さーてタシュケントからヒッチハイクで無事にサマルカンドにやってきました。サマルカンドはかつてのシルクロードのオアシス都市。乾燥した気候特有の透き通るような空の青と、美しい青色をした建築群から「青の都」と呼ばれています。
ここで何とキルギスタンで別れて以来、別々に旅していたクレモ―もまだサマルカンドに滞在しているという事で再会することに。カウチサーフィンのホストの家に滞在しているという事だったので、便乗して私もお邪魔させてもらうことにしました。
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古都サマルカンドを散策 美しい「青」に感激
「おーいクレモ―。久しぶりーキルギスタン振り!」一週間ぶりにクレモ―との再会を果たし、カザフスタンで手に入れたニューヘアスタイルもお披露目。クレモ―は笑って「はは(笑)トモヤ!その髪の毛いったいどうしたんだ?」と早速いじってくる。
サマルカンドの歴史は古い。元々は紀元前10世紀ごろからイラン系民族の都市として発展し、商売上手なゾグド人の都市として、その後数世紀にわたって繁栄を続けてきました。その後13世紀にモンゴル帝国のチンギス・ハンによって滅ぼされてしまいましたが、ティムールによって復興され、14~15世紀にかけてティムール朝の首都として繁栄しました。
現在残されている美しい青色と繊細なタイルが特徴的なモスクやマドラサは、このティムール朝の時代のものが多いです。ティムールの墓廟である「グーリ・アミール廟」、中央アジア最大のモスク「ビビ・ハヌム・モスク」、ティムールに縁のある人々の霊廟が並んでいる「シャーヒ・ズィンダ廟群」などなど。
「サマルカンド・ブルー」と言われる青色のタイルで覆われた、それらの建物の美しさにただ圧倒されてしまいます。その中でも圧巻なのがレギスタン広場です。この広場には北・東・西に3つの巨大なマドラサ(イスラム学校)が建築されています。
それぞれのマドラサは、美しい青色を基調とした様々なタイルを用いた繊細なデザインになっています。遠くから眺めていてもきれいなのですが、近寄ってこの美しいタイルで描かれた模様を見たくなる。
このレギスタン広場は夜になるとライトアップされ、また違った雰囲気になります。それにしても美しい。結婚の記念写真をこの広場で撮影しているウズベクカップルもたくさんいました。
さらに絶対に見逃せないのが、シャーヒ・ズィンダ廟群です。カウチサーフィンでホストしてくれたベクに「裏口がいつも開いているから、そこから入ればチケットなしで入場できるぜ」と教えてもらい、堂々と裏口から入場。
反対側から入場したのでまずは、一般の人々?のお墓が登場。日本のお墓と違い、各お墓には埋葬されている人の顔写真が。
お墓を通り越して奥の方に歩いていくと、美しい模様のタイルでデザインされた霊廟が並んでおり、どこか異世界に迷い込んだよう。私もクレモ―もこんなに美しい青のモスクを見たのは初めてだったので「おい、ここマジですごいなー!」とただ感動。
狭い路地の両脇に美しいタイル装飾が並び、この繊細な模様を見ているだけで一日中過ごせそうです。遠くから見てみたり、近づいて見てみたり。どれも同じ模様ではなく異なるデザインが施されているのにも驚きです。
こんなに美しい場所なのに、カメラのバッテリーを充電してくるのを忘れてきたクレモ―。「よし写真を撮るために明日また来よう」と、無料で入場できるのを良いことに、翌日も再び足を運ぶことに。
観光名所を堪能した後は、サマルガンドの台所「シャブバザール」へ足を運びました。到着するとバザールは市場で働いている人々や買い物に来ている人であふれかえって賑わっています。我々もドライフルーツやナッツ類、お気に入りの甘いお菓子ハルヴァなど購入。
しばらく歩き回っていると、編み物をしているおばちゃん達を発見。するとクレモ―が穴の開いた靴下を取り出して、「少しお金を払うから、この靴下の穴を裁縫して修理してくれませんか?」と尋ねている。
おばちゃんたちは、しょうがないわねーという感じでニコニコしながら穴をふさいでくれ、「お金なんていらないわよ」と言って笑顔でお別れしました。良い人たちだ。
