ピタリトからネイバまでヒッチハイクを開始。ちなみに、この日初めてのコロナ感染者がコロンビア国内で発覚。もしかしてコロナの影響でヒッチハイクがこんなにも難しいのか???(この頃は、そんなの冗談だと思っていたけれど)
20kmほど離れたテマナまでは順調にヒッチハイク(それでも1時間ぐらい待った)で来れましたが、ここテマナでまさかの急ブレーキ。何と4時間も同じ場所で待つというハメに。
そこからトラックに乗せてもらって、アルタミラという街まで、ここからガルソンまでの車は30分ほどで見つかった。そしてまたもやガルソンという街で急ブレーキ3時間待ち。合計で9時間ほど待ってようやくネイバに到着したのは夜8:00。
泊まる予定だったカウチサーフィンのホストは夜勤で家にいないらしく、彼の彼女の家へ泊めてもらえることに。ヒッチハイクが難しくて、もうポンコツにボロボロになっているのだけれど、カウチサーフィンでホストしてくれる人々がいるのがありがたい。
ネイバでホストしてくれたのは、ラウラとクリスのカップル。二人とも日本好きなんだって。
という事で、食材を買って早速寿司を一緒に作ったり、お好み焼きを作ったり。ホストしてもらってるので、できることと言えば、普段は中々味わえない料理を作ってあげることぐらい。友達も呼んで寿司パーティー。
その代わりに翌日はラウラがネイバの街を見せてくれることに。
ネイバはコロンビアでも、その気温の高さで有名な都市。とにかくめっちゃ暑い。。。特に特別な観光スポットがある事もないので、少し歩いて家に帰還。
さらに、この日は誕生日だったけれど、めんどくさいので特別な事はしない。僕が誕生日だということも知らない彼らですが、家族と一緒に近くの村までご飯を食べに行くというので招待してくれた。
30000ペソで、ティラピアの揚げ物がメンイの一皿とビール。あーこれは良い誕生日ランチだわ!
疲れてて全然観光する気はないけれど、その分ホストの家族と過ごせる時間があって良かった!
ネイバからサレントへ行きたい ついにヒッチハイクを挫折する
ネイバからエスピナルへ。3時間待った後(これがずっとコロンビアで疲れている原因)、ようやく大型トラックが止まってくれた。後ろに荷台に乗って、太陽に照りつけられ、砂ぼこりに苦しみながらエスピナルへ。
エスピナルに到着したのが午後3時。街の広場でレモネードを飲んで、カウチのホストのダーウィンと合流。夕食の買い出しに行くついでに、街を少し見せてくれた。
いくつもの銅像が立つ公園。この地方に伝わる日本で言う妖怪の銅像たち。こちらは賭博のお化け。
こちらはモアンという女性好きの妖怪。大漁をもたらす霊としても知られる。最初は煙を吸ってるヒッピーの銅像かと思ったよ。
「何か日本食作ってー!」と依頼を頂き、今回のメニューは、豚の生姜焼きとレタス・トマトのサラダ(マスタードソース)を作った。みな美味しいと食べてくれ、いっぱい作ったけれど、すぐに完売。
そんな楽しかったエスピナルからサレントへ向かう。この日は、地獄の一日だった。ヒッチハイクを始めたのは朝の6:00。エスピナルからチコラルという20km離れた街までは1時間半待ってやっと到着。だがそこからは、まったく車が止まらず4時間待ち。
最終的にはトラックを降りた兄ちゃんに直接頼んで、イバゲの近くのトラックの集荷場まで連れて行ってもらった。彼によると、「ここで直接ドライバーに頼むと簡単に乗せてくれるよ」との事だったのだが、実際は簡単にいかず。1時間ほどしぶしぶ歩いてサレント方面に出る道路へ。
そして歩いてヒッチハイクを始めた先でも3時間以上待つ。だが誰も止まってくれない。書いていても憂鬱になってきた。バスにヒッチハイクでなく、手を振って止めようとしても止まってくれない。もう疲れの限界。
もうヘトヘトであきらめて、最終的にはバスでサレントに向かうことに。久しぶりにヒッチハイクであきらめた。
サレントに到着 久しぶりの日本人モードで癒される
サレントに到着したのは夜中の23:00。こんな夜中にも関わらず、じゅんぺいさんとタケさんが待ってくれていた。彼らとは、共通の友人の紹介で知り合った。じゅんぺいさんは20年以上もコロンビアに住んでいる。タケさんは旅をしながら、メキシコに5年以上住んでいる。
