中国雲南省昆明から四川省、甘寧省、寧夏回族自治区、内モンゴルをヒッチハイクで通り抜け,モンゴルとの国境の町エレンホトまで辿り着いた。
内モンゴル地域ではモンゴル文字の使用を多く見かけたが、エレンホトではキリル文字が使用されている割合が多く感じた。
ソビエト連邦に次いで2番目にできた社会主義国としての歴史を持つモンゴル(現在は民主主義国家)。
社会主義時代はソ連との関係が深かったので、その影響もありモンゴル文字ではなくキリル文字を使用してきたという。
楽しかった中国の旅もここでいったん終わり、モンゴルに向かう。
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中国からモンゴルへ
今回の旅のルートは以下の通り。
徒歩ではエレンホト・ザミンウド間の国境を越えてモンゴルに行けないので、中国で大量の物資の買い出しを終えた車に国境を超えるために同乗させてくれるよう頼み込む。
すでにぎゅうぎゅうを越えた後ろの荷台に何とかバックパックを括り付けてもらった。
モンゴルで最初の町ザミンウードに到着し、ウランバートルへ向かうためにヒッチハイクをしていると、20代前半ぐらいの3人グループの乗った車が止まった。
「ここで何やってるんだ?」「ヒッチハイクなんかしないで、今夜ウランバートルに行く夜行列車があるからそれに乗っていったらいい」「お腹空いてないか?」「とりあえず家に来い」
せっかくの誘いなんで、もうヒッチハイクなんてどうでもよくなって、彼らの好意に甘えることにした。
親切な人達でウランバートルまでの列車のチケットとスマートフォン用のSIMカードを買う手伝いもしてくれ、モンゴル飯まで食べさせてくれ、電車が出発するまで見送ってくれた。
ザミンウドからウランバートル間の夜行列車は2等席だったけど、めちゃくちゃ快適だった。
用意してあるシーツとマットレスと枕で座席が快適なベッドに早変わり。
モンゴルの大草原の中をのんびり走り抜けてゆく。
同じ景色を延々と見続け、車窓から見た羊と山羊の数を数えているうちに眠りに落ちた。
幸先の良いモンゴルの旅のスタートだった。
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モンゴルでのホームステイを目指して
モンゴルでは一つやってみたいことがあった。それは遊牧民の方と一緒に暮らすホームステイ体験をすること。
そのために中国の昆明の古本屋で偶然発見したモンゴル語と英語の翻訳付き会話帳も購入した。
どこでそんな体験ができるかわからなかったけれど、とりあえず田舎に行こうと考えウランバートルを早々に離れフブスブルク県のモルンに足を伸ばした。
モルンに来たのは正解だった。ゲストハウスでボランティアをしていたフランスからの旅人とは意気投合しその後一緒に3ヵ月間中国と中央アジアを旅することになった。
そして何とゲストハウスのオーナーの知り合いで、ツァガヌール(Tsagaannuur)に住んでいる家族が数週間ホームステイさせてくれるという。
この時ツァガヌールに行くには乗車率120%声の車にぎゅうぎゅうで夜中の間12時間以上かけて、日本では考えられないような悪路(もちろん舗装されていない)を走らなければ辿り着けないとは知る由もなかったが。
道路はなく、あるのは草原上にある車が通った跡だけ。それが丘を越え、川を越え、谷を越えずぅーと続いている。
時に車が泥沼にはまり抜け出せなくなったり、道がデコボコすぎて体が跳ねて車の天井や窓で頭をガンガンに打ちながら進んでいく。
そんな悪路をものともせずに進むのがこの車、
このUAZ製のバンは元々1960年代のソビエト時代に軍用車両として開発された。
この車の良いところは、モンゴルの大自然でも安心な4輪駆動式であること。
作りがシンプルでほぼ電子部品を使っていない。
そしてソビエト時代から大量生産されてきたので、パーツの入手に困らない。
壊れやすいのが難点だが、壊れても自分で修理できるところだそうです。
モンゴルの至る所でこの車が走り、故障して修理されていました。
このバンに10人以上+大量の荷物でのツァガヌールまでの道のりは険しかったですが、途中のトイレ休憩で真夜中に見上げた星は今までの人生で一番きれいでした。
睡眠不足でボロボロの状態でツァガヌールに着くと、ホスト家族がHondaのバイクで迎えに来てくれた。
「サインバイヌー?(元気ですか?)」
英語は全くしゃべれないみたいだけど大丈夫。こっちには中国で偶然見つけた翻訳本がある。
「サイン(元気です)サマノー(あなたは?)」
この本あってもかなりコミュニケーションは難しかったですけど。
疲れているだろうという事で、バイクで早速家に案内してくれた。
モンゴル ある家庭の暮らし
この地域では木材が豊富にあるので、木造建築の家に住んでいる家族が多い。
周囲にも二軒の家と、一軒のゲルがあってご近所さんが暮らしている。
家畜は牛がいて、山羊がいて、馬がいる。
ここに二週間ほどお世話になってましたー!
