クマシを去り、さらにガーナを北上していく。
北上するにつれて、徐々に熱帯雨林の風景からサバンナの風景へと変わっていく。
そして雨期の訪れも南部よりも遅れてやってくるので、カラッとした青空に晴天。
ここガーナ北部では、どんな新しい出会いや発見があるのか。
ボレ のんびりした空気が漂うサバンナ地方の街
クマシを離れ、やってきたのはボレ。面倒くさい警察をやり過ごしながら、ヒッチハイクが想像以上に難しい。
結局ボレへと到着したのは午後7:30。暗くなってからだった。
ボレから200km離れたテチマンという街にいたのが午後4:00。もう疲れ果て、ボレ到着をあきらめかけていたその時、まさかのボレに直接行くモハメドに出会ったのだった。幸運をつかむ粘り勝ち。
何だかんだで最後には何とかなってるガーナのヒッチハイク旅。
ちなみにここではカウチサーフィンでサミュエルさん一家のお家に泊めてもらっていた。
テレビ付きの個室まで与えてくれて、ものすごく快適に滞在させてもらえて感謝しきれないほど。
数日分のお水や朝食セット(パンにミロに砂糖に粉ミルクにコカ・コーラ)まで提供してくれて、驚きのホスピタリティ。
彼らの家のそばには大きなマンゴーの木があって、そこから採れたマンゴーも食べ放題という至れり尽くせり!
ちなみに彼らから聞いた話によると、ボレはその昔マリから移住してきた人々が建設した街だそう。
ムスリムの人口が多く、ボレの人々が話す言葉はゴンジャ。
アシュマーがおはよう。アヌラーが、こんばんは。ありがとうは、アシャンクシュだったかな?そしてアオ―と返事をするとイエスの意味になる。
街の中心部には古いスーダン様式と呼ばれるモスクがある。街のシンボルのような存在だろうか。
この木の棒が建物からどんどんはみ出してるのがめっちゃイケてる。丸みを帯びた形もいいし、ニョキニョキと塔が突き出てるのもいい。
またスモークと現地の人々が呼ぶ、この地方の民俗衣装を着ている人も多い。
カラフルなストライプ模様が印象的で、この地方の街では女性がスモーク用の布を織る姿をよく見かけた。
このように伝統工芸が現在でも続いているのを見かけると嬉しくなる。
ボレの街を歩いていて気に入ったのが、街の青空市場。
たくさんの大きな木々が、心地よい木陰を作り出し、市場でなければ小さな音楽フェスでも開催できそうな場所。
今まで見てきたカオスでゴミが散乱する市場とは雰囲気が全然違って、ボレの市場の雰囲気は最高。
ただ普段は静かなのだが、メンイの市場の日になるとカオスへと変貌するらしい。
ボレのような街でも、全ての家庭に水道が届いているわけではない。
他のガーナの街で時々見かける給水所(写真を見て下さい)なのだが、最初は設備の上方に蛇口がある意味がわからなくて、公共シャワーかな?なんて勘違いをしていた。
しかしボレで下の写真の光景を見てそういう事か!となった。
なるほど。頭で様々なモノを運ぶ現地の人々からすれば、これは理にかなっている。
ボレ滞在中には、近郊のソンヨ村へも立ち寄ってみた。
ちなみに近郊の村を訪れる時は、バイクをヒッチハイクして後ろの乗せてもらっている。これが車をヒッチハイクするよりも超簡単!
