感動的に楽しかったクルディスタンの旅を終え、イラン南西部の端、アフワズまでやってきました。山がちだった風景から平原へと変わり、荒涼とし乾燥した大地に。ここクーゼスタン州はイラン随一の天然ガスの産地であり、アラブ文化とペルシャ文化が混ざった地域。
アフワズと小さな町べフバンでの素敵な家族との出会い。3世紀に建設された水利システムがある街シュシュタルでは、古代ペルシャの文明の高さに驚かされました。
街を歩けば家に泊まっていけと人々から声をかけられるような温かい雰囲気のなか、歴史を感じる旅ができるイラン。
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アフワズでカウチサーフィン
アフワズに到着。なぜか尋常じゃないほど曇っていて、数メートル先を見るのも難しいほど。風も強く細かい砂のようなものが舞っているのか、砂嵐のよう。アフワズは大気汚染がひどい都市としても有名らしい。だとしたらこれは大気汚染の影響もあるのかも。
そんな中なんとかホストの家に辿り着く。迎えてくれたのはムスタファとサラ。どちらも流暢な英語を話す、知的で素敵なカップル。「アフワズへようこそ。大変な時に到着したねー。」と笑顔で迎えてくれました。
「今日みたいな砂嵐はアフワズではたまに起こるんだ。僕たち自身が街を案内する時間はないけれど、友人に頼んでおいたから」と、友人のモハメドを紹介してくれました。ムスタファとは小さい頃からの友人らしい。
彼はほとんど英語を話せないけれど、自家用車でわざわざ来てくれて、町を案内してくれました。名物のピスタチオアイスクリームやニンジンシェイクのお店へ。
彼らの家には数日間滞在させてもらったのですが、日本やイランについて色んな話をしました。そんな中で感じたのがイラン政権の反米政策と、実際にイランに住む人々のアメリカに対する感情はまったく違うという事。
彼らが語ってくれたのは、イラン革命後以前のような自由はなくなり、経済も悪化する一方。ほとんどの若者は現在の政府に反対で、他国への移住を考える人も多いようです。ただ秘密警察がどこに潜んでいるかわからないので、大きな声では言えないだけ。
例えば写真を撮影するとき。女性の場合は常にスカーフで顔を覆っていなければ問題になるそう。結婚前のデートなどもダメ、というか結婚前の男と女が一緒にいるのがダメ。もちろん現体制への批判など絶対ダメ。
彼ら自身もアメリカやカナダへ移住したいそうで、手続きを進めているそうです。ただトランプ大統領になってから移民政策にも変化があり、すこし難しいかもしれないとのこと。
1979年にイラン革命が起こった背景とは何だったのかを考えざるを得ません。誰もがこれほど自由を、宗教により制約される現状を望むはずがない。おそらくあの革命は、国民大多数のよりよい生活への渇望を、イスラム教の聖職者たちに利用されてしまったのでしょう。
彼らは近くに住むサラの家族も紹介してくれました。彼らはおいしい夕食を作ってくれ、カーペットの上に腰を下ろし、旅や日本についての話をしながら楽しい時間を一緒に過ごしました。
アフワズは夏になると50度にもなって、めちゃ暑いらしいです。50度って今まで体験したことないです。どんな感じなのだろう。ここでは地下水なども枯渇し始めており、深刻な水問題が様っている状況などを教えてくれました。
話を聞いていると、何だかアフワズに住むの大変そうだなーと思ってしまいました。イラン・イラク戦争の時に起こった悲劇についても、頭をよぎります。
夕食中の会話でヒッチハイクをしている事を伝えると、「イランではヒッチハイクはなかなか難しいと思うよ。人々はすごく親切だけれど、ヒッチハイクの事を知っている人が少ないから。よしイラン語でヒッチハイクについて説明した用紙を作ろう。車が止まった時に、その紙をみせたらいいじゃないか。」
そして、ヒッチハイク用の紙を用意してくれました。ざっとした内容はこんな感じです。
私の名前は山内智也です。日本からやってきました。私はヒッチハイクでイラン中を旅しています。ヒッチハイクとは、道路脇で目的地方向に向かう車を待ち、もし可能ならば車に同乗させてもらいながら移動する事です。貧乏でお金がないからしているわけではありません。食べ物やお金は一切必要ないので、ただ車に同乗させてもらえれば、すごく助かります。私はこれまで様々な国をヒッチハイクで旅してきました。あなたのような親切な人々に助けられながら、旅を続けてきたのです。途中あなたが私の行きたいルートから外れるようでしたら、その道路脇で降ろしてもらってかまいません。心配しないでください。ずっとこの方法で旅してきてので大丈夫です。あなたの親切心に感謝します。
このようなものをイラン語で、作ってくれました。後にヒッチハイクをしてドライバーが止まった時に、「この紙を読んでください」と見せると100%車に同乗させてくれました。
イランでは英語を話せる人がほとんどいないのと、ヒッチハイクのコンセプトが浸透していないので、この紙はものすごく役に立ちました。もし英語が話せるイラン人の友人ができたら、一枚作ってもらうことをおすすめします。
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古代の水利システムがある町 シュシュタルヘも旅行
アフワズ滞在中に、どこか近くに旅行に行こうという事で、シュシュタルにも行ってきました。もちろんムスタファに作ってもらった、ヒッチハイクの紙をお供に。
