セネガル北部の旅を越え、やってきたのは南国情緒を感じるカサマンス地方。
ここでは大西洋の広がる海沿いの小さな村で、数週間のファームステイ生活。
美しい自然と、心地よい気候のおかげで身も心もリラックス。
どんどんとこの地から離れがたくなってくるのであった。
カサマンス地方の中心都市 ジガンショール
滞在していたトゥバブ・ディアラウのクラウディアとペップに別れを告げ、ヒッチハイクで南部のカサマンス地方を目指す。
カサマンス地方へ向かうにあたっての大きな障害は、ガンビアの存在だった。
ガンビアはセネガルの内部にあって、北部からカサマンス地方に向かう最短ルートはこの小さな国を経由していく事。
しかしガンビアは独立国で日本人が入国する際にはビザが必要になってくる。
そこで当初は東のタンバクンダまで行って、そこから大回りして西のジガンショールまで戻ってくることを考えていた。
そう…一台のトラックに出会うまでは。
ちょうどカオラクという街に到着した頃、同じくヒッチハイクをしていた友人のミゲルから連絡が入り「ダカールからカサマンスに行くトラックを見つけた。一緒に行かないか?」と。
「ガンビアを経由していくのだけれど、トラックの後部座席に隠れていれば誰も確認しないから、こっそりとカサマンスまで抜けられると運転手が言ってる」と。
神の助けか地獄への道か。直感にかけてこの話に乗ってみることにした。
最悪見つかってもお金を払えば済むことだし、トランジットビザも国境で発行してるみたいだし。
ミゲルの乗ったトラックがカオラクの街に到着し、ガソリンスタンドで待ち合わせ。
トラックの運転手に挨拶するとめちゃくちゃいい人で、何と道中の食事なども全部おごってくれた。
テランガ(おもてなし)の国セネガル。想像を越えてくる親切な人々。
そして緊張の国境越え。トラックの後部座席のカーテンをさりげなく閉め、ドキドキしながら息を潜める。気分は違法密入国者。いや実際にそうやけど。
運転手が話した通り誰もトラックの後部座席など確認せず、無事にガンビアに入国。そして出国。
1時間にも満たないガンビアの入国だったけれど、縁があればまた訪れることもあろう。
トラックはジガンショールでなく、カサマンスの別の街へ向かうみたいなので、途中の村で降ろしてもらう。
時刻は深夜の12:00を越えていたけれど、2人で一夜を明かせそうな場所を探していると、大きな中庭のある民家で人がまだ起きているのを発見。
「今夜テントを張って寝れる場所を探してるんですけど、中庭で一泊させてもらえませんか?」と尋ねると、快く了承してくれた。
こういったことができるから、セネガルは安全でめちゃくちゃ旅がしやすいと感じる。
翌日は降ろしてもらった村からジガンショールへ向かってヒッチハイク開始。
100kmほどの距離だったので楽勝だろうと思っていたけれど、やはり男2人でのヒッチハイクは時間がかかり、結局目的地に着いたのは夜になってしまった。
昨日運が良かったぶん、こんな日もあるでしょう。ただ大切なのは、無事にジガンショールへ到着した事。
道はあちこちに穴が空いていてガッタガタ。下の写真のような三輪バイクの後ろに乗っているときなんか、穴にハマるたびに車体が飛び跳ねて、体を支えているだけでクタクタになった。
ここジガンショールでは、ミゲルの友人のお宅にお邪魔させてもらえることに。本当にありがたい。
ミゲルはマジョルカ島に住んでいて、友人のウリはハイシーズンになるとマジョルカ島で働いているのだとか。
旅に出ていなければこんなにも多様な人々とも出会う事はなかったし、日本から遠く離れた国に住む人々の、想像を超える優しさに触れる機会もなかったであろう。
ちなみにカサマンス地方は、2014年までカサマンスの独立運動による内戦状態にあって、旅をする事は難しかった。それが原因で多くの人々がこの地を去ったという。
だが現在ではかつての平和を取り戻しつつあり、旅行者も徐々に増えているようだ。
ジガンショールの中心部を歩いていると、今までのフランス風の建物と一味違う変わった建物があるのに気づく。
それもそのはずで、元々この街は1645年ポルトガルによって建設され、1888年にフランス領となるまではポルトガル領だったのだ。