家族構成はエカ(長男)、ティナ(長女)、エルカ(次男)、ミシェル(ティナの赤ちゃん)だった。
両親はすでに亡くなっていて、ティナの夫はウランバートルに出稼ぎ、エカはツァガヌールの町で働いていてめったに帰ってこない。
だからほぼエルカとティナと一緒に時間を過ごしていた。
シャワーはないけど、近くの川で水浴びできる。
絶景の中ですっぽんぽんになって水浴びするのは超気持ちいい!
トイレは屋外で穴が掘られていて、その穴に木の板が通してあるのみ。でも景色がいい!
ソーラーパネルをバッテリーとつないであって、携帯の充電もできる。
テレビもある。(壊れてたけど)
ここの一日は朝早く始まる。
まずティナが朝一番に杓子のようなものでミルクを空に向かってまくことから始まる。
これは安全を祈願したりする意味があるらしい。
そして牛の乳しぼり。
ニュージーランドで牧場で働いていた経験のある私は手伝おうとしたが、彼女のスピードとのあまりもの違いに手伝うことはあきらめ、大人しく赤ちゃんの世話をしていた。
モンゴルの赤ちゃんは結構ほったらかしにされるので、すごくタフに育つ。
というかまだ一歳にもならないのに肉をむさぼってるし(笑)
モンゴルの赤ちゃんおそるべし。
乳しぼりが終わると次はそのミルクでスーテー茶(モンゴル式ミルクティー)を作る。
まずカッチカチに固まった茶葉を砕く。
そして茶を煮出し、そこにミルクと塩を入れてつくる。
とにかくたっ~ぷりとスーテー茶を作って、でっかい魔法瓶に溜めておく。
そして朝も昼も夜もいつでもスーテー茶を飲みまくる。お客さんが来た時にもおもてなしとして必ず振る舞う。
だからこのスーテー茶を切らすことは許されない。なくなったらまた作り、いつでもあるように準備されている。
ちなみにモンゴルでは乳製品が豊富にある。例えばウルムという食べ物。
これはコクのあるこてっとしたクリームのようなもの。
牛乳ををゆっくりと温め、数時間煮込む。そして上部にできた膜のクリーム状の部分をすくい、自然に発酵させる。
中央アジアでも一般的に食され、そこではウルムではなくカイマックと呼ばれる。
このクリームと砂糖を少しパンにつけて食べるのが最高!
ちなみにパンもどでかい鍋で作る。
もちろんチーズも手作りします。
朝食を済ませたら、私の仕事が始まる。
まず近くの川から水を運んでくる。
これがなかなか重労働で1日に数回往復しなければならない。
この水は飲み水にも使われるし、料理にも使われる。
少しのゴミやほこりは気にしないように。
次の仕事は薪割り。
部屋を温めるために、薪ストーブを使っているので大量の薪が必要。
薪割りに関しても彼らはプロフェッショナルで、まるで野菜を包丁で切るかのような手さばきでやります。
そして次は家畜の糞集め!家の周囲を歩き回って地面に落ちている糞を集めます。
この地域ではモンゴルでは珍しく森林があり、燃料には困らなさそうなので、ただ単に掃除でという意味だと思います。
うんこの話の後で申し訳ないですが、森にベリーを採りに行ったりもしていました。
これが甘くておいしい!このベリーでジュースを作ったりもします。
ご近所さんのゲルの中
仕事が終わったら、よく近所のゲルに遊びに行ったりもしていました。
ゲルの内部はこんな感じになっています。
ゲルの内部は思っていたよりも広い!
