セネガルを離れてやってきたのはギニアビサウ。
国境を越えて首都ビサウまでの道は途中から未舗装、砂埃をあげながら車は進む。
ビサウではもうすぐ国をあげてのカーニバルが行われるというので、セネガルを予定より早めに切り上げやってきたのであった。
のどかな首都ビサウ どんちゃん騒ぎの国民的カーニバル
セネガルからギニアビサウへ国境を越えると、子供達から「オラ!ボンディア!」と声がかかる。
子供達が元気なのはセネガルも同じだが、言葉が違う。
ギニアビサウはかつてポルトガルの植民地であったことから、ポルトガル語と現地の言葉が混ざったクレオール語を話すのだ。
スペイン語とポルトガル語は似ているので、セネガルよりもコミュニケーションが楽で助かる。
ギニアビサウがある地域は、かつてカアブ帝国やマリ帝国の一部であったが、1446年にポルトガル人が上陸し、南北アメリカ大陸への奴隷貿易の中継地となった。
その後長きにわたって植民地化が進んでいくが、独立戦争を戦い1974年に独立。アフリカで独立勢力が宗主国に一定の勝利を収めた唯一の国家であるという。
独立後、1990年代以降は内戦が勃発し、軍の反乱やクーデターが頻発するなど不安定な政治が続き、経済的にも依然として世界最貧国の一つとなっているとの事だ。
ポルトガルの植民地であったことから、首都のビサウの中心地にはコロニアル時代の古い建物が並ぶ。
街の中心地を歩き回るだけでは、世界最貧国と呼ばれるのもピンとこないし、政情が不安定なのも同様によくわからない。
道路では私の手が届かないような高級車が忙しそうに走りまわっているし、道行く人々もスマホを片手に誰かと会話している。
日中歩いていると、ビサウは首都の割にとてものどかな印象だ。近代的な高層ビルも存在しない。都市というより、大きな街という印象。
幸運な事に、植民地時代の建物が残る街の中心部は工事中で車が通れず、自由に歩き回る事ができた。
人々はセネガルと比較して少しシャイだが人当たりは良い印象。個人的に治安は問題なさそうな印象を受ける。
ただ私を含めて、他の旅人も強盗にあって携帯やお金を奪われているので、特に夜は注意が必要だ。
ビサウで気に入ったのは、首都とはいえある程度周囲に自然が残されている事。
といっても都市開発で多くの木が切り倒されてしまったのだろうけれど。
そんな大木がつくる日陰では、人々が座り込み軽食や果物などを販売している事が多い。
そのおかげで市内ではどこをほっつき歩いていても、食べる物には困らない。
定番はフランスパンに具を挟んだサンドイッチ。ヤムイモやサツマイモを蒸したり揚げたりしたもの。ピーナッツの粉を砂糖と混ぜて団子状にしたものなど様々。
小さなビニール袋に小分けにされたレモンやハイビスカスのジュース、コーヒーやアイスクリームなど、どれも10-100円ぐらいで食べたり、飲んだりできる。
ビサウで一番大きな市場バンディン市場にも足を伸ばしてみる。
アフリカと聞いてイメージするようなカラフルな衣装を纏った人々で溢れかえり、日常生活に必要な品々はここで全て揃う。
市場で目立つのは働く女性の姿。陽気な物売りのオバちゃん達から野菜を買えと、魚を買えと声がかかり、歩いているだけで楽しい。
アフリカの女性はエネルギーに溢れて逞しい。
ちなみに市内にはトカトカと呼ばれるミニバスが決まったルートを走っていて、150セーファ(30円)でビサウ市内なら移動できる。
私がありがたくカウチサーフィンで滞在させてもらっていたのはビサウの郊外。そこまでもトカトカに乗って移動。客を乗せてあり降ろしたりしながら急発進と停車を繰り返す。
ちなみに滞在させてもらっていた家には電気は通っているけれど、水は井戸から運んでこなければならない。
電力供給は安定しておらず、しょっちゅう停電を繰り返す。
屋根はトタン屋根がむき出しなので、日中は熱がこもり室内は汗が噴き出すほどめちゃくちゃ暑くなる。