大きな街なのだけれど、何だろう?ゆったりとした空気が流れていて、サン・ルイやダカールともまた違っている。
彼らも陽気なのだけれど、ここの人々はさらにそう。街を歩いているだけで声がかかる。
ガンビアとギニアビサウという異なった国の間に位置することから、多様な文化が混じり合っている事も影響しているのだろう。
個人的にジガンショールに特に見所があるとは思わないけれど、面白かったのがミゲルとスクーターを借りて、郊外まで行ったこと。
その道沿いでココナッツのようなものが路上で販売されていて、値段を見ると一房で600セーファ(120円)。
これは安い!念願のココナッツジュースが飲める!と思って、中を開けてびっくり。
下の写真のように3つの穴が空いていて、ゼリー状の物体があり、その奥には液体が。
不味くはないけれど、ココナッツを期待していたのでがっかり。
これはコニと呼ばれる別のフルーツのようだ。まだまだ知らない事ばかり。
ジガンショールでは、次の目的地のギニアビサウのビザが簡単に取れると聞いているので、また再訪予定。
今回はいったん別れを告げて、カサマンスの大西洋沿いの地域まで足を伸ばします。
カサマンス地方 海沿いにある田舎の村でホームステイ
ジガンショールを離れてやってきたのは、ガンビアとの国境にもほど近い大西洋の海沿いにある地域。
ワークアウェイを通して事前に連絡をとっていたファームが、この地域のカバディオ村とニャフラン村のちょうど間ぐらいにある。
バンディカキ村からは舗装されていた道から外れ、ガタゴトと樹木に囲まれてトンネルになったように道を行く。
カバディオ村に到着すると、年代を感じる味のあるモスク、大小さまざまなお店があり、カラフルな衣服をまとった女性がおしゃべりしながら路上で野菜や魚、スナックなどを販売している。
ここで必要最低限の生活必需品は揃いそう。村の雰囲気に活気を感じ、村内で経済がよく回っていそうだ。
周囲を見渡してみると、セネガルの田舎の村の家はどこも大きな中庭があり広々としている。
家の周囲のフェンスなども周辺で自然の中でとれる材料を使って建設されていて、周りの自然風景とよく馴染んでいる。
セネガルの田舎を歩いていると、小さな子供たちが満面の笑みを浮かべて手を振りながら「トゥバブ!トゥバブ!」と声をかけてくれる。たまには近づいてきて握手を求めてくる子供達も。
ちなみにトゥバブは外国人旅行者と言う意味。ちなみにケニアやタンザニアでは「ンズング」で、かわいらしい子供達がよちよちと近寄ってきたのを思い出す。
もう少し大きな子供達になるとアジア人に対しては「チヌワ!チヌワ!」となる。チヌワとは中国人の意味。
まぁ区別がつかないのもしょうがない。セネガルから日本やアジアはとんでもなく遠くの国。日本人だって西アフリカのことなんて知らない人がほとんどだろうし。
カバディオ村から徒歩で1kmほどの距離にファームはあり、到着すると連絡をとっていたジャンコが快く迎えてくれた。
ここでこれから3週間一緒に時間を過ごすことになる彼の家族、親戚含め十数名と共同生活をすることになるのだった。
豊かな森を切り開いた中にファームはあり、大きなマンゴーの木やパパイヤ、バナナなど南国の雰囲気たっぷり。
飲み水は井戸から。水位は高くて、おそらく地上から2mほどの深さあたりで水がある。自然の井戸水は水道水よりもやわらかくスッキリとした味わいで美味しい。
料理は基本的に薪で調理するのだが、日本の七輪のように木炭を燃料として調理する器具も使う。魚を金属製の網に挟み、木炭で炭火焼にしたりする事もあった。
ソースを調理する際には、薬味やスパイスを潰す用の木製の容器に胡椒、ニンニク、玉ねぎ、トマト、パプリカを主な材料として入れ、特製の丸みを帯びた木の棒で叩き潰すように混ぜていく。
当然だけれど薪や木炭で調理すると料理もさらに美味しくなる。ガスを使うのとどちらが贅沢なのだか。
海が近い事もあり、毎日の食事は魚とご飯が中心。
魚は購入する事もあったけれど、基本は家族の一員であるディノが漁に出て魚を獲ってきた。日本の地引網のような手法で一人で行って、一人で獲った魚と一緒に帰ってくる。逞しすぎるし、頼りになる。
大漁に獲れたぶんは、別々の袋に詰めてご近所にもおすそ分けしていた。そういった文化がセネガルにもあるようだ。