久しぶりの日本語での会話。こうやって自由に生きている方々を見ると、「自分ももっと自由に生きていいんだと思い。やっぱりどこかで自分を常識の枠に押し込んでいる事に気づかされる。」
彼らは、もう極度までヘトヘトになっている俺の体に、美味しいご飯を分け与えてくれた。ああ天国。こんなに疲れた俺を歓迎してくれてありがとうございます。
また彼らの友人のカルロスと仲良くなり、朝食は彼の家で毎朝食べさせてもらった。夕食はタケさんと一緒にサルサを躍りながらご飯を作ったり、サレントでの日々は楽しかった。
ある日は、タケさんが街を案内してくれた。サレントは風光明媚なきれいな場所だ。コロニアル風の建物に、美しい山岳風景。
世界中から旅行者が集まるのもうなづける。
山も登りたいけれど、時間もなければそんなエネルギーもない。そこでタケさんのお気に入りの場所に行き、昼間っからビールを飲んだ。
じゅんぺいさんやタケさんにカルロス、アナ。こんなに素敵な人々に出会えただけでも、サレントに来て良かった。
Covid-19の勢いが増していく ペレイラからメデジンへ
コロンビアの旅も終盤に。サレントを離れて、ペレイラで友人を訪ねる。その友人とはピタリトでヒッチハイクができず、1日お世話になったフリアン。彼の両親がペレイラに住んでいるので、彼らの家で待ち合わせすることに。
サレントからは、もうヒッチハイクしない。もう疲れた。バスでペレイラまで。ペレイラでフリアンとその家族と再会。彼の家族も親切にしてくれて、本当に感謝。
人々との関係が断絶されるようなこんな状況下だけれど、やっぱり頼りできるのは助けてもらえるのは、人との関係だと身にしみて感じる。
タマルというバナナの葉で、お米やトウモロコシ、野菜、鶏肉を蒸した名物料理をご馳走してもらった。去り際には彼のお兄さんが、石鹸や歯磨き粉などまでプレゼントしてくれた。なんて良い人達なんだろう。本当に出会いに恵まれている。
ペレイラを去った後は、チンチナと呼ばれる近隣の小さな村へ。一度コロナウイルスが原因で、滞在がキャンセルになったんだけど、結局滞在できることになった。
この村でカウチサーフィンでホストしてくれたのはグスタボ。
コーヒーファームに囲まれた美しい場所に住んでいる。
Covid-19であまり外出はできないので、彼の家で料理を楽しんだり、畑仕事を手伝ったりして、ただのんびり過ごした。グスタボはシェフとしてレストランで働いていたので、色んなレシピを教えてもらった
ここで移り行くCovid-19のニュースに気を配りながら、コロンビアに滞在するか、メキシコに行くのか悩みながら。メキシコに来るはずだった両親は、結局来ないことになり宿泊施設なども全てキャンセル。
日本に一時帰国することまで少し考えたけれど、予定通りメキシコに飛んで、メキシコで様子をみることにした。後は無事にメデジンからメキシコに飛行機が飛ぶかどうか。
この時点でヨーロッパの各国では空港や国境が閉鎖。エクアドルでも、数日前に訪れたサレントも封鎖。もう戻る道は封鎖され、前に進むしかなくなった。
こんな状況下でホストしてくれたグスタボありがとう!またコロナが落ち着いたころに会おう!
ついにメデジン到着、そしてメキシコ脱出
数日滞在したチンチナから、バスでメデジンへ。ここで3月20日に飛ぶ予定になっているメキシコシティまでの飛行機を待つ。もうボゴタの空港は封鎖されたというニュース。
ここで家に泊めてくれたのは、プトマヨ地方のジャングルロッジで知り合ったカルラとトム。
彼らの友人のホルヘもカナダからメデジンを訪れていた。ホルヘも旅行でコロンビアを訪れていたのだけれど、コロナウイルスの影響でどこへも行けず。カナダに戻るのも、封鎖されている空港がいくつかあり一苦労。
俺のメキシコへのフライトもどうなる事かと思っていましたが、何とかメキシコまで行けることに。
後はメキシコ国内でボランティア先を発見し、そこでコロナウイルスパニックが鎮まるまで待つ。
コロンビア、本当はもっと楽しみたかったけれど、コロナウイルスのこの状況下じゃしょうがないね。
でもこんな心が閉鎖がちになってしまうような状況下で、助けてくれた人々、本当に本当にありがとう!この恩は、次に出会った人々につないでいきます。また会おうコロンビア!!
おわりに
コロンビアを出国し、メキシコにやってきました。
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