電気が通ったのはつい数年前の最近の事なのだとか。ビサウの郊外といえど、まだ電気が通っていない地域は多いそうだ。
お世話になっていた家のママは看護師として働いていて、給料は月に15,000円ほどと聞いた。
家の空きスペースを貸して賃貸料の収入もあるだろうが、それを足しても25,000円ほどだろうか。
そのお金で大人6名と子供2名の8人家族で暮らす。最貧国の一つと呼ばれる暮らしは、お金で考えると厳しい。
それでも彼らが決して貧しそうに見えないのは、助け合うコミュニティや家族の結びつきがあるからだと感じた。
一緒に住んでいて各家庭の垣根はあまりなく、子供達や人々が自由に他人の敷地を横断して歩き回っている。
必要があればお互いに助け合って暮らしているのだろう。
だが残念な事に、今まで8年間カウチサーフィンを使ってきた中で、初めてお金を紛失した。彼らの家の中で。
隠して非常用にとっておいた100ドル札を2枚。結局誰が盗んだのかはわからないし、戻ってはこないのだけれど。
生きていればとんでもなく親切な人々に会うこともあるし、歩いていれば石ころにつまずくように悪い人に出会う事もある。
信用していて裏切られるのは辛いけれど、まぁそんなこともあるという事で。
あまり気にせずこれからも西アフリカの旅を続けていきます。ポレポレ。
ビサウの喧騒から離れて 美しい村キニャメル
ビサウに滞在して数日後、すこし都市を離れて静かな場所を訪れたいと思っていた。
そんな時に地元の人々から勧められたのが「キニャメル」という村。
首都ビサウから1時間ほど離れた郊外にあり、素晴らしい自然に囲まれた、美しくのどかな場所だという。
キニャメルはビサウに住む人々にとって、街の喧騒から抜け出してリフレッシュできる場所という位置づけのようであった。
そんなキニャメルに到着すると、真っ先に目に飛び込んでくるのは、村の目抜き通りにある大きなマンゴーの並木通り。
大木がつくりだす涼しい日陰にそよ風が吹いていて気持ちいい。
そんな並木通りの一角で見かけたのが、「パヌリピンディ」というギニアビサウの伝統布を売るお店。
モーリタニアの「メルファ」と呼ばれる素朴なアフリカ布といい、こちらも興味深い。
アフリカ布が日本で徐々に注目を浴びているのも納得の美しさだ。
キニャメルを訪れて改めて思うけれど、やっぱり私には都会よりも小さな街や村が性に合う。
ビサウも決して大都会ではないけれど、多くの人や混雑した通りに無意識の内に疲れていたのかもしれない。
キニャメルに来てすぅっと気が楽になったような気がした。
キニャメルの外れには川があり、入り江のようになっているので海の潮位によって水位が変わる。
川の沿岸部には素晴らしいマングローブ林が広がり、マングローブの木々には牡蠣が育っている。
地元の人々もそれを生活の糧の一つにしているようだ。
沿岸部には大木をくり抜いて作られたボートも。
満潮時になると水位が上がり、泳いだりするのにも最適なタイミングとなる。
訪れたのが週末という事もあり、多くの人で賑わっていた。
女性もビキニを着用したりと、これまでのイスラム教の戒律が厳しかった地域とは全く違いオープンだ。
週末とはいえ、それ以上に大勢の人で賑わい、テントを張ってキャンプしている人々もいる。
巨大なスピーカーを持ち運んできて、ノリのいいラテン調の音楽を鳴らして踊っている。
そんな様子を不思議に思いながら会話していると、どうやら今日は「先生の日」という祝日のようで、学校の先生と一部の生徒たちがお祝いのパーティーをしているとのことだった。
陽気でフレンドリーな彼らのことだから、すぐにパーティーに招待してくれたので参戦。
まずはビールを頂く、七輪のような器具で魚や鶏肉を炭焼きにした料理も。サラダは事前に出発前に準備してきたようだ。
陽気な音楽を聞きながら、飲んで、食って、踊ってのどんちゃん騒ぎ。
さすが西アフリカのラテンの国。
女性が陽気に腰を振って踊れば、男性がお尻に触れながらリズムを合わせて踊る。