三週間滞在していた間、ほとんど毎日の昼食と夕食は魚とご飯の組み合わせであった。ソースに多少の違いはあったけれど。
面白かったのがセネガルでもお米のおこげを楽しむ文化があったこと。鍋に残ったおこげは最後にスプーンで削り取られ、大皿の中央に散りばめられるのだ。
料理の準備ができるとみんなに声をかけ、みんなで大皿を囲み一緒に食べるのがセネガル流。
毎日の魚とお米の料理も美味しいのだけれど、一番気に入ったのがエトゥディエというカサマンス地方の名物料理。
干し魚、干し貝で出汁をとったスープに、パーム油、モリンガ、粉状ピーナッツを混ぜたソースをご飯にのっけて食べる。これが舌がとろけそうなほど美味しい。
興味深かったのがパーム油も原材料から油を抽出する事。集めた果実を蒸して潰して油をしぼる。
しぼった油は濃いオレンジ色だった。
そこにモリンガと粉状ピーナッツ、干し魚と貝を入れて混ぜながらぐつぐつと煮たソースをご飯にぶっかけるのだ。
食べきれずに余った料理はイヌとネコへ。基本的に洗い物は女性の仕事で、滞在中に男が食器を洗っているのは見ることができずに終わった。
ちなみに他に食べた珍しいものといえばこんな巨大なネズミ。捕まえたら丸焦げにしてから毛を取り除く。
ネズミといえど肉は美味しくて、彼らもこのネズミの肉がお気に入りだというだという。
下の写真は現地のウォロフ語でガバと呼ばれる果物で甘酸っぱい味が特徴的だった。
ファームに滞在中はただ食べていただけではなくて、農場の仕事も手伝っていましたもちろん。
畑を耕したり、玉ねぎやレタスを植えたり、水やりをしたり。
ここでの農業は、日本のように最新設備がない分、大人数での人海戦術。
彼らの仕事を手伝いつつも、自分は自分で個人的なプロジェクト。いいアイデアがあれば自由にやっていいと言われたので、パーマカルチャーのテクニックを使って、「バナナサークル」をつくった。
真ん中に直径1.2m、深さ1mの円形の穴を掘り、有機物を掘り込む。これが少しずつ時間をかけて分解されコンポストになる。
その周囲には、バナナ、パパイヤ、キャッサバ、スイートポテトを植えて、彼らは中央のコンポストから栄養を得るという仕組み。
また中庭の日陰になっているスペースにもミントを植えた。
彼らはお茶をよく飲むので、近い将来ここの植えたミントを使って、ミントティーにしてくれれば。
仕事が一区切りつけば、後はのんびり。
ハンモックでくつろいだり、シャワーを浴びたり。ちなみにシャワーはバケツシャワー。バケツに水をためてコップですくって水浴び。
地元の人々には井戸水は冷たく感じるようで、毎回お湯を沸かしてシャワーを浴びていた。日本で生まれ育った私は、この気候なら水シャワーで平気。
夕方にシャワー用のお湯を沸かすために焚火が始まり、誰かがその木炭を使ってお茶を沸かし始め、そこから深夜になるまで毎晩キャンプファイヤーを囲んで皆が集まる時間がある。
こうやって毎日過ごしてると、効率とか生産性とかを追求し過ぎて失っているものに気づく。何をそんなに焦って生きてるのか。
西アフリカにも資本主義が入り込み浸透しているけれど、行き過ぎた資本主義の世界に住む私達からすれば学ぶべきことはたくさんあるように思う。
ファーム滞在中のある日、カバディオ村で結婚式があった。
少し覗きに行ってみると、 色とりどりに着飾った女性達が、音楽に合わせて円をなして踊っている。
その周りで子供達も真似して踊っていて、こうやって踊りの文化が育っていくのだと思った。
ここではお祝い事に音楽と踊りは欠かせない。
3週間の間ファームに滞在し、彼らと同じように暮らしたわけだが、アフリカと聞いてイメージするような貧しさを感じた事は1秒もなかった。
電気もソーラーパネルからのみで夜は電気なし。洗濯機もないし、テレビもないし、シャワーもバケツシャワーだし、水洗トイレもないような環境にも関わらずだ。
そういったものは豊かに生きるのに必要だと、ただ思い込まされてきただけなのかもしれない。
資本主義は生産性と効率性を最重要視し、現在「私たちが考える豊かさに必要なモノ」を提供してくれた。
しかしその犠牲として代償にしている「別の豊かさ」を西アフリカから学びたいと思う。
ニャフラン、アベネ、カフォンティン カサマンス北西部の楽園のような風景
