絶景のビーチとマングローブ林が広がるワタムを去り、次にヒッチハイクで向かうのはラム島。ソマリア国境にも近いラム島まで、ヒッチハイクなんて賛否両論あると思いますが、警察の検問が多い以外は何の問題もなく到着。
ラム島までのフェリーがあるモコエから、小型ボートで200円払ってラム島まで。
そこにはケニアとは思えないようなアラブやイスラムの雰囲気が漂う光景があった。
スワヒリ文化の島「ラム」 ユネスコ世界遺産登録の旧市街
ケニア沿岸部への旅で最後に訪れたのは、かつて世界中を結ぶ東アフリカ有数の港町として栄えたラム島。
ラムは14世紀にアラビア交易の拠点として建設され、その中でアラブ商人とのかかわりから、島内では土着の東アフリカ文化と混ざり合ったスワヒリ系の文化と建築が発展しました。
そんな歴史から、現在ラムの旧市街は東アフリカで現存する最古のスワヒリ建造物群として、世界遺産に登録されています。
島に到着した瞬間から客引きが「もうホテルは決まってるのか?どこに行くんだ?ボートに乗らないか?」と矢継ぎ早に話しかけてくる。「予算はいくらくらいだ?安いホテルを知ってるんだ。」しつこく追ってくる彼らから逃げるように目当てを付けておいた場所へと歩き出す。
ラム島にはアクティブなカウチサーファーがいないので、どこかにテントを張らせてもらおうと考えていた。治安の事も考えるとセキュリティがしっかりしているところ。
お金を払ってでもいいから、敷地の広いゲストハウスの庭にお願いしてテントを張らせてもらう。事前にメールを送ってDudu villaという宿ではテントを張れることは確認済み。値段の交渉だけして1泊400円で泊めてもらえる事になった。
現在島で唯一テントで泊まれる場所は、ここDudu villaのみ。ビーチにテント張るのは治安の関係で私でもやめました(笑)
テントを設置し荷物を整理して早速ラムの旧市街へ。海沿いの道をテクテクと旧市街に向かって歩いていく。
すれ違う人は少なく、何だかのんびりした雰囲気だなぁーと感じていると、それもそのはずラム島には車がないのです。
交通手段はボートかバイク、あるいはロバか自転車のみ。これがラム島独特のスローなペースを生み出す。
旧市街に到着後、まずは海沿いを歩いてみる。港にはたくさんのボート。海沿いの道にはレストランや露店が並び活気がある。
歩いていると「ラム島へようこそ!」とフレンドリーな住民に声をかけられることも。でも「おい中国人!」とか「俺はボートを持ってるんだけど、釣りとか興味ない?」などのビジネスの話がほとんどなのが現実。
港の近くでなにやらいい匂いがすると思ったら、たくさんの人がスワヒリコーヒー(カハワ)を飲んで休憩している。
コーヒーに砂糖やショウガ、香辛料を混ぜた飲料。一杯20円でなかなか美味しくて、毎日夕方はここでコーヒーを飲むのが定番になった。
さて海沿いから、旧市街の内部へと歩いていきます。港から続く正門を通り、
まずは旧市街内にある中央広場へ。1811年に建てられた城塞の前には広いスペース。大きな木が二本あり、その下は座れるようになっている。島民の憩いの場といった感じになっている。
この街ができたのは14~15世紀のことで、交易をしてきたアラブの影響を受け住民のほとんどがイスラム教徒。
イスラムの帽子クフィをかぶった男性やブルカやヒジャブをまとった女性が通りかかる。
インド商人との交易もあった事から、島ではインド発祥のボードゲーム「カロム」を楽しむ人々も。ラムの辿ってきた歴史を感じます。
さて中央広場から狭い路地に入っていきます。路地の道幅は1mほどで人がギリギリすれ違えるほど。
狭い路地の左右には世界遺産に登録された伝統のスワヒリ建築群が建ち並ぶ。サンゴで作ったレンガとマングローブの材木で建てた家が建ち並ぶ。
迷路のように路地が入り組み、ここでは地図も役に立たない。
建物をよく見ると左のようにサンゴでできた壁、アラブ風の扉などが目に入ってくる。
こんな狭い路地なのでもちろん車は通れず、バイクも入ってこない。ここで荷物の運搬を担当するのはロバ。
ラム島にはとにかくロバがたくさんいる。
路地には露店もたくさん並んでおり、焼きトウモロコシ、キャッサバの揚げ物、ジュースなど様々な店で賑わう。
こちらは旧市街内のスナック屋さん。サモサや揚げパン、ビトゥンブアと呼ばれる米粉のお菓子などを販売。どれでも一つ5円。ビトゥンブアは20円。