イスラム教の戒律が厳しいモーリタニアですれば、斬首刑にされそうな光景が目の前に広がっている。
ギニアビサウは、男女関係に関してはとてもオープンな国なようだ。
4日間にわたっての国民的な祝日 ビサウのカーニバル
4日間にわたる国民的なイベントであるギニアビサウのカーニバル。
毎年ブラジルのリオのカーニバルと同時期に行われるアフリカでも屈指の大規模なカーニバルで、海外からのツアーも組まれるほどなのだとか。
そのはずなのに、情報を探そうとしてみると情報が少なくて驚き…。英語で情報を探しているにも関わらず、正確な開催日も現地に着くまで分からなかった。
現地に到着しても、聞く人によって日程も場所も情報が違うという始末(笑)
カーニバルの初日、午後16:00頃からカーニバルが始まると聞き、「Barrio de Ajuda」と呼ばれるダンスが行われるらしい地区に行ってみる。
確かに周辺の道路は警察により閉鎖され車は通行できないようになっていた。
ただカーニバルが開催されているような雰囲気はなく、ただ人々が歩行者天国となった道路を食べたり、飲んだりしながら歩き回っているのみ。
地元の人々に聞くも誰も正確にどこで何が起こっているのか知らず、まさかの初日は何も見れずに終了(笑)
迎えた二日目、友人の友人のインスタストーリーに投稿されていた情報を頼りに、「Coco-Plubá」という小さな地区へ行ってみる。
到着すると人だかりができていて、伝統的なダンスが行われるということであった。
こんな小さな地区で??国民的な祝日なはずなのに、誰も正確にどこでどんなイベントが行われるか地元の人でも知らない。情報がない(笑)
それでもせっかく伝統的な衣装やダンスを見られるのは良かった。ここまでカーニバルを見に来たのに、見ずには帰れない。
ダンスが始まるとその伝統衣装にまず驚かされる。
カラフルで多彩、自然から採れる貝やヤシの実などの素材が使われていたり、体に泥を塗りつけている人々もいた。
3日目と4日目は、「Barrio de Ajuda」近くの「Hospital 3 de Agosto」でダンスが行われるとの情報を得て、そこに向かう。
到着すると、会場には大きなスピーカーが設置されていて、座席も準備してある。関係者がロープを設置するなどの作業が行われているので、ここに間違いなさそうだ。
ただこの会場の中心にはお金を払った人しか滞在できない事や、カメラで写真を撮影するのはお金を払ってチケットを買わないといけないなど、訳の分からないルールを言ってくる。(結局ダンスが始まると関係なく潜り込めた)
ツアーで来た観光客は大金を払って座席や撮影用のチケットにお金を払ったらしいけれど、可哀そうに結局ダンスの見えない座席に追いやられていた。
もう一つ気に入らなかったのは、伝統的なダンスが大統領と政府の関係者の座席の目の前でのみ行われる事。
国民のためのカーニバルのはずなのに、ダンスが行われる場所はテレビ関係者やそのカメラに囲まれ、ロープの外側にいる国民からは全く見えない。
夕暮れになり薄暗くなってくると、ライトアップされているのは何とダンス会場でなく、大統領や政府関係の座席。なんという馬鹿げた事だろう。
まぁこういった事には不満だけれど、個人的にはジャーナリストのふりをしてダンスが行われる中心部への潜入に成功。
盛り上がっているカーニバルの様子と、素晴らしい工夫がされたクリエイティブな衣装の数々をどうぞ。
コロナ前よりもカーニバルの規模は小さくなっているとの事ですが、十分見応えあり。
カーニバルで踊っている人々からは、強烈なお酒の匂いがプンプンしてきて救急車で運ばれていくダンサーの姿も。
現地の友人から聞いた話だけれど、ギニアビサウの現大統領はイスラム教の方みたいで、このようなお酒を含んだどんちゃん騒ぎの規模を縮小したいと考えているらしい。
だから規制がかかっていて、あんまり情報もなかったのかも。
何にしてもカーニバルの時期にビサウに滞在することができて幸運でした。