バザールを散策し終わった後は、サマルカンド大学の日本語学校へ突撃。サマルカンドでは日本語を学んでいる学生が多いという情報を聞きつけ、あわよくば日本語を教える代わりにホームステイさせてくれる生徒か教授を探そうという魂胆でしたが。
大学の入り口に行き侵入しようとすると、セキュリティに止められ「ちょっと待ちなさい。学生証はあるの?どういう目的でここへ?」日本語学科の教授に会えれば何とかなると考えていましたが、セキュリティは英語が話せず、ただの怪しいやつという事で中に入れてももらえず。
今までかなり幸運に、願った事を実現しながら旅を続けていますが、まあ何でもそんなに上手くは行くわけありませんよね。
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「おーいちょっとこっちに来なさい」と呼ばれて行くと、そのまま結婚式に参加することに
サマルカンドの中心部から少し離れると、観光客のために整備されたエリアとは対照的に日常生活を営む人々の生活を垣間見ることができます。ある通りを歩いていた時でした。あれ?賑やかな音楽がどこからか流れてくる。
その音楽のなる方向へ行ってみると、カメラやら楽器を持って演奏している人やらがたくさん集まっていました。「何だろう?パーティーかな?」と近寄ってみると、「おーい。こっちに来なさい。」というように手招きしているおじさんが。
面白そうなのでついていってみると、たくさんの人たちが集まってご飯を食べながら談笑している。おじさんに「さあ、この席に座って」と促されるがままに、プロフ、ナン、各フルーツなどのご馳走がたくさんあるテーブル席に案内される私とクレモ―。
そして目の前のグラスにヴォッカがなみなみと注がれ、「ダバイ!(乾杯)」の掛け声とともに一気飲み。「さあ食べて、食べて!」と言われ、ちょうどお昼時でお腹が空いていた私たちは、モリモリとおいしいご馳走を頂く。
しばらく会話をしているとどうやら結婚式が行われているようだと理解。ウズベキスタンの結婚式は誰でも参加できるの?
おじさん:「何処から来たんだ?」
私たち:「フランスです。日本です。」
おじさん:「おーーパリかー!おートヨタ、ホンダ!」「何歳だ?もう結婚してるのか?」
私たち:「27歳です。結婚はまだです。」
おじさん:「27歳なのにまだ結婚してないのか?何でだ!?」
おじさんはヴォッカを飲みまくって絶好調です。しばらくするとみんな別の場所に移動し始めました。そしてそこに行ってみると、親族と思われる方々と、花嫁、花婿の姿が。
花嫁花婿のための特別な結婚の祈りでしょうか?おば様が気持ちを込めて話す姿と、厳粛なカップルの姿は神聖な儀式のようでした。何の関わりもなく結婚式に参加させていただきましたが、ご結婚おめでとうございます。
その日の夜はカウチサーフィンホストのベクと、彼オススメのシャシュリクがおいしいレストランに食事へ。「今日はねー結婚式に参加してきたよー」というと、ベクは驚きながら「今は結婚式のシーズンだからねー」と笑っていました。
ここはもともとタジク系の人々が多く住む地域らしく、ベクも彼の友人もタジク人だと教えてくれました。彼は韓国に留学していたこともあり、韓国語もペラペラ。韓国ではモテモテだったようです。
彼らのおかげで、サマルカンド滞在満喫できました。カウチサーフィン万歳!また彼らと会える日が来ることを願います。
おわりに
サマルカンドは「青の都」と呼ばれるように美しい都市でした。さらにそこに住むウズベキスタンの人々の陽気さとフレンドリーな気質が、さらに滞在を楽しくさせます。2018年8月現在は日本人ならビザも不要になっているので、ぜひ訪れて見てください。
次は田舎の生活も見てみたいという事で、小さな町「ボイスン」へヒッチハイクで移動しました。トラックに乗せてもらったり、大型バスにタダで乗っけてもらったり(笑)
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