滞在していたファームのあるカサマンス北西部は、楽園のように自然が美しい場所だった。
素朴な雰囲気の村々には巨大な大木が育ち、大西洋が広がる海辺があり、その間にはマングローブ林が広がっている。
ファームがあるカバディオから一番近い村はニャフランであった。
ニャフランで最も印象的なのは村の中心部にある大木。
大木の周辺は広場になっており、子供達が毎日夕方になるとサッカーを楽しんでいる。
空に大きく伸びた枝には無数の鳥の巣が。
まさに多くの命を支える母なる大木。
ニャフランを歩いていると、たびたび放牧されている豚を見かける。
セネガルではイスラム教徒が多いはずなのに豚?と思うのだが、カサマンスではキリスト教の人口も多く、彼らは豚を食すのである。
そしてニャフランはキリスト教徒の村であるという事だった。
なのでもちろん村の中心には教会があり、建物自体は200年の歴史があるという。
建設当時の壁が現在にも残されており、そこには海辺で獲れる貝をレンガに混ぜて強度を高める工夫が。
日曜日になるとミサが開かれ村の人々が集まる。
そこではキリスト教を分かりやすく伝えるため、子供達には紙芝居を使うそう。
その一枚一枚のクオリティも高い。30年間同じものを使っているらしい。
ニャフランは先ほどの大木に加え、巨大なバオバブやマンゴーの木々もあり、伝統的なカサマンス地方の家屋が美しい村。
こういった巨木たちが世代を越えて村人たちに保護されて育てられてきたのだと思うと、その積み重ねられてきた時間と思いに頭が下がる。
ニャフランからさらに西に歩くと、ガンビア川の支流を越えて、マングローブの森へと到着する。
この川にはワニも生息しているらしいけど、この目で見ることはなかった。
マングローブの木々の根もとをよく見ると何やら白いモノが付着している。
何だろうと思ってよく見てみると、何と牡蠣。天然の牡蠣がマングローブの根元で育っている。
地元の女性もバケツを持って、ここで牡蠣を収穫していた。
こういった多様で豊かな土地は多くの生き物の命を支える。
特に好きだったのは、明るい時間であれば至る所から聞こえてくる鳥のさえずり。
滞在中にも多種多様な鳥類を見かけた。
マングローブの森を越えると、砂浜が広がり、そこは大西洋。
ここは観光客もいない静かなビーチ。
海で釣りをしている人がいたり、牛が放牧されているのみ。
海を眺め波の音を聞きながら、のんびりするには最高の環境。
ニャフランからビーチ沿いにずうっと南に歩いていくと到着するのはアベネ。
アベネに近づくにつれて、少しずつ海辺に住む人々の暮らしの様子がみえてくる。
海沿いを歩き回った後は、少しアベネを散策。
ここは一風変わった村で、ドレッドヘアーをしたラスターマンたちやアーティストたちが集まる独特の雰囲気がある場所なのです。
村の大通りには彼らの制作するオリジナルの品々が並ぶ。 また毎晩レゲエパーティーが行われる事でも有名な場所。
将来的に西アフリカを旅するバックパッカーの沈没地になりそうな予感。知らないだけでもうなってるのかもしれないけれど。
そんな雰囲気がある村。
アベネといえば忘れてはならないのが、村の象徴ともいえる大木フロマージュ。
これまでの人生で見た木の中でも一番巨大な木だった。地元の人々に聞くと樹齢は1200年。
ただ一本の木でなくて、いくつかの木が重なるようにしてここまで育ってきたのだとか。
村の人々はこの木を神木として崇め、周囲は清掃が行き届き、お供え物を欠かさない。
アベネからはさらに南にある街カフォンティンへ。
再び森を抜け、海辺沿いにカフォンティンの漁港を目指す。
道中に見かけたのが、大きなバオバブの木とそれをうまく利用して建てられた素敵な家。
どんな人が住んでいるのか、すごく気になる。
カフォンティンの漁港は大勢の人々で賑わっていた。
漁から帰ってくるボート、浜辺では女性が魚を捌き、漁師たちは魚網を修復し、魚の売買が行われ、一日中活気がある。
毎日必ず魚を食べるセネガルの食文化を支える場所で、生きるエネルギーに満ち溢れている。
恵まれた多様な自然と共にあるこの地の暮らし。
今日も彼らは力強く、のんびりと暮らしているのだろう。
ジョラ族伝統のクンポーダンス