毎朝ここでお茶と軽食を食べていた。
迷路のような旧市街を抜けて郊外に出てみると、砂丘の間に緑に広がるエリアが広がっている。
ここではバナナやマンゴー、ココナッツなどが育てられているようです。地元民によると、豊富な地下水があり農業をするにも困らない島だということ。
旧市街のエリアも小さいので、一日歩き回れば十分に見てまわれます。
歩き疲れて港の前でスワヒリ風コーヒーを飲みながら、のんびりしていると日も暮れてくる。イスラム教の祈りの時間を告げるアザーンもどこからともなく聞こえてくる。
空が淡いオレンジ色に染まってきた。この時間になると、海沿いの道を自宅へと歩く人々、旧市街の通りでは夜の屋台の準備が始まり、子供達も家路を急ぐ。
車の無いのんびりとしたスローなペースが生み出す不思議な雰囲気が、自然と私の体の感覚をあるべき状態に戻していくかのよう。
そんな感覚をラム島で夕暮れを眺めながら感じました。
バケーションでのんびり過ごすならラムよりもこちら!「シェラ」
ラム島の旧市街を散策しつくした後、次に足を運んだのがシェラという地域。旧市街から3kmほどの距離なので歩いても辿り着けます。バイクやボートなどの交通手段も可。
私は干潮の海沿いの道をのんびりと歩きながらシェラを目指しました。ここは干潮時にしか通れない道で、満潮時には海の中。
シェラはラム島よりも国内・海外から休暇のために訪れる人々に人気で、イギリス、中国、スペイン、フランスからの旅行者の姿を見かけた。
雑踏としたお世辞にも清潔とは言えないラム島旧市街内よりも、清潔で整然とした雰囲気のあるシェラが彼らに人気なのもうなづける。
そういった旅行者向けの優雅な雰囲気のホテルやレストランも多い。
そんな中、目に入ってくるのは海辺に並ぶボートと帆船。
トン、トン、トンと刻みの良い音と男たちの笑い声が聞こえてくる浜辺に、誘われるように近づいていく。
そこでは職人たちがダウ船を修理したり、ゼロから手作りしている姿が。
このようにラム島では現在でも伝統的にダウ船作りが行われており、材料はマングローブの木やマホガニーの木。隙間はコットンにココナッツオイルを混ぜて塞ぐそう。
電力を使う機会はほぼ使わない手仕事での作業にしびれる。
「どこから来たんだい?え?日本?そうか、懐かしいな。昔はたくさんの日本人がラム島に来てたよ。ラム島へようこそ。まぁ座ってゆっくり作業を見ていきな。」と、ラム島の人々のフレンドリーさに感動。
そのうち日本語の少し話せる方々まで登場し、片言の日本語で盛り上がる。「お前は熊本の出身なのか?」とスワヒリ語と日本語がわかる人にしか分からない冗談を交わしたりしながら。
仲良くなって、ダウ船を作るところだけでなく、村を案内してもらいました。さらにココナッツまでご馳走になるという。
彼らに連れられてシェラの街の中も散策。
こちらも建物の壁や塀には、サンゴが使用されています。
こちらにはビーチに落ちているビンが危ないからと、それらを集めてリサイクルして作られた壁が。
案内してくれたアブーさんによると、ラムの旧市街でもシェラでも道が迷路のように入り組んでいて狭いのは、外敵から街を守るためだったのだとか。
シェラがラムよりも観光客に人気なのは、ビーチがすぐ目の前にあるからというのも理由の一つ。
浜辺に出てみると、ビーチサッカーを楽しむ地元の少年たち。
そしてラム島の南部には長ーい浜辺が島の反対側まで続く。ただただ海辺を歩いたりする人々、海水浴を楽しむ人々など様々。
中には潮干狩りをしている地元の人も。この人が達人級に貝を見つけるのが上手くて、地面のわずかな窪みを見るだけで、見事に貝を探し当ててしまう。
「毎日来れば、いずれわかるようになるよ。ところで俺は牡蠣の養殖もしてるんだ。日本人は牡蠣好きだろ?買う?」と。
10年前までは本当にたくさんの日本人が来ていたようで、その影響にビックリ。
彼と少し話して、砂浜を歩き続けると、前方からはロバのグループ。建設に使う砂を大量に運んでいた。
シェラを離れる時、仲良くなって街を案内してくれた彼らに言われた言葉。
「シェラにもっと滞在すればいいのに。ここでダウ船の作り方を最初から学ぶっていうのはどうだ?」
それもいいかもしれない。でも今はもう少し異なった文化や人々、景色に出会う旅を続けたい。
おわりに
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