ソンヨ村の伝統的家屋は、一つの屋根に複数の家が連なっている。
今となっては廃墟となり現存している建物は少なく、残っていても現代風な建物によってほとんどの部分が破壊されていたり。
こちらの建物は、唯一かつての面影を残している。
各部屋を訪れるには、まず外壁に架けられた木のはしごを登って屋根へ。
そして再び屋根から各部屋へ架けられたはしごを昇り降りしなければならない。
今までに見た事のない面白い建築物だった。
さらにソンヨ村の周辺には、住民によって丁寧に管理されているであろう美しい森が広がっていた。
サバンナ地方とはいえ、雨期の始まりなので緑が豊か。
下の写真を見てほしいのだけれど、この地方でよく見かける木の実。
中の白い部分が食べられるのだれど、名前が思い出せない。
誰か知っている人いれば、教えてほしい。
ボレ滞在の最終日には、イミグレーションオフィスの職員に呼び止められ、色々と揉めることに。
ガーナの人々親切で大好きなんやけど、ちょいちょいムカつく奴もいる(特に警察や軍、高い地位にある人々)。
そして彼らはプライドと愛国心が高く、それを傷つける発言は最もNG。それで何度も相手をぶち切れさせている…。
そうなるともっと面倒くさいので、これから発言には気をつけないととわかってはいるのだけれど、納得しない事があるとついつい反抗的に言わないと気が済まないのが性分…。
ガーナ アッパーウエスト地方の中心都市「ワ」
ボレを離れ、さらにガーナの北部にあるワという都市へ。
この街はガーナのアッパーウエスト地方の中心都市で、かつてのワ王国の首都。
その昔スーダンから移住してきた人々によって、この街は建設されたのではという説が歴史家の中では定説であるようで、ワの宮殿の建築スタイルはスーダン様式。
宮殿自体はとても美しく興味深いのだけれど、またこの周囲にいる面倒くさい警察やガイドとのやりとりがもう…。
「警察と軍に許可を取る前に写真を撮った」とか、「リスペクトの無いお前には入場許可は与えられん」とか、ガーナは特にこういうのが面倒くさい印象。
そして「賄賂が欲しいだけでしょ?」と話すとブチ切れられるという。言わない方がいいのはわかってるけど、こっちもムカつくから喧嘩腰で言っちゃうんですよね…。
それでもめちゃくちゃ親切で寛大な人も多いので勘違いなく。そうでなければヒッチハイクの旅も成立してないし。
その一例として街の中心にあるモスクでは、モスクの責任者に挨拶をして、親切にもミナレットの頂上まで登らせてもらい、ワの街を一望することもできた。
ガーナ北部の街とあって、ワにもスーダン様式のモスクがある。
一つは街の中心部から程近いドンドリ地区にあるモスク。
ただ保存状態は悪く、廃墟同然。
そしてもう一方は、ワの街郊外にあるナコレという街にあるモスク。
こちらは保存状態も素晴らしい。
ナコレの街を歩いていると、ノリの良い大音量の音楽がガンガンになっている場所があった。
ふらふらっとそちら方向に歩いていくと、何と村の結婚式が行われていた。
主役の花嫁さんよりも、まわりの陽気な親戚のおばちゃん達の方が盛り上がってて、目立ってるのが面白かったけれど(笑)
よそ者の私が混ざっていても、「よく来たねー!」という感じで、受け入れてくれるのがガーナの人々(大多数)の懐の深さを感じる。
また別の日には、ワの街から少し離れ、オンボという村にやってきた。
ここにはまるでオーストラリアのエアーズロックのように、地面に突き出た巨岩がある。
頂上まで登ると、そこから周辺のサバンナの風景が一望できた。今は雨期なので比較的に緑の風景。
オンボ山から村に戻る途中、のんびりと大きなマンゴーの木の下でくつろぐ人々。
この時期のガーナ北部はマンゴーシーズン。村々の木にはたくさんのマンゴーが。
基本的にプランテーション以外の木からは、誰でもマンゴー取り放題。
子供たちは木に登り、家畜も実の落ちる音がすれば駆け寄って来て、取り合いになる。
大きなマンゴーの木の下には日陰ができて、人々の憩いの場所になっていて、私も時々休憩させてもらっている。
すると、突然横にいた感じのいいおじいさんが、「よし飯食べに行くぞ」と家に招待してくれる。私も「よし行きましょうか」と即決。
家では手作りのキャッサバの粉を練ったバンクーとキャッサバの葉と乾燥オクラ入りのスープをご馳走になる。
「ここではシアの実がたくさん採れるのよ」と、家族の方がシアの実とシアバターを見せてくれたり。
そして偶然にもオンボ村でこの日行われていたのは、カレオ王族関係者のお葬式。
カレオは、ワから北に20kmほど離れた街。
そこの現女王のお母様が110歳の歳でお亡くなりになられたということだ。
なるほど、どうりで大規模なお葬式なわけだ。サッカーグラウンド2個分ほどの敷地で行われている。
民族衣装を着用した人々も多く、伝統にのっとって儀式が行われているよう。
遺影の周りを囲むよう反時計回りにぐるっと回り、伝統的な楽器の演奏にのせて、死者を慈しむような悲しい歌。
そしてひざを折り、頭を下げるような仕草をして、誰もが悲しそうな素振りを見せる(たぶん儀式上の演技のような感じだった)。
現地の伝統文化を垣間見ることができた貴重な体験。
名前がわからないけれど、下の写真の木琴のような伝統楽器は初めて見た。
このように伝統的な儀式が行われている場所から少し離れた場所では、なんと現代風のノリの良い音楽が流れて踊っている人々もいて、悲しい儀式なのか?それとも楽しく送り出すのか?多分その両方なのかな?
お葬式に参列した後は、何と女王の息子さんとその妻(バチカン出身のイタリア人)が経営するゲストハウスに招待されてしまう。
何という幸運!少し話しただけやのに。
そしてゲストハウスで、ビールと食事まで奢ってもらえるなんて。
ムカつく体験も多いガーナだが、素晴らしく親切な人々のおかげでガーナを嫌いになる事もできるはずもなく、今日も楽しく旅を続けています。
おわりに
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