ここシュシュタルで有名なのは、なんと3世紀に建設されて以来、今でも利用されている水利施設です。町に流れ込むカルン川から運河が張り巡らされ、町中、そして周辺の農場にも水を供給しています。
河川や建物、ため池などを結ぶように張り巡らされた網目のような水路はガナットと呼ばれており、その一部を今でも見ることができます。
これがそのシステムの写真です。
カルン川から流れてくる水が運河をたどって流れ込み、発電などにも利用されていました。流れ落ちる水はエネルギーとして利用され、再びカルン川に戻っていきます。
この施設には多数の水車が設置され、水力を利用し、石臼を回し、小麦から小麦粉を精製していました。シュシュタルでは、この水力を利用しての製粉業が盛んであったそうです。
さらに地下道にも水を流し、その上にある家の冷房システムとしての機能も。自然を利用した先人の知恵。頭が下がります。3世紀にすでにこんな大規模な施設を建設できるほど、文明・技術が発達していたとは驚きです。
この水利施設は世界遺産にもなっており、もちろん見どころなのですが、シュシュタルの町自体を散策するのも楽しかったです。
狭い土色をした通路と歴史を感じさせる建築物。アーチ形をしたトンネルのような通路では、温かみのある日常生活を垣間見ることができました。
そしてシュシュタルからアフワズへの帰り道での事でした。ヒッチハイクで止まってくれたのは大型トラックドライバー。アフワズの近くに住んでいるそう。
英語でのコミュニケーションはかなり難しいのですが、ぜひ自宅に泊まっていくようにと招待を受けました。せっかくなのでお邪魔することに。
家に到着すると「日本からゲストがやってきたわ!」と、彼の家族が温かく出迎えてくれました。こんな経験があるからイランの旅はおもしろい。
他の旅人でイランを訪れたことがある人に聞いてみると、誰もが口をそろえてイランのホスピタリティは一番だったと話します。メディアのイメージとは正反対のホスピタリティにあふれた国イラン。
旅で学ぶことの1つは、メディアが流すイメージと事実とは信じられないほどのギャップがあるという事。行ってみないと実際のところはわからない。
べフバンを経由し、ペルシャ湾沿いにバンダルアッバースへ
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アフワズでお世話になったムスタファとサラ。何とムスタファが故郷にいる両親を紹介してくれて、数日お邪魔できることに。ちょうど目的地に行く途中だったので、お言葉に甘えて立ち寄らせていただきました。
ムスタファの両親が住んでいたのはべフバンという町。まあ普通の旅行者なら100%通過するだけでしょう。
さあ例のヒッチハイク用紙を持ってヒッチハイク開始。すぐに1台の大型トラックが止まってくれました。イランでヒッチハイクするの楽しい。
ご飯までおごってくれなくていいのに、ヒッチハイクの説明の紙にも書いてあるのに、昼食をご馳走してくれるドライバーのおっちゃん。ありがとう。
アフワズからべフバンへと向かう車窓からは、天然ガスの基地が何カ所も見えました。大地にそびえ立つタワー、燃える炎。さすが世界でも随一の天然ガスの産地。
べフバンにも到着して、ムスタファのお母さんソグラさんに電話。彼女は少し英語が話せる。英語の練習がしたいという意味でもお家に招待してくれたそう。また素敵な家族に会えて感謝。
彼女の友人や甥も誘ってべフバン周辺を案内してくれました。ちなみに甥のニマは日本で言う書道家。日本や中国以外にも書道ってあるのご存知でしたか。恥ずかしながら私自身はあまり知りませんでした。
書道は、イスラム諸国や中東諸国では太古の昔から、典型的な古代芸術として知られていました。日本の書道と同じように、様々な書体や流派があるみたいです。
さて、彼らがまず案内してくれたのは、古代からあるハマム(共同浴場)。すぐ近くの川から流れる水を温めて使用していたのでしょう。こんな小さな町にもある歴史的建造物、古代の人々の暮らしに思いを馳せる。
次に連れて行ってくれたのは、べフバンで有名な花「ナルゲス」のフラワーガーデン。白い花に中央の黄色がアクセントになってかわいらしい花。香りもいい。ムスタファの親戚の女の子の名前は、この花の名前からとってナルゲスという名前だったのを思いだした。
多くの人が訪れてここで写真やセルフィーを撮っていました。どこの国でもすることは同じで似ている。
フラワーガーデンを離れ、少し郊外までドライブして案内してくれたのが昔のマドラサ(イスラム神学校)。詳しい事はわからないが、どうやらかなり昔のものであることは間違いないらしい。
当時は多くの生徒が勉学に励んでいたはずのこのマドラサ。どんな暮らしがあったのか想像していると、どこからか「メェ―、メェー」という鳴き声が。確かなのは、今では羊たちが堂々と草をむしりながら歩いているということ。
数日間べフバンに滞在させてもらった後は、ヒッチハイクを続けてバンダル・アバス方向へ。途中景色の良いビーチでテントを張って一泊させてもらいました。時期は2月で冬でしたが、ここまで南まで来ると冬でも暖かいです。
そして波の音で気持ちよく目覚めた翌朝、ホルムズ島へと足を伸ばしました。
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