真ん中に部屋を温め、料理をするためのストーブがあり、テレビ、ベッド、タンスなど生活必需品が揃っています。
思い出の写真を飾ったフォトフレームはどのゲルに行ってもあります。
多くのモンゴルの方はチベット仏教を信者なので仏壇もあります。
シャーマニズムを信じている人々もおり、困ったことがあればシャーマンに相談に行く人々もいると聞きました。
天井はシートを被せたり外したりすることで光の調整ができるようになっています。
天井から壁に向かって放射状に伸びた木の棒の間に、モノをはさんだり、ぶら下げたりすることもできます。
協力して山羊の解体作業
ホームステイ先の家族は近所の方々との関係も良く、みんなで協力して作業をすることもしばしば。
例えば食料にするために家畜の命をいただく時など。
山羊の解体作業は大変なのでいつも、近所で集まって協力してやります。
男たちが山羊を解体していき、女性たちが内臓をきれいに洗います。
赤ちゃんも犬もみんな一緒に見守ります。
山羊の皮から製品を作るのできれいに剥ぎ、干しておきます。
私の洗濯物の横に山羊の皮!
山羊の内臓はきれいに洗って塩茹で、山羊の血も腸に詰めてソーセージを作り無駄にしません。
山羊の頭だって、足だって無駄にはしません。
頭はあぶって皮膚の皮を食べ、目玉も食べます。
目玉はぷちゅっとして、噛むと苦みのある液体がピュッとでてきました。
足も肉球まで食べます。ぷにゅっとして弾力がある。
骨以外無駄にしない。骨は犬のごちそう。
ご近所さんみんなで肉をシェアしますが、余った肉は冬用に乾燥させて保存します。
都市部では違いますが、基本的にモンゴルでは野菜はあまり食べません。
ここでも畑なんか誰も作っていませんでした。
電気が足りないので、ジャガイモや玉ねぎ、ニンジンなどしか保存ができず、新鮮な葉物野菜などまったくない。
調味料も塩ぐらいしかないのでいつも同じ味。
自然の味を生かすモンゴル料理!!!
ちなみにモンゴルの人は山羊の肉を食べただけで、どこの地方で育った山羊かわかるらしい。
理由は生えている草が地域によって違うからだって。本当だろうか?
モンゴルで感じる広大な自然
いやーそれにしてもすごく美しい場所だった。
この川から飲み水を確保したり、水を汲んで水浴びをしたりしていた。
浅いので川を渡って向こう岸に渡って、どこまでも行ける。
ただし家畜のうんこが至る所にあるので気をつけて。
紅葉の季節がきて、早朝は霧が出るようになった。
こんな日はただただ景色を眺めるだけ。
少し散歩すると湖まで歩いてこれる。
天気の良い日は気持ちいいので、牛と一緒にごろんと横になって昼寝。
何もないけど、何でもある、シンプルな暮らし。
おわりに
この家族と出会えたことはすごくラッキーだったし、2週間の間でも一緒に過ごせて本当に良かった。
今では遠い場所だけど、そこにそんな風に今でも暮らしているんだなーと思いをよせて、近くに感じることができる。
一度ティナに夫が暮らすウランバートルで一緒に暮らしたいか尋ねたことがある。
でもティナは都会の暮らしより、ツァガヌールの今の暮らしが好きだと答えた。
もう1年6ヵ月以上も前のことだけど、その答えになぜだかホッとした。
最後お別れの時に近所の人々も自分たちの写真やらお土産をたくさんくれた。
彼らはインターネットもパソコンも持っていないので、簡単には連絡は取りあえないけど、今でも元気でやっていることを心から祈る。
ミシェル大きくなったかなー。
この滞在中にトナカイと共に暮らすツァータン族の方々にも会いに行ったので、その時の事はこの記事です。
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