ギニアビサウ沖合にあるビジャゴ諸島 ブバケ島にて
地図を見てみると、ギニアビサウの大西洋沖合には88もの島々からなるビジャゴ諸島がある。
ブバケ島をはじめとする島々には、本土とは違った文化を持つビジャゴ人と呼ばれる人々が暮らしているというのだ。
せっかくギニアビサウにいるのだから、ちょっと訪れてみないわけにはいかない。調べてみるとビサウからはブバケ島まで船やボートが出ているらしい。
首都のビサウからくる方法は、大きく分けて3通り。
- 金曜日発のフェリー: 外国人価格16500セーファ
- 金曜日発のボート: 3500セーファ
- 漁師や物資を運ぶボートに直交渉: スケジュール不明, 値段交渉次第
ボートが出発する時間は、潮位が上がる満潮時との事。
私は往路は水曜日に漁師の船に乗せてもらって3500セーファでビサウからブバケ島まで。
復路はブバケ島を日曜日に出発するボートで3500セーファでビサウまで。
参考までに下の写真は復路のボート。座席指定などはなく、座れる場所に座るという感じ。
片道4時間かかるので、食べる物や飲み物などを忘れずに。
並走して泳ぐイルカを目撃しながら、気持ちの良い潮風に4時間揺られた後に、ビジャゴ諸島で一番大きな島ブバケ島へと到着。
車はほとんどなく、何とものんびりとした空気の場所だ。
友人の友人宅の家にテントを張らせてもらい寝泊まりの場所は確保。
ブバケ島には安い宿がなく、中級以上のリゾートホテルのような場所しかない。
なので貧乏旅行者はビーチなどでキャンプすることになるのだ。
お金に余裕があれば、そんなホテルでのんびりと過ごしながら、カバなどが生息する周囲の島々を巡るのも最高だろう。
この島でとにかくしていたのはのんびりする事。
満潮時にはお気に入りのビジャンテビーチに行き海水浴を楽しむ。
空に高く伸びたナツメヤシの葉がユラユラと風に揺れて、南国情緒のある素敵なビーチ。
海辺では子供達が泳いだり、空き缶に釣り糸を巻き付けた自家製の道具で釣りをしていたり。
彼らは逞しくて、採ったカシューナッツや獲った魚を旅行者に販売しながら小遣いを稼いでいるようだ。
ビーチへに向かうには島の畦道を通り抜け、たくさんのカシューの木が植わった森を抜けていく。
カシュ―ナッツを収穫する時期も近いようで、すでに熟して赤くなったカシュ―の果実がなっている。
地面に落ちているカシュ―の実もたくさん見つかる。
ちなみに熟す前のカシュ―の実はこんな感じ。
果実の先っちょにカシュ―ナッツができる。
ちなみにカシュ―は木の実だけでなく、熟して赤くなった果実を食べることもできる。少し酸味があり、甘くて美味。
さらに果実を絞ったジュースからお酒もできる。
3月の中旬になるとマンゴーも収穫の時期を迎え始めるようだ。
ブバケ島を散歩していると、植民地時代の建築物が廃墟のようになって残されていたり、ストリートアートがあったり。
旅行者の数もまだ少なく、電力の供給もままならないような島だけれど、まだまだ観光業が発展するポテンシャルがある。
ギニアビサウの治安が安定して来れば、巨大な観光産業になるだろう。
ブバケ島はビジャゴ諸島で一番大きな街だけれど、中心地を少し離れると、電気もなければ水道もない。
地元民はお金を払って、電気が通っているお店に携帯を預け充電してもらっている。水は井戸から。
この島ではすべてに時間がかかり、効率と生産性とはかけ離れた世界。
まさかこんなのどかな島で強盗にあうとは思わなかったけれど、ここで携帯を強奪されたのには驚いた。
長いこと旅をしていればそんなこともあるでしょう。
そんなこともあり島には5日ほどしか滞在できず、他の島々を訪れることもできなかったけれど、それはまた次回ということで。
ギニアとコートジボワールのビザも無事に受領できたので、ボチボチと西アフリカを下っていきます。
おわりに
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