ファームに滞在中のある日、近日中に付近の村々でこの地域伝統のお祭りが開かれるという噂を聞きつけた。
クンポーダンスというジョラ族の伝統的な踊りが行われるようだ。
これは逃すわけにはいかないと、ヒッチハイクでとある村に向かっていると、道中でとある家へ。
どうやらドライバーの両親の家らしく、ナツメヤシから作るアルコール飲料を作っているようで、「まぁまぁ飲みなさい」と大きなコップになみなみと注いでくれた。
昼間から、すでにちょっといい気分。
事前にもらったプログラムによると祭りは午後3時から始まる予定になっていたが、会場に行っても誰もいない、座席なるはずの椅子も未だに積まれたまま。
他の村の祭りにも参加したけれど、まず時間通りに始まる事はない。1時間、いや2時間後に到着しても大丈夫だ(笑)
しょうがないので村を散策していると、「こっちに来なさい」という声がする。
特にする事も無いので、一緒にお茶を飲んだりみかんを頂きながらお祭りについて話していると、「夜遅くなるから、今夜は家に泊まっていきなさい」と、家に招待してくれた。
深夜になってからどうやって家まで帰ろうかと心配していたので、何という幸運。
クンポーダンスはジョラ族の伝統的な踊りの名前であり、祭りに登場するキャラクターの名前でもある。
クンポーは、下の写真のヤシの葉に覆われて、棒が頭から突き出たキャラクター。
幽霊や精霊のような存在のようだ。
祭りが始まると、まずは村の人々がドラムのリズムに合わせながら踊りだす。
それはまるで精霊のクンポーを会場に誘い出すかのように。
そして会場は徐々に熱気に包まれ、ついにクンポーの登場。
最初はゆったり、ゆったりと歩くように移動するクンポー。
太鼓のリズムが早くなり、目の前で大衆が彼を躍りに参加させるような挑発的なダンス。
するとクンポーは突然狂ったように走り出し、ぐるぐるとその体を高速回転させるようなダンス。
そしてクンポーに続いて他の仮面も登場する。緑の葉っぱが付いたのがサマイで、黒いのはアゴマラ。
当日は満月。軽快なジャンベのリズムに仮面舞踏者も周囲の人々も圧巻の踊りを見せてくれる。
足を高速で激しく動かすステップや飛び跳ねるような軽快な動き。
ときおり、大衆の中からダンサーが飛び出してきて、仮面を挑発するかのように激しく踊り始める。
その挑発に乗るかのように仮面も踊りだすという、両者の掛け合いも面白い。
月が昇っていくとともに、会場は徐々に熱気に包まれ、コミュニティ全体で楽しんでいるような様子であった。
音楽と踊りのエネルギーが大衆に伝わっていって、ともにトランス状態に入っていくような感覚。
また別の日にはカフォンティンで行われていたお祭りへ。こちらでもクンポーダンスが披露されるという。
一週間もの期間続くお祭りで、伝統的なダンスが行われるのは初日。
プログラムでは午後3:00から始まるはずだが、当然遅れて午後16:30に始まる。
まずは音楽と共に街を歩き回るこじんまりとしたカーニバルから始まる。
街中の人が、特に子供たちが楽しそうに街をカーニバルのメンバーと一緒になって歩いているのが印象的だった。
カーニバルは大勢の人々を集めてさらに大きなグループになりながら祭りの会場へ。
会場はすぐに大勢の人々で溢れかえる。特に子供の数がすごく多い。
会場の誰もがダンスが始まるのを待ちわびているのに、本日がお祭りの開会式ということもあり、お偉いさんの長いスピーチ。
ほとんど誰も聞いていないけど、ちゃんとみなさん話が終わるまで待っているのは偉い。
そして長ーいスピーチの後ついにダンスが始まる。
クンポーダンスは地元の人々にも人気があるようで、会場は入りきらないくらいの人々で溢れかえるほど大盛況。
そして様々な仮面の登場。クンポー、アゴマラ、ボス、ワユサ。
それぞれのキャラクターに個性があり、異なったダンスがある。
今回のカサマンス地方の旅で、爆発的なエネルギーを感じる音楽と踊りを実際に経験できて、本当に幸運だった。
西洋に植民地化された期間が長かったにも関わらず失われずに残ってきたもの。
この地に代々住んできた人々のアイデンティティー、深く根付いてきた文化、彼らの魂を感じたような気がした。
おわりに
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